第30話 あの頃。


 オレは、帰路へ着くため、物静かな廊下を歩く。


 窓の外を見れば、学生達が青春を謳歌している。

 澄み切った空と眩しいほどに光る太陽が彼らに日常を演じさせた。


 どこかの窓が開いており、ヒューっと首を掠める。


「ちょっと待ってっ!」うるさい足音が後ろから聞こえた。


 声の主は、生徒会役員だというのに走っているのが笑いどころだ。足を止め、後ろを振り向く前に彼女はオレの前に現れた。


 綺麗に整ったミディアムショートはいつ見ても愛らしい。額は、微かに汗を滲ませており前髪が少し引っ付いている。その目は前にあったバスケの試合振りだな。


「なんだ? 夕暮れの校舎を歩く男友達を引き留めて」

「そういう軽口はいいよ。それより、けい、何かあったの?」


 先ほどの彼女とは打って変わって、女友達の遥に戻っていた。


 彼女は、自分がいる立場を結構気にする。言うなれば、自分の勤めをしっかり果たすため、役が決められればそれに合った立ち回りと振る舞いをする。

 その軽いフットワークと責任感の強さが遥の魅力なのだとオレは、中学の時に理解した。


「何が?」

「だからそのっ……だって、今の圭。悪役みたいな立ち回りしてたから」

「悪役って。そんなこと……」冷静に客観的に見ると意外に的を射ているかもしれない。


「昔……中学の時はあんな悪知恵というか姑息な手は使わなかったじゃ無いっ!」彼女の言葉にハッとする。オレが彼女の考えを言い当てたように彼女もまたオレの変化を言い当てた。自分が昔と明らかに乖離していることを。


「いつだって、周りを笑顔にさせることだけを考えて。前に出て、クラスの誰よりも頑張っていたじゃん! 『クラスメイトはバカばっかだな』なんて呆れたように笑っても彼らの意見を聞いて、一緒に盛り上がる決断を下した圭は何処に行ったの?」

 遥は、苦しくもどかしそうな表情を浮かべて訴えかけてきた。


 二階堂や暁さんは、オレを否定してこなかった。

 恐らく、恩義みたいなものを感じてだろう。

 まぁ、オレが裏で何かやっている事は気付いただろうけど、それを見逃していた。


 それは、文芸部を守るため。誰だってそうだ。

 周りの幸福が危機に瀕している時、人はそこに多少の悪さがあったとしても肯定する。


 悪を肯定してしまう瞬間が訪れる。

 それを人は醜さだというのか? 

 いいや、違う。それを正義という。


 では、今対峙している彼女は、何なのだろうか?


 中学校の時に仲が良かっただけの男友達に何故ここまで否定してくるのだろうか?


「今の圭は、無理してるよ……まるでやりたく無い荒事をやっているように見える。もし、誰かに言いづらいなら私がっ!」


「…自分だったら解決できると? 綺麗なやり方で誰も傷付かない方法を選ばなかったお前がか?」言ってて嫌になる。嫌いになる。


「……」


「お前があの廃部案を構想したんじゃ無いんだろ? 会長が」幸福論は生徒会長の入れ知恵なのだろう。


「違うっ! 私が決めた!」


 お互いがお互いの裏を言い当てて、言葉が出ない。中学もそうだった。

 オレが辛そうな時は君が必ず横に来てくれた。

 君が不安で泣きそうな時は、そっとそばに寄った。


 自分よりも相手の事の方が見えているオレ達は相変わらずだった。

 開いていた窓から楽しそうな男女複数の声が聞こえてきた。


 懐かしいあの頃が蘇る。



 昔、オレらは学校に夜遅くまで残る事が多々あった。


 それは、クラスの悪ガキ共が家に帰っても親が不仲でいづらいだったり、親がいないだったり、親から暴力を受けているだったりと家が居場所ではない奴らが多かったからだ。彼らがタバコや暴力などの非行に走らないようにオレ達は居場所を作った。


 どんな時でも彼らが取り返しのつかない事で人生を棒に振らないように温かな居場所を作った。それは、母さんがいつも言っていた『友達は大事にしなさい』という教えからだ。


 勿論、非行に走りそうだったのは男だけではなく、女子も居たため、級長だった遥と共に補導されない絶妙なラインで沢山のイベントを考え、中学時代を謳歌した。


「これじゃあ、平行線を辿るな」

 遥は、真っ直ぐな女の子だ。だから、寄り道したくないのだ。最短ルートが常に合って欲しいのだ。平和な世界をいち早く作りたかったのだ。


 その道が壊れそうじゃないかをいつもオレが叩いて、確認した。

 石橋を叩く役目だった。


 そして、いつも横を歩いた。

 白線を超えてしまわないようにオレが白線の内側をいつも歩いた。


 彼女は、今回、白線を超えた……ただ、それだけの事だ。


「……どこから違う道を歩き始めたんだろうね。私たち」

「……」クイっと胸が苦しくなる。


 窓の外へ視線を映す彼女は、何処か遠い目だった。

 過ぎ去ってしまった日々を思い返しているのだろう。


「あの時、圭を」

「やめろ‼︎」彼女は、オレが大きい声を出したのでピクッと肩を跳ねさせた。


「……すまん。大きな声……苦手だよな」一歩近寄って、その肩に触れようと右手が前へ出るも握り拳にして、引っ込めた。


「……ううん。私こそ、思い出したく無いこと言ってごめん……」


 きっと濃密すぎる時間を共にしている彼女とならどんな人生の苦難をも乗り越えられる……そんな思春期真っ只中のオレはそう思っていた。

 怯えて、怖くなっても遥の楽しそうな笑顔を見れば頑張ろうかなって柄にもない踏ん張りをしていた。


 でも、現実は違う。


 一人で、人生を生きる時がある、決めなければいけない決断がある。

 それが今というだけ。


 遥もその時が来ただけだ。


 お互いが自分で生きる為に他人の思惑に唆されていたとしても、己が達成すべき目標のために必死で今を足掻あがいている。


 だったら、オレはいつか交差するであろう道で彼女が辿り着くのを待つだけだ。平行線を辿っていたとしてもきっと重力や空気抵抗や引力……その他諸々のしがらみで会える筈だから。


 オレと遥が目標とするのは、あの頃の楽しかった生活だろう。

 ただ、今のオレは、その楽しいの中に母親が大きく占めているのだけど。


 これは、自分に誓った契りみたいなもの。

 誰かのためではなく、己のためだ。


「……生徒会長になったら、今よりも良くしてくれよな」遥はキョトンとした顔で目をまん丸にしている。それがやっぱり愛おしい。


「……ありがとう……らっ来週ぅ……みんなとまた逢うんだけどっ……久しぶりに集まらない?」


 みんなとは、中学時代バカをした彼奴らのことだろうな。

 今、どうしているかは知らない。高校に入ってから会ってないのだ。


「……考えてみる……元気してっか?」

「……うん。みんな会いたがってる」みんな、か。

「そか。じゃあ……またな」

「うん。いい返事……待ってる」


 それ以外の言葉を発さず、彼女の横を通り過ぎた。

 既に出ていた答えを胸に秘めて、オレは学校を後にした。


 外の風は、のっぺりとしており、生温い。乾きもなく瑞々しくも無い。

 だからだろうか、胸に秘めたものが空に響かないだろうと思い、ポツリと呟いた。


「……ごめんな、みんな。ごめんな……遥」

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