魔王さまと『水』

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第1話 月に溺れる


 深閑とした森。木々が月影のみで存在を示す。

 その中にある小川もまたしんしんと流れゆく。


 水面に映る月夜をかどわかす。

 そこに映るあなたさまの顔。

 

 わたくしを見つめる月色の瞳。目線だけでもを抹消しそうなそれにうっとりとしてしまう。

 そう。それにわたくしの心は奪われた。


 刹那。

 わからないほど一瞬。

 その瞳は下を向き眉尻を下げる。

 水面に翳るあなたさまの容姿――糜爛びらんが右に這っている様を見るのさえ嫌悪しているのか。それとも何か悩みがあるのだろうか。

 その憂う顔にわたくしは心配し「大丈夫ですか」と声をかける。

 返答はなかった。


灯璽とうじ殿、ちょっとよろしいか?」

 

 ちょうど呼び出され振り返るあなたさま――灯璽さま。

 

 わたくしは無視されるのも特に気にせずむしろ名の響きにうっとりとしてしまう。

 心配無用といっているかのようにヒラリと黒い装束を翻し歩いて行く。その様でさえ心惹かれる。しっかりと追わなければ、闇に溶けていくあなたを。

 しかし今宵は綺麗な満月で精悍な後ろ姿を拝むことができた。

 

 そしてそのまま同行者と打ち合わせするため川辺から離れてそちらに歩みゆく。

 放置されたわたくしはその場で会話を掬い取る。

 

「――そろそろ関所でございます。旦那。その後案内人と合流する手はずです。我らは明日城内の主にお会いして商品を紹介する予定なのですが、その際に紛れていったほうが……」

「名案だな」


 ――商人たちを警備する役目を任されているらしい。たまたま行先が同じだからとも灯璽さまは言っていた。

『紛れる』という事は何か探す為だとは思うけど。

 

 城主は誰だったかしら?

 そこで働く人はどんな者たちだったかしら?

 もしかしてお宝を盗むつもりなのかしら?


 そんなことしないでと伝えたいが商人と灯璽さまは幕に入って行ってしまい後のお話は聞けなかった。わたくしは月を眺め物思いに耽り始める。

 

 ……灯璽さまならもっと崇高な行いができるはずなのに。

 なんたって誰よりも先に魔王を倒し、わたくしを救ってくださったのは灯璽さまなのだから……。

 


 あの頃。

 魔王の城に何故幽閉されていたかまったくわからなかった。

 その間の事は噂でしか聞いてはいないけれど、魔王軍が魔術を使ったかあるいは人の国への猛攻を行ったせいか。干魃や飢餓、争いが絶えなかったらしい。

 今思うと水が至る所に流れていたからやっぱり魔王のせいか。

 しかし反旗を翻そうにも精霊の加護がなければ魔法は使えない。精霊も気まぐれで加護も得られるかはわからない。さらにその魔法は陣を足元に輝かせてするもの。発動まで時間がかかる。

 

 だから魔王軍、弱い魔物を相手にするだけでも、きっと大変であったと思うけれど……。

 灯璽さまはその逆風さえものともしなかった。


 ――ああ。

 闇夜に紛れ颯爽と魔王の前に現れた灯璽さま。今でもはっきりと思い浮かぶ。

 確か、新月であった筈。

 闇夜の中鋒が三日月の様に浮かび、次々と魔王の部下を倒していっていた。真っ暗なその廊下の両脇に流れる水が灯璽さまを際立たせていた。

 

 とうとう魔王と相対したあの魔王の間。

 わたくしは真ん中の鏡のように透き通る噴水の中幽閉されていた。

 そこから両壁にそって静々と流れていくそこに灯璽さまはまるで己が月かの如く輝いていた。

 

 

 

 わたくしを助けて下さった灯璽さまの他にどうやら十一の勇者がいたということ。その勇者たちは元から持つ財宝名声。更に勇者の称号を預かっていたという。

 城にいる間混濁していて記憶は朧げ。

 だからわたくしが閉じ込められていたことも全て最近になって知った。

 教会などで聞く聖女や神の類いでもない筈なのに何故閉じ込められていたのかわたくしは一切わからない。そもそも閉じ込められる前の記憶さえ残っていない。


 わたくしは何者であるのか灯璽さまに付き従い探していた。

 

 共に過ごす様になってからわかった。

 謙虚で慎ましやかな生活を送る灯璽さま。

 戦闘以外はふにゃふにゃな灯璽さま。

 

 わたくしを救ったあの時も報酬は魔王がいた城と少しばかりの財宝だと聞いた。その財宝も未だに飢餓に苦しむ者のため孤児院や食べ物の量産に使っていた。

 己のために使わず「またやった……買う物あったのに」そういう呟きを何度も聞いてしまった。

 

 だから底を尽きたのでしょう。

 ……その抜けたところも可憐だけれど。

 

 今回のように盗みになど入らなくとも財宝、金なんて灯璽さまなら何か依頼を受けたらもっともっと貰えるはずなのに。灯璽さまはその分今のように働けるのだからそれに見合う財くらい……と共に歩み始めてから常々思ってしまう。


 こうしてわたくしはいつも燻る。

 だから今回のように盗みには入らないでほしい、とも思ってしまう。


 そのように空想を広げていると夜が明けてしまった。

 わたくしは慌てると同時に寝惚けている灯璽さまをチラッと覗く。どうやら顔を洗っているらしい。

 やっぱり戦闘と変わるギャップにこれはわたくしだけの記憶、と興奮した。


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