第2話 青天の霹靂2

◆ 3


「じゃあ、リュシは生まれ変わった……のか?」


俺の質問に首を縦に振ったリュシエンヌは、目の前の紅茶を飲み干し、薔薇の花びらの砂糖漬けを一枚口に放り込んだ。


「私はそう思ってる。もしかしたら壮大な予知夢かもしれない。ただはっきりと言えることは、私は自分にこれから起きること全てがわかるの」


リュシエンヌは、自信に満ち溢れた瞳で真っ直ぐに俺を見つめると、目を細めて少しだけ頬を緩めた。さっきより心なしか顔色も良くなっている。


彼女が今、打ち明けてくれた話はこうだ。

今月初め、高熱に倒れた日。その日に自分が一度死んでしまった夢を見たという。

とてもとても長い夢だったそうだ。


その夢の中では、いつもどおりの日々が過ぎていた。

大好きな親友のセレーネとのお喋りや習い事。

うまく弾けなかったピアノ曲が完璧に演奏出来たり、セレーネの絵が賞を取ったりと、少しの変化はあるものの、特に変わらない毎日。

俺とのデートでは突然の雷雨に見舞われ、二人ともびしょ濡れになって執事のヨハンに心配されたけど、それも楽しかったと……。


その日常が、来月この国にやってくる一人の女の子により激変。

なんと、俺が、俺が! その女の子と恋に落ち、あげくに皆の前でリュシの人格否定をして、婚約破棄を告げたと言うのだ!


この話を聞かされた時、席を立って口を出しそうになった。

しかし、リュシエンヌから片手で制止され、我慢をして話を聞き続けた。


女の子って誰だよ? こんなにリュシのことを好きな俺が、誰かと恋に落ちるなんて考えられない。


リュシエンヌは、婚約破棄を告げられた翌日から、勉強はもちろん食事をすることも出来なってしまった。しかも、その状態で流行り風邪にかかり、回復することなく死んでしまったと……。

療養中に友人たちが見舞いに来てくれたが、病が移るといけないので会えないまま。もちろん、俺からは連絡さえなかった……!

死んでしまったのは、婚約破棄を告げられてから二週間後。

あっという間のことだったそうだ。 


病床で高熱に浮かされながら、心細さと悔しさと悲しみでいっぱいの中、両親に手を取られた瞬間、胸が詰まったようになって意識が遠のいた。

息を吸うことも吐くことも出来なくなり、真っ暗な闇の中を、ただ沈み込むように落ちていく。

涙が溢れるようにこぼれ出し、全身が涙の海におぼれそうになった時『死にたくない!』と声が出た。

慌てて起き上がると、そこはベッドの上。

全身が震え、それこそ水の中から出たようにびしょ濡れ。


そんなリュシエンヌの叫び声を聞いて、侍女が部屋に駆け付けてきた。

着替えを用意され、話をしている途中で何か違和感を覚える……。

そう、自分が死んでしまったどころか、日付が一か月以上も前に戻っている!?


こんなおかしな話、最初はひどい夢を見たのだと思っていた。

でも、その翌日から起こることすべてが一度経験したことがあるものだと感じはじめた。

やっぱり変だわ……。

そこから二日三日、一週間と過ぎていくうちにリュシエンヌは確信した。


「私、生まれ変わったんだわ!」と……。


リュシエンヌからの告白に、呆然として言葉が出なかった。

今聞いた話は、簡単に信じられるものではない。

しかし、愛する彼女の言う事、信じないわけにはいかない、というより信じたい! 

でも、どうすればいいんだ? 頭の中で何度も彼女の話を反芻する。


「ねえルド、すぐに…信じてとは、言わないわ。おかしな……話だって、自分でも思うも…ん」

「……ん?」


顏をあげると、リュシエンヌの口がもぐもぐと動いていた。

クッキーの乗っていた皿が空になっている。

こんな不可解な状況なのに……と思ったが、その姿につい吹き出してしまう。


「ああ、わかった……で、リュシ? お腹がすいていたのかい?」


俺の言葉に、リュシエンヌは恥ずかしそうに手を止める。ちょうどその手は、ビスケットにクロテッドクリームをたっぶりつけているところだった。


「ごめんなさい。この話をしようと決めてから今日まで、緊張してあまり食事が出来なかったの。でも、話してるとどんどんお腹がすいてきちゃって……」

「あやまらなくてもいいよ。君の好きなものばかりをヨハンが用意してくれたんだ。食べてくれたほうが俺も嬉しいし、ヨハンも喜ぶよ」

「ありがと」


リュシエンヌは、小さく肩をあげてビスケットを口にほおばった。

いつの間にか、用意されていた4つを食べ終えていた。


そのままリュシエンヌは席を立ち、椅子の上に置いてあった小さなバッグから、折りたたまれた紙を取り出した。

その間に俺は、空になったカップへ紅茶を注ぐ。

それに気づいたリュシエンヌは、また「ありがと」と微笑んで席に着いた。


「さっきの雷……私、それがわかってたから、今日絶対に話そうと思ったの」


リュシエンヌは紙を片手に持ったまま、改まったような声で話し始めた。

そういえば、さっき聞いた話の中で、突然の雷雨でびしょ濡れになったと言っていた。それが今日のことだったのか……。


「こんな晴れてる日に雷、しかも雨なんて思わないでしょ。だから、前回はずぶ濡れになったの。さすがにそれは嫌だったから、デートの場所をエルンスト家でのお茶にしてほしいってお願いしたのよ」


そうだ、今日デートをしたいと言い出したのは俺だ。

一緒に郊外のカフェへ行こうと誘ったら、その日はエルンスト家でのお茶が良い、午前11時に庭でと、時間と場所まで指定された。

リュシエンヌがそういうことを頼むのは珍しいとは思っていたが、まさかこれに繋がるとは。


「少しは私の話に真実味が出るかなと思って……でも、これだけじゃ簡単に信じられないのもわかってる」


そう言いながら、さっきから手に持っていた紙を、テーブルの上に広げた。

金色の飾りが入った便箋。そこには美しい文字で何かが書かれている。


「ここに書いてあるのは、明日からあなたの周りで起こることなの。目立った出来事だけ選んで来たわ」

「読んでもいいかい?」

「ええ、もちろんよ。ルドに知ってほしくて書いたの。ここに書かれたこと全てが起こったら信じてもらえるかなって……」


便箋を見つめるリュシエンヌの瞳が、不安そうに曇っている。

テーブルの上に広げられた便箋を手に取り、内容に目を落とした。


・20日 エルンスト家 家庭教師オリバー先生の元気がない、原因は虫歯。翌日病院で抜歯の為、21日の授業はダンスに変更になる。


ほう、具体的だ。20日というと明日か……。


・22日 王立図書館修学室、ミゲル・フェットがこっそりと窓を開けてしまい館内に鳩が飛び込んでくる。鳩嫌いのマリア・ザックと大喧嘩。司書のジェスが泣く。


なんだこれは。たしかにミゲルは暑がりだ、窓を開けるのは無い話ではない。しかし、鳩一羽でとんだ惨劇だな。


・24日 セレーネの描いた百合の絵が、宮廷絵画展で白鳩賞を受賞。週明けの27日から教会の内廊下に飾られる。


あ、これさっき聞いた話の中にあったな。24日ということは週末か。


・25、26日 休日。両日とも雨。

・28日 午後 セレーネと私リュシエンヌは、二人でチョコレート専門店へ。途中で馬車に乗ったルドに声を掛けられ、三人で行くことになってしまうので、私達を見かけても声を掛けないで。


……なんだか凄くつらい、胸が苦しくなる。


・30日 エルンスト家 ルドが父であるエルンスト侯爵に呼び出され、来月からこの国に大事なお客様が来ると聞かされる。


大事な客? これがその女の子なのか? 

便箋の文末には、今日の日付と流麗な文字で書かれたリュシエンヌのサインがあった。


「ルド、全部読んでくれた?」

「ああ、えっとこれが……」

「そう、明日から月末までに起こる目立った事かな。これ以外のことも気になるなら、館長のつまらない冗談や、私の家で起こったことなんかも言えるけど」

「いや大丈夫だ、十分だ」


もう一度便箋を眺める。これがすべて起こったら、さすがに嘘とは思えない。

だからと言って、俺がその女の子と恋に落ちるなんてことは考えられない、考えたくもない……。

そうだ!


「リュシ、でもさ……」

「今日の雷凄かったよね?」

「ああ、うん」

「あんな抜けるような青空なのに、雷来るなんて知ってたの、どう思う?」


リュシエンヌがぐいっと体を乗り出して、こちらに顔を近づけた。

柔らかい栗色の髪が肩から落ちる。灰青色の瞳が真っ直ぐに俺の目を見つめている。

大好きな彼女の美しい瞳、ふっくらとした頬。いつもなら少し触れてみるのに、そんなことができるような雰囲気ではない。


「ああそうだな、驚いたよ」

「でしょ、私は平気だった。だって二回目だもん」


そう言ってリュシエンヌは席を立つと、俺の目の前に真っ白な指を二本近づけた。あまりの気迫に何も言えなくなってしまう。


気づけば用意されたお菓子全てがなくなっていた。

俺がこれを読んでいる間に食べたのだろう。甘いものが好きなのはいつもの彼女だ。

しかし、俺に対しては、僅かだが拒絶のようなものを感じる。


手を下ろしたリュシエンヌは、言いたいことをすべて言い終えたのか、小さく息を吐いた。そして、横に置いていた小さなバッグを手に持つと帰り支度を始めた。


「待ってくれ、婚約破棄の話を……」

「ねえルド。明日からの十日間、この紙に書かれたことを確認しながら過ごしてほしいの」

「もちろんだよ。君の話を信じたいから、いや信じるから」

「ありがとう。全てが現実に起こったら、彼女がやってくる前にをしましょう……」


リュシエンヌの声が微かに震えた。

俺に婚約破棄を申し込んだときと同じ声だ。

今日この話をするのにも、彼女なりにずっと考えたことだと言っていた。

無理して明るくふるまっているのかもしれない


俺としては、何としても婚約破棄はしたくない。

しかし、今話し合っても何も話が進まないことも感じている。

それに、ここに書かれていることが本当に起きるのかというのも気になる。

ようしわかった、十日後に答え合わせだ


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