48話 慧眼の瞳は青

シレーネ大叔母さんが私の侍女になっちゃった報告って、誰にすればいいのだろう。


スペラード伯爵? アメリ? それとも、いっそ二人には直接報告してくださいって、シレーネ大叔母さんに言えばいいのだろうか。

そんなことを知ったら、ショーン大叔父さんとアースはどんな顔をするかなぁ。イヴリンには何て言おう。

というか、この場合のお給料ってどこから出るんだろう。

イヴリンに関しては、私のためにスペラード伯爵がつけてくれたから、スペラード伯爵が支払うのが筋なのだろうけど、シレーネ大叔母さんに関しては、私が直接に雇用してしまったって形だから……。


「ユレイア、顔、顔。現実を見ないようにしてる時の顔してるよ」


ウィルに背後から声をかけられて、私ははっと表情をひきしめた。

そんなにも私はマメに現実逃避めいた顔をしているのか、と聞きたくはあったが今はそれどころではない。


「スペラード伯爵家を守るとしたら……」


私はこれから、どうすればいいんですかと聞こうと思った時、食堂の扉が素早く開いて、何人かが同時に駆け込んできた。


「シレーネ様、ご報告が……!」

「シレーネ! 大変だ!」

「ユレイア様、ただいま戻りました」


船員の制服を着た青年と、楽な服に着替えたショーン大叔父さん、それからすっかり私の侍女の顔をした、コック見習い姿のままのイヴリンが同時に喋る。


船員は慌てたようにショーン大叔父さんに先を譲ったが、イヴリンだけは自信満々の確固たる足取りで私の隣に控え、無表情ながら目をきらめかせて胸を張った。

大手を振って私の所に帰ってきてくれた姿が嬉しくて口元が緩むのを止められなかったが「まずいぞ!」というショーン大叔父さんの大声にぎょっとして振り返った。


「待ち伏せだ! このままだと騎士団に取り囲まれるぞ」


ウィルが「騎士団が動いただって!?」と叫ぶなり真っ先に甲板へとすっ飛んで行き、思わず私も後を追い掛けて食堂の扉へ駆けた。


「こら! 何してるんだ、危ないから部屋に引っ込んでいなさい!」


ショーン大叔父さんがそう言って私の腕を掴もうとしたが、その腕の下をかいくぐって取っ手に飛びついた。

だって私はもう、知らなくてはいけない。


「シレーネ大叔母様、私は外に行きます。どうか、一緒に来てください」


侍女になったことは隠して、今まで通りの態度のままでいて欲しい、と暗にお願いすると、少しだけシレーネ大叔母さんは面白そうな顔をした。


「いいでしょう。足手まといになったら船室に追い返しますよ」

「おい、シレーネ。アースより年下なんだぞ」

「確かに、そろそろアースは鍛えねばいけませんね」

「そうじゃないだろう! だいたい君はいつもなぁ……」


小声でやや揉めている大叔父夫婦の横をすり抜けて、私は扉を押し開けた。

明るい鉱石ランタンの並んだ廊下の絨毯を踏みしめ、細身の階段を艶やかな手すりに触れながらのぼる。

ちいさな踊り場を曲がって、屋上へ出る時のような小部屋の扉を開ければ、湿った風が勢いよく吹き込んできて、ばたばたとシャツの裾がひるがえった。


私は甲板の真ん中あたりに突き出た小部屋から出てきていたらしい。

南側は相変わらず高い山峰が続いていたが、北側はさっきまで一面に広がっていた種まき前の畑ではなく、ぽつぽつとまばらに民家が散らばる草原となっていた。

背の高い木々が、濃い緑の綿を千切って置いたようにあちこちで茂っている。


「あ、ユレイア。来たんだね」


ふわふわと肩の近くに寄ってきたウィルが、森を指さして言った。


「あれが、西方大森林。アウローラ王国のおよそ三割の広さがある最大の森林地帯だよ」


ウィルの声に頷き、片手で帽子を押さえながら、私は後ろを振り返った。

風の魔術を使って船足を上げたお陰か、追い掛けてきていたという船は見えない。黒い狼の妖精は気になるけれど、今は待ち伏せの騎士団だ。


小間使いの少年の変装をしているままだからあまり目立たず、慌ただしく走り回る沢山の船員達は、こちらを気にもかけない。

すぐに追い掛けてきたイヴリンが、後ろから私の帽子を風に飛ばされないように押さえてくれた。


「ユレイアこっちこっち」


ウィルが私の手首を冷風で柔らかく包んで引いてくれる。

導かれるままに北側の船縁に向かい、端に寄せてある木箱の上に登って、川べりを見渡した。


「あ……!」


私は小さく息を飲んだ。


既に、川べりを何人もの騎士が馬を駆って走り、こちらに旗を振って合図している。

止まれ、という指示を出しているのだろうというのは、船員達の怒鳴り合う声で分かった。

従うべきか無視するべきかで、あちこちで意見が分かれて騒ぎになっているのだ。


「奥の森、わかる? あの中に、騎士団の本隊がいるはずだよ」


首をひねって船の進む先を見れば、木々はますます濃くなり、樹齢何百年もありそうな大きな幹の常緑樹がみっしりと茂っていた。

下の方の幹は枝打ちをされているから管理されているのだろうが、それにしてもかなり暗い森だ。


「この国の巨大な木材や、船のだいたいが、西方大森林から来てると言っても過言じゃないんだ。西方大森林の奥は凶暴な獣が支配していて行ったら命はないけど、奥に行かなければすごく良い猟場で……ほら、居るだろう? あそこに居る騎士達が見える?」


ウィルが指さした先は幹に邪魔されて暗く、船は絶えず動いていてよくわからない。

鼻にしわを寄せて目をほそめた時、ふいにあっと私は声をあげた。


暗い森だ、と思っていたけれど、違う。

黒い馬が幹の向こうでみっしりと歩いているだけだ。

馬の背中が闇に見えていただけで、木々の向こう側にはすさまじい数の騎士が、きっちりと隊列を組んで歩いている。


「すごい数……」

「ユレイア様、何が見えているんですか?」


まだ騎士団を見つけられていないイヴリンが首をかしげている。

教えてあげようと思って彼女を振り返ったら、その更に後ろ、メインマストの下あたりで、船員達と話している大叔父夫婦の姿が見えた。


「どうするシレーネ、止まるか?」

「拡大鏡を使わせましたか?」

「ああ。金の掛かった鎧が見えた。あれはそんじょそこらの貴族じゃ扱えないだろう」

「竜ですか?」

「あ、ユレイア。王室直属の騎士団は、竜の旗を掲げるから、竜の眷属って呼ばれてるんだよ」


ウィルがそっと耳打ちで助言してくれるので、私も安心して振り返り、シレーネ大叔母さんの質問に耳をそばだてた。

早口で説明をしていたショーン大叔父さんが不愉快そうに鼻を鳴らしている。


「わからん。金は掛かってそうだが、馬と騎士の姿だけではな」


シレーネ大叔母さんが、そうですね、と物思いに沈んだような声で囁く。


「レイモンド第一王子は、自分の失敗に備えて大きく私兵を動かすような性格ではございません。精鋭を使って、素早く確実に、全部自分の手の中でこなしたい方だと思っております」

「わかる、そういうところある。有能なんだけどね、絶対に自分が失敗しないと思ってるところあるから。あと、自分が直接確認できるような仕事の進め方が好き。だから多分、このやり方は……」


わかるわかると頷くウィルが、ふいに西方大森林を振り返った。

シレーネ大叔母さんが、暗く見える程に馬が走る木々の隙間を眺め、ささやく。


「第二王妃様だと思う」

「ガラスの海蛇かと」


一瞬考えて、レイモンド第一王子のお母さんだと気がついた。

彼女は、かつてアウローラ王国に呑み込まれた王国、アンティカのお姫様だったと聞いている。


「あー……なるほど、なるほどなぁ……」


ショーン大叔父さんが額に手を当てて、気の毒そうに、併走している騎士達を見た。

さっき見た時よりも数が増えているし、弓を持った馬まで増えている。

このまま無視すれば、いずれより剣呑な事態になるだろうというのは想像できるが、だからといって止まっていい結果になるとも思えない。


「ウィリアム殿下よりも早く王子を産んだのに、レイモンド殿下は、王太子として選ばれなかったからな……」

「あ、海蛇はね、旧アンティカ王家の紋章なんだ。それに、アンティカの持っていた常春の港はガラス細工が有名だからね」


ウィルが親切に助言してくれるのに被せて、シレーネ大叔母さんの淡々とした声が響く。


「息子が王太子に選ばれなかった事もそうでしょうが、そもそもあの方は、息子のことを子供扱いしたがる傾向がおありですから」

「わかる! もうレイモンドがすっかり成人してた時に、でも、あなたできないでしょう。お母様がやってあげたわ、って言ったの見たことある!」


うわあ……と私は声を出さずにちょっと引いた。

それは、プライドの高そうなレイモンド第一王子には相当効きそうだ。


うーっとショーン大叔父さんが呻いて、既にだいぶ薄くなった頭をかきむしった。


「だが、いくら第二王妃とはいえ……いや、むしろ公式に近衛兵を持っている立場の人間だからこそ、この時期に軍を動かすことがどういうことか、本当に分かっているのか? 下手をすると、スペラード伯爵家への宣戦布告と取られてもおかしくない。このまま竜の尾カウダ川を下ったら、もうすぐにうちの領だ」

「あの御方のことですから、適度な言い訳は考えているでしょう。珍しい毛皮が欲しくなったとか、滋養のつく肉を求めたとか」

「通るのか、そんな言い訳が! 完全武装してスペラード伯爵家の領地境をうろうろしているんだぞ!」


無茶だろう、と低く漏らすショーン大叔父さんに、


「うーん……西方大森林、深い所に行かなければ格好の猟場だからな……。王家の所有地も飛び地で存在はするし……本当にぎりぎり、言い訳できなくはない……」

「結果次第でしょう」


ウィルが腕組みをしながら首をひねり、シレーネ大叔母さんがざっくりと言い切る。

ショーン大叔父さんが「そんな、おまえ……」とちょっと泣きそうな顔をしながらも、腕を組んで何とか明るい話題を探ろうとした。


「あー、なんだ。次の関所はマルガリタ子爵家の管轄だろう。青の彩色を許された、十四勇家の中でも高貴な身分だ。話も分かるし、普段から色々木材の関税とかで儲けさせてやっている。あそこさえこえれば我が領なんだ。五大伯爵家筆頭のスペラード伯爵領の栄光で……」


そうだ、それがいい、と呟いたショーン大叔父さんが、船員から細い筒をもらって、案外身軽な動きでマストを登っていった。

メインマストの中程まで上がり、拡大鏡を目に押し当ててから硬直し、かと思えば勢いよく甲板まで降りてきて死にそうな声で言った。


「……海蛇の旗が掲げてある」


流石のシレーネ大叔母さんも、額に指先を押し当てて深い深いため息をついた。


「……既に制圧されているようですね。栄光で言えば、スペラード伯爵家よりも竜の血族であるのは当然ですから」

「わかった。止まるのはやめだ。関所に着いたら馬を奪って強行突破だ。スペラード伯爵領は味方なのだし、走り続ければ陽が落ちる頃には黒翼城に着く」

「あなた、少し見ない間に勇ましくなりましたね」

「そうかも知れんな。なりたくなんか無かったが」

「何であれ、意志を通すのに武力を使うのは禍根を残しますが……。そこの木箱に乗っている、おまえ!」


突然呼ばれて私は飛び上がった。

おそらく、船員の半分くらいは私の正体を知らないのだろう。不思議そうな顔で、シレーネ大叔母さんの前に立った私を見ている。


イヴリンがそっと前に出ようとしてくれるのをおさえて木箱から飛び降りると、私はシレーネ大叔母さんの前に立った。


「おまえ、強行突破についてどう思っていて?」

「シレーネ、別にこの子に聞かなくとも……」

「いいえ、聞くべきです。この子が引き寄せた運命なのですから」


私は緊張で背筋が伸びた。

口調は相変わらず冷たく厳しかったが、そのまなざしが静かに告げている。

私が、指示を出すべき立場なのだと。


「だとしても、まだ……」

「私、聞きます」


ショーン大叔父さんが何とも言えない顔で口をつぐみ、シレーネ大叔母さんがゆっくりと頷き、静かに告げた。


「関所で一戦交えれば、船を捨てることになるでしょう。乱戦で船員の何人かは死ぬでしょう。領地内に入っても安全ではないかも知れない。けれど、この船で隠れて見つかるのをただ待つよりは、ずっと無事に帰り着ける希望があります」


あっさりと、人が死ぬ話を無造作に出されて、心臓のあたりがすうっと冷えた。

追い掛けられながら、死ぬかも知れないと何度も思った。

けれども、今も船を動かして走りまわっている人が私のせいで死んでしまうというのは、自分の命の危機とはまったく別種の、胸が潰れそうな恐怖だった。

ウィルが黙って隣に降り立ち、私の掌を、冷たい風でぎゅっと握った。


「確かに、同情を引くにはよい手です。例えばスぺラード伯爵領から王が出なくとも、弓をもって追われた子供と追いかけ回した軍勢を目の前にすれば、鬱憤を晴らす相手はすぐに変わるでしょう。城下町の民は、おまえを守るべきひな鳥として迎え入れるはずです」


いつのまにか乾いていた口で唾液を飲んで、私は細い声で問うた。


「船員達を、無事に帰すには……」

「大人しく捕らえられれば、無体なことはされないでしょうね。貴賓の従者ですから」


ウィルは何も言わない。

あれだけ普段おしゃべりなくせに、自分の命を救うために見ず知らずの誰かが人生を途絶えさせることについて、何も話してはくれない。

この船に乗る人間の生き死にを、私が決めるべきだと、そう告げている。


焦燥が頭をかき回し、目の前がぐらぐらと揺れる。


自分だけでも逃げればいいの?

それとも、大人しく掴まればいい? 

皆があんなに苦労して逃がしてくれたのに?捕まった後に、スペラード伯爵家を守れるかどうかも分かりはしないのに?

スペラード伯爵にだって、もう、会えないかも知れないのに?


ふいに、船員達の悲鳴が舳先であがった。

併走している騎士達が、とうとう痺れを切らして射ってきたらしい。

関所は刻一刻と近づいてきて、私の決断が遅くなればなるほど、打てる手も減ってくるのだ。

息が浅くなり、じわりと涙が目に滲む。


ショーン大叔父さんが、不愉快そうに鼻にしわをよせて「やめだやめだ!」と大声で叫んだ。


「ここは私の指示に従ってもらうぞ。強行突破だ。私が指示を出す。いいな?」


彼の言葉に頷いたら、どれほど楽になるだろう。

けれど、シレーネ大叔母さんが、静かにまだ私を見つめている。

ウィルは黙って傍によりそい、けれど私を見守るだけだ。


その時、小さく高い声が、私の耳元でふわっと囁いた。


「ユレイア様、知っていますか?」


私どころか、幽霊から大人達まで一斉に、イヴリンのことを見た。


ずっと気配を消して私のそばに控えていた幼い侍女は、何故か青い瞳にまだ希望を宿していた。

相変わらず無表情なのに、私を信じ切った目で真っ直ぐに見つめて、場違いなことを言ってくる。


「西方大森林の奥には、森の王と呼ばれる妖精が居るんですよ」

「……お母様に聞いたことがあるわ」


私は、何が何だかわからないまま、カラカラの声で頷いた。


森の王は、銀色の鹿とも、毛の長い馬とも言われていて、西方大森林に迷い込んだ時にたまに会えると信じられている。

花の咲く丸い天井、緑の苔の大きな寝台で眠って、森中の妖精達に慕われている。

心根の正しい旅人は良い贈り物をもらい、木の実や果実で満腹になって家に帰る。

森を荒らす無礼な旅人は、騙されて鹿の糞を食べさせられて眠り、目覚めた時には持ち物を全部剥ぎ取られている。

そんなおとぎ話をよく聞いたものだけれど。


「森の王は、ここまで来ますか?」


イヴリンは、船の外を指さして、澄んだ声でささやいた。


「トーラス子爵領で生まれ育ったユレイア様なら、お分かりになりますか?」


ふいに、落雷のような衝撃を受けて、私は息を止めた。


「イヴリン、あなた……!」


私が妖精に頼み事ができるのを、知っている!


ウィルが小さく「こわ……」と呟き、私も目を限界まで丸くした。


いつばれたのだろう。

私がイヴリンをなるべく守って欲しいと妖精に頼んでいたからだろうか。

それとも、アウローラ王城を馬車で飛び出した時、妖精に願って弓を止めた時のことを覚えていたのだろうか。


だが、そんなことを今考えている場合ではない。

イヴリンは、何かを伝えようとしている。真っ直ぐな瞳が、私を信じて祈っている。

妖精? 妖精の話で、何を?


高く飛んだ弓の一射が、ばつん! と恐ろしい音を立てて甲板に突き立った。

その弓をみつめて、イヴリンは船縁の向こうを指さす。


「ユレイア様。あの騎士達は、森を荒らしているでしょうか?」


ふいに、ぱっと視界がひらけたような気がした。

淡い霧雨の暗雲が晴れ、私の目の前に光で出来たはしごのような希望が垂れ下がる。


「……荒らしているわ」


私は涙ぐんでイヴリンの手を取り、感謝で胸を一杯にしてぎゅっと握った。


「ありがとう、イヴリン! あなたは、この船の人達皆の、命の恩人よ!」


はにかんだように、イヴリンが微笑む。

まったく意味がわからない、という顔で目を白黒させているショーン大叔父さんと、流石にかるく目を見開いているシレーネ大叔母さんを振り仰ぎ、私は微笑んだ。


「誰も死なせはしません。皆で黒翼城へ帰りましょう」



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