第4話 春秋1 初期

 約1800文字。

 春秋時代しゅんじゅうじだい、開幕。

 初期と号し、各国の興り、及び -770 ~ -670 の範疇に収まる十八史略の事績を紹介して参る。当時の皆様には申し訳ないが、十八史略的にはこう言えてしまう。凪の時代、である。



○周


 平王へいおうが立ち、東周とうしゅうが始まる。


 王の存在感が衰退し、代わって諸侯が台頭する。この場を借りて、まず諸侯のアウトラインを紹介しておこう。

 しゅうと同じ、姓の者が封爵を受けた諸侯がえいしんていそうさいえん

 周の立ち上げに大きく寄与した異姓の諸侯に与えられたのがせいそうちんしん

 ほかにも小国としてきょとうせつしゅりょこうこうなどもあるが、書き切れないのでやめておく。


 -719 年、桓王かんおうが立った。

 -696 年、僖王きおうが立った。

 -676 年、恵王けいおうが立った。



○燕


 姓であり、召公奭しょうこうせきがはじめに封じられた地である。戦国時代まで記事はない。



○姜斉


 きょう姓。太公望たいこうぼう呂尚りょしょう姜子牙きょうしがの封爵地である。


 そこから話が飛び、-685 年に桓公かんこうが即位するまでの経緯が載る。

 兄の襄公じょうこうが無道であったため、その弟たちはみな災いの到来を恐れた。姜子糾きょうしきゅう管仲かんちゅうのサポートを受けに亡命、姜小白きょうしょうはく=桓公は鮑叔ほうしゅくのサポートを受け、きょに。

 いっぽう斉では襄公が弟の姜無知きょうむちに殺され、更に姜無知まで殺されるなど泥沼となる。なので斉のひとは桓公に戻って貰いたいと請願した。

 ただし魯も、姜子糾に兵を与えて斉に向かわせていた。この道すがら、管仲自ら桓公の命を狙うも、失敗。

 結局桓公が後継者レースに勝利し公位についたのだが、このとき鮑叔が管仲を推挙。なので桓公は殺され掛けた恨みを飲み込み、採用した。


 十八史略は管仲と鮑叔についても綴る。ふたりはともに商売を興し、分け前は大体管仲が多く受け取った。管仲が貧乏だったからである。

 のちにその商売が大きく失敗。しかし鮑叔は管仲を責めなかった。ものにはタイミングがあることを知っていたからである。

 また管仲が三度戦って、全てで逃げ落ちたのを見ても鮑叔は卑怯者とそしらなかった。管仲が老いた母を養わねばならぬ身の上と知っていたからである。

 これらのことから管仲は「産んでくれたのは父母だが、俺のことをわかってくれているのは鮑叔だけだ」と言った。



○中原諸国


 周立ち上がりのときに周公旦しゅうこうたんが封じられたが、封地の経営は子の伯禽はくきんに一任された。伯禽から数えること十三代、-722 年の隠公いんこう就任から、魯の歴史書『春秋しゅんじゅう』の記述は始まる。

 隱公いんこうの弟が桓公かんこうとなった。


てい

 しゅう宣王せんおうの弟である桓公かんこう姫友きゆうが封じられた。武公ぶこう莊公そうこうが継ぎ、みな周で司徒しとの地位に就いた。

 なお十八史略上では周との蜜月、そして破綻は一切触れられておらぬ。


ちん

 姓。しゅんの子孫、胡公ここう嬀満きまんが武王の時代に封じられた。-672 年に利公りこうの息子嬀完きかん、改姓して陳完ちんかんせいに亡命した。彼の子孫は田氏でんしとなり、後に斉を簒奪するのである。



しん


 成王せいおうの弟、姫虞きぐが始祖である。はじめとうに封じられ、息子の代で晋に移封。立ち上がりから諸々ドサクサがあったが、十八史略は爽やかに省略する。いいのかそれで。


ちょう

 その先祖は飛廉ひれんと言う。ちゅう王の臣下である。その子が季勝きしょう、孫が造父ぞうほ。造父は周の穆王ぼくおうに仕え、功績から趙の地に封じられた。ここから趙を姓とした。

 春秋時代に趙夙ちょうしゅくが晋の献公けんこうに仕えた。


 元々は氏である。周の武王の弟、ひつに封爵を受けた姫高きこうの子孫であったが、その家門はしばし絶えていた。やがてしんの武公の時代に畢万ひつまんが仕え、魏に封じられた。


かん

 先祖は周の武王の子が韓に封じられたところから始まる。しかし途中で後継者が絶えた。その後晋の武公に韓万かんまんが仕えた。




 楚の先祖は五帝の顓頊せんぎょくにまで遡るという。その子は五帝のこくに仕え、火生かせいという官に任じられ、祝融しゅくゆうと号された。その子孫の鬻熊いくゆうが周の文王に仕えた。鬻熊の息子、熊繹ゆうえきが周の成王せいおうにより丹陽たんように封じられた。周の夷王いおうの時代に家督を継いだ熊渠ゆうきょが王を自称した。


 熊渠から十一代を下ったところで、春秋時代に突入。武王ぶおうが楚の国を強大なものとし、その息子の文王ぶんおうえいに都を移した。その息子が成王せいおうである。



しん


 しんの祖先は趙と同じく飛廉である。その子孫の一人、非子ひしが馬を好み、しゅう孝王こうおうに仕え、汧水けんすい渭水いすいの間の地域で馬を育てたところ大いに繁殖させた。この功績から孝王より秦の地に封爵された。


 そこから二代下り秦仲しんちゅうの代に勢力を拡大。そこから莊公そうこう襄公じょうこうと経る。襄公の時代に幽王ゆうおう犬戎けんじゅうに攻め殺される事件が起こったが、このときに周の王室をよく助けたため諸侯に認定された。


 以降、文公ぶんこう寧公ねいこう出子しゅつし武公ぶこう德公とくこう宣公せんこう成公せいこうと続き、春秋五覇に数えられる穆公ぼくこうに至る。

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