第59話 たとえ無謀と思われようが

 かねてより、私は夏休みの宿題や講義のレポートなどの期限をちり紙のように破ってきた人間であった。


 こういう駄目人間の性根は腐っているくせに妙にしぶといところがあって、約束を破ってしまった相手を前にしても罪悪感など抱かず平気でいられる。怒声も侮蔑もなんのそのだ。


 だから私は、書店『Zì Chāo Zì Mài』の戸を平然とくぐることができた。


 「安価で大量の術符を持ってくる」と大見得切った手前、たとえ空手といえども立ち向かわねばなるまいと、己のなけなしの自尊心が喚いていたのである。


 店に入ってすぐ、会計カウンターで頬杖つきながら手元の符を読んでいる店主を見つけた。彼は私の存在に気づくや否や、立ち上がって近寄ってきた。


「おや、イナバさん。こんにちは」


「こんにちは」


「今日は……お一人ですか?」


「ええ。バイリィは今日が最後の自由な日なので、部屋で思索に耽るそうです」


「はは。そうですか」


 私はそこで背負っていたリュックサックを前に持ってきて、口を開いて店主に見せた。


「今日は、先日のお約束の件で来ました。私の世界の書物です」


 私はそう告げてから、装丁が虹色の光沢を放つスタニスワフ・レムの『ソラリス』を店主に差し出した。


 彼はまず、その表紙を見て、ためらいがちに尋ねた。


「これは、大変貴重な品なのではないですか? 光っていますよ?」


 私はかぶりを振った。


「いえ、大したものではありません。ただの、ちょっとした仕組みを施した紙に過ぎませんよ」


 そのちょっとした仕組みは私では説明できないし再現性もないのだが、店主に快く思ってもらおうと思って、私は精一杯の微笑を浮かべてハッタリをかました。


「これらの書物について、お話があります。少し時間をお借りしてもいいですか?」


 私が尋ねると、店主は棚が乱立する店内にぐるっと視線を巡らせた。店内にはちらほらと人がいるが、皆、本棚の前で符の立ち読みをしているだけで、石像のように動く気配がない。


「ええ。構いませんよ。実に、楽しいお話になりそうだ」


 店主は会計カウンター横の肘掛け椅子に私を促した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界ワンルームは家賃19,000円 寺場 糸@第29回スニーカー大賞【特別賞 @Terabyte

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ