第41話 邪悪の街の中心

 翌日も、翌々日も、アリスは学校を休んだ。

 須藤先生はホームルームの度に空いたアリスの席に不快感を示していたっし、宮原さん達は冗談で鑑別所送りになったんじゃないかと話していた。

 隣の列の男子に至っては例の脱法ハーブの事件に巻き込まれたんじゃないかと邪推していたくらいだ。

 それを聞いているだけでアリスの普段の付き合いとイメージの悪さが、嫌というほど思い知らされた。

 だけど本当のアリスは自分の部屋で布団にくるまって、すうすう寝息を立てていた。だから今日、わたしの前に姿を現すのが本当に最初の外出なのだ。

 わたしが連絡にあった待ち合わせ場所に行くと、アリスの姿を探す。


 少しばかりきょろきょろと見回してみたら、長身でざくざくに切った髪、それに蓬色のミリタリージャケットに制服とやたらに目立つ彼女はすぐに見つかった。

 向こうも視線を感じてわたしの姿に気づいたのだろう。真っ直ぐわたしの方に近づいてくる。


「待った?」


「そこまで待ってないよ」


 まるで恋人同士みたいな会話を交わしたあと、わたしはアリスの足に目を落とす。


「足、大丈夫?」


「だいぶ楽になった。まだ走ると痛むけど、放っておくとあいつがまた誰かを引き込む」


 十七時、JR東京駅中央線ホーム。わたし達は其処にいる。

 今にも電車が到着しそうな線路の方を向くと、片方の手でポケットを探る。

 横を伺うとアリスの手もポケットの中にあった。


「それじゃあ、行こう」


 わたしは頷く。

 わたし達はお互いにポケットから切符と鋏を取り出し、ぱちん、と切る。

 目の前の空間がお菓子の袋を天辺から開けたように切り裂かれて、割かれた隙間からはくすんだ色の中に浮かぶ、より古めかしいリングバーン高架駅が覗く。

 割け目は途端に大きくなり、人が並んで通れるほどの大きさにまで成長すると、境界は二人を飲み込む。

 ごぅ、と音が鳴った後にはわたしの周囲は多くの人で溢れる夕刻のホームから、レモンの匂いのきつい無人のホームに変わっていた。


 二人で同時に頷くと、白銀の車掌鋏を握って、ポケットから取り出す。

 熱の奔流が一瞬で身体を包み、形となる。

 わたしの服装には金色のボタンを幾つもつけたクリーム色のコートと、首元に星のブローチの付いたリボンが加わり、視界の端には金色の眼鏡の弦が顕れていた。


 隣に立つアリスもまた蓬色のジャケットが消え、ファンタジー物語の剣士みたいな、装飾の付いた真っ赤なマントが翻っている。


「改めて見たけど……かわいいな、灯理のその格好」


 アリスはわたしをちらと見て、突然にそう口にする。

 瞬間、わたしは電気ケトルにかけられたお湯みたいにほっぺたと額がかっと熱くなって、「な、何急にこんなときに!」とわかりやすく狼狽してしまう。


「そういうことは急に言わないで。こっちも心の準備があるんだから」


 わたしの抗議の声に「わかった。今度からそうする」とアリス。


「でもそのブローチと眼鏡は。灯理によく似合ってる」


 懲りずにそう次いだアリスの言葉に、今度はほんのりとほっぺたと耳たぶが熱を帯びる。


 やがてわたしの耳の奥に微かに、しゅうしゅう、がたがた、と音が鳴るのが聞こえてくる。

 ホームの端のくすんだ視界の先に、電車のヘッドライトの灯が見える。


「いよいよ、だね」


「ああ」


 わたしは両手で銀色の銃を構え、アリスも細身の剣の持ち手に両手を重ねた。

 やって来たのは、以前香織が乗りそうになったのと同じ、茶色の無骨で古ぼけた電車だ。

 車内にはやっぱり微動だにしない乗客達が乗っていて、その全員がわたし達に視線を向けているようにも見えた。


 茶色の電車は耳障りなブレーキ音を上げながら停車し、頑丈そうなドアが口を開ける。

 今まで気づかずに乗り込んだことは二度あったが、自分から、自分の意志で電車に乗り込むのは今回が初めてだ。

 わたしは緊張に負けないようにと深呼吸すると、拳銃の銃把をぎゅっと握りしめ、アリスと一緒にドアをくぐる。

 ドアが閉まり、電車は大げさな唸るような音を立ててがくがく揺れながら出発する。

「この先どうするの」わたしはアリスに訊ねる。

 あの火焔放射器男ハンプティ・ダンプティを斃すと言っても、具体的に何をするのかをわたしは知らない。


「あいつのいる場所に向かう」

 アリスは神妙な顔をして、だけどさらりと言ってのけた。

「環状線の真ん中――一番悪意の強い場所。灯里がいるのをわかってるから、あいつは警戒して、そこに止まってる」


「それって、凄い覚悟がいるってことだよね」


「危ない目に遭うかもしれないけど……降りる?」


 ううん、とわたしは首を振る。


「わたしはアリスに付き合うよ。そう決めたもん」


「そう言ってくれるなら、心強い」


 がくん、と電車が揺れる。

 耳の奥を引っ掻くみたいな音を立てながら車輪を軋ませ環状線から鋭い角度で離れる高架カーブの上を曲がって、電車は奇妙な都市の中心目掛けて高架橋を進んだ。

 重低音と車輪のリズムが刻まれるたびに、車窓の向こうの歪な高さのビル群はどんどん近づいて、大きくなってゆく。


「覚悟して。かなり悪意が強まってる」


 アリスがそう言うより前に、わたしは既に今までに何度もこの街に味わわされた内臓や頭を直接押し潰してくるような嫌な感覚に襲われていた。

 環状線都市の中心のビル街に突入した途端、ビルの群れはその歪つの内に秘めた邪悪さと善意の殺意を隠さなくなり、わたし達を迎え入れた。

 ビルの一つ一つの窓からわたし達へ向けて視線が送られている。

 それは決して錯覚や自意識過剰なんかではなく、明確な悪意や歪んだ慈悲を持った幾つもの視線が降り注いでいると確実に断言できる。


「気にしたら駄目。心に波を立てたらそれこそリングバーンの思うつぼだから」


 そうやってわたしを諭したアリスの頬にも一筋の汗が垂れていた。アリスもこの悪意の巣には流石に緊張を隠せないのだろう。

 視線の集中砲火が浴びせられる中、電車は徐々に速度を落としてゆく。


 やがて摩天楼に、東京駅によく似た煉瓦造りの立派な駅と、枝分かれしたホームがと現れ、電車はその一つにぎんぎんとブレーキの音を立てて停車した。



「ぷきゅぷ」


 プラットホームに降りてすぐ、そんな声が横からする。

 見ると後ろの電車の扉から、声の主が降り立つのだった。


「ウロ……?」


 お母さんが攫われる直前の『マホカツ』の最中に現れた、兎のような二対の尖った耳がついた小さいウロだ。首をかしげてわたし達を見上げている。


「お前、こんな所まで着いてくるのか」

 ウロを見て呆れた声を上げるアリス。

「リングバーンの中心で動けるなんて、相当強い想いなんだろうけど……」


「そうなの?」


 こくん、とアリスは頷く。


「拘りや誇りって感情から生まれるから、ウロは悪意に弱いんだよ。小さいのにこんなとこにいて平気ってことは、よっぽど元の『心』は強い拘りがあったんだろうな」


 小さいけどよっぽど強いんだろう兎ウロは、首をかしげたままわたし達をじっと見据える。

 アリスはウロを一瞥すると、「行こう」とホームの階段を目指した。



「アリス」


 もう何度も聞き慣れた声がする。

 いつもの高々にきんきんと響く声じゃなく、もっと低くてどろりと粘つく、生理的嫌悪感を伴う男の声。

 アリスの横顔に視線を向ける。アリスもわたしの視線に気づくと、こくりと頷いた。

 わたしは右手で握った銃――『金色の雫』を強く意識しながら、プラットホームを進む。

 ホームを見下ろすビルからの視線全てに眺められている。

 むせ返るほどのレモンの香りを持った空気までがわたしたちを包み殺す意志を持っているようだった。

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