腐れ大学生の孤軍奮闘編

第1話 独自性決めに関する会合

「どこだ。ここは」


 気がつくと、私は宇宙を思わせる暗闇の中にいた。


 四方八方、どこを向いても漆黒の闇と、無数に点在する星のような光があるだけの空間だ。


 それらの光は、何光年も先にあるようにも、数センチ先にあるようにも見えた。


 ひょっとしたら触ることができるかもしれぬと思って、目の前にある星の一つを掴んでみようと試みたが、どうやら距離感が掴めていないだけのようだった。


 私の手は、虚しく宙を切った。


 その時だった。


「何を阿呆なことをやっているんです?」


 背後から、忘れようとしても脳から中々消えてくれない、あのアルトボイスがして、私はすぐさま振り返った。


「君は、」


 そして私は、愕然とする。


 背後に立っていたのは、数ヶ月前に私をこっぴどく振った、元恋人の姿だった。


 ウェーブかかった黒髪。もちもちの頬。初対面では若干気圧される鋭い眼光。剣道経験者らしい骨太な体つき。


 破局の後も、延々とカメラロールに残った写真を見ては枕を濡らしてきた私だ。見間違えるはずもない。


「どうも」


 彼女はいつも通りの仏頂面を浮かべて、私を見ていた。彼女の服装は、我々が最後の話し合いを行った時と同じであった。


 私は溜息をついた。


 私は、なんと情けない男であろうか。破局を迎えてから数ヶ月も経過しているというのに、未だに彼女の幻影を夢に見るとは。どれだけ未練があるのだ。


 こんな女々しい男だから一方的に見切りをつけられてしまったのではないか。恥を知れ恥を。そしてさっさと切り替えろ。新しい恋路を進め。

 あと、そろそろ夜毎の咆哮をやめろ。隣人から訴訟を起こされても文句が言えんぞ。


 などと、自己嫌悪のスパイラルに陥っていると、眼の前の彼女が呆れたように口を開いた。


「あの、私をほったらかしにして自分ワールドに閉じこもらないでください。私は、姿こそ同じですが、あなたの元恋人ではありません」


 彼女は妙なことを言う。


「では、君は一体何者だというんだ」


 夢の中だとはわかっていたが、私は思わずそう尋ねた。


「私は、そうですね、あなたのボキャブラリーで言うところの、女神というやつです。この姿は、あなたの脳内において女神と名乗るにふさわしい対象を調べた結果、採用されたものに過ぎません」


「女神、か」


 確かに、彼女はとびきりの美人というワケではないが、私の人生において、母親以上に影響を与えた女性であるということは間違いない。


 その称号を冠するにふさわしいことは認めようではないか。


「で、そんな女神サマが一体何の用だ? 夢まぼろしだとしても、あの至福をもう一度味わうことができるなら、喜んで浸らせてもらうが」


 私が尋ねると、彼女は、寝起き直後のような半目で答えた。


「呆れました。まさか、こんなテンプレ展開になっても、まだ夢の世界にいると思ってるなんて。あなた、ラノベとか読まないタイプですか?」


「読書はするが、もっぱら純文学やSFばかりだ」


「道理で」


 と、彼女は目をそらして溜息をついた。


「では、面倒ですけどイチから説明しますね。あなた、死んだんですよ。世の中のことをまだ何も知らない若造のくせに、目先の絶望に囚われて、酒に酔った勢いで自ら命を絶ったのです」


「ふぅん」


 特に、驚きはしなかった。


 夢の世界なのだと確信していたというよりは、私ならばやりかねないと納得したところが大きかった。


 最近はもっぱらエチルアルコールの力を借りて現実逃避を続ける日々を送っていたし、事あるごとに「あー死にてぇ」と口ずさんでいたから、自ら死を選んだとしても特に不思議はなかった。


 死んだ後に、こんな面談が待ち受けているとは予想外だったが。


「別にそのまま地獄行きでもよかったんですがね。思考回路に利用価値がありそうだったので、こうして、スカウトに来たというワケです。さすがに、異世界転移くらいは知ってますよね?」


「ざっくばらんな知識だけはな」


「そんな嫌そうな顔をしないでくださいよ」


 異世界転移・転生というジャンルについては、ここ数年で一気に書店の一角を占めるようになったから、存在と概要だけは知っていた。


 私の一方的な偏見で言えば、それらは、瞬間的な快楽のためにマスプロダクション化した創作コンテンツである。


 別に世の人々が創作に何を求めても自由だとは思うし、とやかく言う権利はないのだが、古き良き純文学を愛する私としては忌避しているカテゴリであった。


 そんな私が、まさか、当事者として異世界へ行く羽目になろうとは。


「異世界送りが嫌だというのなら、死後の世界というところに案内してあげてもいいですよ。ただし、あなたの世界の宗教だと、自殺者に対する扱いは、どれもこれも酷いものですけど。地縛霊として現世で自殺を繰り返すか、無明地獄でさまよい続けるか、ハルピュイアの森で樹木と化して啄まれるか、お好きなものを選んでください」


「流石にそれらのラインナップに比べれば、異世界で第二の人生を歩んだ方がマシだ」


「なんでそんな苦渋の決断みたいになってるんですか。本来なら、諸手を挙げて喜ぶところですよ」


 私は鼻を鳴らしてやった。


「ふん。私は知っているぞ。どうせ、転移後は世界を救えだの、悲劇の王女の運命を変えろだの、そういった無理難題を押し付けるつもりなんだろう」


「なにか、勘違いをされてるみたいですね」


 女神はまた溜息をついた。その顔で呆れられると、別れ話のトラウマが蘇るからやめてくれと思った。


「世界を救えとか、そんなことは言いません。二足歩行の霊長類が栄えようと滅びようと、私たちの知ったことではないからです。私たちが求めているのは、物語なのです」


「物語?」


「ええ。換言するならば、退屈を紛らわせてくれる情報の束、といったところですかね。あなたを異世界に送るのは、まぁ、思考実験のようなものです。現代に生きているあなたが、まったく異なる世界で、一つの独自性チートを用いてどんな物語を紡ぐのか、という」


「なんだ。じゃあ、私に使命などはないのか」


「物語の方向性はあなたに任せます。厄災の元凶に立ち向かうもよし、辺境の地でのんべんだらりと過ごすもよし、ハーレムを築くのもよしです。ただ、まぁ、そうですね。星の数ほど作品が存在する異世界ファンタジーというジャンルに放り込まれるワケですから、なにか一つでも、あなたでしか紡げない面白さというものを打ち出してほしいですね」


「その割には、口調に期待を感じないな」


 彼女の話し方は、私のドイツ語の講義におけるプレゼン発表くらい棒読みだった。


「だって、あなたは、ただの腐れ大学生に過ぎませんので。起承転結のはっきりとした王道ファンタジー展開は最初から期待していません。する気もないでしょ?」


「ない」


「知ってました。女神なので」


 女神様は力なく笑った。


「さて、冒頭から設定をべらべらと喋りすぎました。いささか冗長になりましたが、この時点で作風はある程度明示できたので、よしとしましょう。ここまで読んで面白くないと思ったら、本を閉じることをおすすめします。この先も、恐らくずっとこんな感じです」


 女神は、恐らく、私とは異なる次元にいるオーディエンスに向かって語りかけていた。


 見世物にされているような気がして、少し腹が立つ。


 私がぷりぷりと腹を立てている間に、彼女は前髪を少し整え、三ミリほど真面目になった顔つきで、私に問いかけた。


「ではそろそろ、お待ちかねの独自性チート決めといきましょうか。あなたは、異世界へ行くにあたって、一体何を望みますか?」


「え、なんでもいいのか?」


「ええ」


「そう言われると、すぐにパッと思いつかんな。カタログはないのか」


「制限や枠組み設けたって、欺瞞にしかならないでしょ。どんな雑魚スキルでも、主人公になったら妙な理屈こねまわして最強ルートを歩めるんですから」


「かといって、なんでもいいが一番困るぞ」


「あなたなんかに凝った独自性なんて求めてないので、ほら、さっさと決めてください」


 とことん扱いがぞんざいだなとは思ったが、ここで言い争ってもトラウマが無闇に刺激されるだけだ。


 私は口を閉じ、考えた。


 私には、特にこれといった願望がない。


 世界最強になりたいワケでも、民を率いて英雄になりたいワケでも、ましてや取っ替え引っ替えのハーレムを築きたいワケでもない。


 最も願うことといえば、それこそ元恋人との復縁ではあるのだが、私はどうやら現世では死んでしまったようだし、こんなインチキで叶えようとも思わない。

 それは私のなけなしのプライドが許さない。


 というワケで、「別になんでもいいか」という投げやりな結論に達した。


「決めた」


 とりあえず、現世と同じような引きこもりライフを送ることができるなら、もうそれでいいやと思った。


「では、お聞かせ願いましょうか。あなたの願いは、なんですか?」


「私が死ぬ前に住んでいた学生寮があるだろう。あれを、中身もそのまま使えるようにして、異世界に持ってきてくれ」


「なるほど。スローライフ系のストーリーラインを歩もうというのですね」


「よくわからんが、それでいい」


「では、お望み通りにいたしましょう」


 それから、私がいくつかの細かい注文をつけ、女神様がしぶしぶ同意し、会合は終わった。


 そして私は、異世界という未開の地へ放り出されることになったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る