未来の行方

幸まる

まだ孵らない卵

ルーメイナは、古い紙とインクに加え、微かな埃の匂いが混じった図書館を、そろりそろりと奥へ進む。



天井まで高々と伸びた本棚には、それこそ指一本入るかどうかという隙間しかないように、どの段にもきっちりと本が並んでいる。

不思議なことにこの図書館の本棚は、誰かが本を借りれば、いつの間にか同じ分類の別の本が埋まり、返却する時にはなぜかその本の分だけ隙間が空いている。

だからいつ見ても、棚に隙間があって本が倒れている、というようなことがない。


普通の図書館では、絶対にありえないことだ。

しかし、この魔術大国フォーラス王国の国立魔術学校大図書館では、これが当たり前のことだった。



ルーメイナは、側の本棚の角にそっと手を添えて、一度深呼吸した。

頬に掛かっていたくすんだ赤毛が、呼気で微かに揺れる。


先の通路を窺う。

どうやら誰もいないらしい。


この先は高学年の5、6年生しか入れない区域で、高学年は今は講義の時間なのだから、誰もいないのは当然だ。


ルーメイナは中学年の4年生。

4年生も本来なら講義の時間だが、ルーメイナは既に今日の分の課題を提出しているので、図書館での自習を許されていた。


しかし、それは隣の小図書館での話だ。


中学年はそもそも大図書館への立ち入りを許されていない。

入館許可証である魔術具の指輪がなければ、入ることは出来ないのだが、ルーメイナはそれを身に着けていた。


それもそのはず、彼女はこの魔術学校の特待生で、中学年に在籍してはいるが、高学年の魔術書を閲覧することを許可されているのだ。




しかし、今日の来館目的は魔術書を読むことではない。




ルーメイナは最奥にある、映像記録室を目指していた。

そこには、多くの未来視映像が記録石に残して保存されているのだ。

勿論、許可なく入れる場所ではないし、その許可も簡単には下りないが、ルーメイナは先輩から裏技を伝授されて来た。

その裏技を使って、こっそり入るつもりだった。


彼女は切羽詰まっていたのだ。


フォーラス王国は国を挙げて魔術士の育成に力を入れているので、平民の彼女でも4年までは学べる。

しかし、その上の高学年で学ぶ為には、国から国にとって有用であると認めて貰わなければならない。


将来。

つまり、未来視の試験でを見られて判断されるのだ。


そこで落とされても、高額な授業料を払えば最終学年まで学ぶことは出来るが、平民出のルーメイナには、それは無理な話だ。

最終学年まで学び、国の魔術士団に入団する為には、どうしてもこの未来視の試験をパスする必要がある。


しかし、半月前に試験を受けて、皆合否の結果と共に未来視の概要を受け取っているというのに、ルーメイナには何の知らせもない。

どの講師に尋ねても、『待て』と言われるばかりなのだ。



しびれを切らした様子のルーメイナに、

先輩である5年生から渡されたのは、一本の絹糸のような髪。

記録室の管理者であるエルフの講師、セヴィアスの金髪だ。

施錠者の一部あかしがあり、解錠の魔術を三回重ねて掛ければ、記録室に入れるらしい…。


記録室に許可なく入れば罰は必至。

しかし、とにかく結果を知りたい。

それで“否”の結果であるのなら、それを改善するすべを、速やかに見つけなければならないのだ。



未来視は、まだ来ぬ未来を見るもの。

しかし、それはあくまでも限りなく高い可能性の未来であって、事実ではない。

先は、努力で変わるものなのだから。




最奥の扉の前で、ルーメイナは解錠の魔術を三回重ねる。

低位の魔術士であっても、同じ魔術を三回重ね掛けするのは簡単ではない。

この歳でそれが出来る彼女は、確かに特異な才能を持っていると言える。


手応えを感じた時、本棚の隙間から白いヤモリがシュシュと壁を這って来た。

思わず声を上げそうになって、慌てて片手で口を押さえる。


「……驚かさないでよ、ヤモリちゃん」

そう言ってから呼吸を整え、金髪を巻いた右手の人差し指を扉に近付ける。

ヤモリの丸い瞳がくりと動いた。

窓からの陽光で、白い身体がテラリと光る。


“本当に開けるの?”


そう聞かれたような気がした。



「……だって、4年で卒業するわけにいかないんだもん……」

ルーメイナは唇を噛む。


特待生だからここまで学べた。

進級出来ないのなら、准魔術士としての資格しか貰えない。

そこからも努力すれば魔術士としての資格は得られるが、一体どれほどの時間が必要だろう。


幼い頃から、その魔術素質の高さで、周りからは異質なものとして見られてきた。

国からの入学案内が届いて、入学して、やっとまともに息が出来たような気がした。



「私には、魔術これしかないのに……いたっ!」


突然、後頭を強くたたかれて、ルーメイナは前につんのめって扉に額をぶつけた。

両手を扉に付いてしまって、息を呑む。


「あっ!………あれ?」

「愚か者め。お前ごときが簡単に解錠出来るような縛りを掛けるわけがなかろうが」

師匠せんせい!」


額を赤くして振り返れば、腕を組んで尊大にルーメイナを見下ろす流麗なエルフが立っている。

記録室の管理者であり、ルーメイナの師であるセヴィアスだ。

その切れ長の碧眼には、明らかな軽蔑の感情が乗る。


「上級生の甘言に乗せられおって」

「あ、う……すみません」


今回教えられた裏技が嘘で、特待生である平民のルーメイナに対するやっかみであろうことは予想できた。

彼等はルーメイナが罰を与えられることを望んでいるのだ。

しかし、もしかしたら自分には開けられるかも…、と思ったのも確かだった。



「でも師匠せんせい…私は……」

「合格だ」

「……え?」

「ついさっきの講師評議会で決まった」


ルーメイナの目が見開かれ、顔が輝いた。


「じゃあ、私、進級出来ますか!?」

「出来る。……今回の罰は受けてもらうがな」

「はい!」

「……嬉しそうに答えるな」

「はい! 師匠せんせい!」


満面笑顔で元気に答えるルーメイナに、セヴィアスは額を押さえた。

この無駄な元気さには付き合いきれない。


さっさと自習に戻れと手を振ると、ペコリと頭を下げたルーメイナが、そうっと顔を上げる。


「あの、それで、どうして私だけこんなに評定に時間が掛かったんですか?」

「…………今は知るべき時ではない」


それ以上会話するつもりがないというように、冷やかな空気が流れたので、ルーメイナは我慢して口をつぐんだ。

師匠せんせいが知るべき時ではないと言うなら、いつかは知る時が来るということだ。


とにかく今は、進級が決まって嬉しい。

キャーと声を上げたいが、ここで叫べば叱られるのが分かっているから、急いで外に出なくては。





早足で去るルーメイナが、角を曲がった。


「まったく。見ていたなら止めてくだされば良いのに」

溜め息混じりにセヴィアスが言えば、壁のヤモリがチロと細い舌を出した。

「どういう選択が先に繋がるのか、見守るのも講師わしらの務めじゃろ?」

「……校長、ただ面白がっているだけでは?」


校長と呼ばれた白いヤモリは人間のように目を細めて笑う。


「面白がっておるよ? 何せあのちんちくりん娘ルーメイナが、“氷塊のセヴィアス”のつがいになると視えたのだからの」


フォッフォッと老人の声で笑うヤモリを、セヴィアスは苦虫を噛み潰したような顔で睨んだ。


「先のことは分かりません」

「そうじゃな。いくら適合率が高くても、未来視は未来の可能性の一つに過ぎん。……選び取るのは、その者の生き様次第じゃ」



評議会が議論を重ねたルーメイナの未来視が、現実になるのかは誰にも分からない。

いっそ、不合格にして4年で卒業させるべきだという意見が圧倒的に多かったが、学校に行けず、独自に魔術を探求し始めてしまう方が、極めてに近付いてしまうだろうとセヴィアスが強く意見したのだ。


彼女の魔術に対する熱意は、そういうものに思える。



ルーメイナの未来視。


一夜にして世界の中心である皇国を潰し、その力で大陸を蹂躙せしめる最恐の魔獣、魔竜の召喚―――。

未来視で視えた幾つかの欠片。

その一部がそれだ。


そして、それを成した魔術士達の中に、セヴィアスのつがいとなった彼女の姿があった。





キャー! と図書館の外からルーメイナの歓喜の叫びが響いた。


「愚か者が……」


溜め息混じりにセヴィアスは呟く。

ルーメイナのこの底抜けの明るさが、どうなればあの暗黒の未来に繋がるというのか……。



風で窓の外の枝葉が揺れる。

窓から入る陽光が僅かに遮られ、白いヤモリの身体が暗く染まった。


未来は決まっていない。

今、目の前の取るに足らないと思える選択が、先を決めるのかもしれない。


セヴィアスは映像記録室の扉に手を翳す。

―――鍵は、開けられていた。




《 終 》

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未来の行方 幸まる @karamitu

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