第19話 戦国四君

 戦国時代せんごくじだいの華、戦国四君せんごくしくん十八史略じゅうはっしりゃくでもきっちりそのあらましは追われておる。四の五の言う前に、戦国四君の内容だけを抽出してみてみよう。



せい 孟嘗君もうしょうくん


 孟嘗君は湣王びんおうの甥であった。数千人の食客を抱え、その賢明さは諸国にも鳴り響いた。しん昭襄王しょうじょうおうはその名声を聞きつけ、先に秦から人質を送って孟嘗君を招聘。そして殺害しようと企む。

 孟嘗君は昭襄王が寵愛している側妾の元に行って救済を求めた。彼女は、孟嘗君が昭襄王に献上したような白狐の毛皮のコートがほしい、と言い出す。特別な一点ものであり、予備などあるはずがない。

 このときに大きな働きを示したのが孟嘗君の食客、犬泥棒であった。犬泥棒は秦の倉庫に忍び込んでコートを入手、側妾に差し出す。そこで側妾は、約束通り昭襄王との間を取りなし、殺害を回避させた。

 それから孟嘗君はすぐに秦からの脱出にかかる。偽名を使って秦の出口、函谷関かんこくかんにまで到着。到着は夜半であった。

 函谷関は鶏の鳴き声が聞こえたら開門するのがルールである。しかしこのまま待っていては、秦からの追っ手に捕まってしまう。ここで役立ったのがやはり孟嘗君の食客。彼は鶏の鳴き真似に長けていた。彼の技で強引な開門を果たさせ、秦を脱出すると、果たして追っ手が函谷関に到着した。とは言え国外に脱出されてはどうしようもない。こうして孟嘗君は辛くも秦より逃れた。

 孟嘗君は秦よりのこの仕打ちを恨み、斉に帰国するとかんとともに函谷関に攻め寄せた。恐れおののいた昭襄王はいくつかの領土を割譲することで講和を申し出た。

 その後孟嘗君は斉で宰相として働くが、今度は湣王に猜疑されたため出奔した。

  流浪期間中、馮驩ふうかんが孟嘗君の食客となりたいと申し出てきた。この頃食客に食わすものにも困っていた孟嘗君、はじめはこの客人を低い席次で扱った。すると馮驩は自らの剣を叩き不遇を歌い始める。仕方なくその扱いをどんどん高くしていくのだが、それでも馮驩は歌をやめようとしない。

 さすがにその振る舞いが腹に据えかねた孟嘗君、借金の取り立てという汚れ役を馮驩に申しつける。当時孟嘗君はせつの民に金を貸していたのだが、その返済が滞っていたのである。

 薛に赴いた馮驩、人々のほとんどがその生活において利子を返済出来る状態にないと気付く。そこで証文を取り上げ、衆人環視の前で、焼いた。これに孟嘗君は怒るのだが、馮驩は言う。

「薛の民を親しませんがためだ」

 じっさい、馮驩のこの振る舞いにより孟嘗君は薛公に認められた。

 一方、斉では湣王が燕の楽毅らによって大いに破られ、死亡。襄王じょうおうが立った。襄王は孟嘗君は孟嘗君の威厳を恐れ、同盟を組んだ。

 孟嘗君は、その地で生涯を終えることができた。



ちょう 平原君へいげんくん


 孝成王こうせいおうの時代、長平ちょうへいの戦いが勃発。趙人四十万が殺され、その国威に甚大なダメージを受ける。さらにその勢いのまま攻め寄せてくる秦を前に、孝成王の叔父である平原君が立ち上がる。

 平原君もまた数千人の食客を養い、その中には屁理屈を得意とする諸子百家、名家めいか公孫龍こうそんりゅうもいた。

 平原君がよりの助力を得るため同行者を募ったところ、毛遂もうすいが名乗りを上げる。これまで食客の中でも目立たなかった存在であったため、他の食客はやや馬鹿にした風であった。平原君ですら「異才は麻袋に入っていても錐が袋を貫くように飛び出してくるものだが、あなたが目立ったことはないように思える」という始末。すると毛遂、「なんなら麻袋から飛び出してみせますぞ」とまで豪語する。

 楚の孝烈王こうれつおうの元に出向いた平原君。交渉は難航する。すると毛遂が飛び出し、孝烈王の目の前に。突然の無礼に孝烈王は激怒するのだが、「いまなら私でも王を殺せます、楚の大軍すら役に立ちませぬぞ」と言い切った上、「楚とて白起はくきに三度の苦杯を飲まされておりましょう。この同盟は趙のためではなく、楚のためのものなのです」と説く。

 もっともだ、と納得した孝烈王、同盟の誓いを、毛遂を立会人とし、平原君との間に結ぶ。誓いの儀式が執り行われたのち、毛遂は他の食客らに向けて「お前たちはそこいらに転がっている石ころか!」と叱咤した。

 そして、趙・魏・楚の連合軍は見事に秦軍の撃退を果たしたわけだ。



 信陵君しんりょうくん


 信陵君は安釐王あんきおうの息子である。信陵君もまた人をよく愛し、その食客も三千人に及んだ。そして平原君へいげんくんの妻が信陵君の姉と言う間柄でもあった。

 しんに攻め立てられていた趙から、信陵君に向けてひっきりなしに救援依頼の使者が飛ばされていた。信陵君も父を何とか説得しようとするが、動かない。すると食客の一人、侯嬴こうえいが言う。

「王と晉鄙将軍とで分かち合っている割り符を盗み出しておしまないなさい。それを突き付けて王命として命じ、それでもなお晉鄙将軍が動かないのであれば殺してしまうのです」

 信陵君は力士の朱亥しゅがいとともに晉鄙の元に向かい、晉鄙を殺害の上趙の救援に出た。ただ、父からの処罰を恐れて魏には戻らなかった。

 その後秦の矛先は魏に向かう。信陵君は故郷の救援を渋ったが、結局説得を受けて救援に駆けつける。すると各国の軍も魏に協賛、こうして秦軍を函谷関かんこくかんにまで押し込んだ。

 しかし、抵抗もそこまで。信陵君の死後、魏假ぎかが王として立ったが、間もなく秦に攻め殺され、魏は滅んだ。



 春申君しゅんしんくん


 春申君しゅんしんくんもやはり多くの食客を抱えつつ、宰相として国事を取り仕切っていた。またこのとき楚に招き入れられた論説家のひとりがちょうの人の荀卿じゅんけい、すなわち、荀子じゅんしである。

 平原君へいげんくんが春申君の元に食客を使者として送る。そのとき使者にはかんざしや剣のさやに豪華なあつらえものをさせて、その豪華さを誇ろうとした。しかし春申君の食客らは皆きらびやかな靴を履いており、それを見て平原君の食客は恥じ入ったという。

 趙よりやって来た李園りえんは、妹を春申君にめあわせ、妊娠を確認したところで考烈王こうれつおうに輿入れさせた。そして生まれた子が幽王ゆうおうである。李園は間もなく春申君を暗殺して証拠隠滅をなし、楚の国事を専断した。

 幽王が死に、弟の哀王あいおうが立てられるもやはり殺された。哀王の庶兄、熊負芻ゆうふすうが立てられたが、しんに攻め込まれ、滅んだ。



 ○



 孟嘗君、平原君に較べると、信陵君、春申君の扱いが粗雑であるな。この辺りは登場順、国の扱われ方にも関わってくる印象がある。つまり十八史略的に田斉及び趙はしっかり事績を追っておくに値する国であったが、魏及び楚はそれほどでもなかった、と言うことである。と言うかいくら何でも春申君の扱いがひどすぎる気もせぬではない。まともにすごいひとであるとも書かれず、ただ贅沢好みで義理の弟に殺されるとか、どんだけである。

 こうした部分からも十八史略の各国への思い入れの差を感じ取ることができる気もするな。趙の毛遂の動きは正直藺相如のパロディに見えてきてしまうのが面白い。そうした演出は趙の人間にとってのひとつの英雄的行動のミームとして機能したのではなかろうか。


 と言うわけで、次話は最終話。いよいよ秦について取り扱い、本作を締めくくらせていただこうと思う。

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