第44話 少女よ、大志を抱け

 そんなやり取りをしていると、会計カウンターの方から、からんころんと、赤子をあやすガラガラのような音がした。


 振り返って見ると、会計カウンターの前で、壮齢の男性がハンドベルのような楽器を鳴らしていた。


 手には数冊の符を持っているので、買い取りに来た客だと思われる。


 店主は、広げた術符を袖口へと仕舞い、私に話しかける。


「イナバさん。すいません。一度、仕事に戻ってもよろしいですか?」


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 律儀にも、店主は私に伺いを立ててから、カウンターへと歩いていった。


「なぁ、バイリィ」


 あまり交渉をまじまじと眺めるのも失礼かと思って、私は書棚に背を預けているバイリィに話しかけた。


 彼女は、私と店主が会話している間、ずっと娯符を読んでいた。


「んー?」


 彼女の目は、まだ紙面に向けられていた。


「君の作品は、この店に置いてあったりしないのか?」


 何気ない質問のつもりだったのだが、彼女の目線は急に上がった。


「な、何言ってんの?」


 珍しく、焦りと照れを感じる表情になるバイリィだった。


「いや、君は文学を書いているんだろう? あの部屋を見ればわかる。そんな君なら、この店にひとつやふたつ、作品を提供していてもおかしくはないと思ったんだが」


「は、は、はぁ?」


 彼女の手にギュッと力が込められ、符が歪んで、買い取り確定となった。


 彼女の反応は、まるで、部屋の掃除中に夢小説を発掘されてしまった女子中学生のようだった。目は泳ぎ、頬は赤らみ、手にはじんわり汗が滲んでいる。


「イナバ! それはqiǎn xuéだよ! 娯符はたいてい、面白い原典の複製ばっかり! 新作なんて、簡単には受け入れてもらえないんだから! あたしの作品なんて、まだまだ、」


「ということは、書いてはいるんだな。そして、いずれ店に出したいとも思っている、と」


「……うん」


「どんな物語なんだ?」


「言わないよ! 口で伝えられるほど、あたしの作品はchán yīじゃないの!」


 私は彼女の口ぶりに、文芸サークルに所属していた頃の雰囲気を感じた。懐かしくなって、思わず口角があがる。


「それに、あたしが作りたいのは、今までの、読んで楽しむだけの娯符とは違うの! ちゃんと、魔術回路もしっかり組み込んで、その魔術の効果の中で読んでもらうの! 物語と魔術の融合文学! 読んで、体験してもらうための作品にする予定なの!」


 自分にまだ無限の可能性を見出している若者の、大きな志であると思った。


 現世の友人にも、似たようなことを言っているヤツはいた。だが、彼は口から絵空事を吐き出すばかりで、一向に行動を移さなかったので、内心で軽蔑していた。


 バイリィは違う。


 彼女の部屋を見る限り、彼女は少なくとも、自分の志を実現させようと努力している。


 ならば、むしろその志は尊敬に値する。


「良い作品になりそうじゃないか。君の完成品を見るために、私はこの世界の文字を理解しようと思うぞ」


 私にしては、気の利いた文句を言えたと思う。バイリィも、


「……ありがと」


 と、小さな返事をした。


「あー、もう、どこまで読んだかわからなくなった!」


 バイリィは、照れ隠しのためか、再び娯符に目を落とし始めた。

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