第29話 奪還

 いぶかしく思ったルーラは、一番後ろにいるモルに気付く。その肩に、女性が担がれていた。

 あれってきっとザーディのお母さんだわ。そっか。レクトが話してたように、本当に親を捕まえてどうかしようって魂胆なのね。それでザーディが手出しできないように、先頭にしてるんだわ。うー、なんて陰険な人達なのっ。

 このまま放っておいたら、またあの霧の中へ入ってしまう。そうなったら、攻撃もやりにくくなるだろう。

 やるなら、視界が利きやすい今のうちだ。

 レクト、こっち来て。

 そう離れていないレクトを手振りで呼び、こそっと耳打ちする。

「あいつらの後ろから、あの女の人を助けてあげて。あたしは正面に出て、二人の気を引くわ」

 レクトは親指を立てる。二人は音をたてないようにして、それぞれに別れた。

 ザーディがふと何かの気配に気付いたらしく、視線だけで辺りを見回す。

 首を回せば、ノーデも警戒してしまうだろう。今は余計な警戒を抱かせるのは不利になりえる。

 人の……気配? でも、ノーデやモルじゃない。他の……知ってる人間、みたいな。もしかしてルーラ? うん、そうかも知れない。ここまで追って来てくれたんだ。

 ザーディは何の疑いなく、その気配がルーラだと思えた。

 でも、今の状況がルーラにわかるだろうか。母を盾に取られ、また森へ行こうとしているのが。

 ルーラのことだ、いきなり真っ正面から現れて、また隙を狙われてしまうのでは……とザーディは嬉しい反面、かなり不安だった。

 自分はいい。でも、ルーラがこの悪人にどうかされるのはいやだ。ルーラまで盾に取られてしまっては、どうしようもない。

 そんなザーディの気持ちを知ってか知らずか、ノーデ達からは見えない位置で、ルーラが進行方向にある木の陰からスッと姿を見せた。

 それを見て、ザーディは目を丸くする。この気配はきっとそうだ、と思いながら、実際に自分の目で確認できたことに驚いたのだ。

 ルーラは軽く手を振る。それから、指を口元にあて、声を出すな、というジェスチャーをする。

 ルーラ、どうするつもりなんだろう。

 いきなり真っ正面に現れないところをみると、少なくとも全く状況が掴めていない、というのではなさそうだ。

 ザーディは一応、表情を出さないようにしてそのまま歩き続ける。

 そして、ルーラのいる木のそばを通りかかった時、ふいにルーラの手が伸びてザーディの身体を抱えた。そのまま、ふたりして木の陰に隠れる。

「おっ……あれ?」

 浮かれてよく前を見ていなかったノーデは、いきなり消えたザーディに慌てた。

「おい、どこへ行った。ザーディ、隠れてないで出て来いっ。お前の母親がっ」

 どうなってもいいのか。

 そう脅しをかけようとして、ノーデのセリフはモルの悲鳴にさえぎられた。

「ぐわっ」

 また驚いたノーデが振り返ると、モルの後ろに忍び寄っていたレクトが剣の柄で大男の膝の後ろを折り、姿勢を崩したモルの肩から担がれていた女性を奪っているところだった。

「レ、レクトッ」

 ノーデは最初、信じられなかった。

 あれだけしっかりと木につないでおいたはずのレクトが、ここまで追って来たとは。

 だが、これは現実だ。彼が現実だとすると、次に現れるのは……。

「あーら、こんな所で会うなんて奇遇ね、おじさん達」

 木の陰から、ルーラが微笑みながら姿を現した。

 幻ではない少女を、ノーデは憎々しげに睨む。

「まったく、しつこい奴らだな。ここまで追ってきやがって。だが、あの魔法を解くたぁ、なかなかあいつも……。元は敵同士でも、一緒にいると情が移るらしいな」

 ノーデは、いやらしげな笑いを浮かべる。キスしなければ、魔法が解けないはずだ、と言いたいのだ。

 まだ若いルーラは、魔法って何? と、ノーデの魔法が失敗したかのように言い返せない。

 ルーラは赤くなってくちびるを噛み締めたが、すぐにノーデを冷めた目で見る。

 心理戦に負けてる場合じゃない。

「だーから、どうしたっていうのよ。ふん、誘拐なんてひどいことをしようとする人に、何を言われたって平気ですよーだ」

 ルーラは思いっ切り、べーっとしてやる。

 もうこの件はちゃんと自分の中で解決したのだから、どんなことを言われても何ともない。と言うか、今は意識の外へ追い出す。

「あたし、本気で怒ってんだからね。今までみたいに、おとなしくやられたりしないんだから」

「ふん、偉そうに。ザーディの母親を取り返したからといって、いい気になるな。モルが奪い返そうとすれば、いくらでもできるぞ。体格の差というのは、こんなところで出るからな」

 確かに、レクトはザーディの母親を取り戻したが、逃げようとしても人一人を肩に担いで逃げるには、どうしても走るスピードが落ちる。どんなにきゃしゃな女性でも、綿のように軽くはない。

 逆に、それを追うモルは荷物がなくなって身軽になり、速く走れるのだ。モルの足が遅いとしても、今のレクトよりスピードは上だろう。

 その後どうなるかは、ノーデの言う通りになる可能性が高かったりする。

 あのモルが本気でレクトにタックルでもかければ、モルに比べれば細身のレクトはあっさり倒されてしまう。

 ノーデはその辺りを見越し、余裕で構えているのだ。

 でも、ルーラは慌てない。

 くすくすと笑い、でも目はノーデを冷たく睨んで。

「もうひとり、忘れてるわよ、おじさん。どうしてザーディがここにいないんだと思う?」

「何?」

 ノーデの目の前で、ザーディは消えたのだ。レクトにルシェリを奪われ、さらにルーラの出現で一時的にすっかり忘れていた。

 はっとして振り返る。そちらにはルシェリを抱えたレクトと、そのレクトの前に立つザーディがいた。

 モルはもう少しで追い付けそうだったのが、ザーディにさえぎられてしまった形になっている。

 ザーディを木の陰に一時隠したルーラは、彼が母親のそばへ行けるよう、すぐにレクトの後を追わせていたのだ。

 少しでも魔法が使えるザーディなら、レクトがモルに追い付かれた時、どうにか反撃できる、と読んだのである。

 ザーディの目は、もう怯えていない。

 ルシェリを奪われた時とは違う。味方の出現で心が強くなれたザーディに、不安などもう消えている。

 ザーディの方が子どもなのに、親が子どもを天敵から守ろうとするように、その目だけで相手を威圧するように、彼の目は鋭く光っていた。

 竜のザーディが本気で睨めば、いくらふてぶてしい人間のモルでもさすがに後ずさる。見えない空気に押し戻されるかのようだ。

 人間なんかよりも、ずっと迫力が違う。

「もう、母様に触れさせない」

「くっ……」

 思った通り、ザーディはその力を発揮しようとしている。モルが睨み返したところで、ザーディがひるむことはもうない。

「え……」

 ふいにレクトの肩が軽くなった。

 担いでいたはずのルシェリの身体が浮いている。が、そう思ったのも束の間だった。

 いつの間にか自分の後ろに、見たことのない長身の男性が現れていたのだ。その男性がルシェリの身体を抱き上げていた。

 わずかにウェイブがかった、銀色の髪。深い青の瞳。端正な顔立ち。すらりとした長身。

 魔法使いではないレクトでさえ、彼の周りを覆っているオーラを感じる。人間の姿をしているが、人間ではない何かを感じさせるものが。

 ザーディの父親、か……。

 ルシェリを取られそうになって警戒したレクトは、彼の姿を見て結論を出す。

 そして、それは間違っていなかった。

 ザーディが少し驚いたように「父様」と言ったから。

 きっと彼自身も、いきなり父親がこの場面に現れるとは思っていなかったのだろう。

「お前にまかそう、ザーディス」

 父にそう言われ、ザーディはうなずくと再びモルと対峙する。

 モルはしばらくちゅうちょしていたが、雄叫びのような声を上げながらザーディに突進して来た。

 まともな攻撃魔法を見せたことのない、子どものザーディ相手なら力押しで何とかなると思ったのだろう。

 だが、ザーディは、軽く手を横に流すように動かしただけ。そこから風が巻き起こり、モルの巨体が飛ばされた。

 背中を木にいやという程ぶつける。うめいてすぐには起き上がれない。

「く、くそっ」

 その様子を見ていたノーデは、ルーラとまた向き合う。

 明かな劣勢に、怒りがわいた。

 ルーラ達にすれば、理不尽な怒り。自分勝手な感情だ。

 竜はすごい生き物だ、とさんざん言いながら、ノーデは完全に甘く見ていた。魔力など人間とは比べものにならないと言われているのに、自分ならどうとでもできる、と思い込んでいたのだ。

 自分自身に大した魔法力もないのに。

 実際、子どもを利用して母親を捕まえられたから、余計に勘違いしていた。

 自分はすごいのだ、と。

 すごいのは眠り粉であって、ノーデの力は一切関与していないことに気付いてない。

 そのイオの実の粉は、もうなくなった。

 こうなれば、ルーラを人質にとって竜達の動きを止めるしかない。ルーラを好いているザーディのことだ、ルーラが危ないとわかれば、手を出すのを控えるだろう。

 そう考えたノーデは、風で地面の土を吹き飛ばし、ルーラにかける。ルーラは顔をかばって腕を上げ、一瞬目を閉じた。

 その隙を逃さず、ノーデはルーラを捕まえると彼女の首筋にナイフの刃をあてた。

「動くなよ、ザーディ。おかしな魔法を使ったら、てめぇの大好きなこの娘が死ぬぜ」

「離してよ、卑怯者! つまんない小細工してないで、たまには実力で勝負しなさいよ」

 ルーラが怒鳴り、暴れる。だが、そんな言葉に左右されるようなノーデじゃない。自分の命もかかっているのだ。

 これまでは、本気で殺そうというところまでは思わなかった。この森なら放っておいても森に棲む誰かが始末してくれると、勝手な期待をしていたのだ。殺すだけの度胸がなかった、とも言える。

 だから、突き落としたり、木に縛る程度で終わっていた。

 しかし、今までのように手ぬるいことをしていては、自分が危ない。

「ノーデ……あんた、段々汚くなってきてないか? 俺と出会った頃、そこまで性格は悪くなかったはずだぜ」

 レクトが悲しそうな表情で、ザーディの横に立つ。

「人間ってのは、年月が経てば変わるもんさ。おおっと、レクトも変なマネはすんなよ。ま、お前にはできないか。魔法使いでもないし、大事な女が傷付けられるのはいやだろうからな」

 ザーディはその意味がわからず、レクトの顔を見上げる。

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