第16話 仕事と私生活の境界線を生きる若者たちの場 2

 森川氏は、対手の若者の弁をじっくりと聞いていた。

 なるほど、彼は案外バランスの良い回答をしてきたな。

 そんな手ごたえのようなものも感じている。

 少し間をおいて、森川氏が所見を述べ始めた。


 まず一言述べさせていただく。貴君の生活は私の生前の家族との生活や独身時代の生活と比べてもかなり異なるなという印象を持っております。

 よつ葉園での住込み職員各位の生活の場であるが、貴君の御高説からすれば、当時の状況から考えても、劣悪な環境、それこそ何じゃ、いわゆる「たこ部屋」のような場所とまでは言えなかったというわけですな。

 それどころか君は、なんじゃい、一種の「家庭」のような状況でさえあったのではないかとさえおっしゃったな。

 表面的な話だけかもしれないが、それは確かに、当たっておる。

 わし自身は、そんなことを意識してどうこうしようと思っていたわけではなく、あくまでもその地の業務を如何に遂行していくかという見地において、そのような形を取ったのでありまして、家庭の味を出すだのなんだの、そういう意識まで持っていたわけでは必ずしもない。


 そうですな、下宿。懐かしい言葉です。

 今の大学生諸君、それこそ大宮さん親子や貴君の後輩諸君は、かつてよつ葉園のあった津島町近辺にも多くお住まいのようであるが、学生さんや単身者さん用のワンルームと申すのですか、そういう物件はたくさんありますね。

 わしが生前の、それこそ君が生まれていない頃の学生さんもそうじゃが、そうそう、プロ野球選手にしても、かつてはどなたかの家に下宿させてもらっていた人も多くおられたようじゃないか。独身者は特に。

 あの長嶋選手も、ルーキーの頃はそういう場所に住まれていたと聞いている。

 その時代のプロ野球選手名鑑、改めてみてごらんなさいよ。動画でもあるぞ。

 皆さんの住所が書かれていて、中には確かに、これは下宿されているなという選手も少なからず見受けられる。無論結婚後の選手は賃貸であれ持ち家であれ自らの家族らと生活していたであろうが、若い選手なんか見てごらん。当時の大学生なんかとそう変わらない住環境であったようじゃな。


 当時の「下宿」というのはまさに、そういう感じであった。

 そうでなければ、会社の寮のような場所。貴君はそういう場所を群れ合いの温床のように見られて蛇蝎のごとく嫌われているが、当時はそれくらいしないと住める場所がなかったと言えはせんかな。

 無論、今のような単身者向けのアパートに住まれている学生さんも、君らの頃にはすでに多くおられたようであるが、まだ昔ながらのそういう下宿におられた人も多かった。そういう時代、懐かしいねぇ。

 ただ、今でも学生界隈では「下宿」という言葉は死語になってはおらんのではないか。君が今住んでいるようなアパートに住んでいる子らも、実家と下宿という概念で、そこを行き来しておるでしょうが。


 よつ葉園の職員各位も、住込みで仕事する場合はまさに「下宿」じゃ。

 その感覚で、生活できる場所であった。

 何だかんだで、衣食住の「住」が安価な費用でしかも給料天引、それで与えてもらえるわけじゃからね。仕掛けた側の私が言うのも難じゃけどな(苦笑)。

 高い家賃を払って外に住むことなんかないのである。

 そりゃあ同僚との関係とか対児童との関係とか、いろいろありましょう。

 ですがそんなものさえも、多少なりともうまく行けば些末な話じゃ。

 おいしいのは、住だけではない。食もじゃ。

 まあ、目の前の米河大先生のような食通にして酒通の御方には、物足りんところも多々おありかもしれませんがね(苦笑)。

 こちらも、同じく実費負担というか、あのZ君が行かれておった定時制高校の給食と一緒で、安い費用で給料天引。

 今時は必ずしもそう都合よくはさせてもらえんかもしれんが、少々残ればあとで夜食にしたって良い。むしろ、食べ物を粗末にしないだけよかろうがな。

 そんな調子で、食についても贅沢言わねば、金を使わずして済む。

 米河大先生のような食通にして酒通の方はこの限りではないがね、しつこいか。


 森川氏の弁を聞いた米河氏が、軽く反論する。

「何だか随分、私が褒め殺されているようなのは、気のせいでしょうか?」

「気のせいではなかろう。間違いなくそうではないか。叩く前からホコリが周囲一帯に舞い踊っておる光景が目に浮かびますぞ」

「プライドの誇りと、ダストの埃の掛詞ですね」

「左様。さすが小説家。しかもこのところ詩作迄始めるわ、ついには自己出版まで始めて2か月少々で10冊も本にされただけのオカタですからねぇ~」


 ここで、米河氏が更なる指摘を加える。

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