お腹に溜まる食べ物ください (たこ焼き・肉串・ラムネ)

 少しお腹が満たされた私とお姉様は、次の屋台の探索を開始しました。お姉様がどこかに消えてしまいそうで不安です。興味がある方へと行ってしまうことがあるので、見失わないよう私は気を緩めることができませんでした。

 けれど今日のお姉様の歩調はゆっくりで、お祭りをじっくりと楽しんでいるように思えました。私も久しぶりなので、楽しくないといえば嘘になります。

「マールは何を食べたい?」

「そうですね……」

 問われて私は屋台の数に圧倒されていました。幼い頃に見たことがあるはずの光景は、久しぶりのせいなのか違和感があります。当然だった景色が変化してしまって、けれど元に戻ろうとしていることだともわかっていても、どこか感情が追いついていないように思えました。

 ずっと長く当然だった光景が失われて、そしてこうして戻ってきて……追いついていないというよりも、感情の整理ができていないのかもしれません。

「あまり深く考えないの」

「わかってはいるのですが……これ」

 考えすぎている私の頭を覚醒させるかのように、風に乗って漂ってきたのはソースの香りでした。振り向くとそこには『たこ焼き』の文字が書かれていて、鉄板に丸く焼かれたたこ焼きが隙間なく詰まっていました。

「たこ焼きだ! 食べよう、マール」

 お姉様は問答無用で私の手を取って、あっという間に注文をすませてしまいました。確認を取らずに行動するのはお姉様らしいのですが……。

「食べるでしょ?」

「食べます」

 プラスチックのパックに入ったたこ焼きを持ったお姉様は、とても嬉しそうです。私も頬が緩むのを止めることはできませんでした。

 お姉様の片手には、二本の竹串が握られています。冷めないうちに私たちは急いで場所を移動して、簡易テントに並べられた椅子に腰掛けます。体を休めるために、人が大勢座っていました。空いていたのが奇跡ともいえるでしょう。

 それから私とお姉様は、向かい合って座ると、たこ焼きを食べるために竹串を握りしめました。私はたこ焼きに串を差し込んで、少しだけ冷めるのを待ちます。そのまま食べても良いのですが、焼きたてで湯気を立ち上らせているので、確実に口の中が火傷してしまいます。

「マールは慎重だよね……んっ、熱っ!」

 躊躇うことなく、お姉様はたこ焼きを食べてしまいました。案の定熱いので、金魚のように口をパクパクさせながら食べています。

 そんなお姉様を横目に、私も少し冷めたたこ焼きを口に運びました。

 少し柔らかいたこ焼きを頬張ると、とろりとした口触りと大ぶりの蛸が口の中で踊ります。噛みしめれば噛みしめるほど蛸の味が広がって、じっくりと味わうことができました。他にも紅生姜や天かすなども入っています、別段珍しいたこ焼きではありません。不思議とお祭りという場所では、最上級の味となるのです。

「熱いけど美味しいな」

「はい、もう一つ……」

 慎重に冷ましながら私が食べている間に、お姉様の分は食べ終えていました。

「お水も飲みたいかも」

「そうですね、それでしたら」

「マールはここで食べて待ってて。わたしが飲み物を買ってくるから」

 立ち上がって颯爽と去って行くお姉様は、私の見える範囲にある自販機へと向かっていきました。

 大人しく私はたこ焼きを味わいます、程よい熱さのおかげで快適に食べることができました。

 それにお祭り真っ只中に身を置くのは、なんとも嬉しい気持ちを運んでくれます。こんなにも人が大勢集い、お祭りを楽しんでいる姿をこの目で見られるのは喜ばしいことです。

「ただいま、マール!」

「おかえりなさい、お姉様……それは?」

 満面の笑みで戻ってきたお姉様の手には、水の入ったペットボトルとは別に、透明な硝子の入れ物がありました。

「ラムネも買ってきたんだ。量は少ないから二本!」

 空になったプラスチックの器の隣に、ラムネの瓶が二本置かれました。硝子にはすでに水滴が浮かび上がっていて、早く飲まなければ温くなりそうでした。

「お祭りといえばラムネかなって。蓋も開けてくれたから、すぐに飲めるし」

「ラムネが温くなる前に、早く飲みましょう」

「うん!」

 私の提案に、お姉様は大きく頷いてくれました。椅子に座ると、すぐにラムネの瓶を掴みます。私も追うように瓶を掴み、口元へと運んで瓶をゆっくりと傾けます。

 しゅわしゅわとした炭酸の気泡が、口から喉へと流れていきます。炭酸特有の爽快さに私は目を細めて、すぐに二口三口と飲みました。

 ラムネ味の炭酸は甘く、たこ焼きの塩味を流してしまうかのような甘さでした。

 砂糖の甘さと塩気の組み合わせは、永遠に食事ができてしまうほどの魅力を放っています。

「懐かしい味だね、これ父さんに強請(ねだ)りすぎて怒られたの覚えてる」

「何本も飲もうとしたからですね」

「そうなんだけど、美味しすぎてもっと飲みたかったんだよね。あとこれ」

 すぐに飲み終えてしまったお姉様は、ラムネの瓶を横に振ります。すると、中に閉じ込められた硝子のビー玉が、涼しげな音を響かせました。

「ビー玉が欲しかったのもあるかも。でも屋台のラムネは、返さないといけなかったから取り出せなかったんだよね」

「そうですね、私も硝子の中に硝子が閉じ込められていて、ビー玉が欲しかったのを覚えています」

 懐かしい思い出と共に、私は小さく息を吐きました。幼い頃にラムネの味にも驚いたのですが、ビー玉にも酷く驚いたものです。光を当てれば輝く、けれど取り出すのが困難なビー玉は、幼い私の目からは不思議な世界の物にしか見えなかったのです。

「まだ欲しい?」

「今は大丈夫です、こうして眺められるのが嬉しいですから」

 お姉様と一緒に、私もラムネの瓶を振ります。二つのビー玉が鳴り響いても、あまり騒々しくは感じられません。雑踏の声のほうが大きく、硝子の音は小さく萎んで聞こえます。

 けれど耳を澄ませば、涼しげな音を感じられます。体の中に爽やかな風が流れるかのようでした。

「飲んでも美味しいし、飲んだ後も楽しめる、ラムネは偉大だなぁ」

「そうですね……どこか行きましょうか」

 顔を見合わせて、私たちは微笑んでいました。

「とりあえず、境内の半分は見たよね」

「はい、あと……」

 私の言葉が途切れます。

 なぜかというと、良い香りが漂い始めたからです。その香りの中心を目で追っていると、お姉様が笑っていました。

「行ってらっしゃい」

「あの」

「ほら、気になるなら買ってきなよ」

 お姉様の言葉に、私は覚悟を決めて立ち上がりました。テントからほど近い場所には、銀色のバットに置かれたお肉の串が大量に並んでいました。すでに焼かれているもので、注文をすれば温めてくれる形式だったはずです。

 普段から食事を気をつけてはいるのですが、どうしてもお祭りというのは自然と心を高揚させます。肉串屋さんの誘惑に耐えかねて、目の前で素晴らしい焼き色を披露している肉の串から、私は目が離せなくなっていました。

「はい、らっしゃい。綺麗なお嬢さんだねえ。お肉好きなのかい?」

 お肉を焼いていた屋台のおじいさんは、私に笑顔で肉の串を勧めてくれます。

「部位はそこまで詳しくはありませんが大好きです。特に外で焼かれたお肉はとても美味しそうで」

「そうかいそうかい、なら好きなの選びな」

「はい」

 じっくりとお肉の種類を吟味します、牛や鳥、豚やホタテなどの海鮮も並んでいました。さらに肉の種類は豊富に揃っておりますが、私は目に飛び込んできた肉の串を注文しました。

「牛カルビを一本下さい、タレでお願いします」

「一本で良いのかい?」

「はい」

 どうやら私があまりにも真剣に見ていた影響なのでしょう、おじいさんは本数を確認してくれます。これが空腹に近い状態であれば、注文しても問題はないのです。

 しかしそこそこお腹は満たされていて、まだ屋台を巡るので何かしら口に入れることでしょう。そのために胃には余裕を持たせておきたいのです。

「はいよ、六百円ね」

「ありがとうございます」

 甘いタレを塗り直した肉の串を、プラスチックの皿にのせた物を受け取りました。お肉の良い香りが漂っています。お姉様と様々な物を食べた後だというのに、お肉を食べたくて仕方がありませんでした。  

 私は急いでお姉様の元へと戻ります。お水を飲んで一息ついていたお姉様は、私の顔を見るなり相貌を崩されていました。

「おかえり、お肉は美味しそうだった?」

「はい。焼かれているのがたくさん並んでいるのは、壮観でした」

 私は素直な感想をお姉様に伝えます。焼き肉屋さんの看板などで写真を拝見することはあっても、やはり実物には適いません。美術品なども同様です、写真では得られない感動がそこにあります。

「家では不可能ですね……」

「人が大勢いないと難しいかなぁ。パーティーとかしないと無理そう」

「室内では無理ですね、肉の匂いが部屋にこびりついて……」

「ほらほら、マール」

 考え込む私に対して、お姉様は串を指さしています。

「早く食べないと、焼きたてのお肉が冷めちゃうよ?」

「はい!」

 全くその通りです、まず目の前にある肉の串を食べるのが大切です。

 私は恐る恐るお肉の刺さった棒を掴んで、タレが垂れないよう慎重に口に運びます。お肉の香ばしい香りが、より強く感じられます。

 牛カルビの串は、四つのお肉が切られて刺さっていて、口を大きく開けば一口で食べられる仕様になっています。

 私は覚悟を決めて、はしたないと思いながらも口を開き、思い切りお肉を囓りました。少し甘めのタレと肉汁が混ざって、なんともいえない美味しさに口の中が支配されていきます。噛めば噛むほど染み出す肉汁、けれど食べやすい大きさに切られている肉は、すぐに消えてしまったのです。

「美味しい?」

「はい、お姉様も」

「わたしには一つだけちょうだい、ほらもう一つ食べちゃいなよ」

 笑いを堪えながら、お姉様は私に肉を食べるよう促してくれます。

「でも」

「でもじゃないの。ほらほら冷めるよ?」

 私がお肉が好きなのを知って、お姉様は背中を押して下さいます。このままでは押し問答になってしまう、それにお姉様が物足りなければ、もう一本購入すれば良いのです。

 そうして私は、お肉をまた囓りました。先ほど味わったばかりなのに、また舌が美味しいと感じ取ってくれています。これはきっと白いお米が合う味です、けれどこの場にはありません。

 肉の串はあくまでお祭りで歩きながら、気軽に食せるご馳走なのですから。

「いつも言ってるけどさ、気にしなくて良いんだよ、マール」

 私が食べる様子を眺めながら、お姉様は嬉しそうでした。

 そしていつも通りに、私に伝えてくれるのです。

「マールが美味しそうに食べているのを見られるだけで、嬉しくなっちゃうんだよね。足りなければ買えばいいし、今日は色んな種類を食べたいって話してたでしょ? だから気にせず、食べたいのを食べれば良いの」

 たとえ種類が減っても、我慢する必要はない、とお姉様は諭してくれます。

「温かい内に食べるんだよ」

「はい」

 早く他の屋台に食べに行きたい衝動を、お姉様が抑えているのを私は知っています。それでもお姉様は私が食べ終えるまで、にこにこと微笑み続けていたのでした。

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