偽善者

三鹿ショート

偽善者

 父親の葬儀には多くの人間が集まるものだと思っていたが、そうではなかった。

 母親がそれほど大きな会場を選ばなかった理由を納得することができたが、それは同時に、妻にすら人望が無い夫だと思われていたということになる。

 私にとって父親は良い人間だったが、私以外の人間にとっては、それほどの人間ではなかったようだった。

 見送る人間が数多く存在していない父親に対して同情しながらも、私は、父親の轍を踏むまいと考えた。

 肉体の死を迎えてから私という意識がどのように道を歩むのかは不明だが、多くの人間に見送られながら、私は旅立ちたかったのだ。

 ゆえに、私は多くの人間から頼りにされるような人間を目指すことにした。

 他者が助力を求める存在と化せば、孤独ではなくなるのだと信じたのである。


***


 他者が厭うような仕事に尽力し、処置に困っているような人間を目にすれば即座に声をかけることを繰り返した結果、数え切れないほどの知り合いを得ることができた。

 また、佳人ではないものの、私に相応しいような外貌の恋人と共に生活をしているため、寂しさとは無縁の生活を送っていた。

 このまま過ごしていけば、旅立つ私を見送る人間は多いことだろう。

 自然と口元が緩むような毎日だったが、その言葉は、ある日突然、私に投げかけられた。

「あなたのような偽善者は、初めて見ました。一体、どれほどの人間があなたに騙されているのでしょうね」

 忌々しげにそのような言葉を吐き捨てると、女性はその場を後にした。

 何故、そのような言葉をぶつけられたのだろうか。

 私の選択に誤りは無かったはずだが、その結果がこのような事態を招いたのだということを考えると、何処かで間違ったのだろう。

 だが、まるで分からなかった。

 だからこそ、私は己の行為に自信が無くなってしまったのである。


***


 自宅に籠もってから、どれほどの時間が経過しただろうか。

 窓の外を見ることすら無くなったために、今の季節が何時であるのかなど、私には分からない。

 彼女が用意してくれた食事を口に運び、汚れてもいない身体を浴室で洗い、万年床に戻るという行為を何度繰り返したのかも、不明だった。

 それでも、彼女は嫌な顔をすることなく、私の世話をしてくれていた。

 このときほど、彼女の存在を有難いと思ったことはない。

 しかし、彼女の未来を思えば、私のことを切り捨てるべきだった。

 何時元に戻るのか分からない人間の世話をし続けるなど、不毛にも程がある。

 だが、それを彼女に伝えることができなかったのは、彼女が目の前から消えてしまえば、私は確実にこの世界から去ることを選ぶのだと分かっていたからだ。

 偽善者と己の力で生活することが出来ない人間と、どちらが無意味な存在であるのか。

 それは、後者に決まっている。

 たとえ偽善だとしても、それは相手にとって役に立っているからだ。

 それに比べれば、私のような人間など、生きている価値も無い。

 家から出ることなく、同じ行為を繰り返す生活の中で、気分が良くなることはなく、常に負の想像をしてしまう。

 その場に存在していないはずの人間の罵倒が聞こえ、金槌で殴られたかのような頭痛に襲われ、何も考えていないにも関わらず涙が止まらなくなった。

 私は、限界だった。


***


 風呂場で自身の手首を刃物で切りつけようとしていたところで、彼女に見つかってしまった。

 彼女は大声を出しながら私の手から刃物を奪い、それを隅の方へと投げると、泣きながら私の身体を抱きしめた。

 私もまた、泣きながら彼女の行為を受け入れた。


***


「私は、己の寂しさを埋めるために他者を利用するような最低の人間だ」

 俯き、正座をしながら、私は彼女に語った。

 彼女の表情を見ることはできないが、私は言葉を続ける。

「私が頼ることのできる人間ならば、自身の利益のために利用しようという思考を抱いた人間は何度でも近付いてくる。そのような下心のある人間ばかりでは無いと思うが、結果として私に世話になった人間が私のことを忘れることはないだろう。それが縁となり、私がこの世から旅立つ際に、見送ってくれるに違いないと信じているのだ」

 私は床を見つめたまま、

「きみに親切にした理由も、同じようなものだ。きみは孤立し、他者の愛情を欲していた。ゆえに、私がそれを与えることで、きみもまた、私のことを愛してくれるのだと考えたのだ。私は、きみのことを心から愛しているわけではない。きみが愛してくれることを期待して、優しくしただけなのだ」

 謝罪の言葉を吐いた後、私は顔を上げたのだが、目を疑った。

 彼女が笑みを浮かべていたからだ。

 私の本心を聞きながらも、何故そのような表情を浮かべることができるのだろうか。

 口には出していないが、その疑問に答えるように、彼女は口を開いた。

「薄々、気が付いていました。ですが、たとえどのような理由だったとしても、あなたの行為によって私がどれほど救われたことか。偽善だったとしても、その行為によって救われた私は、今日もあなたに恩返しをするべく生きようと考えているのです」

 彼女は私の手を握りしめながら、

「私と同じように、あなたに救われた人間は多いはずです。その人間たちを置いていってしまうような道を選べば、あなたはその人間たちを悲しませるためだけに知り合ったということになるのです。それだけは、避けるべきではないでしょうか」

 彼女の言葉は、正しかった。

 私は、自死することで人々を悲しませることを目的として、偽善的な行動を繰り返していたわけではない。

 全ては、私の寂しさを埋めるためだったのだ。

 私がこの世を去る際に、結果的に人々は悲しむだろうが、道半ばで諦めて孤独にこの世を去ることと、多くの人間に見守られながら旅立っていくことは、全く異なるではないか。

 そのことに気付かせてくれた彼女には、感謝しなければならないだろう。

 私は感謝と謝罪の言葉を吐いた後、改めて彼女に愛の告白をした。

 今度は、本心からの言葉だった。

 彼女は返事の代わりに、私を力強く抱きしめた。

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