第三章 過去からの脱出(エスケープ・フロム・パスト)

第21話 ちょっとだけ変わった日常の風景

「とーもーりっ」


 いつもの呼び声と共に、例のごとくわたしの目の前に現れた、香織の逆さまの顔。

 わたしは「はいはい、どうしたの」と母親が小さい子にそうするみたいに答える。


「灯理は今日もマホカツするの?」


「何、マホカツって」


 なんとなく内容は察せたが、あえて訊いてみる。


「魔法少女活動」


 やっぱり、予想通りだった。


「……香織までその呼び方使うの」


「千里が『それが一番しっくりくるし説明しやすいから』って言ってたからね」


 わたしが茉莉伽さんの家を尋ね、香織と喧嘩になり、そしてリングバーンから香織を助けたあの慌ただしい日から一週間が過ぎた。


 わたし達三人はあの後ドーナツショップに入って、わたしと千里さんから香織にあの場所や香織の言うところの『ゾンビ女』のこと、自分達の存在のこと。

 それらを茉莉伽さんの文学的修辞と魔女の専門用語をまるっきり取り除いた状態で全てを説明した。

 オタクな趣味の香織は全てをぶちまけるとわたし以上に状況をすんなり飲み込んでくれて、改めて全ての誤解を解いてくれたのだった。

 しかしその意外かつ厄介な副作用として、香織はわたしに課された『魔法少女』と言う肩書きを面白がって、絡んでくるようになったのだが。


「いいじゃん。今は剣とか銃とか持った格好良い魔法少女っていっぱいいるんだしさ」


 頭を戻して改めて後ろを向いた香織は魔法少女作品の具体的な名前を出して(中には拓が録画してわたしも一緒になって観ている番組の名前もあった。拓も香織と同程度にはオタクなのだ)わたしに講釈をしてみせる。


 わたしは「はいはいはいはい」と話が膨らむタイミングで香織の魔法少女講釈を遮った。


「今日は千里さんが別に用事があるから無し。千里さんが言うにはわたしは半人前だから、千里さんのいるとき以外はあんまりリングバーンには潜らない方が良いんだって」


「へー……あいつ追っ払ったのに?」


「あれは半分くらいビギナーズラックだから」


 突如声が上から降ってくる。見上げると、スカートに手を突っ込んだ千里さんがいた。


「多分松谷さんを守りたいって気持ちや、松谷さんが百瀬さんを勇気づけたのが原因でたまたま強い攻撃が出ただけで、まだ完全には魔法を発現できてない」


「完全な状態って、あの真っ赤なメルヘンマントとか?」


 千里さんはかなり複雑そうな表情を浮かべて、無言で会話を遮る。

 この一週間でわたしを介して香織と千里さんが話す機会も増えたが、その結果千里さんはまさに香織の洗礼を受けまくっていた。


 普通の人と違って一足飛びで距離を詰めてきて、どんな相手にも物怖じせずに思ったことをすぱっと言っていくタイプの香織は、馴れるにはちょっと時間が必要だ。

 その上千里さんのように距離を置きたがる人に香織の性格はちょっとキツいんだろう。


「えっと、何か用ですか?」


 わたしはここ数日でわかってきた千里さんの習性に照らし合わせて、訊いてみる。

 千里さんは用のある時以外は滅多に話しかけてこないが、用事があると少し強引にでも済ましにくるので、こうやって訪ねてくるというのは何らかの用事がある時だ。


「茉莉伽さんからのライン。この前百瀬さんが出した拳銃や市獣のこと、詳しく知りたいから帰りに寄らせろって」


 千里さんは自分のスマートフォンの画面を見せる。『橿家かしやまりか』と名前欄に書かれた一連のタイムライン。

 魔女の帽子のアイコンが『灯理ちゃんに魔法や市獣のことを聞きたいので、帰りに来てほしいと言って下さいますか』と言い、その直後にゆるキャラの懇願スタンプがくっついてている。


 ちなみに会話はそこで終わっていた。どうやら既読無視で応えたらしい。


「茉莉伽さんって……ライン使うの?」


「普通に使う。スマホは持ってないけど年季入ったノーパソユーザーで、ネット通販と生協で生活してるから。あの人」


「へえ……」


 わたしは茉莉伽さんが小さくて華奢な子供の手でパソコンを操作し、通販サイトで日用品を注文している姿を思い浮かべていた。

 小さな女の子の姿をしたお婆さんの魔女、というデジタルとは程遠そうな人種なのに、意外にデジタル対応なのは驚きだ。


 千里さんはスマートフォンをしまってわたし達の前を離れようとする。


 そこでがたっ、と香織が椅子を揺らして「ってことはさ」と口を挟んでくる。


「千里ってラインやってるんだよね。それならあたしや灯理と交換しない?」


 香織が自分のスマートフォンを取り出してこれみよがしに振ってみせる。それに千里さんは、思いっきり目を伏せていた。これは露骨に嫌がっている顔だ。


「そんなに嫌な顔しなくてもいいじゃんかよ。灯理とライン登録すれば呼び出す時とか楽だし、もし灯理のスマホが電池死んでても親友のあたしに連絡すれば、大体一緒にいるから連絡取れるじゃん。千里のためにもなるんだからさ」


「香織、ちょっと後半苦しいよ……」


 わたしは我慢できずにツッコむ。


 千里さんの香織とアドレスを交換したくない気持ちはひしひしと伝わってくる。

 だけど香織の言うことも一理はある。ラインがあればわざわざ電話をしなくても良いような些細なことも簡単に伝えられる訳なのだから。

 ただ、香織のアドレスに関しては本当に教える理由が苦しいのは確かだ。


「灯理も交換したくない? 千里のライン」


「それは、うん……」


 正直言って、交換はしたい。

 リングバーンのことを完全に抜きにしても千里さんとちょっとした話をする機会は欲しい。千里さんのことをもっと知ってみたいと言う気持ちは確かにある。

 ただ、自分からは言い出しにくかったので、香織のこの強引な誘いは千里さんにはとても悪いけど、良い機会でもあった。


「ほーら、灯理もこう言ってるんだしさ。交換しようぜー?」


 香織は早くもスマホにアドレス交換用のQRコードまで出して準備万端。わたしもわたしでバッグにしまっていたスマホを取り出して、ラインを呼び出す。


 そんな中で千里さんは一人はあ……と重い溜め息をついて、スマホを持った手を定位置のポケットに戻していた。


「ぼくだって好きこのんで入れてるわけじゃないし、やめて欲しい」


「そう……なんですか?」


「姉に入れさせられてるんだ。姉との連絡と、あと友達と交換しなさいって言われて……」


「千里さんってお姉さんいたの?」


 わたしの指摘で、千里さんはさらなる墓穴を掘ってしまった。とでも言いたげに、不機嫌と落胆の混じったような顔をする。

 大きな肩も少しだけ落ちているように見えた。


「今は姉と二人暮らししてる。いいだろ、もう」


「いや、よくない!」

 また香織が口を挟む。

「それってお姉さんの望みに思いっきりそむいてるってことじゃん! お姉さんの言う通りに、まずはあたしと灯理と交換!」


「君たちは友達でもないだろ」


「その魔女さんとは交換したんでしょ? 友達でもないのに」


「そっちも無理やりだから」


 ラインを交換したい香織と、とにかく他人に干渉されたくない千里さん。

 お互いに理屈になってない理屈や逃げの言葉を出して譲りそうもない二人を見ながら、わたしは手に持ったままのスマートフォンをどうしようかとまごついていた。


 ふと、そんな時、千里さんの言葉が頭をよぎる。

 そうだ。これは千里さん自身にだって当てはまるのかもしれない。


 わたしはこくん、と唾を飲み、意を決して千里さんに言った。


「千里さん。前にわたしに『自分が変わりたいって願わないと、リングバーンに食べられる』って言いましたよね」


「……あれは君の気質の問題だよ」

 そう言う千里さんの言葉は若干詰まりがちだった。

「ぼくには当てはまらないし、ぼくは取り込まれる様なことはまずない」


「でもそういう意固地で一人でいようとするところは、リングバーンに利用されるかもしれませんよ。あいつだってそういうとこ突いてきましたし、あの火炎放射器男にも言い負かされるかもしれませんよ」


「それでも迷惑なんだよ。既読がどうとか返事がどうとか、そういうの嫌なんだ」


 段々旗色は悪くなってきてるが、はっきりしない喋り方で食い下がる千里さん。

 その姿は孤高でアンタッチャブルの少女と言うより、ただ人付き合いが苦手で世間的な『正しい』とされるラインの謎作法を本気にして、食わず嫌いしてるだけに見えた。


 だけど食い下がるのは千里さんだけじゃない、わたしたちもだ。


「それじゃあ、お試しでどう? 一週間入れて、嫌だったら外す。それで手を打とう」


 香織は携帯ショップの店員さんみたいな提案をしてくる。

 自分から交換を提案しておきながら、凄い偉そうな態度で手を打とうなんて言い始めるのだから、おかしくてわたしは少しだけ顔を俯かせ、ふふ、と笑ってしまう。

 そして遂に千里さんも面倒に感じたのか、熱意に折れたのか、「……好きにして」と早口で、短く言う。


「やった! じゃ千里、スマホ出して」


 観念した千里さんは大した抵抗もせずに香織のQRコードと、次いでわたしのコードを読み込む。

 暫くしたらわたしの画面にも『千里アリス』の文字と、ハンガーにかかった蓬色のミリタリージャケットを切り取ったアイコンが浮かんだ。


「……これでいいだろ? 一週間経って消したり、返事しないとかの文句は無しだから」


 頷くわたしと、「わかった」と声に出す香織。

 千里さんは足早に立ち去っていく。逃げるような後ろ姿が少しだけ可哀想にも見えた。


「やっぱり強引だったかなあ……」


 いや、と香織が返す。


「千里の場合あのくらい強引にしないとダメ。ああ言う孤高気取ってるのって、察してそのまま放っといたら、どんどん自分の殻に閉じこもってくし、周りから浮いてくんだもん」


 香織はふう、と煙草の煙を吐き出すような息を吐いてから、もう一回口を開く。


「中学ん時、部活で揉めてぼっちになってた頃のあたしもあんなんだったからさ。どうしても気になっちゃうんだよね。千里のこと」


「うん……」


 香織の口調にはセンチメンタルと、得も言えぬ重さが備わっていた。


 香織の中学時代の話は何度か聞いたことがあった。走るのが好きな香織は陸上部にいたけど、支配者のように振る舞って威張り散らす先輩と散々衝突した結果、陸上部を退部して、それからずっと学校内で孤立していたのだと言う。

 だからか自分でシューズを買ったり公園の陸上トラックに行って走り込みはしてても、高校入学以来香織はずっと帰宅部だ。


 本人も自覚がある時は「いやー、ありゃ中二病だったわ」とおどけて笑い話にするけれど、意識していないとやっぱりさっきのような口調になる。

 香織にも千里さんにもきっとわたしの知らない譲れない部分があって、わたしは知らず知らずのうちにその両方に触れていたようだ。


「ところで灯理」


 香織が真剣味のある口調を少しだけ維持したまま、訊いてくる。


「結局あの件、どうなったの?」


「うん」

 とわたし。

「昨日言ってみたら、拓も味方してくれて、うまくいきそうだった」


「そっかそっか。うまくいくといいねえ」


 香織はぽんぽんと遠慮なくわたしの頭に手を乗せてくる。


 しかし本当のところは『うまく』はいっていない。さっきの千里さんなんか比べ物にならないほど、お母さんはずっと頑なで、変わることを拒んでいるからだ。

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