第20話 環状線都市-4

 ぼんやりした顔にはっきりと色がつくと同時に、緩慢に――それこそ映画やゲームのゾンビが如く緩慢に――大きな拳銃を持った手を真っ直ぐ前に伸ばす。


「ああもう、面倒くさい」


 吐き捨てるように声を上げて、少女は銀灰色の飛び出た筒先で、香織を狙う。


「香織を、狙うなっ!」


 わたしは絶叫と共に、無意識のうちに拳銃を構えていた。


 ぱあああぁぁんっっ!


 わたしの指が引き金にかかるよりも前に、銃口が火を吹く。

 香織を撃ち抜いた時より大きな銃声がホームに反響して、わたしの耳を痺れさせる。

 次の瞬間、わたしそっくりの少女の姿をした物はよろめき、同時にそいつの右肩から、ドス黒色の粘った液体が黒い花が咲くように吹き出して、ブレザーを汚す。

 銀灰色の拳銃は宙を舞って電車のドアの向こうに吸い込まれ、石膏像の乗客の間に落ち、遂に見えなくなる。

 そいつは崩れ落ち、ホームの床へと倒れ込んだ。


「……灯里、貴女は誰かを傷つけて、失望させ続けて、それでいいの? 貴女が『正しく』無くなればお母さんだって悲しむ。みんなが貴女を責める。それで生きていける?」


 市獣は荒く息を吐き、右肩の撃たれたところを手で庇いながらのろのろとホームを這う。


「お母さんはわからないけど、わたしは親友が言ってくれたことを信じる。もう責められたって、失望されたって、勝手に期待してるそっちが悪いって言い返してやる。香織の言うとおり、わたし、毒舌だから」


 市獣はわたしの返答に、ちっ、とわたしにも聞こえるくらいに大きく舌を打つと、さっきのまで緩慢さが嘘みたいに素早く両手をホームの地面に着けた。

 スカートから伸びた両足を屈め、四つん這いの低い姿勢を取る。クラウチングスタートをもっと野蛮にした、肉食獣が獲物を狩る時の体勢。

 名前の通りの獣として、銃や言葉なんかよりずっと確実に、わたし達を食い殺す体勢。


「駄目っ!」


 わたしは咄嗟に拳銃を構えようとするも、遅すぎた。


 ローファーが思いっきり床を蹴り、口を裂けるほど開け、鋭く犬歯を剥いた少女の顔の獣が迫ってくる。

 もうとても狙いを定めて撃つ余裕なんてない。

 せめて香織だけでも、そう思ってわたしが香織の前に立とうとした瞬間。


「……やらせるかっ!」


 アルトボイスの絶叫と赤いマントが、それの影を遮った。

 瞬間、どす、と鈍い音と共に、少女の声帯から出たものとは思えない絶叫がマントの向こう側から聞こえる。


「千里さん!」


 千里さんは一瞬だけ振り返って香織の様子を確認すると、剣で斬られて再びホームに転がる市獣を、茶色の電車の手近なドア目掛けて思いっきり蹴り飛ばす。

 車内から響く甲高い衝撃音と、ホームと反対側のガラス窓が割れる惨状に一瞥もせず、千里さんはわたしと香織の方を向いて叫んだ。


「百瀬さん、松谷さん、切符を早く!」


 その言葉に、弾かれたようにわたしはスカートから切符を取り出すと、香織にすぐさま握らせた。

「何これ」と戸惑いの声を聞く間もなく、わたしは香織の切符の端を切る。


 瞬間、香織の姿が消え、わたしと千里さんも続くように切符を切る。

 再び世界が割れ、ごぅ、と風を切るような音の後、わたし達三人は次の瞬間には、さっきとかなり様子の違う駅の高架ホームにいた。


「……帰ってこれた?」


 まだ高架のホームに立っていることに恐怖感を覚えわたしは周囲を見渡してみたが、ホームにひしめく人々の顔は健康そうで、表情も様々。

 ホームの屋根からぶら下がった駅名板も確かに読める文字で『あきはばら』と書かれている。


「大丈夫。『表』とあっちの境界の関係で場所がズレたけど、帰ってこれてる」


「そっか、良かったぁ」


 千里さんの言葉にがくりと肩を落とすわたし。

 そんなわたしの様子に、香織もさっきまで自分の身に起こっていたことが、夢でも只事でもなかったというのだけは飲み込めているようだった。


 わたしは肩を上げ、香織の方を向き直る。

 多分きっと今のわたしは、あいつと対峙した時の涙と、香織を助けられた安堵と、緊張が解けたおかげで、物凄く情けない顔をしてるのだろう。


「香織、ごめんね。わたしのせいで変なことに巻き込んで」


「いいよいいよ、あたしも頭に血が上ってたから。酷いコト言ってごめん」


 わたし達はお互いに頭を下げる。ホームで電車を待ってる人達がちらちらわたし達の方を見ていたが、そんなの構いやしない。

 そして顔を上げると、香織はもう笑っていた。


「……でも灯理、結局アレってなんだったの? あの変な駅とか、ゾンビ灯里とか、あと灯理の拳銃や千里のマントとか」


「人を自殺させるよう仕向ける邪悪なメルヘン世界から百瀬さんの命を狙ってた邪悪なメルヘン怪獣が、松谷さんを迷い込ませて、百瀬さんが松谷さんを助けた。それだけ」


 千里さんはぶっきらぼうな口調で続ける。


「あと、今日百瀬さんに来るように言ったのもあのメルヘン世界とメルヘン怪獣関係。多分松谷さんに言っても信じなかったし、教えても逆に危ないと思ったから教えなかったんだけど……結果的に誤解を生んで、君を危険な目に合わせた。ごめんなさい」


 ミリタリージャケットのポケットから手を出して、こくりと頭を下げる千里さん。


 対する香織は口元を綻ばせて「助けてくれたし、こっちも迷惑掛けたから。おあいこってことで」と苦笑して言うのだった。


「それに巻き込まれてなかったら灯里があたしのことどう想ってるかなんて聞けなかったし、あたしも本音ぶつけられなかっただろうしさ。あんな格好いい灯里見れたし。確かに怖かったけど、その分凄い得した気分だわ」


「格好……いい?」


 わたしはきょとんとしたまま、香織の言葉を鸚(おう)鵡(む)返す。


「うん、最高に格好よかった。あのゾンビ女に向かってあたしのこと親友だって、殺させないって言ってくれた時の灯里、ボロッボロ泣いてんのにメチャクチャ格好よかった」


 冗談っぽくない真顔でそんなことを言い出した香織。恥ずかしさと申し訳なさで耐えられなくなったわたしは、思わず裏返った声で反論してしまう。


「そんなことないよ! 格好よかったのは香織の方だよ! あいつに向かって、わたしのために凄い怒ってくれて……香織が怒ってくれたからわたし、あいつと戦えたんだし!」


 香織の方が格好よかった、ううん灯里の方が。そんな風にお互い、どっちが格好よかったかと言い合うわたしと香織。

 傍ではわたし達をよそに緑と銀と黒の環状線の電車が止まり、短くドアを開けてから、また走り出す。

 千里さんはわたし達から離れたところでスマートフォンで誰かに電話している。


 ホームの屋根越しの頭上には、もう白く細い月が浮かんでいる。

 きっとお母さんはいつものようにとても心配しているに違いない。


 そして明日には門限を勝手に決めて、きっと『正しさ』で押し切ってくるのだろう。

 でも、今のわたしなら、香織が強いって言ってくれた今のわたしなら、その『正しさ』も跳ね返せる気がした。

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