第17話 愚者は世界に手を伸ばす

『悪魔』……タロットカード大アルカナ15番目のカード。

 正位置では悪事であることを理解している罪悪感を持ちながら、得られる快楽に依存してしまい、それに浸っている状態を意味しています。

 

 逆位置では快楽に依存した状態から解放される状態を示します。ある日突然ではなく徐々に解放されていくでしょう。


 


              +             +


 


 こいつが意識を手放し、身体機能が停止した今これは生物ではなくモノになったのだ。


 セブンの頭だった場所に足を乗せる。モノという事はそこらへんに落ちている石と同じだ。石を踏んで、石をかわいそうだとか思う奴は居ない。


「んで……いつまでそこに居んのぉ?」


「……」


 物陰に隠れていた人物がゆっくりと無言で出て来た。見た目からしてまだ高校生あたりだろう。しかし、人が一人死んだのに動揺している様子や取り乱している様子はない。

 

「あれ?てめぇ、見えないなぁ」


「何がだ?」


 彼の感情の色が見えない。生物なら誰でも持っているはずの感情が見えない。何故だ?


 

              +             +



 

「お前……」


 目の前の男はかなり危険だ。体が、頭が、魂がそう警告してくる。何とか尾行をしてここまで来てしまったが、たった今目の前の男は人を殺した。


「すでに気づいてたのか?」


「あぁ……だって、てめぇも参加者だろ?それなら俺の事をつけて来たのも納得だ」


「参加者……お前も……」


「……そうだ。ちなみにっ……こいつもな」


 奴は自分が足蹴にしている遺体をより一層力強く踏みつける。異常な口角の上がり方をしている、顔の右側だけが笑っていて左側は真顔のままだ。


「こいつは……クソ退屈な奴だったが……お前はどうだ?」


「待ってくれ。俺は別に戦いに来たわけじゃない」


「あ?じゃあ、なんでつけて来たんだよ。不意打ちで殺すためだろぉ?」


「俺も正直、困惑してるんだ。こんな殺し合いに巻き込まれて、協力者も居ないんだ」


 嘘をついてこの場を切り抜けようと考える。相手の情報が何も分からない、そして相手は何の遠慮もなく敵を殺すことが出来る。ビビるな。震えるな。


「そうか。だが……残念だったな。俺はお前の協力者にはなれねぇな。他人と協力せずとも俺はこの戦争ゲームを生き残れる」


「待て待て、俺はあんたに危害は加えない。それに俺の異能は戦闘向きじゃない」


 ここは時間を稼ぐ。相手の異能力を見極めるため。奴の異能力は複数あった。最初に出した影のような顎、背中から生えていた黒翼、見えはしなかったが不可視の腕。俺の異能力でどこまで無効化できるかは分からない。


「俺じゃ、あんたには勝てない。だから降参する。協力しようぜ」


「……だから、俺一人いれば戦争ゲームは勝てる。戦争ゲームを終わらせるには他の参加者を全員殺すしかねぇんだ。早いか遅いかの違いだろ?」


「くっ……」


 これ以上時間は稼げそうにない。なら逃げるしかないが、この部屋の出口はあいつを挟んで反対方向にある。走ったりしても奴に殺される。


「……なんか、考えてんなぁ」


「……」


 スマホを取り出して電源を入れつつ、右に走り出す。このフロアに幾つかある大きな柱の裏に隠れて、電話をかける。コール音が鳴る。しかし……。


「無駄だぞ?」


「チッ……」


 背中側にあった大きな柱が音を立てて崩れる。それに巻き込まれるのを防ぐため柱から離れる。奴の背中には黒い翼が生えていた。さっきも見たもので柱すら簡単に裁断するくらいの切れ味がある。


「ほぉ……警察か、それとも外部の協力者か?」


 ≪……どうした?零≫


「帝……駅前の……」


「させねぇよ」


「なっ!?」


 奴の影がある足元から触手のようなものが伸びてスマホを弾き飛ばされた。スマホは放物線を描きながら窓際まで飛んで行った。奴は……。


「オラァ」


「ガッ……」


 奴との距離が一瞬で潰れて、すぐに右足での蹴りが迫って来る。最近見た格闘技のガードを見様見真似でやったがあまり効果がなくそのまま右に飛んで威力を殺す。


「れい……ていうのか、名前」


「あぁ……」


 電話越しの会話を聞いていたのだろう。俺の名前を確認するように呼ぶ。異能力自体の性能は明らかにあっちの方が上。おまけに目の前の男は余裕そうな表情だ。

 

「テメェも名乗れよクソ野郎」


「ようやく化けの皮が剥がれて来たなぁ。そっちの方が信用できる」


 俺が今こいつに勝っているのは異能力が割れていないという点だ。防御を自分の異能力に頼る奴は俺の異能力で一発だけだまし討ちすることが出来る。

 

「俺は……悪神あくがみだ」


「名前は?」


 名前が悪神という訳ではないだろうという推測からの質問。相手は手をポケットに入れたまま余裕そうに答える。黒い翼を背中に携えたその姿はまるで堕天使のようだった。


「わりぃな。名前は教えたくねぇ。忌み名だからな」


「あっそ」


 そう言って、自分のそばにあったキャスター付きのオフィスチェアを思い切り転がす。手で転がらないように押しただけなので速度はない。そして、それと同時に姿勢を低くしながら悪神の方向に駆け出す。


「あ?」


 わざわざ奴の射程距離に入っていく事に疑問を持ちつつも悪神はポケットに手を入れたまま翼の先端を俺の頭に向けて放つ。


「フッ……」


 ちょうど悪神と俺の中間地点にあるオフィスチェア。翼の先端が俺の頭を貫く直前にそれを足場にして思い切りジャンプする。姿勢を低くしていたためか翼はジャンプした俺の足元を通り過ぎて行く。


「何?」


 ポケットに手を入れたままの悪神は手でガードをすることが出来ない。たとえ異能力でガードしても俺の異能力で無効化できる。一発は入る。一発入れば当然、隙が出来る。その隙にこいつの意識を刈り取るしか……無い。


「ぐがっ……」


 俺の拳が悪神の顔面に叩き込まれる。避ける隙も、防ぐ隙も与えるな。これを逃せば、もう勝てない。


「おおぉらぁぁぁ……」


「がっ……」


 殴る。とりあえず殴る。呼吸も忘れてただ殴る。悪神の顔から出血が始まっても手を止めない。主に顎を狙う。目的は殺しではなく意識を落とすこと。気絶している隙に逃げるのが目的。


「ガハッ……ハハ……」


 笑う。俺じゃない。奴だ。意識を沈めきれなかった。


「握りもあめぇし、腰も入ってねぇ。素人のパンチだ」


「そうかよ」


「……あ?治らねぇ」


 表情が笑顔から真顔に変わる。俺の異能力に気付いた。あとはない。

 

「シッ……」


「くっ……」


 入った。たまたまだが右の拳が顎を確実に捉えて脳を揺らした。悪神は真顔から困惑の表情に変わった。悪神はフラフラとその場に片膝をついた。


「はぁ……はぁ……」


 息が切れる。口の中が渇く。心臓の鼓動がいつもより大きくなり、耳の奥から聞こえてくる。


「くっそ……≪鏡写しの虚像を見つめるBeelzebul≫」


「もう喋んな」


 思い切り顔面を蹴り抜く。それを最後に悪神の意識が途切れる。それと同時にフロアの入口の方を見る。すぐにここを離れて逃げなければ。おそらく意識を取り戻し、油断しなくなったこいつには勝てない。


「エレベーターはあっちか……」

 

 フロアの入口の方に走り出そうとした瞬間……。

 


 

 

「いやぁ……一日で2体とも消費したのは初めてだ」


 


 

「っ!?」

 

 衝撃。骨が軋む音。鈍痛。窓ガラスが割れる音。体が宙に浮いているような感覚。


「ぐっ……あがっ」


 俺は窓の外にいる。いや、宙に浮いている。違う、蹴りを食らってそのままの勢いで窓ガラスを破って空中に放り出された。


 オチル。おちる。落ちる。重力という逃れられない重りが俺を下に引っ張る。手を伸ばすが当然、掴んだのは空気だけ。何でも良い。何かに捕まらないと――――死ぬ。


「くっそぉぉぉぉおぉお」


 手を伸ばす。叫ぶ。人間の機能に空中を飛んだり、壁にくっついたり、地面に叩きつけられても死なないなどといったものはない。


 頼れるのは部外の力。本来、人間には備わっていないはずの力。異能力――


「≪愚者The Fool≫!」


 伸ばした右腕の甲が視界に入る。「0」の数字。0番目の大アルカナ「愚者」


「来い」


 何故そう言ったのか、何か確信があったわけじゃない。ただ、体の内側から何かが溢れ出てきそうな感覚。自然と笑みと零れそうな高揚感が突如湧き上がって来た。


「……」


 俺の体が止まる。空中に浮いているわけでは無い。何かに引っ張られている。それは鎖。黒塗りの鎖が右手から伸びていた。

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