第15話 惨劇の新年祭


泣きじゃくりながらお姉様に手を引かれ、どこをどう通ったかも分からない。

気がつけば、いくつもの細い通路をくぐり抜けて、小さな枯れ井戸の中に居た。

口元に手を当て、嗚咽を押し殺している私に、お姉様はニコッと力強く笑って見せた。


「大丈夫よ。ロビンはまだ子供だし、とっても賢いもの。きっとうまく言って、捕まっているだけに決まってるわ。鳩で呼んだ援軍が、すぐに来る。信じましょう?」


こんな状況だというのに、お姉様の緑の瞳には、希望の光がほのかに輝いていた。

本当にそう信じているような声に、私もぽろぽろ泣きながら、大きく頷く。


「はい……はい……」

「私達は、助けが来るまで安全なところでじっとしていなくちゃいけないの。……そうだ、ユレイア。トリケの指輪を持ってるあなたなら、妖精さんが何て言っているか、わかる? 井戸を出てもいいか、聞いて欲しいの」


お姉様に囁かれて、私は目をこすってから周囲を見回した。

いつも側に居たので、意識して探したことはなかった。

けれど、言われて試してみたら、簡単だった。

妖精は街の植物と一緒で、見ようと思えばいくらでも見つけることが出来る。


井戸の壁にキノコのふりして生えているうす黄色い妖精を見つけたので、指先でつついて、小さく「この井戸の近くに人がいる?」と聞いてみた。

すると、ふるふるっと震えた妖精は、白い光の粉をぷうっと吐くと、すぐに「いないねぇ」と傘をふるわせた。


「お姉様、いないそうです」

「すごいわユレイア! 本当に出来るなんて! ……それじゃあ、一番近い人間はどこにいるか、聞いてくれる?」


頷いてもう一度聞いてみると、やっぱり黄色いキノコみたいな妖精は白い光の粉を吐いて「馬小屋ぁ」と答えた。


「馬小屋だそうです」

「なるほど、馬で二人乗りは出来なさそうね……。いい、ユレイア? ここから上がって、また別の井戸に入ると、屋敷まで一本道なの。とっても暗くて、私達が隠れられそうなくぼみも沢山あるわ。私、そこで助けが来るのを待つつもりよ」


それからちょっとためらって、お姉様はまっすぐ、真剣に聞いた。


「でも、あなたが屋敷に戻りたいなら、お姉様も一緒に行くわ。ユレイアはどうしたい?」


私は息を飲んだ。

戻りたい、と言おうとして、凍り付いたように喉が強ばる。

私が戻って、一体何ができるのだろう。お姉様だけなら、地下の洞窟を自由自在に逃げ回れるかも知れないけれど、私は足手まといだ。


「わ、私は……」


助けに行きたい。

祖父母はどうなったんだろう。両親に会いたい。お兄様の無事を確かめたい。

でも、一番駆け戻りたいだろうに、傷だらけになって私を守ろうとしているお姉様の足手まといになるのは、どうしても出来なかった。


「お、お姉様と、助けを待ちます……!」


言ってしまってから、ずっと手を引かれて逃げていた時とは違う震えが身体に走った。

決断するのは、重たい。

どうなっても、私がそう選んだんじゃないから、と言い訳する逃げ道を塞がれてしまう。


「わかったわ。ユレイア、井戸のぼれる? お姉様がおんぶしてあげようか?」


お姉様は、相変わらず真剣な顔で頷いて、井戸にある小さなレンガのでっぱりを叩いた。

私は、自分の幼い掌を見てから「やれます」と頷いた。


お姉様はうなずくと、すぐ身軽に井戸の内側を登りはじめた。

あっという間にてっぺんまでたどり着くと、そうっと頭を出して周囲を確認する。

妖精の言うようにあたりに人影はなかったらしく、私を振り返って頷く。

私は筋力がある方ではなかったけれど、子供の足が小さいお陰でレンガのでっぱりが広く感じて、危なっかしいながらも涸れ井戸を登り切った。


出た場所は、これまたいつもは何の用事もない裏の森だった。

木々のお陰で吹雪は少し緩やかだが、寒いことに変わりない。

私達はまた手を繋ぎ、カチカチ歯を鳴らして凍えながら歩いた。

木立に隠れながら、柔らかい室内履きで雪を踏みしめ、ゆるやかな坂を下ってすぐ近くの小川に出る。


川は、この吹雪で水かさが上がって、ごうごうと水しぶきが上がっていた。

砂利の川沿いをしばらく歩いていると、やがて雪の重みのせいで今にも壊れそうな、おもちゃみたいな吊り橋にたどり着いた。

このあたりはめったに来ないので、こんな橋があったことも知らなかった。

お姉様が私の手にぎゅっと力を込めて、励ますように笑う。


「一気に渡っちゃいましょう。大丈夫よ」


洞窟の中はいつも暖かいが、この吹雪の中で凍るような川に落ちたら、助けを待っている間に凍死してしまう。


「二人分だと落ちちゃうかもしれないから、順番に……」


お姉様が言いかけた時、ふいに雪の中に隠れた妖精達が、ピィィ! と笛のような金切り声をあげた。


逃げて逃げて 風より早く! 

雪に紛れて 吐息よりひそかに!

鉄の騎士が来る! 

風よりも早い不吉が来るよ!


私は青ざめて姉の手にすがりついた。


「お姉様、何か来ます!」


お姉様は一気に顔を険しくして、私の手を引いて走り出した。

ぎしぎし揺れて軋む吊り橋を、息つく間もなく走り抜ける。

向こう岸についた瞬間、妖精達がわあっと古い吊り橋の杭に集まった。

次の瞬間、ばちんと音を立てて、吊り橋の縄が根元のあたりから片方引きちぎれる。

これで、向こうから来る誰かは追って来られない。


「ぎりぎりだったわ!」


お姉様が笑って、私は頷きながら振り返る。


その時だった。

森の木立から、馬の蹄が鳴り響いてきた。

真っ白い吹雪の中にかすみながら、赤い光がぼうっと浮かんでいる。

煙の臭いが鼻をかすめる。

松明の臭いだ、と思った瞬間、木立の間から、不気味に黒い影がぬるりと姿を現した。


私は痺れるような恐怖に息を止めた。


それは、黒い馬、黒い鎧の、影のような騎士だった。

片手に松明を持ったその姿は、夜中に死を告げに来る、恐ろしい首無し騎士のように見えた。

妖精が悲鳴をあげている。

逃げて、逃げてと狂ったように叫び続ける。


「お姉様、急いで!」


ちらりと後ろを見たお姉様が、ぐいぐい私の腕を引いて、ますます速度を速め、転がるように走り始める。

息が切れて、胸が苦しくなった。冷え切った足はそろそろ感覚がない。


大丈夫、大丈夫だ。吊り橋はない。

私達を見つけられても、うんと迂回しないと追いつけない。


けれど妖精は未だ、逃げて逃げてと騒がしく悲鳴を上げ、耳が痛いほどだ。

嫌な予感に胸が軋む。

それと同時に、ドドドッと重たい音が響いた。

あまりの不安に私はまた振り返って、今度こそ悲鳴をあげた。

騎士を乗せた黒い馬が、小さな川を軽々と飛びこえていた。

重たい蹄の音をさせ、私達が懸命に駆ける岸に着地している。


心臓が跳ね上がって全身が震えた。

私達は前を向き、脇目もふらずに全力で走る。

お姉様は、今まで私に合わせてくれていたのだとすぐ分かる速度で、転びかける私を引きずるように走った。

横っ腹がねじれたように痛く、口の中に血の味すら感じながら、何とかもつれる足を動かす。


突然、後頭部を殴られたような衝撃を感じてつんのめった。

繋いだ手が勢いよくほどけ、私は雪の中に投げ出される。

首筋に、砕けた冷たい塊を感じて、雪玉が当たったのだと分かった。

けれど、雪に足を取られて立ち上がれない。


逃げて逃げて! 

逃げて逃げて!


悲鳴のような妖精の歌が響く。

もがくように身を起こした瞬間、背中を硬いもので踏まれて呻いた。

雪に埋まった私の指を、冷たい指が無理矢理開かせる。

懸命に拳を握ろうとしたが、冷たい指は、親指にはまったトリケの指輪を掴むと、無理矢理引き抜いていった。


とたんに、あれだけ鳴り響いていた妖精の歌が、ぷつんと千切れたように一切聞こえなくなった。

指輪をもらう前は聞こえた囁きも、歌も、笑い声も、一切感じられなくなる。

暗闇に投げ出されたような恐怖に、私は悲鳴をあげた。


私の背中を踏んでいた足がどけられ、襟首を掴まれる。

子猫のように軽々と持ち上げられた私は、泣きながら黒い鎧を睨んでわめいた。


「返して! 指輪かえして!」


黒い鎧の奥から、低い、戸惑ったような声がする。


「……ジョセフ?」


知らない人の名前を呼ばれて、私は一瞬固まった。

誰だ、それは。そんな人は知らない。


その時、お姉様が、聞いたことのない恐ろしい声をあげて、短剣を持ったまま突っ込んできた。


「その子を離せぇぇぇえっ!」


黒い鎧の騎士が、無造作に足を引いて避ける。

けれどお姉様は、転んだふりをして騎士の足下に飛び込んで、真上に短剣を鋭く投げた。

騎士は、辛うじてのけぞって避けたが、その拍子に、頭を覆う黒いかぶとが勢いよく弾かれた。


「……っ」


呻いた騎士は、私の想像に反して首無しではなかった。

顔は美丈夫だったが、目の下に黒い隈のある陰気な男だった。

私はとっさに身体をねじり、その顔に向かって、大きく足を振りあげる。

運良く、つま先に柔らかい感触が当たった。恐怖に泣きわめきながら、その柔らかい部分をそのまま思いっきり蹴る。

騎士のうめき声と同時に、転がり落ちた私は、雪の上に投げ出された。


「ユレイア!」


お姉様が雪をまき散らしながら立ち上がって、私を抱き上げる。

ぜいぜいと肩で息をしながら、お姉様は木々の多い森の中へと駆け込んでいった。

上下に激しく揺られながら、私はお姉様の肩越しに木立の間を見ていた。

雪のまとわりついた枝の隙間から、顔を押さえて、白い大地にうずくまった黒い騎士が見えた。

その手から、ぼたぼたと赤い血があふれ出している。


「すごいわ。やるじゃない、ユレイア!」

「お姉様も……!」


は、は、と流石に息を荒げながら、お姉様がにやっと笑った。


「大丈夫、井戸はもうすぐよ」


流石にもう走れずに、お姉様にぎゅっと抱きついて頷く。

川とつかず離れずの距離で細い木々を抜けると、本当にすぐに地形が変わった。


風向きのおかげか雪がなく、岩がむき出しになった、小さな崖が現れたのだ。

このあたりは起伏が多くて、岩だらけの崖があちこちにあるのを思い出す。

崖のすぐ下には、枯れた低木に囲まれて分かりづらい井戸があった。


「お姉様、私、もう歩きます」

「いいのよ、大丈夫」


そう言うとお姉様は、枯れ木になるべく触らないようにしながら、私をそっと井戸のふちに立たせた。

振り返れば、ひとつぶんの足跡が、点々と井戸へ向かって続いている。

お姉様は、にっこり晴れやかに笑って、私に囁いた。


「先に入っていって。奥まで歩くの。私は雪に、偽物の足跡をつけてくるわ」


早く早くと急かされ、私は慌てて、小さなレンガの突起を踏んで井戸の底へ降りていく。

闇の中へ懸命に降りていく私の頭上から、小さな声がぽつんと降ってきた。


「お姉様が、守ってあげるからね」


ぱっと顔をあげると、井戸の上にお姉様の顔はもうなかった。

ただ重苦しい灰色の曇天が、丸く切り取られて広がっている。

私は泣きそうになりながら地面に降りたって、雪が落ちてくる暗い頭上を見上げていた。

さくさくと雪を踏む足音が遠ざかり、風の音に紛れていく。


「お姉様……」


不安で胃がねじ切れそうだ。

今ほど妖精に声を聞きたいと思ったことはなかったのに、私の耳には、もはや風の音しか届かない。


その時、ごろごろと、何か重たいものが転がり落ちる音がした。

次いで、大きな水音がする。

誰かが、川に何かを落としたのだ。


「ああ、ユレイアー!」


何故だか、お姉様の悲痛な声が遠くから聞こえて混乱した。

意味が分からない。私はここにいるのに。

それに、いかにも辛そうな声をしているが、家族の私ならばわかる。あれは演技だ。


お姉様は、私の代わりに何かを落として、悲鳴をあげた?


混乱の中で恐怖がわいてきて、私はぞっとした。

お姉様は、私を抱き上げて井戸まで走った。雪に残る足跡は、ひとつ。

そしてそのまま、彼女は井戸へ私を降ろした。

一人分の足跡をつけたまま、涸れ井戸を素通りして、雪原を歩いて行った。


ここで一人、消えたことを気付かせないように?

誰かに、自分を追わせるために?


恐ろしい予想がひらめいたが、頭は理解を拒んでいる。

それなのに、耳は恐ろしい程に研ぎ澄まされていて、お姉様の悲鳴じみた声を拾う。


「許さない、許さない! よくも私の妹を!」


お姉様が叫ぶ。誰かに向かって。

迫真の演技だ。とても悲劇的な声をしている。

けれど、私が黒い騎士に持ち上げられた時の声と比べれば、憎しみも恐怖も足りていない。

ほのかに滲んだ誇らしさが分かるのは、私がお姉様を知りすぎているからだろうか?


──誰に、叫んでいるの?


私は青ざめて、また井戸の壁に手をかけた。震える手で、レンガのでっぱりを登ろうとして、かじかんだ指が滑って、後ろにひっくり返る。

尻餅をついた私は、慌ててもう一度壁に飛びついた。

けれど、最初の一段をつま先に乗せた瞬間、つるりと滑って足が落ちる。

私は、壁を見つめながら震える声で囁いた。


「……妖精? あなた達の仕業なの?」


返事はない。何も見えない。

なのに、何度やっても、井戸の壁はつるつると滑って登れない。

気ばかり焦って、大声で泣いてしまいそうになった時、


遠くから、高い、少女の悲鳴が聞こえた。


目の前が真っ暗になった気がした。

震える手で、井戸の壁を登ろうとして、指先がまた、つるりと滑る。

がたがたと冷え切って震えたまま、私は膝から崩れ落ちた。


「おねえ……さま……」


凍り付いたように目を見開き、私は呆然と空を見上げた。


枯れ枝に守られた井戸に雪は届かず、しかし絶望的に暗かった。

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