第21話 伯爵城から出られない


「本当に、五歳とは思えぬ聡明さでございます。次回も楽しみにしていますよ」

「はい、アルマ先生。私もお会いできるのを楽しみにしています」


スぺラード伯爵がつけてくれた家庭教師の老子爵夫人は、私の返事に満足そうに頷いた。

客間の扉を私のために開いて待ってくれるので、大人しく廊下に出れば、甲冑の置物みたいに護衛騎士が二人も並んでいる。


「お部屋までお送りいたしますわ、ユレイア様」

「まあ、光栄です。どうぞよろしくお願いいたします」


家庭教師のアルマ先生と和やかに微笑み合いながら廊下を歩けば、勉強に使った本を侍女アメリが持って後についてくる。

私の部屋の前には、やはり護衛騎士が二人、扉の横に立っていて、私を見つけるとゆっくり扉を開いてくれた。

先生とはそこで別れたが、侍女アメリはもちろん私と一緒に部屋へと入る。


「ユレイアお嬢様。午後の予定はいかがいたしますか?」

「くたびれちゃったから、少し本を読んでのんびりするわ。ひとりにしてくれる?」

「かしこまりました」


侍女アメリが頭を下げて、テーブルに本を置くと控えの間にまで下がっていった。

私はびろうどのソファに腰かけると、そのままずるずる横になった。

腕だけのばして、うさぎのぬいぐるみを引き寄せて抱きしめると、深く深くため息をつく。


続き部屋には侍女アメリ。正面扉の前には護衛騎士。

どこかに出かける時には最低でも二人は人がつく。


「いつでも周りに人の目があるって、こんなに気疲れするものなのね……」

「わかるーー。すごいわかるーーー」


わかりすぎる、と頷きながらウィルが私の頭上をふわふわと漂った。

ここ一ヶ月で学んだが、スぺラード伯爵は本気で、私をこの伯爵屋敷から出す気がないらしい。


「ねえ、ユレイア。僕らこんな風に大人しくしてたらいつまで経っても何にもわからないよ! お出かけしよう!」


拳を握って力説するウィルの前にウサギのぬいぐるみを被せるように掲げて、私はため息をついた。

こうしていれば、万が一誰かに見られても、五歳の女の子が遊んでいるようにしか見えない。


「でも『狼さん』の言いつけを好奇心で破ったっていいことないわ」


伯爵家の人達をあだ名で呼ぶようにしようと提案したのはウィルだ。

スぺラード伯爵は狼さん、アメリは羊さん。ショーン大伯父さんは狸さん、シレーネ大叔母さんは狐さん。食堂で私がひっぱたいた、いとこ違いのアースは子豚さんだ。


「まずは私が、いつ外に出てもやっていけるようにならなくちゃ。幸い、アルマ先生はいい方だし、図書館だって学べることは沢山あるもの」

「ユレイアのお勉強は大事だけど、もう十分! この図書館に僕が知りたいものはなかったんだよ!」

「ウィル、あなた、あんなにはしゃいでたのに、もう全部読んじゃったの?」

「ユレイアが寝ている間は暇だからね。ひと月も図書館に毎晩通い詰めれば、そりゃあ読み終わるさ」


面白かったけど目新しいものはないね、とため息をついて、ウィルは私の向かいのソファへ腰かけた。

どうやら彼は自分の意志で着換え程度ならできるらしく、今日は私と色を揃えたブルーグレーの上品な燕尾服だ。

お顔がお人形さんみたいなので、そういう服を着ていると、なんだかますます作り物のようだ。


「やっぱり、お父様のことは何にもわからなかった?」

「うん、歴史書はあったんだよ。ぶ厚ーいのがね。でもこの家の誰かの日記とか、お手紙を記録したものとか、そういうのは一冊どころか一枚もなかった。王宮の図書館には山のようにあったから、絶対にあると思ったんだけどなぁ」


ふりだしだ、とばかりにウィルがため息をついた時、控えの間からノックの音がした。


「ユレイアお嬢様、シレーネ様からこちらをいただきました。先日のお茶会に招かれた時のお土産だそうです」


私より前に、ウィルの方が嫌そうに顔をしかめて鼻にきゅっとしわを寄せた。


「あのおばさん、また外に出てた自慢しに来たの?」


どうやら、自分達が謹慎を解かれた後も、私が伯爵屋敷から一度も出してもらえないことが、大叔父夫婦達にとっては最高に気分がいいらしい。

ことあるごとにお茶会や詩の朗読会、演奏会などにせっせと出かけては、そこでもらったお土産をこれ見よがしに送りつけてくる。

朝食会の時のように争うとスぺラード伯爵に睨まれるので、こういう少し屈折した方向の嫌がらせにすることに決めたようだ。


「そう。アメリがお礼を選んでお返ししてくれると嬉しいわ」

「かしこまりました」


礼をして下がろうとした侍女アメリを呼び止めて、私はさりげなさを装って聞いてみた。


「スぺラード伯爵は、今日もお仕事かしら」

「ええ。東部への視察が終わったばかりでいらっしゃいますので、領地内の執務が滞っております」

「そう……」


こんなに綺麗な部屋を用意して、すぐに家庭教師も付けてくれたわりに、スぺラード伯爵は私に話すことは何もないようだった。

大叔父夫婦に、上から目線で優越感を漂わせられるのも嫌なのだが、スぺラード伯爵とここひと月、ちっとも顔を合わせられないのが残念だった。


やっぱり、スぺラード伯爵は子供が嫌いなのかな……


しゅんとしてしまった私に、ウィルが「まあ、忙しい親ってそういうところあるから、ね?」と一生懸命励ましてくれる。

ウサギのぬいぐるみを抱きしめて頷くことで返事をしていた時、ふいに続きの間から甲高い声がした。


「ちょっとアメリ。私が直接顔を見て渡すって言ったでしょう! なんて使えないの!」


顔を上げれば、シレーネ大叔母さんがずかずかと続きの間から入ってきていた。

私はため息をついて、ソファから立ち上がって彼女に向き合う。


「私の侍女に対して失礼な口をきかないでください」

「あらごめんなさいね」


私の文句を受け流し、シレーネ大叔母さんはにんまりと狐っぽい細目をつり上げた。


「私達の土産、受け取ってくれたかしら? 最近、あちこちからお声がかかって目が回るほど忙しくて……。ゆったりと過ごすあなたが羨ましいわ」

「そうですか」

「あなたも、あんまり引きこもっていてはいけませんよ。私、心配なのです。そりゃあ、子爵屋敷に比べれば、伯爵屋敷は神なる妖精の国のようでしょうから、ここに居たがるのもわかります。でも外の景色も見事なものですよ。この間は私、さる高貴な方から雪景色の絵を見せてもらったのですけれど、それはそれは素晴らしくて……」

「ご用件はそれだけですか。他にご用件がないのでしたら、お帰りください」


気持ちよく喋っていたところを遮られて、シレーネ大叔母さんは露骨に嫌そうな顔をした。

けれど、侍女アメリが断っているのに、わざわざ押しかけてくる相手の方が失礼なので、礼儀などは気にしない。

それに、あまりに大きな声を出したり、長居しすぎたりすると扉の外の護衛騎士がさりげなく入ってくる。

今まで何度か追い出された経験があるシレーネ大叔母さんは、ふんと気に入らなさそうに鼻を鳴らした。

けれどすぐ、薄い勝ち誇った笑みを浮かべて扇で顔を隠す。


「そうだ、御存知ないでしょうから教えてさしあげるわ。王太子様がお亡くなりになったの」


ウィルが「ようやくかーー!」とぐったり首を回し、私は軽く目を見開いた。


「まあ、やっと知らされたんですね……?」


シレーネ大叔母さんの顔がさっと赤くなる。

私はウィルにつられて「やっと国民に知らされたのか」と思ったのだけれど、彼女にとっては「やっとその程度の情報を手に入れたのか」という発言に聞こえたのだろう。

頬をひくひくさせながら、私を細い目でじっとりと睨む。


「あら御存知でしたか。では、さぞ様々な方から追悼のパーティーに誘われたのでしょうね……?」

「それは……」


ウィルが「まだデビュタントもしてない五歳のレディに何言ってるのさ!」と怒ってくれているが、私がまったく誘われていないのは確かだ。

ウィルは私のために図書館を沢山調べてくれたのに、私はまだ何も調べてあげられていない。

王太子の追悼なんて、彼の敵を調べるにはもってこいだし、子供の私ならば、もしかしたら警戒せずに聞ける話もあるかも知れないのに。

口ごもった私を見て、細い狐目に楽しそうな優越感がひらめいた。


「お行きになった方がいいですよ、様々な高貴な方とお知り合いになれますし」

「そうなんですか」

「私なんかは、葬列に参加する高貴な方からお誘い頂いたので、お式に行くこともできますの」

「よかったですね」

「はー、やだやだ。ちょっと身分があるとすーぐ誰かのお葬式がパーティーの材料になっちゃうんだから」


弔われる当の本人がうんざりしている横で、シレーネ大叔母さんは楽しげに小鼻をふくらませた。


「あら、もしかしてまだ、お義兄様から外出の許可が出ませんのかしら? やはり、子爵家の出身は、外に出すのはお恥ずかしいのかしら……?」


信用に足る言葉ではないと分かっていても、ずきんと胸が痛くなった。

スぺラード伯爵はもちろん、目の前のシレーネ大叔母さんよりはよっぽど好意的なのだろうが、何を考えているかはわからない。

それでも、逃げるように追い出すのはしゃくだったので、あえてまっすぐに睨み返した。


「そんなに気になるのならば、スぺラード伯爵に直接伺ったらいかがですか」

「そ……それは……」


途端に歯切れが悪くなるシレーネ大叔母さんに、私はずいと一歩踏み出した。


「何なら私、今から聞いてきてさしあげます。ことある事に口にされるのですから、よっぽどお気になさっているのでしょう」


それだけ言って、すたすたと自分の部屋の正面扉へ向かって歩く。

ノックすると外側から開けてくれるので廊下を出ると、侍女アメリが慌ててついてきた。

けれど、シレーネ大叔母さんの方は姿が見えず「私は忙しいので、もう行かなくちゃいけませんの!」と控えの間から声がするだけだった。


私は、聞こえなかったふりして、黒い廊下をすたすた歩く。

扉の前に居た護衛騎士が、片方私についてきたが、気にしない。


「はー、今日はしつこかったね。ユレイア、このままお庭とかぐるっとお散歩してく?」


後ろを歩く人達に分からない程度に小さく顔を横に振って、私はスぺラード伯爵の執務室へ向かった。

南棟は執務室にとても近いので、そう歩かずにたどり着くことができる。

扉の前に立っていた護衛騎士は、私の顔を見るだけで、「少々お待ちください」と言うなりさっと扉を開いてくれた。


「え、まさかユレイア、本当に聞きに行っちゃうの!?」


すっとんきょうな声を上げるウィルをよそに、私はすとんと応接間に座ってスぺラード伯爵を待った。

見知らぬ顔の侍女からおいしいお茶とお菓子が出されたので静かに食べたが、そわそわして緊張して味はよくわからない。

ウィルが「うん、まあ外に出られないのは不便だし、お話するのは大事だし……」と心配げにうろついている。

ほどなくして、相変わらず厳しい顔をしたスぺラード伯爵が、早足で私のところに歩いてきた。


「何か用か」


季節の挨拶も雑談もない、そっけない言い方にやっぱり緊張する。

ソファに腰かけた姿は背筋が伸びて威厳が漂い、まるでこういう形で作った騎士の彫像のようだ。

私はつられて背筋をのばし、すぐに要件を口にした。


「スぺラード伯爵。私を、王太子様のご葬儀に連れていってください」


スぺラード伯爵がぴくりと眉を跳ね上げた。

それよりもびっくりして飛び上がったのはウィルで、彼は「いいって、僕の葬式なんてどんな顔していいかわかんないし。ユレイア、大丈夫だって」と私の袖をつかむ。


「何故だ」


スぺラード伯爵が、ひとつ紅茶を飲んで、低い声で問う。


「王太子様は、私とお年が近い方です。高貴な方ではありますが、おかわいそうで他人事とは思えないんです」

「いや、本当に他人事ではないんだけどさ……」


ウィルが細い声で困ったように眉をさげるけど、知らない。

私はウィルと取引したし、彼は一生懸命図書館を調べてくれた。

だったら、こんな絶好のチャンスに何もしないでいるのは理屈に合わない。


「悼む気持ちは遠くからでも伝わる。屋敷内の小神殿に、新しい冥府の神像を作ろう」

「えっ僕用に新しく作るの? やだよ、スペラード伯爵家の小神殿に、突然僕が並ぶの気まずいよ」

「あそこは、まだ私の家族のための場所であって欲しいのです」

「では、屋敷内の小部屋に新しく小神殿を作らせよう」

「もっと気まずいからやだ!」

「そこまでしてもらう訳にはいきません」

「いや。どちらにせよ、王室に対する義理が必要だった」

「絶対嘘だよ! 毎度毎度そんなことしてたら伯爵家が神殿だらけになっちゃう!」


時折入るウィルの叫び声に意識を向けないようにしながら、私はスぺラード伯爵の顔をじっと見た。


『どれだけユレイア外に出したくないのさ!』

「そんなに私は、外に出すのには恥ずかしい子供ですか」


不思議と、私とウィルの声は揃った。

スぺラード伯爵は、まるで紅茶がひどく苦かったかのような顔をして、ふーっと深く息をついた。


「余計な事を言う者の、余計な言葉など信じるな」


私は唇を噛んで首を横に振った。


「そうではありません、スぺラード伯爵。私は、どうして外に出てはいけないのか、知りたいのです」

「それは、子供が知る必要がないものだ」

「スぺラード伯爵……」


子供ではありません、と言えたらよかったが、私は今、どう見ても子供だ。

黙ってうつむいてしまった私を見て、スぺラード伯爵はしばらく黙っていたが、ぐいっと紅茶を飲み干すとテーブルに置いた。


「祈るならば止めはしない。だが、屋敷から出るな」


スぺラード伯爵は、話は終わりとばかりに立ち上がり、執務室へ帰っていく。

胸の中が冷え冷えと冷たく悲しくて、私はぐっと唇を噛みしめた。


しばらく黙って紅茶を見つめていたが、やがて一礼をして席を立つと、侍女アメリと一緒に、とぼとぼと自分の部屋へと戻っていく。

一人にしてとお願いして、私は寝台の中にぼふんと身体を飛び込ませた。


「ユレイア、元気だして? 本当、あのおじいさん、あんな言い方することないよね? いくら当主だからって、大人げない」


ウィルが私の背中の方をとびながら、心配そうに声をかける。


「大丈夫だよユレイア。しょうがないよ」


私は、枕元のクマのぬいぐるみを抱き寄せながら、うん、と頷いた。


「うん、しょうがないわ……」

「そうだよね。僕は別に気にしてないし、君はがんばった。だからそんなに落ち込まないで……」


クマのぬいぐるみがぺったり潰れるほど顔を押しつけながら、私は静かに頷く。


「こうなったら、黙って外に出るしかない」


ウィルが「え? えっ?」と戸惑っていたので、私はがばりと顔を起こして、じとりとした目で髪をかき上げた。


「え?」

「だって、黙っていても復讐の機会は巡ってこないもの。私はウィルのお葬式に行けないし、ウィルは招かれないとよそのお家に入れないから、街に出てお父様の情報を中々集められないでしょう?」

「それは、そうだけど……」

「だったら、心当たりのある方に、来てもらうしかない」


しょうがないわ。

私は頼める限りのことをした。それでも駄目なら、別の道を使うしかない。

準備が必要だけど、出来ない訳じゃない。


「大丈夫よ、ばれないようにやるから。私は、ヴィクトリアお姉様の妹だもの。きっとできるわ」


目をまんまるくしたウィルが「ユレイアって、結構決めたら頑固だよね」と小さく呟いた。


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