光の氾濫

路地表

光の氾濫

 輝く過去を顧みる事で、無力感と後悔が襲い掛かってくる。過去を顧みる行為は、愚かな行為である。しかし同時に、妙な満足感を得る。そしてそれは、癖になる。まるで、治りかけの瘡蓋を、何度も剥いでしまう子どもの様に──


 大学の校内に氾濫するサークルの勧誘に憂鬱だった。数多のサークル構成員が、それぞれのユニフォームを着て、まるで街頭の号外の様に見境なくビラを配っていた。

 大学一年生の四月、入学式を一週間後に控えた私は、両親と共に大学に訪れていた。一浪を経て辛うじて合格した県外の国立大学だった。ごった返す人々の多さに辟易して空を見上げると、桜が舞っていた。

 本日は新居を決める為に大学に訪れていた。大学の生協を利用して、アパートを契約する予定だ。勧誘の波を搔き分け、生協に向かった。

 生協は二階建てで、一階は食堂と購買だった。二階へ向かう階段付近に看板が立っており「物件相談会は二階まで!」と記載されていた。二階へ登ると、こちらもまた珍しく食堂であった。二階は丸ごと食堂であり、非常に広く感じた。食堂のエリアを半分貸し切って、新入生対応の物件相談会が催されていた。

 受付で物件を探している旨を伝えると、席に案内された。随分と待たされた後、担当者がやって来た。頼りない雰囲気の学生アルバイトだった。初めての顧客対応だったのだろうか。私達への対応どころか、彼自身が仕事に不安な様子だった。父の詰め寄る様な、細かい性格に対応し切れていなかった。スムーズに事が進んでいない状況を見かねたのか、担当者が変更された。変更後の担当者は、非常に清潔感があり、顔も良かった。仕事に慣れている様子で、滞り無く話は進んだ。父も満足そうだった。

 候補に挙がった数件の物件を内見した後、父の強い押しにより、木造三階建て築五十年の燻んだ青い外壁のアパートに決まった。六畳一間の部屋であり、お世辞にも綺麗とは言えない物件だった。決め手は、家賃の安さと水道代無料、Wi-Fi無料の三点であった。父は、私にその思惑がバレない様に振舞っていた。私はこの物件でも十分であったが、敢えて少し小言を言った。

「学生にはこれくらいで十分だ」

 特に弁明もせず、開き直ったかの様に父は言った。私は黙ったまま、父の後ろを歩いた。

 物件の契約手続きに時間は掛からなかった。拍子抜けするほど、あっという間に物件は決まった。

「住めば都だよ」

 物件を決めた後、家族で学食を食べている最中に父が言った。

 実際、その通りであった。入居前に目に付いていた所は、入居後は全く気にならなかった。


 そして、一週間が経った。形式張った入学式を無事に終え、両親が地元へ戻る時が訪れた。別れ際、母は泣いていた。私もまた、故郷を思い感傷に浸るかと思っていたが、その様な事は無かった。むしろ、新生活に興奮していた。大学という未知の世界に対して、期待が大きく膨らんでいた。同時に何故だか、かつての中学校生活を思い出す時間が増えてきた。自ら思い出すというよりも、無意識に思い出される感覚だった為、制御する事が出来なかった。決まって思い出に登場するのは、中学生の頃に好きだった子だ。その度に胸が激しく痛むが、どうにもならなかった。

 新生活を機に、何か新しい事を始めようと幾つかサークルに入会した。しかし、はしゃぐ学生達を横目に、どうしても斜に構えてしまい、一つも長続きしなかった。大学生にもなって、何が楽しくてその様に活動出来るのか不思議であった。いっそのこと、大学では友人を作る事を諦め、勉学に励もうかとも考えたが、杞憂に終わった。男女問わず、学科内に多くの友人が出来た事で、それなりに楽しく過ごす事になった。結局は、有象無象の大学生の一員に過ぎなかった。


 それから数ヶ月が過ぎ、雨が連日天気を支配する様になった。例年よりも長引いている今年の梅雨。まだ夏を始めたく無い様だった。

 窓を打ち付ける様な、大きな雨音で目が覚めた。最悪の目覚めだった。呼吸は乱れ、体はシャワーを浴びたかの様に、汗でぐっしょり濡れていた。呼吸を静かに整える。乾いた頬を走る雫で気が付いた。泣いていた様だった。途端に、夢の内容をくっきりと思い出した──


 そこは、光が氾濫していた。世界は光に呑まれていた。辛うじて、ここが中学校の校舎だと分かった。

「ねえ!」

 突然後方から飛んで来た声に、肩が上がる程驚いてしまった。しかし、瞬時にその声の主が、中学校の頃に好きだった子だという事に気が付いた。呼吸を整え、数秒の間を空けて振り返った。そこには、君がいた。この世界では例外無く君の顔も白飛びしており、表情は読めなかった。しかし、声色で表情は認識できた。はつらつな笑顔だっただろう。

「少し、回ろうよ」

 落ち着いた声で君が言った。返事をする前に、君は僕の手を強く引っ張った。

 夢の中で君と、本当に沢山の場所を回った。その度に、君の服装がコロコロと変わり、僕を楽しませてくれた。赤いドレス、水色のワンピース、白いブラウスに古着のチェックスカート。どれも君の為に拵えた物だ。非常に良く似合っていた。

 空気から溢れ出す光が、僕らを祝福している様だった。

 夢の様な時間を過ごした。起きる直前の記憶は、酷く曖昧で覚えていない。しかし、夢の中で君が放った一言は、何よりも輪郭を帯びていた。

「──君はいつも、どこか不安そう」

 突然溢れ出した涙を抑える事が出来ずに、慟哭した。

 例え夢の中だとしても、夢の様な時間を過ごした。その体験を、誰が偽物だと言えるのだろうか。


 そして梅雨が明けた。梅雨の延長分を取り戻すかの様に、夏は張り切っていた。



 時は経ち、二度目の春が訪れた。戸惑う新入生を囲む様に、校内にはサークルの勧誘が氾濫していた。相変わらず、強引なものだ。その光景に辟易して、空を見上げる。

 大学二年生の四月、やはり桜は散っていた。

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