第18話 アンチチェイン≪愚者の鎖≫

「なんだ?……これ」


 自分の掌から謎の黒い鎖が伸びている。鎖の一方がビルの外壁に突き刺さっているため俺の体は空中で停止している。掌に痛みはないし違和感もない。


「これ……どうすれば……」


 今、俺の体は宙吊りになっている。何とかして下に降りるかビルの中に入るしかない。ここはまだビルの3階あたり、地面はまだはるか下にある。とてもじゃないが降りられる距離じゃない。


「……フンッ」


 ビルの外壁に足をつけて、思い切りジャンプする。映画などでよくある方法。何度もジャンプを繰り返して、徐々に勢いをつけていく。そして、何度もガラスに蹴りを入れていくと窓ガラスは徐々にひび割れていく。


 5回目くらいだろうか、ようやく窓ガラスが割れた。かなりの勢いを付けていたためそのままの勢いでフロアに放り出された。

 

「ガッ……はぁ……はぁ……」


 背中を思い切り床にぶつけたせいで一瞬、呼吸が乱れた。しかし、すぐに呼吸を整えて立ち上がる。悪神はおそらく死体を確認するために下へ降りてくるはずだ。あいつが降りてくる前にこのビルを出なければ……。


 轟音。天井が崩れた。

 

「やぁ……驚いたねぇ」


「こっちのセリフだっつーの」


 俺と悪神が居たフロアは5F。そして、ここはおそらく2Fか3Fあたり。つまり奴は2,3階分の床を切り裂いて降りて来たのだ。


 それに悪神の姿も変わっている。背丈は変わらないがさっきとは顔が違う。さっきまでは目の下に隈のある不健康そうな男の顔だったが、今は薄ら笑いが顔に張り付いているような妖艶な男の顔をしている。


「なんで分かった?」


「いやぁ……下から通行人の悲鳴とかが聞こえなかったからまさか、とは思ったけど」


「チィ……」


 舌打ちが自然と出てきてしまう。さっきの状況がさっきより下の階で起きているだけで何も状況が変わっていない。いや、むしろ俺の異能力を見せてしまったことも相まってさっきより状況は悪くなった。


「どうやって殺そうかなぁ?」


「やってみろよ」


 周囲を見る。さっきの階よりもものが多い。デスクやチェア、大きめの棚まで置きっぱなしになっている。ていうか、このフロアはまだ使われてるんじゃねぇの?


「……!?」


 あるものを見つける。を使えば何とかこの場から逃げられるか?


「あっ……」


 俺は思い切り、右に駆け出して置いてあった大きめのデスクの裏に隠れる。奴は呆けた声を上げるだけで何もしてこない。


「無駄だよ。君の異能力、回復を阻害するとかそんなとこだろ?」


「…………なんで分かった?」


 少し間を開けてから声を大きくして返事をする。奴は勘違いをしている。これを利用しない手はない。


「俺の異能力は悪魔と契約出来る異能なんだけど、契約出来る悪魔は一体だけじゃない。複数体いるんだ」


「へぇ……で?」


「悪魔の能力の中に負った傷を再生する能力があるんだけど、君に殴られた傷は何故か再生出来なかった。つまり、君の異能力は負った傷を深刻化させる、もしくは再生を阻害するものだと断定した」


「マジか……言っただろ?俺の異能力は戦闘向きじゃない、ほとんどは元々受けているダメージを増加させるくらいしか使い道がないんだ」


「そうかな?もっといい使い方があると思うよ。あの世で考えてみると良い」


 俺が隠れているデスクの正面で悪神が歩みを止めた。そして、俺の隠れているデスクが大きな音を上げて吹き飛ぶ。吹っ飛んだデスクは壁に激突して粉々になってしまった。

 

「テメェがな」


「?」


 懐に隠しておいたものを悪神の前に投げつける。それは部屋の端に置かれていた消化器だった。元々かなりの重量があるためそのままぶつかれば結構なダメージになるだろう。しかし、それはまともにぶつかった場合だ。


「はぁ……退屈だな」


 悪神はさも当然化のように投げられた消火器を黒翼を展開して切り裂いていく。しかし、それも想定内。むしろ、消火器を破壊させるために投げつけたのだ。


「っ!?」


 ボンッという音を上げながら白煙が巻き上がった。持った感覚からして中身が入っているのは分かった、そもそも中身の入ってない消火器をわざわざ置いてないだろう。


「じゃあな」


「なっ……クッソ」


 わざと足音を大きく立てて移動する。あいつがそれに釣られてくれるのを願って走る。


「……こんなもの」


 奴の黒翼が大きくうねった。その影響で強風が発生し、白煙が搔き消えていく。視界がクリアになり悪神は周囲を見渡す。


「逃げたか……面倒だな。もう1回、床をぶち抜くか」


 そう言って黒翼が大きく振りかぶった……その瞬間。

 

「……っ!?」


「油断したな悪魔野郎!」


 今、俺の手にはガラスの破片が握られている。さっき破ったガラスの破片の中で程よい大きさかつ握りやすい形のものを拾っておいた。それを悪神のがら空きの背中に向けて振り下ろす。


「くっ……止めろ!≪這い出てくる渇望Abaddon ≫!」


 焦ったように悪神が叫ぶ。ほんの一瞬だけ、手のようなものに触れられた感覚がした。しかし、一瞬だけ。触れた瞬間にそれは霧のように消えた。

 

「なっ……何?」


「死ね」


 何故だろう。一切の躊躇は無かった。


 ガラスの破片が透明から赤色に変わる。それは割と深々と刺さっている。しかし、これで終わらせるわけにはいかない。手に力を込めて、突き刺さったガラスの破片を動かしてよりダメージを与えようとするが破片が動かない。


「ぐっ……」


「ハハハ……」


 奴は笑っている。常人なら恐怖するか、驚愕するか、痛みに悶えるはずだ。どれとも違う、奴はただ笑う。


「ハァッ」


「ウゴッ……」


 悪神は俺に背中を向けたまま後ろ蹴りが飛んでくる。その蹴りは俺の脇腹に突き刺さり、衝撃で3mほど吹き飛ぶ。何とか体制を整えて、後転しながらダメージを殺す。


「クッソ」


「アハハハハ……今のは良かった。純粋な殺意。悪魔はそれが大好物だ」


「何を言ってんだ?」


「悪魔ってのはね負の感情を喰らう生き物なんだよ。特に好きな味が絶望と恐怖、そして殺意だ」


「そうかよ。メルヘン厨二野郎」


 悪神の口角がより一層上がる。目もそれに釣られるように細くなっていく。


「君はどんな感情を僕にくれるんだ?」


「これ、やるよ!」


 そういってさっき悪神の背中を刺していた赤いガラスの破片を顔面目掛けて投げつける。適当に投げたせいか顔面には届かなかったが、破片は奴の首元に飛んでいく。


「そういうのじゃないんだよなぁ」


 悪神は破片を片手で摘まみキャッチする。そしてそれを興味無さそうにそこらへんに捨てる。ガラスの破片はその衝撃でさらに粉々になった。


「くっそ」


 周囲を見渡す。周りには活用できそうなものがない。こちらの手札もあと1つ。あの鎖だ。


「君を殺したとき、君はどんな感情をくれるのか……今から楽しみだ」


 あの鎖を活用するしかないが、どうやって出すのかが分からない。さっきの感覚がもう既に薄れ始めている。


「ふぅ……」


 呼吸を整えて次の一手が来るのを待つ。


「ハハッ」


「っ!?」


 黒翼の先端が飛んでくる。狙いは頭と心臓。回避の動きは最小限にする。無駄に動いて体力を消費しないように紙一重で躱す。


 しかし、奴はそれを見越していたかのように左足で蹴りこんで来る。それを利用して悪神との距離を詰める。黒翼が最も脅威になるのは中距離、ほぼ密着状態になってしまえば黒翼は役に立たなくなる。


「と思ったぁ?」


「!?」


 奴の腕が変化した。黒く変色し所々怪しげな血管が浮き出ている。何より、爪が大幅に伸びている。まるで大ぶりのナイフのように長く鋭くなっていた。奴はそれを今、下からのアッパーカットにように振り上げた。


「ハハ」


「くっ……」


 上半身を逸らして何とか爪の攻撃を回避する。密着状態だったため、爪を躱しきれず頬を掠めてしまった。


「近距離になれば勝てると思ったかぁ?俺の攻撃手段は≪天落を覆う漆黒Belial≫だけじゃないんだよ」


「んなこと、分かってるつぅの」


「じゃあ……なんでわざわざ、僕に近づいたんだ?」


「見て見ろよ。足」


「ん?……鎖?」


 そう俺が奴の懐まで近づいたのは俺の掌からどこまで伸びるか分からない鎖を確実に巻き付けるため。そしてこの鎖は俺の異能力の一部。という事は異能無効化と並行して使うことが出来るのではないのか、そう考えたが……。


「何?……何故だ?」


 結果は大成功。奴の黒翼も右腕の黒く変色した爪も消えていく。悪神は困惑している。俺の異能力が異能力の無効化だということを知らない、その上鎖を出せるということも知らない。

 

「これは……」


 呆気にとられている悪神の背後に周り、背中に飛びつく。そして、両手を肩から回して首を絞める。柔道の動画で見た三角締めだ。完璧に入った。異能力を封じられている悪神は素の力で抵抗しなくてはならないが、相当な筋力差でもない限り完璧に入った三角締めを抜け出す方法はない。


「ぐぅ……がぁ……ぁぁああぁ」


 悪神は苦悶の声を上げながら暴れる。後ろに手を回りして俺の頬に爪を立てたり、肘で俺の脇腹を殴るなど抵抗を見せるが締める力は一切緩めない。それどころかより一層力を込める。


「落ちろぉおおぉおぉ」


「がぁぁああぁ……あぁぁ…………」


 悪神の体が力なく後ろに倒れる。奴の背中に張り付いていた俺は思い切り背中を叩きつけられたが、何とか地面と悪神の体の間から抜け出す。


「ふぅ……あぶねぇ……」


 改めて悪神の体を見るが、いつの間にか巻き付けておいた鎖は跡形もなくなっていた。掌にも特に違和感はない。


「スマホ……どうしようかな」


 このまま5Fに向かい落してきたスマホを拾ってから帰るか?いや、でもその隙にこいつが目覚めたら無意味だ。スマホはあきらめるか。


 そう思い。出口の方に走り出そうとした時……。


「……はっ?」


 奴が起き上がっている。顔は下を向いているが2本の足で立っている。


「……GggAaaaa」


 それは悪魔の鳴き声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る