正方向へのバイアスとスポットライトの中で輝くもの

@antedeluvian

正方向へのバイアスとスポットライトの中で輝くもの

 アンダーメンバーも含めて乃木坂46だ。


 という言葉にうなずくのであれば、同時にそれは、


 アンダーメンバーは乃木坂46ではない。


 という前提を抱えているということを我々は自覚するべきだろう。もし最初の言葉が真なのであれば、わざわざ明示する必要はないはずだ。言葉は常に表裏一体だ。だから、乃木坂46は全員で乃木坂46であるということを自らに言い聞かせるようにして今まで歩んできた。


 先の前提は、そこにいる人たちに「認められたい」という思いを芽生えさせる。乃木坂46になろうとした数えきれない人たちの諦めと悔しさと嫉妬と憧れのなれの果ての山の上に立った彼女たちは、そこがスタートラインだったと気づく。たとえそういう覚悟をしていたとしても、現実のものとして受け止めるには時間が必要だ。それでも、時間は、環境は待ってはくれない。そういう焦燥感の中で自らの立つ場所を示される。だから、そこに立つ意味を見出さなければならない。


 どうすれば認められるのだろうかという問いに答えるものはない。ただ、目の前のものに真摯に向き合い、全力で立ち向かうだけだ。その承認欲求が生み出すものについて思いを巡らそう。


 何か好きなものがあり、それを表現することを続けていると、自分が何をどう好きで、それをどう表現すればいいのか分からなくなってしまう時が来る。答えのない探求を続けるからこそ、探求を続ける自分自身の背中を見つめることになる。


 何かを自分の思うように表現した時、それは自分の限界を提示したのと等しくなる。何をどう弁解しても、彼女たちにとってはステージ上で表現したものが全てだ。思うようにできない、失敗をした、自分の想像を下回った……それが自責の念となって心に積み重なる。それが辛くなって涙となって流れ落ちていくのだ。限界を測られたような気持ちになるからだ。本当の自分はもっとできるのに、それを見せられなかった悔しさは、「好き」や「与えられた使命」を全うできなかった自分自身への怒りの一端に過ぎない。


 そういう感情を彼女たちはアンダーライブのステージの上で見せる。それ以外に自分の心を解放する場所はない。それがそのライブの根本的な存在意義を如実に浮き彫りにする。


 阪口珠美さんは明確に言葉にする。「アンダーライブに出るということは選抜ではないということだ」と。そうなったことに言い訳など持ち合わせていないだろうし、なぜそうなったのか誰も分からない。だから、その感情も全てパフォーマンスとして表現するしかない。それがなければ、彼女たちは感情の置き所がなくなってしまうに違いない。


 よく葬式は大切な人が亡くなった悲しみを和らげるという。目の前にやるべきことが積み重なって、悲しんでいる場合ではいられないからだ。ようやくゆっくりできる時、体中に染み渡った悲しみは人がようやく受け止め切れるくらいに濾過されている。そうでなければ、心は潰れてしまうかもしれない。


 やるべきことがあるというのは、いいことだ。自分を納得させられる。自分に意味を見出せる。


 33枚目のアンダーライブは、明治神宮野球場で自分たちが乃木坂46であると名乗りを上げてから初めてのライブだ。横浜アリーナはバースデーライブの舞台ともなった場所だ。そういう意味で、今回のアンダーライブはまた新しく生まれ変わるアンダーメンバーの洗礼の場所でもあったように感じる。


 その中心に立っていたのは松尾美佑さんだった。


 梅澤美波さんが「THE TIME,」のレギュラーとして出演していた2022年9月、男子バレーボール日本代表のキャプテン・石川祐希選手がスタジオにやって来た。その時に副キャプテンだった梅澤さんは石川選手に「キャプテンとして大事にしていることは何か」と質問をした。石川選手は「チームはキャプテンのようになる」と答え、その言葉は梅澤さんの中に大切に刻まれることとなった。


 人は自分が正しいと思うことを軸に言葉を発し、行動していくものだ。少なくとも、現在の乃木坂46は梅澤さんの中に刻まれた「チームはキャプテンのようになる」という考えが軸のひとつとして立っている。彼女の発言がメンバーひとりひとりの中に波及していくからだ。だから、座長として立つメンバーも、その一座を自分のように染めていくし、そうあって恥ずかしくないようにあろうとする。それが2023年の夏のツアーの井上和さんであり、今回のアンダーライブの松尾美佑さんなのだ。


 チームの方向性の一部を司るキャプテンの存在。そして、その中に刻まれている重要な言葉や考え方。それはあたかもひとつの生物のように振る舞うチームという生き物にバイアスを加える。バイアスという言葉は普通は否定的な意味の時に使われるが、それが良いものであることもあるだろう。何も見えない暗闇の中では、たとえバイアスであっても道標のひとつには違いない。彼女たちは踏み固められた道を歩んでいるわけでも、目的地へ向かう地図を持っているわけでもない。一歩一歩踏み出す足が正しい方向に進んでいるだろうと信じているだけだ。


 チームがキャプテンのようになる……チームの中心人物のようになるということだ。アンダーもその言葉で表されるだろう。例えば、井上小百合さんは静謐に、しかし熱く、自分の存在を誇示したし、山崎怜奈さんはそれまで頭上を覆っていた湿度の高い雲を取り払った。


 松尾美佑さんはいつもどこか飄々としている。自分自身を俯瞰した視点を持っていて、物事の切り口は独特だ。見る人によっては、斜に構えているようにも感じられるだろう。


 松尾美佑さんは言う。「ラジオが好きなのは、映像がない分、変に勘繰られることがないからだ」と。だから、表情や身振り手振りを誤って解釈される映像メディアで発言するのが苦手だという。そういう目があるということを彼女は知っている。そういう状況を俯瞰してきたからだ。だから、彼女の表現はふわっとしていることが多く感じられる時もある。


 人は真っ直ぐでいると、なぜか目立つものだ。真っ直ぐな人間は周囲の人間から笑われやすい。だから、素直に感情を出すことを避けようとする。松尾美佑さんもそういうことを経験してきたかもしれない。だから、真っ直ぐでいることを俯瞰するようになったのではないだろうか。


 真っ直ぐであることを俯瞰できるということは、逆に言えば、彼女にはド正面ストライクの表現が備わっているということでもある。


 松尾美佑さんと清宮レイさんが出演しているラジオに、あるおじさんリスナーからメールが来たことがある。その内容に私は思わずうなずいてしまった。曰く、「松尾さんは真っ直ぐで素晴らしい」というのだ。私も思う。松尾美佑は真っ直ぐな人間だ。だって、あんなに真っ直ぐな笑顔をしているんだから。


 そんな彼女だからライブが好きなのだと思う。なぜなら、スポットライトが当たる場所では、伸び伸びと真っ直ぐでいられるからだ。誰もそれを笑う者はいない。だから、自分がやりたいことをステージの上に詰めこんで、大変なのにあんなに笑顔でやってのけた。膝のサポーターの存在など感じさせないくらいステージを縦横無尽に駆けて飛んだ。みんなのことが好きで涙ぐんでしまった。普段は真っ直ぐな自分を自分自身で茶化したりするかもしれないが、やっぱり彼女は真っ直ぐだ。


 彼女が真っ直ぐだからこそ、メンバーたちは少ない人数でも恐れずにステージの上でチャレンジをすることができたのだと思う。そして、13人という少人数を感じさせないほど、スポットライトの中で輝いた。


 新しい彼女たちの一歩は、紛れもない乃木坂46の一歩だ。



written by antedeluvian

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