50話  帰還

スペラード伯爵領のカウダ川を、船は投げられた小石のような速さで進んでいた。


びゅうびゅうと川の風が吹き付ける中、船の舳先に立った私のもとに、無数の視線が集まっている。

まるで私が中心に立って、放射状の光でも放っているかのようだ。


甲板に居る船員達は皆、互いの無事を喜び合うのもそこそこに、船首の前に立った私を、怯えたように見つめている。


「あんた……な、何なんだ……?」


一番近くにいた若い船員が、意を決したようにうめく。


ひやりと胸が冷えるのを感じた。


粗末な使用人の格好をしているけれど、強い川の風に長い紺の髪がひるがえる姿は変装した少女のそれ。

弓矢の降る甲板で怯えもせず走った姿も、舳先で何か囁いた姿も、船員達は見ていただろう。


突然奇妙な動きをしだした追っ手の騎士。空を飛び関所を超え、今も不自然なまでに早く走る船。

一気に起きた様々な異常と、この異様な子供を結びつけずにいられる程、船乗り達は気楽じゃない。


背中を冷や汗が伝う。多くの船員達が私を見つめている。

今は驚きと、疑問が強いけれども、もしもこの感情が恐怖に変質したら?

化け物だと呼ばれ、石を投げられたら、私は──……。


「……ユレイア、笑って」


耳元で、そっとウィルが囁いた。


「大丈夫。君はスペラード伯爵令嬢として、彼らを守ろうとしたんだ。自信を持って、堂々と背筋を伸ばしていいんだよ」


ふわっと冷たい風が顎の下を撫でる。

うつむきかけていた私の顔が上がり、腰を包んだ風が背中をのばす。

私は大きく息を吸い、ウィルの言葉だけを信じてぱっと明るく微笑んだ。


「みなさま、ご無事でよかった!」


無理矢理にでも笑えば、少しは頼もしく見えるだろうか。

ウィルが耳元で、この場に相応しい言葉を囁く。私は王城へ向かう時に詰め込んだ所作を思い出し、必死に優雅さを保って胸に手を当てた。


「黒翼城はもうすぐです! 皆で、必ず無事に我らがスペラード伯爵の元へ戻りましょう! お祖父様は、必ずや生き延びた勇者達を認めてくださるでしょう!」


くっ、と船員達の目がみひらかれた。

疑問から、驚きへ。不信から、喜びへ。


「ユレイア、お嬢様……?」


頷いた瞬間、船の中はさっと雲間から光が差したかのようだった。

悲鳴のような歓声が湧き上がり、口笛が紙吹雪のように吹き上がった。

船員達は互いを抱きしめて跳ね回ったり、崩れ落ちたり、跪いて祈ったりしながら口々に叫ぶ。


「竜のレガリア様だぞ!」

「ラル坊の忘れ形見だ!」

「伯爵を王にしてくださる御方だ!」


湧き上がる歓声の中に、シレーネ大叔母さんの警告そのものが混ざっていて私は焦った。

違う、回帰の王はウィルなのだ。

私は、彼らの期待に全部応えてあげることはできない。


「そ、それは」


違うんです、と言うべきか、だとしてもどう伝えるべきか。

悩んでウィルをちらりと見たが、彼はその時、何故だか私を見ていなかった。


一人、異様なまでに青ざめ、強ばった顔で口元を引きつらせている。

視線を追ったが、そこには何もない。

騒ぐ船員達がぽっかりと抜けた甲板に、鉱石ランタンがひとつ転がっているだけで……。


『そうか。やはりこの船に乗っていたか』


低い、陰鬱な声。

不自然なまでに大きく響きわたったその声に、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。


鉱石ランタンから、声が響いている。

ちかちかと真ん中の水晶が点滅し、光が揺らぐたびに、大音量で陰気な声が響く。

スピーカーを通した電話のようによく通る、他人を不安にさせるような声が、歓喜に揺れる甲板を一瞬で静かにさせてしまった。


鉱石ランタンから響く声は告げる。


『ユレイア。君の幸運にはいつも驚かされる。正直私は、君がここまでたどり着くことが出来るとは思っていなかったからな』


ランタンから声が聞こえることよりも、何よりも、私はその声にこそ、息もできないような衝撃と憎しみを覚えた。


忘れようにも忘れられるものか。


間近に聞いたのは一度きり。たった数分にも満たないだろう。

けれど、私が魂に刻み込むには十分すぎるほどの時間だった。

忘れない。一度聞いたら、絶対に二度と忘れるものか。


私はすり潰すほど奥歯を噛みしめ、憎悪に燃える喉で呻いた。


「リチャード……!」


よくもぬけぬけと私の名前を呼べたな恥知らず!


誰が選ばれたとしても、私が王弟を回帰の王に選ぶことなど、決してないと分かっているくせに! それでも竜のレガリアを求め、あまつさえ追っ手に加わるなんて、なんて愚かで厚かましい!

よくも、よくもよくも!


「二度と……!」


私の家族に近寄らないで!


風の魔術を操り、あるいは妖精を呼び、あらん限りの力で排除を。呪いを!

衝動のままに息を吸った瞬間、ウィルがさっと私の口元を塞いだ。


「駄目だ、黒い犬が……!」


冷たい風が唇を塞ぎ、言葉が途切れる。

代わりに、何だ、どうしたんだ、とざわめいていた船員達の一人が呟く声が耳に飛び込んだ。


「おい……動いてるぞ……」


彼が指さしたのは、転がった鉱石ランタンの取っ手だった。

まるで見えない掌が勝手に握りこんだかのように、カタンと金属音を立てて丸い金属の取っ手が立ち上がる。


『勤勉な船乗りの諸君よ』


ひとりでにランタンは浮かび上がり、淡い黄色に輝きながら、また空気を震わせて陰鬱な声を響かせる。


『御陽気なのは結構。だが、スペラード伯爵は回帰の王には選ばれない。いくらその子供をかばったとて、訪れるのは王族に睨まれ、商売を締め出され、大切な蓄財を放出しなければ生きてはいけない未来だ。敬愛する将軍伯爵様の孫とて、そう持ち上げるものでもないのではないかな。それよりは、大人しく船を戻し、故郷の安全を優先するべきではないか?』


船乗り達が、宙に浮き、低い声で語りかけるランタンを怯えたまなざしで見る。

けれどその言葉は油が紙に染みるようにくっきりと伝わっているようで、さっきまで歓喜していた船乗りたちの視線がわずかに揺れはじめる。


私は眉間にしわをよせた。おそらく、ランタンの近くに妖精がいるのだ。

それも、リチャードに味方する妖精が。

だがそんなことはどうでもいい。妖精だって色々いるんだ、皆が私に味方してくれるなんて思ってはいない。


「不気味なのは、あなたも同じじゃない!? ランタンの影に隠れて、どこで何をしているのやら!」


我慢出来ずにウィルが押さえつけてくる冷風をひっぺがえして叫べば、鉱石ランタンは軽く笑ったようにまたたいた。


出来ればその黒いヘドロみたいに陰気に隠れているドブ川の底から二度と出てこなければお似合いだったのに! と続けようとした言葉がウィルの冷風に遮られ、彼のひそやかな声が私の耳にだけ流れ込んだ。


「魔術は……王家と許された軍人の特権なんだ」

『高貴な者であればあるほど、非公式の場ではこのような形で言葉を贈る。まだ幼い君には分からないだろうが』


ウィルとランタン越しのリチャードの言葉がほとんどかぶり、私はむせたふりをして口元をおさえた。


「人魚の花みたいなものだよ。日常の道具の中に、魔術を込めた品を流通させて、王家は貴族や商人達と渡り歩いているんだ。この鉱石ランタンを、君が突然船の動力にした時は、目玉が落っこちるかと思ったんだからね。そんな使い方、してもいいのかって。……本来の使い方は、こっち」


王城から脱出したはいいものの、あまりにも早い追っ手のかかり具合や、関所へ人を回す速度に驚いたのを思い出す。

確かに、追っ手の動きはあまりにも早かった。その理由の一端が、これなのか。

確かにランタンならば、どんな建物にあっても不自然ではない。


「この鉱石ランタンの本質は、風を動かすこと。音は、風が震えることで伝わるんだ。ユレイアみたいに暴風を出せる人なんてほとんどいないけど、少しだけ震わせるなら、誰でもできる。まだこの時代は連絡用といくつかの魔術具しかないけど、数年後、爆発的にあらゆる魔術具が開発され、流行するよ」


どうしてそんな大事なこと、もっと早く説明してくれなかったのと叫びたかったけれど、この船に乗ってからそんな暇などなかったことも分かっている。

鉱石ランタンが明滅し、低い含み笑いが甲板を這った。


『ユレイア。船乗り諸君に教えてあげるがいい。竜のレガリアとして。将軍伯爵は回帰の王ではないと。それどころか、この世界にはもはや、回帰の王などいないのだと』


痺れるような冷たい衝撃が脳を走って息を詰めた。

ウィルですら硬直して、短い呻きを喉で漏らす。


知っている。

王弟は、この男は、ウィルが回帰の王だと知っている!


押し黙った私の動揺を感じ取り、船員達視線に疑念が混ざる。

「まさか」と「そんな」が混ざった落胆は、期待していた分が大きければ大きい程に極端だ。

彼らの不満を、振り上げた拳の落としどころを作ってあげるのも伯爵家の役割だとシレーネ大叔母さんに聞いていたはずなのに。

せっかく侍女になってもらったのに、彼女からはまだ、何の助言も得ていない。


どうしたらいい? ぶっつけ本番で、私は一体何ができる?


頭がきんとして震えが走る。でも負けたくない。

リチャードなどの前で弱気な姿を見せるなんて、絶対に自分で自分が許せない。


「ユレイア、笑って」


ウィルの半透明の指先が、私の頬にするりと刺さった。


「笑って。ちっとも怖くないみたいに。それが貴族の戦い方だ」


ゆらゆらと、唇の近くで白い陶器のような指先が浮き沈みする。

私の背後に浮いた幽霊の王子様は、冷たい風を頬に添えて、私の髪を揺らしながら顔を上げさせる。


「大丈夫。僕がなんとかする。僕の声に続いて」


了承の代わりに微笑んで、腹の底にたたき込むようにして深く息を吸った。

耳に注がれるウィルの言葉を一度頭で覚え、ゆっくりと噛まないようにひとつひとつ唇に乗せる。


「ええ、確かに。回帰の王は今この世に生きていない」


船員達の顔に、激しい驚愕と、絶望に近い不安が浮かんだ。

この世に自分たちを導いてくれる、回帰の王が存在しないこと。

それは、この地で育った人間達にしか分からない、独特の悲しみがあるのだろう。

ここで自我を育んだわけではない私には分からない、差し伸べられた手を振り払われたような失望があるのだろう。


「けれど私は知っている。回帰の王が現れるその瞬間のことを、竜のレガリアは、既に伝えられ耳に入れている」


だからこそ私は華やかに笑って、一人一人の顔を見つめた。

大丈夫だよと。あなた達はいつか、必ず素敵な王様が現れるのだという想いを、無理矢理にでも盛り上げて。


「来年の冬。その時が来れば回帰の王は、このアウローラの地で息づくだろう」


船員達の顔が、一気に輝いた。


「そうか……回帰の王は、まだ生まれていないのか!」

「来年の冬に生まれるんだな!」


私は否定も肯定もせずにただ笑みを深める。


ウィリアム王太子殿下ってば、嘘をつかずに相手を勘違いさせるのがお上手ですこと!


詐欺すれすれの言い回しだ。

二年後にもしもウィルだけ遠いパラレルワールドに居なくなってしまったらどうするんだと思うが、私の唇は硬直もせずにさらりと動く。

ウィルの名前以外を回帰の王として呼ぼうとしても、口や喉が強ばって動かなくなるから、おそらく何かの基準はすり抜けているのだろう。


「時が来るまで、私は愛する黒翼城で、回帰の王の目に映る日を待ちたいのです」


なんて上手い言い訳だろうと思ったら頼もしくて、不覚にも本当に笑顔が浮かんでしまった。

つられたように船員達は大きく安堵の息を吐く。老年になればなるほど顕著で、白髪交じりの船員など「ああ、よかった……!」と胸を押さえ、笑いに近い息を吐いた。


「だから、ユレイア様は黒翼城に帰りたがったのか!」

「トーラス子爵領ではなく、スペラード伯爵領を故郷と思ってくださるのか……!」


さわさわと、春風に似た期待が船の上を駆け抜けるのがわかった。


スペラード伯爵は回帰の王ではない。

だが、来年の冬、回帰の王は現れる。

つまりそれは、自分の子供かも知れないのだ。

一年半もあれば、今から恋人を作り、子供を産んでもらうのにだってぎりぎり間に合う時期だ。

希望は潰えてはおらず、むしろ更に身近になったようで、船乗り達の顔は浮ついている。


『同じ事が繰り返されるぞ』


鉱石ランタンが白く瞬き、陰鬱な声があざ笑うように囁いた。


『来年の冬、また竜のレガリアに指名を受けようと、多くの者が詰めかけるだろう。今からでも傍に置こうと、多くの貴族はスペラード伯爵領に圧をかける。同じだ。何をしても同じだ。同じ事の繰り返しだ』


呪わしい声は、一瞬私の心を家族の葬式の日に引き戻した。

あの雷雨の夜、静かに腐っていく泥濘のような声で嘘を並べ立て、王弟リチャードは私を振り返りもせずに立ち去った。

あの時の屈辱が、腹の底が煮えるような怒りが、今また真剣に蘇ってくる。


「同じであるわけがないでしょう? 昨日の私ですら、今日の私とはまったく違うのに」


雷雨の中で、私はウィルという味方を手に入れた。

お祖父様の庇護下に入り、アメリを傍につけてもらい、バーナードという護衛騎士を得て、イヴリンという侍女に寄り添ってもらい、シレーネ大叔母様と交渉をして参謀になってもらったのだ。

私はせいぜい唇の端をつり上げて、射貫くようにランタンを睨んで低く告げた。


「次は逃げるだけで終わる気はありません。私は私の周りにいるあらゆるものを守り、そして罪を犯した者に責任を取らせるでしょう」


捕まえてやる。

いつか絶対に罪を認めさせ、必ず後悔させてやる。

ランタンの向こうに居るであろう男は、耐えきれなくなったように、くつくつと低く笑った。


『本質からは、逃げられない。いつまで経っても変わらないものだ。災いを連れてくる。呪いを連れてくる。自分以外を破滅させる。なにしろ、彼女は親兄弟の全てを犠牲にして、自分だけ生き残ったのだからな』


その言葉は邪悪な一矢のように私の胸を深く抉った。


私だけ生き残った。

親兄弟の全てを犠牲にして、足手まといになって、周りを破滅に追いやった。

それは、それだけは本当のことだ。

どんなに認めたくなくても、この男にだけは言われたくなくても、真実であることに代わりはない。


あまりのことに青ざめて口をつぐむ私に、ウィルが冷え切ったまなざしでランタンを睨んだ。


「堅物が随分と上手い冗談を言えるようになったもの……」

「これ以上、ユレイア様に意地悪を言うのは、誰であろうと許しません!」


けれどその声を遮って、鋭い声が叩きつけられる。

振り返れば、船員達の間をくぐりぬけ、青い瞳を怒りに燃やしたイヴリンがずんずんと歩いてくる。


「だいたい、失礼ではありませんか! ただのランタンの癖に、ユレイア様に無礼な口をきいて!」


どうやら彼女は、ランタンの妖精が勝手に話し出したように見えていたらしい。

私の前に立ちはだかると、鉱石ランタンが飛びかかってくるのだと言わんばかりに、真剣に両手を広げて私の前に立ちはだかる。


イヴリンが来た方角で船員達がざわめいて道をあけ、すぐにやや青ざめたシレーネ大叔母さんと、真っ青になったショーン大叔父さんが歩いてきた。

顔色を見るに、多分、彼らはランタンの向こう側に誰がいるのか知っている。


「……馬鹿なことを」


シレーネ大叔母さんのつぶやきに、叱責されるだろうかと一瞬身を固くした。

けれど、彼女が向き合ったのは、白く輝く鉱石ランタンの方だった。


「この子が家族を置いて一人で逃げた? 馬鹿馬鹿しい。ラルフが庇って、逃がしたに決まっているでしょう。彼はそういう青年でした」

「そ……そうだ! そも、こんな子供に何を言うんだこの卑怯者! 親を亡くした子供にかけていい言葉と悪い言葉もわからんのか! なあみんな!」


ショーン大叔父さんの呼びかけに、はっとしたような顔で船員達が頷きあった。


「そうだ、そうだ!」

「スペラード領の人間なら誰だって知ってるぞ!」

「ユレイア様は、守り抜かれた成果なんだ!」


私は目を見開いた。

暖かな気持ちが胸に沸いてきて、ありがたさと信じられない気持ちで周囲を見つめる。


お父様が慕われていたのは知っていたけれど、私は下町で誰かと交流したことなんてない。

それでもこんなにも信じてもらえる。励ましてもらえる。

それは、嘘のようにありがたくて、そしてたまらなく嬉しいものだった。


『美しいものだ』


花に興味のない人が庭園を褒めるかのような声で呟いて、白く瞬いた鉱石ランタンから静かな声が響く。


『ユレイア。君は彼らにどんな価値を返せる? これほど憤ってくれる彼らに、何が出来る。そこまでしてもらって、守る価値のある存在だと、自分を信じられるのか?』

「それは……」


思わず口ごもった私の前で、イヴリンが目をつり上げてますます険しい顔をする。

シレーネ大叔母さんは黙って私の前に立つと、ふいに腕を高く掲げて冷たく告げた。


「価値と言いましたか?」


彼女が来た時には気付かなかったが、その手には小さな鉱石ランタンが掲げられていた。

リチャードの声がする鉱石ランタンと違って、淡いトパーズ色の光を放ち、またたいている、黒い傘と枠のランタン。

その新たな鉱石ランタンから、渋い、苦みのある老人の声がした。

シレーネ大叔母さんの手元から、聞き慣れているはずなのに懐かしい声が響いてくる。


『面白い話をしている』


スペラード伯爵の、声だった。


『だが守る価値など、スペラード伯爵領では無意味な話だ。甲板に並ぶ人間が誰であれ、街道の守護者には関係のないことだ』


イヴリンが目を丸くして、スペラード伯爵の声がするランタンを凝視している。

船乗りのうちの何人かも、あっけに取られて口をぱかっと開けた。

彼らの方は本当に、鉱石ランタンで連絡を取れることを知らなかったのだろう。


『まさか……その声は』


ランタンの向こうにいる王弟リチャードが、息を飲む声が聞こえる。

動揺したかのように、宙に浮いたランタンが弧を描いてゆらゆらと揺れ、震えるように点滅する。


……甲板に並ぶ?


だけど私は、その言葉に思わず川面を振り返って進行方向を見た。

鉱石ランタンは、言葉を届ける魔術具だと思っていた。

私達が甲板に居ることが何故わかる?


船は既にもう随分と川を下り、黒翼城の抱える巨大な城下町が大きくそびえていた。


一番近い関所の門は大きく開き、私達を両手を広げて迎え入れんばかりだ。

建物の屋上は何故か場違いなまでに花が飾られ、まるで祭りか何かのように華やいでいた。


「あ……」


私は小さく呟いた。

関所の屋上に、誰かが立っている。

銀の鎧をまとった大柄な老騎士が、弓をつがえてこちらを見ている。

ほとんどの人間が鉱石ランタンを見つめている中、私は思わず胸を押さえ、関所に立つ背の高い影を見つめた。


『そこにいるのがどこの誰の子供であれ、スペラード伯爵領の街に暮らすのだとしたら、それは、我が翼の下にある雛だ』


スペラード伯爵の静かな断言が、小さなランタンから重々しく響く。


『お引き取り願おう』


王弟リチャードの鉱石ランタンが、激しく明滅した。

何か、誰かを呼んだ気がしたけれど、ほとんど同時に声が引千切れる。


ぱん!


閃光のような一射が空を切る。

王弟リチャードの鉱石ランタンが突然音を立てて破裂して、砕け散ったガラスが輝きながら落ちていく。

びん、と甲板に突き立ったのは、一本の矢。


「信じられない……」


ウィルが唇をわななかせて呟いた。

関所をふりかえり、その屋上に立つ老騎士を見いだして、わけがわからない、と言わんばかりに頭を抱えた。


「この距離で、この大きさの動く的を!?」


私はほとんど舳先から身を乗り出して、迫り来るひとつの関所の屋上を見つめていた。


武装した騎士達が一面に並び、まるで今の一射を知らぬかのように、順番に弓を射ている。

飾られた袋が射貫かれて、花びらがぱっと散っていく。


シレーネ大叔母さんはわずかに微笑んで、手元の鉱石ランタンを降ろして楽しそうに言った。


「あら、春の競べ弓をしているのね」


関所に武装した騎士が居るのは、襲撃対策ではない。

ただ、競べ弓を題材にしたお祭りをしているだけ。

そんな理屈が甲板に一斉に広がり、誰も彼もが共犯者の顔で目を見合わせる。


「本当だ。競べ弓だ」

「はっはっは、やっぱり私は競べ弓は見る方が好きだなあ!」

「私は今度やってみたいです」

「素晴らしい! 流石はスペラード騎士団の競べ弓だ!」

「これはすぐ、春の女神様がおいでになられるぞ!」


甲板が、不自然なまでに祭りの話で盛り上がるうちに、帆船は瞬く間に川をくだり関所にさしかかった。


弓を射た老騎士が、階段すら使わず屋上からマストに飛び移ったので、甲板からは思わずといった歓声が上がる。

私は我慢できずに、舳先からマストの方へ駈け寄った。私の目の前に居た多くの船員達は、当たり前のようにすぐさま道をあける。

老騎士は駆け下りるかのごとくマストを下り、ほとんど中頃から飛び降り、髪を振り乱して私の元へ駈け寄った。

彼は両手を広げて息を荒げ、絞り出すようにたった一言。


「よく戻った、ユレイア」


私は大きく両手を広げ、泣きながらお祖父様の腕に転がり込んだ。



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