第23話 6月12日 案内状2


全てが用意された長机に、リュシエンヌと並んで座った。


教会で使用されるのは茶色いインクだ。

茶色というとやはり、あの椅子を思い出してしまう。


現在、巷では黒いインクが主流だが、少し前まではどこでも茶色のインクが一般的だった。なので、今でも普通の家庭には茶色と黒のインクは必ずあるはずだ。

インクの色だけで教会関係者を疑うのは良くない……。


リュシエンヌも過去を思い出しているのか、少しの間インク瓶を見つめていたが、小さく息を吐いて蓋を開き、ペンを浸けた。

彼女の優しい文字に見惚れながら、自分の前に置かれたリストに目を通す。


リストの一番上には、アレシアの名前が書かれていた……。


彼女は一国の王女、日常的に同世代で集まるなんて自分の国であるのだろうか。

自分がただの17歳として出席する、たわいもないお喋りの会。

きっと本当に楽しみにしているのだろう……いやいや、なにを感傷的になっている。彼女には気をつけなければいけない、これからも関りあう必要がないんだ。

インク瓶を開けて、ペン先を浸けた。

日付をカードに記入し、封筒にアレシアの名前を書いて吸い取り紙を上に乗せる。

次の名前を書き始めた時、突然セレーネが小さな声をあげた。


「きゃ、びっくりした」

「おどろかせてごめんなさいセレーネ」

「まあアレシアじゃない、どうしたの?」


いつの間にかセレーネの正面にアレシアが立っていた。手には一冊の本を持っている。

リュシエンヌの手が一瞬止まった。

しかし、顏をあげないまま、続けてペンを動かしはじめた。

アレシアは、手に持っていた本をセレーネに向けた。


「もう帰らなくてはいけないんだけど、この本セレーネに選んでもらったから返す場所がわからなくて……」

「ああ、そうだったわね。わざわざありがとう」

「ううん、こちらこそありがとう……あ……皆さんで何かお仕事されてるのかしら?」


アレシアは、セレーネに本を手渡すと、きょろきょろと机の上を見まわした。

カールは、顔をあげすに必死でペンを走らせている。しかし、耳が赤い。

顏をあげないというよりは緊張してあげられないといった感じか。ルルはそんなカールに少しだけ冷たい視線を投げながら、頷いている。

そんな中、ダネルが顏をあげ「お茶会の案内状を書いています!」と、元気よく答えた。


「来週行われるお茶会? ルドウィクさんから聞いて、わたくしとっても楽しみにしているの」


一瞬だけ、その場の空気が止まった気がした。


リュシエンヌのペンがカリッと小さな音を立て、カールは顔をあげて俺を見ている。何も後ろめたいことはないのに、少しだけ体温が上がる。

アレシアはそんなことは全く感じていないのだろう。笑顔で俺を見ていた。


「そうですね。先日貴重書架を案内した時に話したお茶会です。まだこの国に来たばかりのアレシアさんが、交流を増やせる良い機会ではと思っています」

「はい、ありがとうございます」

「へえ、そうだったのね」


セレーネが少し肩をあげて俺に視線を向けた。

カールはすぐに顔を伏せて、案内状を書き始める。リュシエンヌもまったく顏をあげないまま、ペン先だけが動いている。


「アレシアさーん、今回のお茶会は大規模になるので、楽しみにしていてくださいねえ」

「ありがとう、ルルさん」


ルルが声をかけると、アレシアは満面の笑みで答えた。


目の前には、さっき書き終えたアレシア宛ての案内状がある。

吸い取り紙を捲ると、すっかりインクは乾いていた。


あ! そうか、今渡せばいいんだ。


この案内状が、前回どうやって消えたのかがわからなかった。

だからこそ、今日は配達人に直接手渡そうと考えてここに来た。だが、そんなことをしなくても、目の前に本人がいる。渡してしまえばいい。

前回、彼女が故意に来ていなかったと考えた場合、これではおかしな嘘はつけないだろう。


書きあがっている案内状のカードを封筒に入れた。

隣を見ると、リュシエンヌが凄い速さで案内状を書き上げている。机の上に置かれた左手に、そっと手を乗せる。

ペンを動かす手がピタッと止まり、ゆっくりと顔をこちらに向けた。


リュシエンヌの美しい瞳を捕えるように見つめ、自分が手に持っているアレシア宛ての案内状をぱたぱたと揺らした。

その動作に気づいたのか、リュシエンヌは案内状に視線を移し、そしてまた俺の目を見た。俺は小さく頷き、アレシアの方を見る。

リュシエンヌは理解したようで、うんうんと二回頷くと、こちらに向かって笑顔を見せた。


アレシアは、まだルルとセレーネの二人と話をしている。ようし、今がいい。

封筒を持って席を立つと、三人が一斉にこちらを見た。

作業の邪魔をしていると勘違いしたのか、アレシアが俺を見て慌てたように姿勢を正した。

セレーネとルルも会話を停め、こちらに注目している。


「三人とも話しの途中ですまない。アレシアさんにこれを渡しておこうと思って……」

「私に?」

「はい。これが、さっき話していたお茶会の案内状です」


木蓮が型押しされた真っ白な封筒を、アレシアに差し出す。

表にはアレシア・カトランの宛名。

「まあ」と嬉しそうな声をあげ、アレシアは封筒を受け取った。


横にいたセレーネが、何か言いたげな表情で視線を逸らした。カールがまた顔をあげて、じっと俺を見つめている。ルルはそんなカールを見ている。


ん? 何やらおかしな空気だ……まさか、もしかして……。

アレシアと話したいために声をかけたと思われているのか? 

カールは瞬き一つせず、俺から全く目を離さない。

いやいや、勘違いはよしてほしい。

リュシエンヌさえわかっていれば俺はそれで構わない……だが、周囲に変な誤解をされたままなのは気持ちが悪い。


「あ、いや、特に深い意味はなく、アレシアさんがお茶会を楽しみにしているようなので先にお渡ししただけです。もし配達の事故でもあれば、参加者が悲しみますから」

「お気遣いありがとうございます、ルドウィクさん……」


封筒の宛名を確認しながら、アレシアは小さくお辞儀をした。

顏をあげた視線は、俺ではなくリュシエンヌを見ている。

まただ、なぜ彼女を見るんだ? 


「ルドウィクの言うとおりよアレシア。たっくさんの人が来るの、楽しみましょう」

「ええ、セレーネ」

「もちろん私も行くし……二人も来るよね、リュシ?」


セレーネは、机に向かって案内状を書き続けているリュシエンヌに声をかけた。

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