It Bites

深 夜

It Bites

 その晩、カズさんはいつもより大部飲んでいた。

 もともとあたまの配線がごく大雑把に出来ているカズさんは、意味もなく前むきで反省がない。くわえて徹底的に自己中心的である。

 しかしその晩のカズさんは酒の力をかりて、神をも恐れぬ――信じているとすれば、だが―― 〝 第九 〟 の最終楽章もかくやの暴力的な上機嫌に突入していた。

 飲めば飲んだだけオヤジになるカズさんはぼくに 〝 ジブシー・キングスの真似をする美輪明宏の真似をするイアン・ギラン 〟 をやらせて大笑いし、そのまま大の字になって寝てしまった。

 そして僕はダブルベッドの三分の一ほどのスペースに身をかがめ、カズさんの大いびきに対抗するため必死に羊の数を数えていた。


 「おやあ? そこにいるのは誰かなあ?」

 頓狂な声を上げていきなりカズさんが起き上がり、ガラス窓に歩み寄った。

 外は二月なかばの闇夜である。

 「いえ。あの、ちょっと」

 あろうことか、カーテンの向こうでうろたえた声がする。

 のびてパーマの取れかかった茶髪を揺すって窓に歩みよるなり、カズさんはためらいも遠慮もなくカーテンを引いて窓をあけた。

 「うう、さぶっ」

 冬の真夜中すぎにいい歳した女が、短パンにタンクトップという夏場の色気づいたガキみたいな格好して外に出たらそりゃ寒いに決まってる。

 「あらま。あんただれ?」

 ベランダに若い男が所在なげに立っていた。

 時計を見ると午前一時。しかもここはマンションの七階だ。 

 染めた長髪に黒ずくめのスーツと言う典型的なホストスタイル。ルックスは二十四、五のころの木村拓哉そっくりだ。

 そして二十半ばのキムタクと言えば、カズさんのストライク・ゾーンどまんなかである。

 デフォルトで凶悪なカズさんの目つきが、いきなり溶けた。

 「ふーむ。ふふふ、ふっふっふっふ。まあいいから入んなさいよ」

 青年はひどく動揺していた。

 「あ、あのう。なんであなたが開けちゃうんですか。ボク、困るんですけど」

 「何言ってんのよ。誰が開けようと、女に誘われ中入らないようなやつは男じゃねえぞ。ほらいいから入んなさいって寒いんだから」

 「ボク、寒くないです」

 「あたしが寒いんだっ。さっさとお入りっ!」 

 「あっ! はっ、はいっ! ――しかし困ったな」

 青年はなぜか恨めしげにぼくを見た。


 「さーてと」

 状況の異常さにとんちゃくした様子もなく、カズさんはベッドにあぐらをかいて煙草に火をつけた。

 「どう言うつもりかしらんキミ。説明して。ひょっとして夜這いとか? キャーお姉さんワクワクしちゃうぞっ! おっとそうそう。まずキミ、自己紹介」

 「ええと、話せば長いんですけど」

 「最初と最後だけくっつけて。マイ・ネーム・イズだれそれ。ドゥーユーアンダスタン?」

 一人で盛りあがるカズさんの二の腕を、青年はくい入るように見ていた。

 そこには若気の至り――とは、本人いまだに思ってないようだが――で彫り込んだ、エジプト十字架のタトゥーがある。

 カズさんは筋金入りのメタラーで、昔はディープ・パープルのコピバンでオルガン掻きむしりながら金切り声で絶叫していた。そのカズさんに押しかけ女房され、ジュリアード音楽院へ行く夢をたたれたのがバンドで最年少のベーシスト、つまりこのぼくである。

 やがて青年は意を決したように言った。

 「あのう、実言うとですね。ボク――」

 「じゃないのか」

 心底ちがう、と言って欲しかったのだが。

 「ハイそうです。よく分かりましたね先輩」

 あっさり認めるなよ。それにだれが先輩だ。

 「ついでにまさかと思うけど君、窓を開けて欲しかったんじゃないだろうね?」

 「またまた、おっしゃる通りです」

 「えーっ! 嘘でしょーっ?」

 バンドできたえたカズさんのものすごい嘆声は、彼の素性に向けられたものではなかった。  

 「なにキミ、このおじちゃんの方が目的だったの? このあたしより? バっカじゃない?」

 「い、いやその、ボクら吸血鬼はタナトスに基盤を置く生命体でして、そのため生殖活動においてはフロイト先生言うところの性的転倒がその、なんと言うか」

 「ああもう。やめやめやーめ」

 カズさんは両手を振って青年を黙らせた。

 「あたしも悪魔やら黒魔術には少々うるさいんだ。んな事ぁ言われなくったって分かってるって」

 そうそう、カズさんは昔オジー・オズボーンを追っかけて英国へ渡ったことがある。

 もっともオジー、税金逃れのためとっくにアメリカに移住していたけど。


 「へっへっへ」

 カズさんはやにわに舌なめずりをして笑った。

 「たしか吸血鬼ってえ、こっちからドア開けてあげないと中に入れないんだよねえ?」

 「・・・・・・ええ」

 「じゃあ、頼みもしないのに引き込まれると、どうなっちゃうのかなあ?」

 「・・・・・・言わないと、いけませんか?」

 「うん。興味津々」

 「外へ出られなくなっちゃうとか?」と、これは僕。

 くどいようだが違うと言って欲しかった。しかし青年は暗い目をしたまま重々しくうなずいた。

 「おまけにこのひとのバカな刺青のせいで、君はカズさんの血が吸えない、ってわけだ」

 ふたたび青年、荘重にうなずく。

 「そしてぼくは君を招いていないから、当然ぼくの血も吸えない」

 みたび青年はうなずく。運命の悲哀に耐えてる顔だ。

 やにわにカズさんが怒鳴った。

 「とにかくあんた、男にしか萌えないってのは絶対まちがっとるぜよ!」

 「そうはおっしゃっても、それがぼくら種族の美学でして。ご覧になりませんでした? インタビュー・ウィズ・バンパイヤ」

 「おだまりっ! あんたみたいなイケメンがうちの亭主みたいなのにうつつぬかしてるのはあたしの美学に反するんだよ。狙うんならどうしてもっと上を狙わんっ! トーマとかオグリとかアベちゃんとか、ほかにいくらでもおるだろがっ!」

 いっしょになってから結構長いけど、未だにカズさんの男の趣味はよくわからない。

 「その、人には器ってものがありますんで」

 「ええ、この根性なし! どうしてもこいつの方がいいってんならこうしてくれるっ!」

 やにわにカズさんは、信じがたい行動に出た。

 真夜中のマンションにぎゃあ、と言う叫びが響いた。


   ★


 それきり青年はうちに居ついてしまった。

 おもてに出られないんだから、しょうがない。

 「奥さん。夕飯が」

 「お姉さまとお呼びっ」

 「お、お姉さまっ。そろそろ夕ご飯です」

 「あっそ。じゃちょっと背中揉んでくんない? あんたに揉まれると、血行がチョー良くなるんだよねーるんるんるんっ」

 なにがるんるんるん、だ。

 いまや青年は完全にカズさんの下僕である。人柄も穏やかで料理もうまく、よく気がきく。

 そのせいか、最近はカズさんの性格まで丸くなってきた。なにからなにまで良いことづくめだ。しかし、だからこそ困る。

 流行りそこねた昼ドラみたいなこのヌルい展開を食いとめないと、遠からずぼくらの夫婦関係は破綻するだろう。

 しかし、この問題を解決するのは実のところ至極簡単なのだ。しかしそれはぼくには到底不可能である。

 カズさんの首筋に噛みついて血を吸うなど、本職の吸血鬼にさえ出来なかったのだから。

 それどころか彼は、返り討ちにあったのだ。




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