第43話 術符―魔術を行使するための符

 次に案内されたのは、会計カウンターの裏側にある、重々しい書棚であった。


 娯符が詰め込まれていた符とは明らかに趣きが異なる。そもそも場所が店員でしか入れないエリアであるし、戸には大きく文字が印字されていた。


 店主が解号らしきものを呟くと開いたので、恐らく、鍵がかけられていた。


「店内にあるほとんどの符は、娯符です。あれらは多くの人に読んでもらうために存在しているので、自由に触ることができるようにしてあるんですが、術符となると、そうはいきません」


 店主は、先程と同じように、中から一冊取り出して、広げてみせた。


 しかし、私に手渡しはしなかった。安易に触らせないという気概を感じて、私はその書物の価値の高さを暗に知る。


「術符というものは、どんなものかわかりますか?」


「魔術を、使うための符、じゃないんですか?」


 私は自信なく答えた。


「もう少しで完全正解ですね」


 店主は続けた。


「そもそも、魔術とはなんたるかというお話をしましょうか。魔術とは、言葉によって、自然の神々の力を借りることを言います。あるいは火の盛りを、あるいは水の流れを、あるいは木々の成長を、神々にお願いするのです。言葉によってね」


 『神』というワードが出てきたが、恐らくこれは、一神教のニュアンスではない。どちらかというと、日本人の宗教観に根付いているような、八百万信仰の類だ。あらゆるものに神は宿るという、アニミズム的な考えである。


「ですので、どれだけ拙いものであっても、それが、一定の文法に則った言葉であれば、魔術は行使できるんですよ」


「じゃあ、娯符を使っても、魔術自体は使える、と?」


「そういうことになります。あなたは、理解が早いですね」


 店主は教え子を褒めるような口調で私にそう言った。この世界の人々は、基本的に褒めベースでコミュニケーションを行うようである。


「ですが、娯符はそもそも読んで楽しむもの。魔術の使用を前提には作られていません。なので、娯符で魔術を行使しても、大抵は、意味がない上に効果が弱いのです。それでは、先程の質問をもう一度いたしましょう。術符とは、どんなものかわかりますか?」


 今度は、明確に自信を持って言えた。


「魔術の行使を前提に作られた、符」


「その通りです」


 店主は私に拍手を送った。


「術符も、娯符と同じく、大抵は偉大なる原典を複写して作成します。しかし、娯符が内容の再現性を追求したものに対し、術符は、魔術の再現性を追求したものになります。したがって、術符のほうが、より、精密に、慎重に、作られなければなりません。単語一つ、文法一つ、線一つで、魔術の効果が変わってしまうのでね」


 娯符は、現世の本とそこまで性質は変わらないが、術符は、ミリ単位の調整が必要な精密機械みたいだと思った。


 私は、店主の掲げる術符を見た。羊皮紙のような材質を、幾重にも重ねて束ねたものである。恐らく、その紙の材質も、原典というやつに近づけねば、正確な魔術を発揮できないのだろうと思われた。


 さすがに気になったので、私は言った。


「術符の価値の高さについては、理解しました。一つ、気になることがあります。それだけの労力をかけて作られる術符は、どんな魔術を使えるのですか?」


 その質問に対し、店主は、一度、紙を裏向きにして、表紙を確認してから答えた。


「この術符の題名は、『Yì jīng tiān xiàng』といいます。行使できる魔術の内容は、近日中の天気を知ることができる、というものですね。複製状態もよく、かなり原典を再現していると思われるので……そうですね、先10日分くらいは、いけると思います」


「なるほど」


 すごいとは思った。


 個人の領域で天気の正確な予測が立てられるというのは、催事を行うにしろ、農耕計画を立てるにしろ、役に立つ情報ではあると思う。


 しかし、どうしても、現世の朝のニュースで流れる天気予報がちらついて、私はその魔術の凄さを、心の底から感心することができなかった。

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