伽藍堂、そして

 伽藍堂。その雑貨屋は目立たない。

 看板も無ければ暖簾のようなものも無い。

 かといってチラシを出すわけでもないし、店頭に商品が並べられているわけでもない。

 ただ一つの民家を思わせるその最初の入り口は階段だ。

 非常階段を思わせる赤色の外階段。

 手すりはところどころ塗装が剥げてしまい、金属の原色が剥き出しとなっている。

 店そのものは二階にあり、建物自体は白い外壁で覆われている。

 入り口の木製扉には「ようこそ伽藍堂へ」と書かれた小さなプラカードがかかっており、扉を開けて中へ入るとカランカランと音が出るようになっている。

 そして、今日もその音は小気味良く店内へと響いた。

 読んでいた本を下ろした伽藍堂の店主は、眼鏡の向こう側からこちら側を覗いてきた。

 向こう側に見えるその碧眼はじっとこちらを見つめたあと、ふいっと本へとその視線を戻した。

 いつもとは少し違ったその態度に戸惑いながらも、俺は店内の散策を始めた。

 学校の教室よりも少し狭いくらいの店内の中央には、アクセサリー類の置かれたテーブルと、食器類が置かれたテーブルとが並び、壁際には何語で書かれているのか分からないポスターや古着、本、小さな家電などが並べられている。

 やはりいつ来ても興味のそそられる品ぞろえの店だ。

 適当に壁際の古着の近くを歩く。たしか以前来た時にはこの近くにそのハンドタオルの類が並べられていたはずだ。

 古着のかかったラックの隣、手作り感あふれる木製の棚の上にそれらは等間隔に、きれいに端をそろえて並べられていた。

 目的のものはすぐに決まった。棚の中段、その右端に置かれた白いハンドタオル。

 端の方にワンポイントで白百合のイラストが刺繍されている。

 特に使われたようなあとは見つからない。

 俺はそれを手に取り、値札を見た。九百八十円。つまり約千円。

 ハンドタオルとはこんなに高いのか? 

 驚きの金額に財布の中身と帰りの駄賃に思いを馳せる。

 よし、問題ない。それに秋帆の誕生日だし少しくらいいいものを買ってもいいだろう。

 こうして頭の中で結論をやや強引に導き出すと、俺はそれを持ってレジへと向かった。

 碧眼の店主もこの時ばかりはさすがに本を下ろしてレジ前に立つ。

 商品を持ってレジの前に立つと、俺は店長に見下ろされる形になる。おそらく彼の身長は百八十センチメートル以上。肩幅もそれなりに広く、ラグビーをやろうと思えば選手としてそれなりに活躍が出来るはずだ。

「このハンドタオル。お願いします」

 そう言って俺は棚から取ってきたハンドタオルをカウンターの上に置いた。

「はいよ……」

「これで」

「ありがとさん……、お釣り忘れんように」

「はい。ありがとうございます」

 そう言ってハンドタオルをリュックにしまい、財布に小銭を入れようと、お釣りに手を伸ばしたその時。

 まるで待ち構えていたかのように素早く店主の手が伸び、強い力で俺の左手首を捉えた。

「えっ?」

 突然のことに頭が追い付かない。

 今までここを利用したことはあるが、こんなことをされたことは一度もなかった。

「お前……。俺の眼を見ろ」

 掴まれた腕から視線を移し、店主の顔を見る。

 彼の眼鏡はカウンターに置かれ、その碧眼は鋭く光るかのように俺の顔を睨みつけていた。

「何も、盗んでません、よ?」

 なんとか喉から声を絞りだす。

 おかしい。俺は手首を握られ、睨まれているだけだ。

 それなのに声が出づらくなるなんて。緊張? それだけでこんなことになるか? 

 分からない。沈黙の中、えも知れぬ恐怖だけが俺の頭の中を満たしていく。

「……そんなことはどうだっていい。お前はどっちだ?」

 見定めるかのような沈黙を破って、彼が放った言葉がこれだ。

 何を言っているのかなんて分かるわけがない。

 というかそれ以上に掴まれている腕が痛い。

 パキッ。何かが割れる音がした。

 左手にあったもの……。そうだ、時計だ。

 いやおい、冗談だろ。待て待て待て、ただの握力で時計を握りつぶすとかどんな馬鹿力だよ。

「どっち……という……の、は……」

「何度も言わせるな。お前はどっちだ」

 会話が成立しない。

 その上、とてつもない力で腕を握られている。

心臓は早鐘を打ち、恐怖がこみ上げる。

「あの……。何を、言っているのか……、本当に、分からない……、です」

「そうか――。分かった。もういい」

 店主は聞く気が失せたのか、どこか安心したかのような顔をして握りしめていた俺の手首を開放した。

「ボウズ。その時計悪かったな。来週にでもまたこの時間に来てくれ。そのお詫びをする」

 それだけ言うと、彼は何か言い返す隙すら与えること無く、店の奥へと戻ってしまった。

 脳内に溢れていた恐怖が次第に沈静化していくのが感じられる中、先ほどの出来事を思い返す。

 詫びって、そんなレベルの話か? 

 訴えられてもおかしくないことだって気づいてないのか、あの店主は。

 でも……よくはしてもらっていたしな……。割引とか。 

 脳内ではこれまでの店主とのやり取りが思い出される。

 まあ、これは今日帰ってからゆっくり、寝る前にでも考えよう。

 ひとまず左手はまだ無事ってことだけは確かだ。

 俺は左手をグーパーさせながらその無事を静かに喜んだ。

 ちょっとした事件のあった雑貨屋「伽藍堂」を出る。

 そして階段を下れば、見慣れた道路が左右に伸び、この時間であれば、道路脇の街灯がその明かりを灯して夕方の道路を薄く照らしている。

 そのはずだった。

 階段を下りた。

 だが、そこに左右に伸びた道路は無い。

 つまり、ここへ来る途中に辿った道も、道端で遊ぶ子供もそこには存在していなかった。

 そこにあるのはただの一本道。

 その両脇にはまるで壁のように、窓の無い白い家々が立ち並んでいるだけだ。

 その光景に圧迫感すら感じる。

 そして、それとともに辺りには薄霧が立ち込め、周囲の見通しを悪くさせていた。

 霧。霧である。

 先程、つい十五分ほど前まではその気配すら無かった霧だ。

 空が霞んでいる。

 夕日が霞んでいる。

 陽光が滲んでいる。

 街灯の光が滲んでいる。

 どこを見渡しても全てが霧に覆われ、道路の奥に至っては、その先が分からなくなるほど、オレンジ色に染まった霧に全てが包まれていた。

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