探偵は高校生(試し読み)

高木りんご

探偵は高校生(試し読み)

 晩春のある日。

午後5時過ぎ、いつもの帰り道。

相棒の軽自動車を走らせ、相変わらずな町並みを望む。いつもの店のコーヒー片手に、今日の仕事に月並の達成感を感じながらアクセルを踏み込む。

いつも通りの、一日の終わり。

なんの変哲もない、ただの月曜日。

そう、なるはずだった。


「あ、ここの道を左に曲がってください。そっから先は道なりでいいです」


助手席に、この見知らぬ女子高生さえ座っていなければ。


話は2時間ほど前に遡る……。



           ◆


「お兄さん、ちょっと乗せてくれませんか?」

会社から帰宅しようと愛車に鍵を挿した僕は、急にそう声を掛けられ手を止めた。

恐る恐る振り向くと、そこには制服に身を包んだ一人の女の子が立っていた。

年齢は中学生くらいだろうか。肩まで下ろした長い黒髪はおでこの辺りで大きな2つのヘヤピンで留められている。顔は特段整っているようにも見えなかったが、特徴的だったのはそのだった。

何を考えているのか、全くわからない目。

まるで全てを見透かしているような……はたまた何も考えていないような、そんな目。

「……お兄さんってのは、僕のこと?」

「そうです、あなたです。ちょっと乗せてってください」

彼女は少し幼気のある声で言う。

…怪しいキャッチかなんかか?

こんな早い時間に、しかも会社の駐車場で?

得体の知れない存在に、僕は身構えた。

が、彼女はそんな僕を横目にスタスタと歩き出し、鍵を挿したままの扉を開けて車内へ強引に乗り込もうとする。

「え、ちょちょちょ、ちょっと待って!何、何?!何なのいきなり?!」

「理由は追々説明します。それより今は急ぎなんです。早くエンジンをかけてください」

彼女はこちらに背を向けて、運転席から助手席へ四つん這いで移動しようとしている。

「いや、そう言われても……っていうか、まずいって!君みたいに若い子が、その、知らない男の車に乗り込むなんて!」

「知らない男じゃないです、凪湊なぎみなとさん。26歳、雑誌編集の会社に勤めるごくごく普通のサラリーマン。趣味は読書とガーデニング、嫌いなものは新聞とザクロと自分のくせっ毛。性格は基本ネガティブで臆病。加えて人と話すのが苦手……さっきから全く目が合いませんね。ですから当然、友達もいなけりゃ恋愛経験も0で……」

「待って待って待って!もういい!……は?え?ど、どういうこと……?!」

全て当たっていた。動揺が隠せない。

「大体のことはリサーチ済みです。誰かに知ってほしい事から、誰にも知られたくない事まで」

「え………」

「…っは!そんなことより、時間がないんです!さぁ早く、車を出してください!」

いつの間にか助手席に乗り込んでいた彼女は、そう言って僕にビシッと人差し指を向けた。

僕はまるで、銃口を突きつけられたような、そんな気持ちになった。


           ◆


 そして、今に至るというわけである。

「で、ここから約200m先を……」

「……もうナビはいいよ。ていうか目的地、うちの近所だし……」

「そうですか。お疲れさまです」

彼女は素っ気無く言う。

誰のせいで疲れてんだよと毒づきたくもなったが、大人気ないのでやめた。

僕は少し進んだ先の道路脇に車を止め、目的地の路地・・に目をった。

彼女が僕に連れて行かせた先。それは、僕の住むアパートのすぐ隣の路地だった。

僕の住むアパートと隣のマンションの間に形成されている路地。突き当りは三階建の建物の背になっていて、あまり日の光が入らない。日が沈みつつある午後6時前。奥まった路地裏は、早々に深夜の様相を呈していた。

「ここに……何かあるの?」

「……少々時間がかかりすぎました。恐らく、もう死んじゃってるでしょうね」

そう言って彼女はそそくさと車を降りると、懐から小型のライトを取り出し路地の奥を照らしだした。

僕は彼女の後を追うようにして、車を出た。


「ねぇ、死んでる、って……ペットか何か?それとも、捨て猫をここで勝手に飼育してた、とか」

臆面もなく歩を進める彼女に、僕は素朴な疑問を投げかける。

しかし、彼女からの返答はない。

「まぁ、その……無事を祈っておくよ。それじゃあ、僕はこの辺で」

僕がそう声を掛け、車に戻ろうとすると、

「何を言っているんですか?お兄さんも一緒に来るんです」

「えぇ……いや、いいよ、僕は遠慮しとくよ……」

「……お兄さんがモタモタ運転している間に、ドライブレコーダーに細工をしておきました。私達が一緒に行動している所がバッチリ写ってます。これで共犯ですね」

「えぇ!?ちょっと君、何を勝手に……っていうか、共犯って……?」

「行きますよ。死体・・が待ってます」

彼女は僕の言葉に耳を貸さず、路地の奥へと消えていった。

僕は文字通り頭を抱えてしまったが、しかしこうなった以上仕方がないので、彼女の後を追うことにした。

「ね、ねぇ!この奥にあるその『死体』が何の死体なのかくらい、教えてくれてもいいんじゃないの!?」

歩を進めながら僕は、既に姿の見えなくなった彼女に問いかける。

すると彼女は、大きな声でこう返した。

「さっきから何を言ってるんです?

この奥にあるのは、人の死体です」

「は?」

「人間ですよ、ニ・ン・ゲ・ン!」

「ニンゲ……人間?!」

そこで、僕の思考は停止した。

今、なんて言った?

「言ってませんでしたか?


この先で、人が死んでるんです」


 完全に混乱しきった頭をどうにか落ち着かせ、今の状況を整理しようと試みる。

ええっと、僕はまず、会社帰りに知らない女子学生に声を掛けられた。そして他人に知られるはずのない個人情報をベラベラと話され、言われるがままにあれよあれよと辿り着いた自宅の隣の路地裏に……遺体?!

いやまさか、そんなわけ………。

「ありました。やっぱりもう手遅れですね」

彼女がそう言って足を止めた。

「……嘘」

そこには確かに、人の死体があった。

うつ伏せに力なく倒れ込んだ男。見ると、学生服を身に着けていることがわかった。

「試しに脈も見てみますが、まぁダメでしょうね。首元にくっきりと絞め上げられた跡が残ってます」

彼女は自分の喉元をぐるりと指で撫でる。

「……」

僕は思わず、口元をひくつかせた。大人として恥ずかしいが、正直泣きそうだった。

「おや、学生証がそのまま残されてますね。……そうですか、やはり近隣の学校の方でしたか」

そんな僕を尻目に、彼女は遺体にベタベタと触れ始める。

「……ど、どうして君はそんなに冷静でいられるの?」

「ん?何がですか?」

「だ、だって、目の前で人が死んでるんだよ?!ふ、普通そんな……そんな冷静じゃいられないって!」

僕は腕をバタバタと動かし叫んだ。

すると彼女はゆっくりと立ち上がり、パッパッとスカートをはたいて、

「普通、ですか……」

そして、僕の目を見てはっきりと、こう告げた。


「私の名前は水森盛みずもりもる。高校生探偵です。目の前に謎があれば解決する。

それが、私の本分ですから」


「――なので、普通じゃないんです」

彼女は、再び遺体の方に向き直した。

「……いや突然、そんなこと、言われたって……」

僕はまた、口元をヒクつかせる。

「というわけで、助手の凪さん。お手伝い、していただけますよね?」

そして勝手に助手に就任させられている……。

「……だめ、だよ」

「はい?」

「だめだよ、そんな、勝手なことしちゃあ!い、今すぐ警察に連絡すべきだっ!」

僕は携帯を取り出し、急いで110番を打ち込んだ。

今までの諸々は百歩譲って見逃すとして、こればっかりは看過できない……!

「っ!ダメです!」

すると彼女は、流れるような動作で僕に飛び掛かり、携帯を奪い取ったかと思うと、素早くスワイプ操作をした。

「……警察が来ると厄介です。まともに捜査させてくれません。それに……私はあまり、あの人達を信用していません。どっちかと言うと嫌いです」

そして彼女は、そのまま僕の携帯を自分の制服の胸ポケットに仕舞う。

僕はその鮮やかな動きに、一切手出しをすることができなかった。

「……君たちは……『探偵』ってのは、その……よく彼らを目の敵にするよね」

僕はため息を溢した。

「僕の親戚にも、警察関係の仕事をしてる奴がいるんだ。だからその……少し複雑な気持ちだよ。だって、彼らだって――」

「それ以上は結構です。それもリサーチ済みです」

彼女は抑揚のない声で僕の言葉を遮り、背を向けた。

僕は思わず、二度目の大きなため息をつく。

恐らく彼女は、もう何を言ってもここから動こうとしないだろう。

そう、『目の前の謎が解けるまで』は。

「……分かったよ、もう。何を手伝ったらいいの?」

「えっ?」

「え?って……頼んで来たのはそっちでしょ?もう諦めたから、ほら、なんかこう……あるんでしょ?」

僕は半ば投げやりに言った。

「……あ、そうですね。ええっと……」

彼女は一瞬呆気に取られたような顔をしたが、すぐに何を考えているのか分からない表情に戻った。

「さっさとその謎とやらを解決して、それで……あとは警察に任せよう?

それにさ、その……たとえ『探偵』だって言ったって、君はまだ高校生だ。こんなことを、子供一人にやらせるなんてできないよ」

僕は彼女に、諭すように話した。

すると彼女は、しばらく沈黙した後、僕に背を向けたままこう返した。

「現場の捜査は私がやります。凪さんには聞き込みをお願いしたいです」

「え?き、聞き込み?」

「そうです。聞き込み。現場周辺の状況整理です。この辺りの方々とは、凪さんの方が面識あるでしょうから。流石の凪さんでも、挨拶くらいはしたことあるんじゃないですか?」

そこまで言うと、彼女はわざとらしく口元を抑える。

「な、なんだよ!さ、流石に話したことくらいあるって……。っていうか、大丈夫なの?現場の捜査は……」

「それなら良かったです。よろしくです」

彼女はまた、僕の言葉を遮って言った。

僕はこめかみを押さえる。まったく、人使いが荒い。

「でも、聞き込みって……目星とかは付いてるの?例えば、ほら、どこどこの誰々さんが怪しい!とか」

「探偵は、証拠を集め終わり推理が固まるまで犯人の断定や決め打ちはしません。ですからそんなもの無いです」

「……じゃあ誰に話を聞きに行ったらいいのさ」

「手当たり次第聞いてったらいいじゃないですか」

「日が暮れちゃうよ!」

「まったく文句の多い人ですね……」

頼んでるのはそっちだろ!と、叫びそうになったが、心の中の大人が止めてくれた。

「そうですね……ではまず、ここら一帯の監視カメラについて調べてきてください」

「監視カメラ?あるかな、そんなの……」

お世辞にも栄えているとは言えないこの町に、そんなハイテクなものが設置されているだろか。ましてや、こんな薄暗い路地裏の様子を的確に捉えているものが。

「あるかないかなんて、私に聞いてどうするんですか。自分で探してきてください。ほら、さっさと行ってきてくださいよ、ほらほら!」

彼女は手でしっしと僕を追い出すような仕草をした。

「わかった、わかったよ、もう……」

僕ははぁ、と大きなため息を溢して路地裏を出た。


「カメラ……あぁ、あそこの八百屋にあったんじゃね?」

小一時間ほど聞き込みを続けて、僕はようやく有益な情報にたどり着いた。

「俺よぉ、ワルだからよぉ、監視カメラとか詳しんだわ。そこの八百屋だよ、あのオンボロ。へへ、心配しなくてもあんなとこから誰も物盗まねぇっつうの」

明らかにヤンチャしてそうな金髪の青年は、そう言ってケラケラ笑いながら去っていった。

「あ、ありがとう〜……ハハ、やっぱちょっと怖いな……」

相変わらずの気弱である。

「でも、八百屋か……」

僕はそのオンボロ八百屋に目を向けた。

マンション通りにポツンと佇む一軒家。両脇を4階建てのマンションに挟まれ、なんとも居心地が悪そうだ。「ナカヤマ八百屋」と書かれた看板は錆びつき、壁は少し黄ばんで汚れている。こう言っては悪いが、確かに監視カメラなんかが必要だとは思えない風貌だった。

後ろを振り向くと、大通りを挟んだ向かい側の通りに、例の路地が見える。ここに監視カメラが設置されていれば、少しは映りそうな位置だ。

八百屋の正面に立つ。店前には多少の野菜や果物こそ陳列されているものの、活気はまるで感じられず、薄暗い店内には店員の姿は無かった。営業しているかどうかもわからない様子だ。

「あの〜、こんにちわー……」

僕は恐る恐る声を掛けてみる。

返事がない。

「今日はもう、閉店しちゃったのかな……」

諦めてその場を去ろうとした時、店の奥から大柄の男が姿を現した。

「……なんだ、客か?」

熊のように大きくて毛深いその男は、やつれた目元をこちらに向けた。歳は40代半ばくらいだろうが、その疲れ切った見た目のせいかもっと老けて見えてしまう。『ナカヤマ八百屋』と印字されたエプロンを身に着けているので、恐らくこの店の店主か何かだろう。

「あの、ええっと……少し、聞きたいことが……」

「ハァ……客じゃねぇのか。なら悪いが帰ってくれねぇか」

「え、えっと、そういうわけには……」

「だったら金か、あ?金なんだな?!家賃か?電気か?水道か?なんの請求だ、言ってみろ!」

突然、男の態度が急変した。

彼はその後も怒鳴り声を上げ続ける。

僕が気圧されて動けないでいると、店の奥から今度は小柄な女が姿を現した。

「あなた、落ち着きなって!またお客さんに怒鳴って……」

見ると、男と同じエプロンを身に着けている。

「こいつも客じゃねぇんだ!商売の邪魔だから、帰ってもらってるだけだ!」

「だからって……怒鳴らなくたっていいでしょ?!」

「チッ……ったく」

男は軽く舌打ちをすると、のしのしと店の奥に戻っていってしまった……。

「ごめんなさいね、いつもはあんな風じゃないのよ……」

「い、いえ……」

恐らく男の妻であろう小柄な女は、その体を更に小さくして会釈をし、続けた。

「それで……どんなご用件でしょうか。見ての通り、うちは何も持ち合わせてはおりませんので、セールスなんかはお引き取りを……」

「いえっ、違うんです!あの、その……確認させていただきたいことがありましてっ!」

「確認、ですか?」

僕は一旦呼吸を整えると、ゆっくりと続けた。

「ここの八百屋に、監視カメラがあると伺いまして。その映像を確認させていただきたいんですが……」

「監視カメラの映像の……確認ですか?確かにうちは、店先にカメラを設置しておりますけども……」

彼女の不審そうな顔を見て気づく。

冷静に考えれば、突然店に押し入って監視カメラの映像を見せてくださいと言って、怪しまずに見せてくれることがあるのだろうか。

「ええっと……警察の方か何かですか?」

「あ、いえ!そういうわけでは、ないんですけれど……」

僕はしどろもどろに答えた。

「でしたら……申し訳ないですが、お見せするわけには……」

「そう、ですよね……」

僕が今度こそ諦めて帰ろうとしていると、奥から再び、男の声が聞こえた。

「ここ最近は、あの『光害女』の映像しか無ぇよ」

「ちょっと、あなた……」

「あんたもあの女に被害被ってんのか?」

「えっ?」

「なんだ、知らねぇのか?」

男は目を丸くして驚いている。

「それって、いつ頃のことですかね?……すみません、僕、いつも家のカーテン閉めっぱなしなので……」

「そ、そうか……。まぁいい、この際だ。見せてやるよ、監視カメラの映像」

「えっ?」

「あなた、いいの?こんな知らない人に……」

「あの野郎の醜態晒し上げてやんだよ。この兄ちゃんがなにも知らねぇってんなら、なおのこと都合がいい。あわよくば協力してもらおう」

そう言うと、彼はその大きな腕で僕の肩を組むようにして、強引に店内へ引っ張っていった。


 店舗と一体になった住居の玄関と、対になるようにして設置された個室に、監視カメラを管理するコンピューターがあった。

「……っと、これだ」

男――中山がくは、ごつごつとした指でモニターを指して続けた。

「これがここ一ヶ月分のカメラの映像だ。それより前のは消しちまった」

「あ、ありがとうございます……」

カメラは店先に設置されているようで、映像にははっきりと例の路地裏が写っていた。流石に路地の奥の方までとはいかないが、出入りをしている人のことなら確認できる。

「と言っても、昼間は誰も写っちゃいねぇよ。ここ最近はあの野郎のせいで商売あがったりでな……ん?」

中山岳が早送りしていた映像を止める。

「……よく見たらこれ、お前さんじゃねぇか?」

「え……あ、そうですね。路地前のゴミ捨て場に用があって……。住んでるアパートのゴミ捨て当番にされちゃいまして」

「そうか……ん?それじゃあこんなカメラに頼らなくても、あんたの方がここの辺の事、詳しいんじゃねぇのか?」

「いえ、えっと、基本ゴミ捨て以外では立ち寄らないので……。近隣の方も多分、あそこは避けて立ち寄ってないんだと思います。ほらなんかあそこ、薄暗くって気味悪いじゃないですか……」

「ふーん、そうか」

興味無さげに返事をすると、中山岳は再び映像を再生した。

先程僕が映った時間から数時間が経ち、少しづつ日が沈んでいくのが分かった。中山岳の言う通り、ほとんど人通りがない。路地に入っていく人物も、当然いなかった。

そして次第に辺りは漆黒に包まれ、沈黙が訪れる。

監視カメラは暗視モードに切り替わり、薄らぼんやりながらもその様子を映像に収めていた。

そして、何事も無く時刻が午後11時を回ろうとしていた、その時。

「来た、コイツだ!」

中山岳が叫んだのと同時に、画面が突然ハレーションを起こし、真っ白になった。

「うわ、眩しっ!な、なんですか、これ?!」

目を凝らして画面をよく見てみる。何か強烈な光を発している大きな物体が、路地前に停まっているようだ。

「隣町のヤンキー共さ。毎晩この時間になると、このゴテゴテした下品な車停めてたむろしやがるんだ。お陰でここら一帯の評判はだだ下がり。うちなんて最近は常連すら顔を出さなくなってんだよ……」

中山岳は大きなため息をついた。

「分かっただろ?こいつらのせいで、深夜に限ってはうちのカメラは役立たずってわけだよ」

「なる、ほど……」

映像には依然として、その『下品な車』――改造された軽トラックだと思われる車が映されている。その派手派手しい装飾は、中山岳の言う通り防犯カメラの役割をまるで阻害していた。

そして時刻が早朝4時を回った頃、日の出に合わせるかのように車はその場を去っていった。

「こんなことが、ここ数ヶ月の間毎晩続いていて…。お陰でうちみたいな近隣の商店は、大変な被害を被っているんです」

中山岳の妻、中山三恵子みえこは虚ろな目をして言う。

「商店だけじゃねぇ。噂ではこの辺一帯のマンションでも、余所に越す奴が後を断たねぇらしい」

中山岳も眉間を抑えながら吐き捨てるように言う。

「なぁあんた……ひでぇとは思わねぇか?こんなガキ一人のせいで、俺らの今まで積み上げてきた人生無茶苦茶にされかけてんだ。なぁ、頼むから手を貸しちゃあくれねぇか?」

中山岳は一転、せがむようにして僕の手を取り、両手で握り込むようにする。

「け、警察には、連絡されなかったんですか?」

「もちろん、何度も連絡した。ただ小賢しいことにあのガキ、どうにも足が掴めねぇらしいんだ。警察に見張りを頼んだ日には決まって姿を表さねぇらしい。監視カメラに映ってるっつっても、こんな映像じゃ車のナンバーすら分からねぇ……」

終いには捜査を打ち切られてしまった、と中山岳は続ける。

「……分かりました。あの、では、この監視カメラの映像を、僕のスマホに送ってくれませんか?」

「あんたの……?」

「えっと……僕の知り合いに警察関係の仕事をやってる奴がいるんです。彼にその映像を送って、改めて捜査してもらえないか相談してみます」

「本当か!……で、どうやればいい?」

「あ、えっとですね……」

僕はコンピューターを操作し、中山岳の携帯に映像を保存した。

「……後はこの映像が中山さんのスマホにダウンロードされるのを待って、それから僕のスマホに送信してください。えっと、僕のスマホの番号は……」

モニターでは監視カメラの一ヶ月分の映像が超高速で再生されている。

「ふぅん、なんだか分からんが、最近の携帯は色々できるもんなんだな」

中山岳は首を傾げながらも、僕の指示に従いスマホを操作している。

画面上ではダウンロードバーが少しづつ進み、カメラの映像は残り1週間分となっていた。

すると、突然。

「あっ!」

ぼーっとモニターを見つめていた中山三恵子が、大きな声を上げる。

「ち、ちょっと、あなた、こ、これ……これ!」

「どうしたんだ、一体。今この子に教えてもらってるとこだから静かに……」

「健ちゃんが……健ちゃんが写ってるの!」

「……なんだと?」

健ちゃん。

その言葉を聞いた途端、中山岳の表情が豹変した。

怒りと、苦悶を露わにした表情。

彼は手にしていたスマホを放り投げ、鬼気迫る勢いでモニターに近づいた。

「……おいどこだ、どこに写ってたんだ!」

彼はそう叫びながら、モニターを鷲掴みにしてガタガタと揺らし始める。

「ち、ちょっと一旦ダウンロード止めますね!」

僕は急いで動画のダウンロードを停止させた。

「もっと前、もっと前よ!」

「早く巻き戻してくれ!」

「わ、分かりました……」

僕は言われるがままに映像を巻き戻す。

「このあたり!確か、このあたりだったわ!」

僕は巻き戻すのを止め、日付を確認する。

4月17日。ちょうど今日から6日前の日付だ。

「もう少し、巻き戻してみますね…」

6時、5時、4時…。

例の軽トラックが画面に戻ってくる。

3時、2時…。

そして時刻が深夜の1時を回ろうとしていた時、軽トラックの助手席から身を乗り出すようにして、一つの人影が現れた。

「え、これって……!」

健児けんじ……!」

中山岳は、拳を強く握りしめる。ぐっと、音がするほどに強く。

そこに写っていた人物――彼らが、健児と呼ぶ人物。

色落ちした金髪。ヤンチャな性格が見える着崩した制服。

僕はその人物に、見覚えがあった。

「これって……」

「まさか、健ちゃんが……」

「あいつは……あいつはどれだけ俺達に迷惑をかければ気が済むんだ……!」

喉から捻り出したような中山岳の言葉には、明らかに強い怒りが込められていた。

「彼の事、ご存知なんですか?」

僕は恐る恐る尋ねてみる。

「……知ってるどころじゃねぇよ」

その後に続いた言葉は、僕を更なる困惑へと導いた。


「こいつは中山健児。俺らの愚息だ」


           ◆


「それで、何も聞かずに何も得ることなく、何もせずにそそくさと退散してきたわけですか」

一連の経緯を説明し終えた僕に水森が投げかけた言葉は、想像よりも遥かに辛辣なものだった。

「だって、仕方ないだろう?中山夫妻はその後、奥の部屋に行ったきり戻ってこなかったんだから……」

「言い訳がましいですね」

「そりゃ、言い訳だけどさ……」

「もういいです。それより早く、監視カメラの映像を渡してください」

彼女は僕に顔も向けず右手だけをこちらに遣ると、手の甲を下にしてこまねいた。

僕は危うく手を出しそうになったが、どうにかこうにか抑え込んで言葉を返した。

「……その前に、僕のスマホを返してくれない?メールで送ってもらってるから……」

「いいでしょう」

彼女は突き出していた右手を自分の胸ポケットの方へ持っていき、そこから僕のスマホを取り出した。

そして何かスワイプ操作をして、僕の方へ差し出す。

「はい、どうぞ」

「あ、どうも……」

拍子抜けだった。

あまりにもあっけなく、僕の人質は開放された。

なんだか生暖かい…って何を考えてるんだ、僕は。

「メールに私のアカウントを登録しておきましたから。そちらに動画を送ってください」

「え、あ、はい」

僕は自分のスマホを確認する。

確かに中山岳のものとは別に、知らないアカウントが登録されている。

「この、『もーちゃん』って名前のアカウントに……」

「アカウント名は確認しなくていいから」

「ごめんなさい」

僕は中山岳に送信してもらった映像をダウンロードし、『もーちゃん』のアカウントに転送する。

しばらくして、水森のスカートのポケットからピロン、という軽い音が聞こえた。

「確認するんで、その辺で待っててください」

「ありがとうくらい言ったらどうなの……」

僕の小言は無視された。

僕ははぁと溜め息をついて壁にもたれかかり、夜空を見上げた。

時刻は午後8時を回っていた。辺りはすっかり闇に包まれている。

「……そういえばさ、君はどうして探偵なんかやってるの?」

手持ち無沙汰になった僕は、ふと気になったことを尋ねてみた。

「どうして?」

彼女はスマホの画面から顔も上げず、答えた。

夜の闇に、液晶画面が煌々と光る。

「だってさ、こんな夜中に知らない街の路地裏に籠もって、知らない遺体とにらめっこしなきゃいけないんでしょ?何か理由がなきゃ、やってられないんじゃないかなって」

「理由」

「ほら、親御さんとか、お友達にも言ってないでやってるんでしょ?こういうこと。こんな危険なこと、やっぱり何か理由がないと……」

「私の本分だからです。さっきも言いました」

彼女は僕の言葉を遮って言った。

「目の前に謎があれば、それを解く。たとえ危険でも、たとえ無謀でも」

彼女はそう続けた。そしてそれっきり、言葉を続けることはなかった。

僕は、『探偵』というものはやはり、そういうものなのだろうかと改めて思う。

小説や漫画に出てくる『探偵』も、皆口を揃えて『謎を解きたい』という。謎を解くことは、そんなに楽しいことなのだろうか。

彼女達とは違う世界を生きている僕にとっては、その感覚がいつまでも理解できない『謎』なんだろうな。

「………」

しかし……。

僕は改めて彼女の方を見遣る。

彼女は小さな体躯を丸めて、地面を触ったり、壁を触ったり、たまに上を向いてボーっとしたり……素人目には何をやっているか分からないことを繰り返しながら、映像がダウンロードされるのを待っている。

「『私の本分』、か……」

僕は口元に手を当て、先程の彼女の言葉を反芻はんすうしてみる。。

なぜだろう。彼女の言葉にはどこか、違和感を感じる。

まるでその言葉が、彼女のものであって彼女自身のものではないような、そんな違和感。

その違和感の正体がハッキリしないまま、夜は更けていく。


「……確かに、ここ一ヶ月で夜中に人が映っているのは、この日だけですね」

小一時間ほど経っただろうか。彼女はスマホから顔を上げ、そう言った。

「この日――4月16日の昼頃、被害者がこの路地裏に入っていくところが映っていました。そして、この路地から出てきたところは映っていない……殺されたのはこの日以降で間違いないでしょう」

「となると……やっぱり、中山健児。そいつが怪しいのかな?」

「怪しい?」

「いや、怪しいというか……もし夜中に犯行が行われたんだとしたら、中山健児がやったとしか考えられなくない?」

僕は自分の考えを話した。

「昼間に、この路地の奥まで足を運んだ人物は被害者以外にいない。この一ヶ月間で夜中に姿を現したのは、中山健児だけ……。どう考えても、彼以外が犯人だとは思えないんだけど……」

「それはあまりにも早計な判断です、凪さん。助手だとしても、もう少しマシな考えはできないんですか?というか……

まだそこに居たんですね、帰ったんだと思ってました」

「え?」

僕は思わず、驚いた声を上げる。

「何故、何もせずそこに突っ立ってるんです?」

「いや、君が待っとけっていうから……」

「そうではなくてですね……」

と、彼女は何かを言いかけ、はたと口をつぐんだ。

「…………そういうこと、か」

一瞬、彼女の表情が険しくなる。

「ん、何か分かったの?」

「いえ、何でもありません。それよりも、聞き込みの成果は以上ですか?」

「え?あ、まぁ、そうだね……」

「そうですか、お疲れ様です」

彼女はそう言ってくるりと踵を返すと、再び路地奥の方へ歩いていってしまった。

「え……や、お疲れ様って、ちょっと!」

僕は急いで彼女の後を追った。


「君の方はどうなのさ。何か分かったの?」

追い付いた時にはすでに、彼女は捜査を再開していた。

「色々分かりました。が、それが何か?」

「それが何か?って……僕にも、教えてよ」

「何故?」

「いや、ほら、僕はその……」

「その?」

「……君の、助手だから……」

彼女は一瞬、ピクリと反応を示す。

「どうしたの?」

「いえ……」

「……僕は君の助手なんだから、調べたことを共有してほしいんだ。ほら、僕も……分からないなりに、考えるからさ」

彼女は悩むような仕草をして、しばし停止していた。

そしてしばらくして、大きなため息をつくと、

「……仕方ないです。お間抜けな助手サンに、お話ししてさしあげます」

「被害者は牧村生人まきむらいくと、17歳。ここから徒歩圏内にある、私立向ヶ峰こうがみね高校――最近改修された学校ですね。そこの学生さんだったようです。持ち物が持ち去られた形跡は無く、暴行された痕跡や衣服の乱れも無し。争った形跡も見られません。死因は恐らく窒息死。強い圧迫のせいか、首の骨が折れていました。首元の跡を見る限り、金属製のワイヤーのようなもので締め上げられたのだと思います。これが直接的な死因であることは間違いないでしょう」

彼女は流暢に続ける。

「加えて、他殺であることも確実でしょう。凶器が見当たらないこと、首元以外に傷や怪我がないこと等が不自然ではありますが……犯人がある程度の手練れなら、被害者に直前まで気づかれずに首を締め上げ、証拠品を回収してここから立ち去ることも可能でしょう」

「な、なるほど……」

僕は驚くというよりも、むしろ少し引いていた。

彼女の口ぶりからして、あの遺体のことを隅々まで調べたのは明白だ。恐らく、全身くまなく観察したことだろう。

相手が異性だからとか歳が近いからとかそういう話ではなく、なんの抵抗もなくここまで遺体を探れる彼女に、僕は動揺を隠しきれなかった。

「周辺の状況についてですが、特段気になるものはありませんでした」

そんな僕を知ってか知らずか、彼女は話を次の段階へ進めていた。

「気になるものが無かった……むしろ、無さすぎるほどに。ここで犯人が被害者を殺害したのなら、痕跡の1つや2つ、残ってしまうはずなのですが」

僕はスマホのライトを起動させ、辺りを照らして見渡してみる。

排気口が張り巡らされた路地裏は、少しのカビ臭さと籠もった匂いが充満している。使い古されたトタンのゴミ箱や今は使われていないであろう空調機には、埃なのか、砂埃なのかも分からないものがこびり付いていて、地面は何のものなのか分からない程にグチャグチャに入り混じったゴミに埋め尽くされていた。

「ここら辺は、ほんとに人が立ち入らないからね……。長い間、人の手が入ってなかったんだろうね。……でもそれなら、痕跡とかは残りやすいはずなのに。あ、逆にゴミとか埃とかに混じっちゃって、うやむやになっちゃったのかな?」

「いえ、その反対です。この一帯は、余りにも綺麗すぎる」

「え?」

「余りにも綺麗に、痕跡が回収されすぎている」

彼女の言い回しは少し妙だった。それ程までに、犯人が手慣れた人物だったということなのだろうか。

「……あ、そういえば、さっきの答え聞いてなかったんだけど!」

「……答え?なんのです?」

「なんで、中山健児を怪しいって考えるのが早計なの?今の話聞いても、やっぱり彼が怪しいことには変わりないと思うんだけど……」

「あぁ、あれ質問だったんですか?」

彼女は軽蔑の視線をこちらに向ける。

質問というよりは、信じて疑ってなかったですよね、という目線だ。

確かに、信じて疑っていなかった。

「……でもさ、やっぱり怪しいのは確かでしょ?彼があの軽トラックを用意して、犯行にうってつけの環境を作り出したんだって!ほら、監視カメラの存在だって知ってたわけだし」

「怪しいのは確かです。しかし、だからといって彼を犯人だと決めつけてしまうのは早計以外の何ものでもありません」

そういって彼女は自分の頭を人差し指でトントンと叩いた。僕に、僕自身の頭の悪さを示すように見せつけて。

僕はとことん馬鹿にされている気がして、カチンと来た。

「……だったら、どうして君は彼が犯人じゃないと思うのさ」

「犯人か犯人じゃないか。なんとも極端な考えですね」

彼女はそう僕に追い打ちすると、おもむろに彼――牧村のブレザーを脱がせ始めた。

「え、何やってるの……」

僕は口元をヒクつかせながら尋ねる。

「カッターシャツの胸元に、特徴的なピンが付いているのが分かりますか?」

「あ、確かに……」

牧村の胸元には、キラリと輝く金属製のピンが付けられていた。複雑な造形と鮮やかな装飾が目立つ。

「これは……校章か何か?」

「このピン、どこかで見覚えがありませんか?」

「見覚え……?」

僕は記憶を呼び起こす。

見覚え……いや、確かに。僕はこのピンに、見覚えがある……!

「……あ、中山健児!防犯カメラの映像の中で、彼もこのピンを付けてたよ!」

「そう、中山健児と被害者の牧村生人は同じ高校に通っていたんです」

「そうだったんだ……あれ?でもさ、それって余計に中山健児が怪しく感じちゃうんだけど……」

「いえ、このピンは凪さんの考えの矛盾を示しています」

「む、矛盾?」

彼女は一度息を整え、続けた。

「先程言いましたが、このピンの高校――つまり、私立向ヶ峰高校は最近改修されたんです。そして、それに合わせて制服も変更されています。そう、ちょうど牧村さんの代である、2年前に」

「え、そうなの」

「このピンも、その時新しく制服に追加されたものです。つまり、中山健児さんは牧村さんの同級生か後輩ということになりますね」

「なるほど……ん?てことはつまり……」

「中山健児さんは牧村さんと同じく今年で17歳。確実に、車の免許を取れる年齢ではありませんよね」

「……そうだね」

ごもっともな意見だった。車の免許が取れなければ、運転はできない。ということは、あの軽トラックを用意することもできない。

……いや、しかし。

「いやいやいや、それはそうだけどさ……。なんかヤンチャしてそうな子だったし、無免許運転とかしちゃってるだけじゃないの?そうじゃないにしても、例えばほら……親の免許と車盗んで、とか……」

「あり得なくはないです。ですが映像の中で、彼が顔を出したのは助手席からでした」

「むむ……いや、でも別に、運転してたって助手席から出ることができないわけじゃないでしょ!」

「まだ根拠はあります」

彼女は僕を制して続ける。

「凪さんがこの軽トラックのことを中山さん――中山岳さんに聞いたとき、彼はこう言ってたんですよね?『あの『公害女』』って」

「言ってたけど……あっ」

「凪さんの目撃証言から、中山健児は男性……ですよね?ということは、中山岳の発言は別の人物を指していると考えることができます。つまり少なくとも、車を運転できる女性の共犯者がいたと考えるのが妥当だと思いませんか?」

そう言われてみると、そうな気がしてきた。

「更に言えば、中山夫妻の反応を聞く限り、中山健児は長い間自宅に帰ってきていないのでしょう。顔も見せていなかったんじゃないでしょうかね。しかし、監視カメラの映像から、普段から制服を身に着けて生活していると考えられる」

「僕が実際に会ったときは私服だったけど、映像の中では制服を着てたよ」

「もし仮に、実家には帰らず、でも高校にはちゃんと通い続けているのだとすれば……」

「……誰かの家で寝泊まりして、そこから通っている、ってことか……」

僕は思わずううん……と唸ってしまう。

「さしずめ保護者代わりの年上の彼女、といったところですかね?凪さんには未だできたことのない」

「一言余計だよ……」

考えれば考えるほど、中山健児だけが犯人の単純な事件では無いような気がしてきた。

いや、今の話を聞く限り、もう一人共犯者がいることは確実だ。しかも分かっている事は、女性である、ということだけの……。

「……あれ?じゃあどうして、中山夫妻はその女性のことを知ってたんだ?」

「ここ一ヶ月よりも前に、監視カメラの映像でその女性の方だけは認知していたのかもしれませんね」

「そうか……あ、じゃあ、もしかしたら顔も見たことがあるのかも……!」

画質と軽トラックの装飾の問題があるとしても、女性だと判別できたのだからそれなりに特徴を確認できる映像があったのかもしれない。

望み薄かもしれないが、もし彼らから話を聞くことができれば、その情報は事件解決の大きな鍵になる。

「……ちょっと僕、ナカヤマ八百屋にもう一度行ってくるよ!」

彼女はこちらに振り向きもせず、手をヒラヒラさせて返した。


「開いてなかった……」

時刻は午後9時。当然の如く、ナカヤマ八百屋のシャッターは完全に閉め切っていた。

「凪さんがチンタラしてるから」

「口悪いな……」

僕はアパート側の壁にもたれ掛かり、ズリズリと地面に座り込む。

ここにきて、どっと疲れが押し寄せてきた。

「ねぇ、続きはもう明日にしない?こんな暗くなってきちゃったし……」

「何勝手に諦めてるんですか」

「諦めてるっていうか……戦略的撤退だよ。明日に備えて一旦帰ろう?」

僕は道路脇に停めっぱなしの愛車に目を向ける。

あまりに車通りが無いから放置していたが、それでも路駐はあまり褒められたものではない。

「よければ家まで送ってったげるからさ……」

「結構です」

「僕が結構じゃないんだけど……」

「世の中事故や事件は星の数ほどありますが、この事件は今、ここにしかないんですから。今やらなくちゃいけないんです」

「なんかそれっぽいこと言って、誤魔化そうとしてない?」

「私は至ってマジメです」

彼女から帰る意志は全く感じられない。

「あーあ、今日見たいテレビがあったんだけどなぁ…」

「本当に愚痴っぽいですね、凪さんは」

「愚痴りたくもなるよそりゃ……」

「そんなに言うなら家泊めてくださいよ」

「いや、だから……は?」

予期せぬ提案に、思わず声が上擦る。

今なんて言った?

「家、泊めてくださいよ」

「……は、はぁ?!いや、ば、だめに決まってるでしょ!」

「なんでです?近所なんでしょ?」

「関係無いよ!いや、だって、だって……」

変な汗が背中を伝う。

この子、分かって言ってるのか……?!

僕は思わず背を向けてしまった。

「親にも数日家を空けることは伝えてあります。何も問題ありません」

「それでも、だ、ダメです!そんなこと……」

「だったら、捜査を続けます」

「え?!そ、それもダメだ!」

「どちらかにしてくれませんか?」

どちらかって……なんで毎回お前が主導権を握ってるんだよ!

心の中で毒づく。

「だ、ダメなもんはダメ!あーもう、びっくりしたな……」

「そうですか」

「なんだよ、そうですかって……」

彼女は淡々と捜査を続けている。こっちの気も知らずに……。

「……でも本当に、もうそろそろ止めない?」

「止めません」

僕ははぁと大きな溜息をつく。

しかし内心、あぁこれはテコでも動かないんだろうなと諦めの気持ちも感じてしまっている。

今日何度目かの、諦め。

「……あぁ、もう仕方ないな!じゃあ僕がここに居る間だけ!それ以上は、流石に看過できないから!」

「凪さんが居られなくなったら、泊めてくれるんです?」

「そぅ、そういうんじゃないよ!ちゃんと家に送り帰すから!」

「勝手に決めないでください」

「勝手やってるのどっちだよ……」

僕は深い深いため息をつきながら、夜空を見上げる。

路地から見る夜空。

建物の間に無数に張り巡らされた電線の、その隙間から見える夜空には、皮肉にも満天の星々が広がっていた。

そこで、ふと。


あぁこんな風に、誰かと言い合いするのはいつ振りだったかな、なんて。

なんだかよくわからない感慨にふけってしまうのだった。


                                    続く

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探偵は高校生(試し読み) 高木りんご @ringokonoakira

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