第3話:乗るしかない、この面白い話に

「クソッ、もういい!」

「はっ。申し訳ありませんでした」


 殴られた頬がずきずきと痛むが、俺はしれっと返事をしてみせた。




 あのあと、焼却炉から帰ってきた俺たちを捕まえたのは、ぶつかってきた、例の将校だった。


「貴様ら! さっきの紙の束はどこにやった!」

「燃やしました」

「なん……だとぉッ!?」


 頭をクシャクシャと搔き乱す将校に、面倒くさいと思いながら返事をする。


「焼却処分を命じられておりましたので」

「貴様ら! 燃やしていいものとそうでないものを確認したりはしないのか!」

「焼却処分を命じられておりましたので」

「確認したりはしないのか!」

「焼却処分を命じられておりましたので」


 俺があんたの副官ならそうしたかもしれないが、そもそもこちらは捕虜でしかない。捕虜に仕事を押し付けておいて、きめ細やかな配慮を要求するな。


「あ、あれだけの紙の束ならすぐには燃えないだろう! すぐに火を消して燃え残りを回収しろ!」

「はい。ですから燃え残りが出ないように、確実に燃えるように数枚ずつ投入して、確実に燃やしました」


 もともと紅潮していた顔が、さらに赤黒く染まっていく。吹き出しそうになりながら、俺は極めて事務的に続けた。


「──なにしろ焼却処分を命じられておりましたので」

「っっがあぁぁぁぁああ!! 余計なことに気を回しやがって!!」


 こうもヒステリックになるということは、あの文書が相当に重要だったということだろう。この将校アホのおかげで、ますますあの文書の信憑性が高くなった。


「焼却炉が機能不全をきたしますと、本施設全体の業務にも差し支えますので、そうした不具合の出ぬように、確実な焼却処分を──」

「黙れ、捕虜の分際でッ‼」


 さすがに調子に乗りすぎたか。左の頬を思いきりぶん殴られる。


「……ネイブル条約第十三条における、捕虜ほりょの扱いの規定に準じた扱いを希望いたしますが」

「黙れと言っただろうがッ‼」


 将校は再び拳を振り上げるが、ネイブル条約第十三条、捕虜の人道的待遇に関する規定に言及したことは、この脳の足りない将校の、その足りない脳の隙間を埋めることに成功したらしい。一度は振り上げた拳を、悔し気に引き下げる。


「クソッ、もういい!」

「はっ。申し訳ありませんでした」


 殴られた頬がずきずきと痛むが、まあ、俺の方も大事おおごとにするつもりはない。そんなことをして、より多くの人間に覚えられたら厄介だ。俺はしれっと返事をしてみせた。


 最高に愉快だ。

 この三カ月、灰色だった世界が、一気に彩られていくようだ。

 ミルティ……君を、必ず取り戻してみせる!




 アテラス駅は、この街が破壊しつくされるまでは、前線に送る兵站の集積地として機能していた。

 今は最低限の機能だけ復旧させられ、今度は俺たちの古巣を滅ぼすための前線に向けて、兵や物資を運搬する拠点にされてしまった。


 甲種試験適合捕虜移送先の変更 ベイターインク防疫給水研究所 

 移送実施日 雪虎の月 第23日 アテラス駅発 18:1/2


 アテラス駅発 18:1/2というのは、出発日時で間違いないだろう。


 夜明けから日没までの時間を12分割した「昼」の12こく、日没から夜明けまでを12分割した「夜」の12こく。これが一般人の指す「時刻」なのは、言うまでもないだろう。


 だが、軍隊は違った。「昼」と「夜」を合算し、「24こく」で表すのだ。それを「軍刻ぐんこく」と呼ぶ。例えば一般人が「夜の3こく」と呼ぶ時刻は、軍刻では「15こく」となるのだ。初めて聞いた時は慣れなかったものだ。


 18:1/2とは、すなわち18こくと半刻、となる。18こくということは夜の6こくにあたり、夜のちょうど真ん中だ。そこからさらに半刻過ぎた時間となる。完全な真夜中だ。


 雪虎の月の、第23日。その18こくと1/2。

 あと一週間ほどで、真夜中に実施される指令。

 甲種試験適合捕虜、というのが何なのか気になるが、それよりもぐずぐずしていたら、甲種試験適合捕虜と分類された捕虜たちは、ベイターインク防疫給水研究所という場所に移動させられてしまう、ということなのだろう。


 ただ、気になる点もある。

 甲種試験というからには選抜した上位の人間ということだろうが、それをなぜ、防疫給水研究所なる場所に送る必要があるのだろうか。名前からして、感染症対策や、浄水器の開発か何かを行うような、そんな部署に思える。わざわざ選抜した人間を、なぜ……?


 だが、そんな疑問などどうでもよかった。

 その、甲種試験適合捕虜のリストに、彼女が──ミルティの名があった。

 俺は震える手で、改めてその紙を見つめる。


 捕虜とは、生きている虜囚に使う言葉だ。死体を捕虜とは呼ばない。

 ──つまり、ミルティは、生きているのだ!


「どうした、なんか面白い文書でもあったのか?」

「……ミルティが、生きていた」


 自分でも声が震えているのが分かる。


「……はァ? お前が騒いでいた女のことか?」


 ドルクがいぶかしげに俺を見る。


「ミルティが、生きていた──あと一週間ほどで、別の場所に移送されるらしい」

「なんでそんなことが分かるんだよ」


 俺は、今手に入れたばかりの紙を見せた。しかしドルクは、「知ってんだろ、オレぁ字が読めねえんだ」と面倒くさそうに押しのける。


「分かった分かった、生きてたんだなオメデトさん。だけどどっかに送られちまうんだろ、残念だったな。ほら、とっとと燃やしに行くぞ」


 ドルクが手をひらひらさせながら、片手で器用に箱を抱え直して歩きはじめる。


「──奪還する」

「そうそう、あきらめるのが一番。女なんて世に腐るほどいるんだから──」

「奪還する」

「だからだれもお前を責めない──って、え?」

「奪還する」

「……おま、なに、言ってんだ?」


 こちらを振り返ったドルクが、信じられぬものを見るような顔をして言った。


「……奪還って、どうやって」

「今はまだ分からない、……だが、ミルティは俺の婚約者だ」

「だからって、オレたちゃ捕虜の身分だぜ?」


 ドルクが、箱を床に置くとばりばりと頭を掻いた。


「現に、この収容所から出ることもできねえ。どうすることもできねぇんだぞ?」

「それでも、彼女と生きると誓ったんだ、俺は」

「現実を見ろよ。その女、奪還するっつったって、今どこにいるかもわからねえんだぜ?」

「第23日の18:1/2には、アテラス駅にいる」

「アテラス駅っつったって広いぞ、無理だ」

「大丈夫だ、そんな時間にぞろぞろと人間がいるなら、すぐに分かる」

 

 ミルティの下にもかなりの名前──すべて女性というのが気になるが──が並んでいるから、それだけの人間を移動させようとするなら、それなりに警備も厳重になるだろう。

 深夜の18こくの駅にそれなりの警備兵がいるとしたら、それはつまり、そこに、いる・・ということだ。


「……あんまりこういうこと言いたくねぇけどよ。その婚約者って女、もうヤられてるかなにかしてるんじゃねえのか?」


 それに、とドルクは、言いにくそうに続けた。


「そのリスト、全員、女なんだろ? そりゃ、……まあ、子供でもできちまって、その処置・・のためか産ませるためか知らねえが、病院にでも送るってことじゃねえの?」

「病院じゃない、防疫給水研究所だ。彼女が生きているなら取り戻す。それだけだ」

「……仮に取り戻したとしてもだぞ?」


 即答した俺に、ドルクは額に軽く手を当てながら首を振った。


「例えば、敵の将校とイイ・・関係・・にでもなってたら、どうするんだよ」

「それでもだ」


 こっそりとズボンのポケットの内側に縫い付けてある、二つの指輪。俺のものと、そして、彼女の左手の薬指にはめられていたもの。

 それを、ズボンの上からそっと撫でる。


 ──俺は、彼女との絆を、信じる。




「……この情報は、確実なんでしょうな?」

「この文書を紛失・・した将校は、焼却炉を鎮火させて取り出せと、ひどく慌てていた。おそらく、それだけ重要な文書だったことは疑いようがない」


 ロストリンクス十騎長は、ろくな手入れがされていない無精ひげだらけの顎をなでながら、しばらく考え込んでいた。


 法術士官だったというツェーンが、頬杖をつきながらこちらをうかがう。


「……施設内の不穏分子をあぶりだすための罠であるおそれは? みんなでぞろぞろとピクニックに行って、遠隔爆裂術で吹っ飛ばされるなんて、オレは御免だぞ?」

おそれ・・・はある。だが、可能性・・・を信じたい」

「……希望的観測を軍人が語るようになったら、おしまいですぜ?」


 ロストリンクスの言葉に、俺は小さく笑ってみせた。


「どうせ希望など、捕虜になってからカケラもなかった。希望を胸に抱いて死ねるなら本望だ」


 ロストリンクスは、「極秘」という印を押されたこの文書を、じっと見つめる。


「……この文書の通りなら、あと二週間ほどでこの作業が行われることになりやす。もし罠でなく、この通りの人員を、わざわざこんな深夜に移送しようとするなら、おそらくかなりの──」

「機密が関わっている、ということだな」


 俺の言葉に、ロストリンクスが不敵な笑みを浮かべてうなずく。


「甲種合格捕虜、というのが何を意味するかは知りやせんが、アルヴォイン王国の連中は、この女たちに相当な対価を払ってでも、得られる成果に期待をしているということでしょうな。──おい、みなどう思う?」


 ロストリンクスの言葉に、居並ぶ者たちの顔に緊張が走る。

 ここにいる者たちは、かつて共に戦った俺の部下たちと、模範囚として出所して王国の飼い犬になることを良しとしない連中だ。


 副官のロストリンクス、斥候のディップ。

 狙撃手としてスカウトしたフラウヘルト、元工兵のハンドベルク。

 卓越した近接格闘家のノーガン。

 そしてこの収容所で出会った、ドルク、ツェーン、ノインシュ、アハティ、ズィーベルト、ゼクス、フュンファー。


 ここに集った12人の記憶を総動員した結果、この甲種合格捕虜に列挙された女性たちは、俺の副官だったミルティの「騎士付き秘書官」が別格として、最も高いもので「施設管理官」と、それほど階級が高いわけではないことが分かっている。中には食堂の給仕だった中年の女性もおり、いったい何が理由で「甲種」なのか、さっぱりわからない。


 さらに言うと、半分ほどは階級も所属も不明だ。だが、階級が上であれば知っている者も多くなるはずだ。誰からも名を知られていない者は、後方の事務方、もしくは民間人である可能性もある。


 ただし、書類に押された判が示す通りの「極秘」の計画なのだとしたら、当然、警備に人員を割くことになるはずだ。万が一に備えて、停車する駅ごとに警備を増員しておかねばならないだろう。

 なにせ甲種──捕虜の中でも、連中が最上位の価値を見出した女たちだ。損失は惜しむはずだ。


 それを、横からかっさらう。


「面白そうな話ではありますな」


 ノーガンが笑った。よく無茶をしては生傷の絶えない、彼らしい発言である。


「ノーガンの言うとおりでさ。いけすかねえ連中に一泡吹かすチャンスだ、これは」


 ロストリンクスの言葉に、俺は大きくうなずく。

 乗るしかない、この面白い話に。成功すれば婚約者を奪還でき、連中に目にものを見せることができる。実に痛快な話だった。



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