明智京介の衝撃

 翌日、朝。明智と織本は黄色いテープで立ち入り制限がなされている駅の入り口前で落ち合った。昨日久しぶりに会話を交わしたとはいえ、織本が冷泉院に拉致されて以降は数回しか会ったことがないのである。今回も面と向かって話すのは半年ぶりであり、明智は織本の姿を確認した途端、思わず笑みをこぼした。

「大河さん……! お久しぶりです!」

「京介くん。これまたずいぶんと大きくなったな」

 織本はポケットに手を突っ込んだまま会釈する。相変わらず変わっていませんね、と言って明智は笑った。

「ボタンはいないのか? ほら、昨日の女の子」

「……とても来れそうな精神状態ではなかったので、置いてきました。本人は来たがっていましたが……そこで連れてくるほど俺とあいつは浅い付き合いじゃない。大丈夫、時間はかかるかもしれませんが、いつか元気になるはずです」

 明智の言葉を聞きながら、織本は感銘を受けていた。彼とは年齢はさほど離れていないとはいえ、子どもというのは数年見ないうちに格段に成長するものなのだと再確認したのだ。反抗期の生意気野郎がこうも真っすぐな人間になるのかと、幾何ばかりか頷いた。

「それにしても、異様な雰囲気ですね」

 辺りを見渡せば、人、人、人。事件現場付近の厳戒態勢には二人としても驚かされるばかりで、大切な人との半年ぶりの再会もつかの間、明智は入り口を見張っている警備員との接触を試みた。

「あの、すみませんが──」

「こら、君たち。ここは立ち入り禁止だぞ」

「俺たちは捜査関係者です。立ち入り許可証も持ってますよ。無論、大した身分ではありませんがね、ほら」

 そう言うと、明智は必要書類を警備員に突きつけた。実は事前に明智家の人脈を使い、捜査関係者にコンタクトをとって、事件現場に立ち入りさせてもらえることになったのだ。

「うーむ……」

 警備員は顎に手を当ててそれをひとしきり眺めると、小さく頷いた。

「良いだろう。立ち入りを許可する」

 書類の照合もまともにしないまま、警備員は立ち入り禁止のテープを上にあげて手招きした。あまりにも警備がザルすぎやしないだろうか……そんなことを思いつつ、明智と織本は背中を屈めて事件現場へと足を踏み入れていった。

「すごい人の数ですね……」

 駅構内の改札口──殺人が起こった場所に近づくにつれ、行き交う警察関係者の数が増えていった。私服姿の明智と織本はかなり浮いており(前者はカーゴパンツを履いたり上着を着崩したりとおしゃれに努めているが、後者は相変わらず灰色のスウェットである)、すれ違うたびに関係者から怪訝そうな目を向けられた。

 しかし魔術師とはそもそも世間から疎まれ蔑まれる存在である。一般人に比べて魔術師の犯罪率は十五倍以上とも言われているし、その点は二人も承知している。だから、いちいち他人の視線に反応したりはしない。

「……京介くん。魔力の残滓は感じられるか?」

「あまり。織本さんはわかるんですか?」

「わからない。ただ……改札口のところまで近づけば、我も君もわかるはずだ」

「……はは」

「なんだ。おかしなことを言ったか?」

 明智が急に笑い出すので、織本は不思議そうな顔をした。

「いえ……やはり、仰々しい『おれ』にはなかなか慣れそうにもありません」

「なんだ、何を言い出すのかと思えば」

 織本は少しばかり口角を上げると、まっすぐ前を見つめたまま言った。

「自分で言うには恥ずかしいが──そこそこ強い魔術師──とかなんとか、巷では囁かれているくらいだぞ。そんな奴にはぴったりの一人称だろう」

「そうですか? 昔みたいに『僕』と言っている方が、俺にはしっくりきますよ。いや……しっくりくるぜ、兄ちゃん」

「その呼び方はやめろ……さすがに気恥ずかしい」

 二人は笑い合いながら、昔のことを話していた。まるで、久しぶりに会った気がしない。やはり一人っ子の自分にとって、この人は、たとえ改造されて世界最強の魔術師に書き換えられたとしても──兄的存在なのだ。

「……あの時、俺がもっと強かったら。魔力に鈍感でなければ、大河さんを守れていたかもしれないんですよ」

 実はずっと後悔してるんです、と明智はつぶやいた。

「どうした、藪から棒に。突然変異体の一般人が持っている魔力なんか特殊故に気づかなくて当然だ。気に病む必要はないし、それに──君が元気なら、僕はそれでいいんだよ」

 聞こえてきた言葉に思わず、明智は彼の横顔を覗き込んだ。見覚えのある顔。それは優しい顔をしていた。本当に、優しい顔をしていた。

「今、なんて──」

「それより、着いたぞ」

 織本は気づかないふりをしてそう言うと、顎をつかって事件現場の方を指した。現実に引き戻されたように、明智も改札口付近を見つめる。たしかに、現場からは何らかの魔術行使がされた場合に発生する魔力の残滓が感じられる。血痕を覆い隠すブルーシート。ドタバタしている捜査関係者。現場をまっすぐ見つめる自分。たしかに、事件は起きたのだ。

「本当は遅くても昨日中には、残滓を追えていたらよかったんですが──」

 しかし今回こうして現場に来てみたはいいものの、特段新たな発見もなく、犯人特定につながるような情報は得られなかった。責任を感じている明智を、織本が真顔で慰める。

「不可抗力だ。ボタンが憔悴しきっていたから、そちらのケアが最優先だっただろう。むしろ、おれの方が行くべきであったと悔いている」 

 しかしそろそろだろう、と言って織本は右手を開いた。

「へ?」

「そういえば、京介くんにはまだ見せていなかった」

 意味深にそうつぶやいてから、織本は突如として魔力をその手に込めた。空気に切れ目が走る──その刹那、異空間へと接続する扉が開かれる。

「──」

「おい、何事だ⁉」

 すると、ただでさえ慌て気味だった現場の関係者がさらに騒ぎたてる。それは無理もない。何が魔術の秘匿だ、もう形骸化しているのだから別にいい──織本は周囲の反応も意に介さず、明智の手を引っ張った。

「ちょ、え⁉」

「説明は後だ」

 二人は異空間の中へと吸い込まれていく。断面は閉じたが、その切り口だけはそのままに、二人は地球とは異なる空間へと移動していった──。

「…………ここは?」

おれの所有する異空間だ」

 異空間に移動するや否や、言葉少なにそう説明する。平たい空間が反無限に続いており、重力や大気中の抗生物質などはすべて変わらない。しかし、紫色を基調とした無機質な風景が恐ろしく、異様でもあった。

「第一の魔術、外部からの多大な魔力によって崩壊しない限りは永久に保持することができ、現実世界に接続できる。そして、この空間では我以外の魔術は大幅に弱体する。京介くんの雷も、著しく弱くなっているはずだ」

 明智はその言葉を聞くと、半信半疑で虚空に向かって雷を放とうとした。──が、うまくいかない。もっと魔力を込めれば出るのだろうが、負担のかかり方がまるで違う。

「こんなこと……可能なんですか」

「可能だ。無論、強者と闘った場合には破壊される可能性もあるが。少なくとも、四宮佑月には無理だろうな」

 織本はそう言うと、あるところを指さした。異空間に一人、緑髪の人間が満身創痍の状態でたたずんでいたのだ。男は突っ伏していた体を起こすと、こちら側を眺めた。まだ状況が呑み込めていないようだ。

「これは魔術師特有の悩みだと思うが──一定の水準以上の魔術師は、強いがゆえに自ら死を選ぶことはできない。だから、死にかけの四宮佑月から『死』を対価として昨夜の事件の情報を得れば良い」

 正直もう死んでいると思っていたがな、と言って織本は微笑する。これは、明智の知らない顔だった。

「織本さん。窮鼠猫を嚙むと言いますし──あの魔術師は仮にも牡丹を追い詰めた実力者でしょう。寝首を掻かれるようなことがあっちゃ困ります」

「……そうだな」

 織本は意味深に頷くと、明智に背を向けて言った。

「その時はその時で、面白い」

 よし、と言って織本は倒れこむ緑髪の魔術師のもとへ近づいて行った。明智はその言葉を聞いて、かつての『兄ちゃん』はもう、魔術に染まってしまったのだなと思った。この穢れた界隈に首を掴まれて、奥底まで沈まされてしまったのだ。力の代償として慢心を得た──しかし、その先にあるのは何なのか、復讐なのか、はたまた悲劇なのか、それは誰も知らない。それを想像することすら、野暮なのかもしれなかった。

「四宮佑月。ようやく目を覚ましたか」

「…………君、……織本大河、だね」

 四宮は修復寸前の胸を押さえながら、現代最強の魔術師を見上げた。若宮に胸を貫かれた時以上の絶望を感じていたが、むしろすがすがしい思いであった。もともと慢心で女子高生の新星に足元をすくわれたどころか、致命傷を与えられたのだ。今生きていられていること自体が奇跡なのである。

「まさか、自分の魔力のおかげで回復したなどと思ってはいないだろうな」

「まさか……もしかして冷泉院が助けてくれたのかとも思ったけど、織本大河だったなんてね。いやはや、お目にかかれて光栄だ」

 饒舌にしゃべることで自分のペースに持っていこうとする四宮。しかし、織本は眉をピクリとも動かさない。

「僕をこんなところに連れてきてどうしたいのかわからないけど、折角なら最強の魔術とやらを見せてもらいたいとこ ろだね。君ならできるよね、もしよかったら──」

「『死』を対価としてやる」

 織本は一切の抑揚なくそう言い放つ。四宮の顔色が変わった。

「……どういうこと? 僕は放っておいてもすぐに死ぬね。拷問したとしても、特に成果は得られないはずだね」

「強がるなよ。今や生かすも殺すもおれの手にかかっているということぐらい、貴様にはわかるだろう」

「……そう。賢い奴は嫌いだね」

 四宮は嫌な顔をして舌打ちした。薄々わかってはいた。少なくとも、この異空間においては──完全に織本大河の支配下に置かれる。どんな魔術師においても例外ではない。現に自分は時止めを試したが──この世界は、びくともしなかった。万全の状態でやれば、ワンチャンスあるかもしれないが。

「楽にしてくれるんだったら、情報を吐いてあげてもいいけど──」

 四宮はそう言うと、ニヤリとした。しかし勝機がある。この現代最強の魔術師には──大きな弱点がある。

 織本大河は、慢心している。強いが故感情は希薄で、他者の実力を無意識に過小評価している。そんな織本を、奥の若い魔術師には止められないだろう。まだ自分の生きる道が残されているといっても、何も大げさじゃない。むしろ戦いはこれからだ。斎加喜晴の件はほかの人に任せて──作戦変更。自分の標的は織本大河だ。奴の寝首を搔いてやる!

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