異世界ローカルガイド

綾部まと

第1話:おわりのはじまり~東京一のローカルガイドになった日~

 台東区のみっともない一軒家の前で、俺は声を上げた。

「よし、東京のローカルガイド一位になった!」

 スマホの画面では、Googleマップを背景に、クラッカーのグラフィックが炸裂している。つい先程、軒先の一階にあるファミリーマートの口コミを投稿したところだ。このうらぶれた地区で唯一、トイレが使えて、清潔なイートインがあるコンビニで、☆3をつけた。治安が悪いところ、例えば歌舞伎町のコンビニでトイレは使えない。他の用途に使われるからだ。多機能トイレなんて設置した日には、金はないけど欲はある、カップルどもの行列ができるだけだろう。

 コンビニの駐車場を歩き、営業車の中へ入った。空は深い藍で、ほとんど秋の空を思わせた。午後の紅茶・無糖のペットボトルを開封し、喉に流し込む。三十五歳のおっさんが飲むにはおしゃれ過ぎるが、『一本買うともう一本』の特典レシートがもらえるのだ。銀行員として、企業の涙ぐましい努力は買わなくてはならない。

 コンコン、と車の窓が叩かれる。外には、青と白の縞模様の、醜悪なデザインのユニフォームに身を包んだ女性店員が立っていた。

「お手洗いに、これ忘れませんでしたか?」

 彼女は社用スマホを手渡してくれた。やわらかく、雪のように白い手をしていた。少し痩せ気味で、恐ろしいくらい健康な印象を受けた。食べるものに気を使い過ぎて、男運を失いかねない顔つきをしている。

「はい、僕のです。ありがとうございます」

 品格のある五菱銀行員らしく、笑顔をつくって見せた。彼女はポケットから小さなチョコレートの包みを取り出した。そして俺に差し出した。

「これ試供品ですが、良ければどうぞ」

「え? あぁ、どうも……」

「お仕事、お疲れ様です。それじゃあ」

 彼女が去り、包みを見ると、『ストレス社会に打ち勝つ! GABA入りチョコ』と書かれていた。余程、疲れて見えたのだろうか。俺はこのコンビニの口コミを☆4へ上げることを決意して、ストレスの塊である、銀行の目黒支店へ戻ることにした。


 会議のための会議は、金曜の夜ということもあり、早めに切り上げられた。

「田中代理、お疲れ様です」

「おー。お疲れ」

 指導担当者である、伊藤から声をかけられる。いかにも慶應ボーイといった新入行員で、上司の俺に対しては真面目な、好青年だ。

「よし、みんな飲み行こうぜ!」

 彼はすぐさま踵を返し、同僚たちに声をかけた。ロビーを担当する女子たちが、黄色い歓声を上げる。彼にとっての『みんな』とは二十五歳以下の人間を指す。人は二十五歳を超えた瞬間から、『おじさん・おばさん』と一括りにされるのだ。そうなる前に、獲得しておかなくてはならない。友人や、恋人や、家族を。目下のところ、俺に残されているのは、恵比寿のワンルームマンションでの、カップラーメンだけだった。


 家に戻ると、予想に反して、俺を待っているものがいた。それは一通のメールだった。ラーメンのタイマーのためにスマホを開くと、慣れない英語の文字が躍っていた。スパムかと思ったが、『Google』と書かれていたため、ゴミ箱に入れるのを辞めた。あれは人生の中で、数少ない『後悔しなかった』選択だった。

「ひとまず翻訳にかけてみるか。どれどれ……」

 俺はベッドの上に寝そべり、画面の文字を読み上げた。

「あなたは、ローカルガイドのレベル10に到達しました。また、東京のローカルガイドの上位1%に入りました。つきましては、ハワイのGoogle支社で行われる表彰式に、参加できる特典を獲得しました……!?」

 いたずらメールか確認するために、インターネットで検索してみる。銀行で営業をしていると、取引先や同僚の嘘になれてしまい、つい、真実かどうか確かめる癖がついてしまう。

 エリア別のローカルガイドを招いた表彰式については、公式サイトに掲載されていた。どうやら嘘ではないようだ。メールボックスを開くと、追加でメールが来ていた。希望者はアンケートフォームに個人情報を入力すれば航空券代も、宿泊費も負担してもらえるらしい。日程は十月三十一日、ハロウィンだ。幸い、休暇はたまっている。どうせ営業目標は達成できないし、支店長も半ば諦めている。二日・三日くらい休んでも、文句は言われないだろう。月曜に課長に話して、申請を上げよう。

 タイマーがなり、俺はラーメンをすすった。この世のものとは思えないくらい、まずかった。台東区のラーメン屋で昼食をとった時、レジ横で売られていた特製ラーメンだった。口コミでは「子供が大好きで、いつも箱買いします」と書かれていた。その子供は普段、輪ゴムでも食べているのだろうか。Googleマップに追記するために、またマップを開いた。

「あれ?」

 マップのイメージが、普段と違う。メールは社用スマホに来ていた。銀行のアドレスは取引先か同僚しか知らないはずで、もう一度、スマホを見返した。しかし紛れもなく、俺だった。後日精査することにして、ラーメンを食べることにした。週末の予定ができたことが嬉しかった。ハワイのガイドブックを買いに、本屋へ行くのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界ローカルガイド 綾部まと @izumiaya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ