第三・五章

美濃国内において

 美濃国、稲葉山城城内。


龍興たつおき様! 来月からは、信長が美濃攻めするという情報が届いております!」


「わかっておる」


 我が、主君である龍興の左右には、龍興が自ら美濃国で選別してきたと思われる美女二人が座っている。


 今日は、来月から攻めて来ると言われている織田軍から美濃国を防衛するための防衛会議のはずだろう。なぜ、一国の存亡に関わる大事な会議に、自分の愛人を同席させているのだ。


「作戦は、どのようにするおつもりで」


 先ほどから、龍興様に対して発言しているのは、美濃三人衆と呼ばれる、先々代斎藤家の当主斎藤道山の時から、斎藤家を支え美濃国を守ってきた三人の重臣だ。名前は、稲葉良通いなばよしみち安藤守就あんどうもりなり氏家直元うじいえなおもと、この三人の名を美濃国で知らない人はいないだろう。


「主らに任せる。私は、忙しいのだ。のう?」


「もう、殿ったら」


 龍興様は、美濃三人衆の言葉を受け流し、女性といちゃつき始める。


「と……との!」


 俺の後ろで、美濃三人衆の一人、稲葉良通が言葉を震わせて、怒りを抑えているのを感じた。


 美濃三人衆が抱えているストレスは、俺の想像を絶するものだろう。斎藤家三代に従ってきた重臣達だ。自分達が守って来た美濃国の存亡。その命運が関わっている大事な会議に、主君である龍興様が、この調子なのだ。


「ところで、加治田衆を束ねている者はいるか」


 加治田衆? 俺が率いている国人衆の名前だ。


「おい、呼ばれているぞ」


 隣に座っていた、斎藤家の家臣に肘でつつかれる。


「あ、俺です」


「いたいた、えーと名前は……」


佐藤忠能さとうただよしです」


「そうだ。忠能だ」


 自分に従っている家臣の名前も覚えていないのか、この男は。


「中美濃で、重要な拠点である加治田かじた城は、忠能が城主なのだな?」


「はい、そうです。織田軍から守ってみせます」


「みせます?」


 龍興は、立ち上がって、俺の前に来た。


「な、なにか?」


「主君に言う言葉は、『絶対に守ります!』だろ!」


 頭に強い衝撃を受けた。この感触は、足か。


「た、龍興様!」


 家臣が驚く声と共に、何度も何度も、足で踏みつけられる感覚が頭から伝わってくる。


「な、なにしているんですか!?」


 周りにいた家臣達は、慌てて俺から龍興を引き離す。


「だ、大丈夫か?」


 美濃三人衆の一人、氏家直元は俺に手を貸してくれた。


「あ、ありがとうございます。直元様」


 普段、話すこともない重臣に心配されてしまった。それだけ、異常な光景だったってことか。


「気にするな。お礼を言われるほどのことではない」


「直元様。一つ聞いてもいいですか?」


「どうした?」


「私は、頭を踏まれていたのですか?」


 もしかしたら、自分の勘違いかもしれない。そう思った私は、直元様に今起きた事実を確認した。


「そ、そうだ」


 直元様の言葉を聞いて、私は人生で今までされてこなかった、屈辱を受けたことを知った。



 龍興の乱心で、美濃国の防衛会議は中止となった。


「龍興様の動きを止めた時、酒臭くなかったか?」


「お前も、そう思ったのか。俺も酒臭く感じたぞ」


「まさか、防衛会議で酒を飲んでいたのか?」


「まさかな」


 斎藤家の家臣が話している会話が耳に入る。


「斎藤家は終わりかもしれない」


 誰にも聞こえないような言葉で、そう呟いた。家臣のことを足で踏みつける主君に、仕えていても意味があるのだろうか。


「私は、なんのために龍興の家臣でいる」


 一度、不信感を抱いてしまったら、今まで龍興がやってきた行いが、思い浮かぶ。とりあえず、加治田城へ向かおう。そう思い、稲葉山城の外へ向かおうとする。


「我が主君があれでいいのか」


「美濃三人衆と呼ばれるまで出世した、私の助言を聞こうとしない」


「道山様の時代が、一番良かったのかもしれないな」


「おい、皆が思っていることを口に出すな」


「主君に聞かれていたら、どうする」


 後ろから、美濃三人衆の会話が聞こえて来た。


「誰が、なにを言っていたか、確かめないようにしとこう」


 知らぬが仏だ。


 美濃三人衆の会話を聞かないようにしながら、稲葉山城を出た。


「早く加治田城に帰ろう」


「佐藤忠能様ですね」


 俺が、馬小屋に向かおうとすると、何者かが話しかけて来た。旅人のように思える風貌だ。知り合いにこんなやつはいたか?


「何者だ?」


「織田家に仕える密偵です」


 その言葉を聞いた瞬間、すぐに刀を抜いて、男に向けた。


「織田家の密偵がなにしにきた?」


「信長様からの手紙です」


 男は、そう言うと俺の足元に紙を投げる。


「信長からの手紙だ? 何言っている!」


 視線を手紙から男が立っていた方向に向ける。


「逃げられたか」


 男の姿が、どこにもなかった。わざと重要な手紙を投げて、注意を違うとこに向ける技か。織田家の密偵なのは、間違いないようだ。


 落ちている手紙を拾う。


「信長め、私に裏切れって言うのか」


 自分の言葉を発したすぐ後に、『私は、なんのために龍興の家臣でいる』という、さっき言葉にした疑問を頭に思い浮かべてしまった。

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