第7話:追跡行

 最初の拠点を第6階層に作ろうと決めていたのには、いくつか理由がある。


 当の昔に探索済みで、おおよそ内情を把握していること。出現するモンスターの脅威度が上がり、冒険者の絶対数が減ること。かつ、当初の僕らの戦力で安全に探索できる範囲の入口だったこと。


 そして最大の理由は、ここからダンジョンそのものの様相がガラッと変わるためだ。


 僕らは今、第5階層までの自然洞窟のような通路から打って変わって、砂石の床に、石造りの壁と天井、等間隔で壁から張り出した柱と、そこにかけられた松明と、見るからに人の手によって作られた遺跡然とした通路にいる。


 そこで、五匹のゴブリンたちと渡り合っている。


 ゴブリン。シルエットは人間とそう変わらないが、尖った耳、土気色の濁った肌、黄色く血走った眼、汚れた乱杭歯を持ち、かろうじて襤褸切れを纏ってこん棒や石斧を持つ、野蛮さと醜悪さを形にしたような亜人だ。


「こンのッ!」


 真っ先に飛び込んだマズルカが、爪の二振りで先頭にいた二匹のゴブリンを切り刻む。一匹は息絶え、もう一匹は顔面を切り裂かれながら、まだ動いている。


「いけっ!」


 さらに僕がオオカミゾンビに指示を出せば、生き残った一匹の喉元に食らいつき、めったやたらに振り回す。ごきん、と頸椎の折れる音が聞こえた。


 野生を剥き出しにした前衛の攻撃に、ゴブリンたちは竦みあがっている。亜人と言えど生物は生物、本能的な恐怖には逆らえない。


「……燃えて」


 恐怖は、ウリエラの呪文が完成するのに十分な隙だ。


 黒魔術師であるウリエラが杖を振うと、たちまちゴブリンのうちの一匹の身体から炎が噴き上がった。突然の苦痛にゴブリンは地面をのたうち回るが、魔術の炎がそれで消えるはずもない。


 残り二匹。狼狽しているゴブリンなんて、ルーパスの戦士の敵ではない。


 ようやく我に返った一匹が石斧を振り上げるが、マズルカはそれを掻い潜って的確に首筋を引き裂く。もう一匹もこん棒を振うが、そちらを見もせずに振り上げられた爪が、ゴブリンの手から得物を弾き飛ばす。


 無防備になった最後の一匹に飛び掛かると、マズルカは執拗にその胸に両手の爪を突き立てた。


 それで終わりだ。


 石造りの通路は、再び静寂を取り戻す。


 と、息をつく間もなく、マズルカは死んだゴブリンの身体に顔を寄せ、しきりに鼻を鳴らす。僕にはちょっと真似できない所業だ。いろんな意味で。


「どう? 妹さんの匂い、する?」


 マズルカは立ち上がり、顔に飛んだ返り血を毛皮に覆われた手で拭いながら、首を横に振る。


「違う、こいつらじゃない。ポラッカの匂いは、まだこの先から続いてる」


 僕らはこうして、マズルカの鼻が覚えている彼女の妹の匂いを頼りに、ダンジョンの第6階層を進んでいた。


 第6階層に下りてからというもの、これでモンスターとの遭遇は2度目だ。最初は二匹のジャイアントリザードだったが、マズルカは相手が動き出すよりも早く飛び掛かり、柔らかい首の下の皮を一瞬で引き裂いてしまった。


 思っていた通り、マズルカは優秀な戦士だ。


 獣人たちが総じて持つ、動物的な身体能力にどう猛さで、臆することなくモンスターに飛び掛かっていく。自慢の耳で敵の動きを察知して素早く攻撃を躱し、ここまで一度たりとも攻撃を受けてはいない。


 さらにはよく効く鼻で、獲物を追いかけることも出来る。


 実に心強い戦士だ。たぶん、もう少し下の階層でも通用するんじゃないだろうか。


 ただ、彼女の強さは、逆に疑問をひとつ抱かせる。


「ねえマズルカ。そんなに強いのに、どうしてゴブリンに殺されたの?」


 僕は先頭を歩くマズルカに近寄り、僕より少し高い彼女の背中に問いかけた。青い眼が呆れたように僕を見る。


「お前、よくそんなこと平然と聞けるな」


「え、聞くでしょ普通。なにか理由があって、今後も関わってくるなら、僕らの身の安全にも直結するんだから。ねえウリエラ?」


「ひぇっ、は、はい、そう……ですね?」


 後ろにいたウリエラに聞くと、変な声を上げて肩をすくめた。どうしたんだろう。


「……はあ。原因はこいつだよ」


 ため息をつき、マズルカは自身の胸元を指先でつつく。そこには、黒く刻まれた鎖の入れ墨。


「隷属の刻印だよね。奴隷に入れられる、魔術刻印」


「ああ。アタシたちは街の商会所有の奴隷なんだ。ダンジョンには、冒険者相手の露店を開くために送り込まれててね」


 ああ、あれか。確かにダンジョンに潜るとき、たまに目にしていた。


 ダンジョンはとにかく、備えが命運を分ける。白魔術を修めた医者の作る傷薬は、いくらあっても多いことはないし、剣や鎧も手入れを怠ればすぐダメになる。狩人の使う弓だって、矢がなければ使い物にならない。


 だから商人はいつだって冒険者の財布を狙っているし、彼女のような奴隷を送り込んで、ダンジョンの中でまで商売させようとするのだ。


「隷属の刻印には、奴隷を所有者に逆らえないようにする術式が籠められてる、んだったかな。逃げ出そうとしたり、所有者に歯向かったりすると、とんでもない激痛に襲われるんだっけ」


「ああ。アタシたちは商会の主人に、商品を傷つけたり、売り切ってないのに持ち場を離れないように言われてた。けどあの騒動でゴブリンと戦おうとしたとき、突然胸を引きちぎられるような痛みに襲われた。たぶん、商品を蹴飛ばしちまったんだろうね」


 そして身動きが取れなくなっているところに、ゴブリンの攻撃を受けてしまったわけか。もしかすると、ゾンビとして目覚めたときに押さえていたのは、傷ではなく刻印だったのかもしれない。


 なんにせよ、ほとほとツイていなかったとしか言いようがない。


「けど不思議なんだよね。階段を下りるときから身構えてたのに、いまは全然痛まないんだ」


 マズルカは首を傾げながら、胸元の刻印を指でこすってみる。落ちはしないが、効力を発揮しようともしない。僕からすれば、そりゃそうだ、という感じなのだが。


「君が一度、死んだからだね。隷属の刻印の呪縛は強力だけど、死者を縛ることまではできない。その刻印は今、ただの入れ墨に過ぎないよ」


 それに法的にも、奴隷を死後も隷属させることは許されていない。それは刑罰の領域であり、奴隷は財産であって受刑者ではないからだ。


「……ってことは、アタシはもう、奴隷じゃない?」


「もちろん。商会の言いなりになる必要はどこにもないよ」


「そう、か」


 マズルカは少しだけ、安心しているような、拍子抜けしているような、曖昧な表情で刻印の跡を触っていた。


 そんなマズルカを見ながら、ウリエラが「あれ?」と素っ頓狂な声を上げる。


「で、でもあの、妹さんも奴隷……なんです、よね?」


 マズルカの表情が、獣の険しさを取り戻す。


「ああ。ポラッカはいま、刻印の激痛に苦しんでいるはずだ。ゴブリンどもがなにするかもわからない。早く助けに行かないと」


 静かなダンジョンの暗がりで、マズルカは決意に拳を固めた。

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