第十三話 絵
保護者たちが出払ったあとも、僕と響野、それに菅原は喫茶店の個室で顔を合わせていた。こういう展開になることを見越して、少し長めに時間を取っておいたのだ。
「坊ちゃん、大丈夫ですか?」
菅原が眉を顰めて個室に入ってくる。
「大勢の人間が、とんでもない剣幕で出て行かれましたが……」
「僕じゃなくて響野さんが煽り倒したんだよ」
「え、俺のせい?」
他に誰がいるというのだろう、この大人は。そもそも響野さんって幾つなんだろう。良く知らない人間にいきなり年齢を訊くのはあまり行儀が良くない気がして尋ねていないけど、僕より10上ぐらいだろうか……。
いや、そんなことは本当にどうでもいいんだ。
「お客様……お客様!?」
菅原に続いて個室を覗きに来た店員さん──コーヒーを持ってきてくれた女性だ──が白いシャツを茶色く染めた響野を見るなり悲鳴のような声を上げる。そこはね。そうなるよね。
「あ、大丈夫です、火傷とかしてないんで」
「タオルとお手拭きお持ちしますね! お待ちください!」
とんちんかんなことを言う響野を尻目に、店員さんはパタパタと個室を出て行ってしまう。親切な人だなぁ。
「コーヒー、ですか?」
菅原が不審げに尋ねる。響野は笑顔を崩さぬままに首を縦に振る。
「バシャーッてやられちゃった!」
「なんとまぁ……坊ちゃんがご無事なら私は構いませんが……」
「俺も別に、コーヒーかけられるぐらいで済むならノーカンですよ。それより例の、『絵』は無事?」
後半の台詞は僕に向けられたものだ。『絵』。いじめ加害児童から『悪魔の絵』を集めようと言い出したのは響野だ。彼の真意が、僕には良く分からなかったのだけど。
「お待たせしました、タオルと、お手拭きと、こちら温かいお茶になります……」
走り去ったはずの店員さんが両手いっぱいのタオルやお手拭きに加えて、良い匂いのするお茶を持ってきてくれる。緑茶だ。嬉しい。ありがとうございます、と菅原が湯呑みの乗ったトレイを受け取っている。
「他に何か必要なものは……」
「必要なものはないんですが」
と、お手拭きで顔を拭きながら響野が言った。
「この部屋を誰が予約したのかと、中で何かが起きていたってこと、誰にも言わないでもらえますか?」
先ほどまでの煽りが嘘のように、平坦で低い声だった。店員さんは大きく両目を見開き、それからきゅっとくちびるを噛んで、
「……お客様のプライバシーはお守りいたします」
「ありがとう。よろしくお願いします。それじゃあ、退室時間までもう少し……」
「はい、ごゆっくりお過ごしください」
長テーブルの右側に、菅原、僕、そして響野という並びで座る格好になった。ものすごく偏っている。この個室には最大で15人以上が入ることができるというのに。
「菅原、なんかバランス悪いから正面に座って」
「ええ、嫌です。なんだか汚いです」
「汚い? あの人たち座席汚して行ったの?」
「そういう汚れではないんですが……」
菅原にだけ察知できるケガレが、そこにはあるのだろう。だったら仕方ない。左右を長身の成人男性に挟まれる格好で、保護者たちが置いて行った紙を手に取る。全部裏返しになっている。
「開けます」
まるでパンドラの箱を開くような気持ちで、そう宣言した。
いつの間にか茶色く染まったシャツを脱いで黒いTシャツに着替えている響野と、膝の上でぐっと拳を握った菅原が、同時に「どうぞ」と言った。
まずは一枚目。西林母が置いて行った、サッカー部所属の西林碧が描いた『絵』──
「あらまぁ……」
菅原が間の抜けた声を上げる。正直僕も、同じ気持ちだ。
次は生徒会秘書、美術部所属の遠藤侑帆が描いた『絵』。
「なるほど美術部。模写には長けているようだ」
響野が呟く。
いや、これは、模写なんて可愛いもんじゃないだろう。
「盗作では……」
「そういう見方もあるね。続けて行こう」
促されるままに三枚目、ダンス部所属小林北斗の『絵』。
──三枚目でこれでは、誰からのコメントも出なくなってくる。
四枚目。バレーボール部田中美樹の『絵』。
「おっ」
「あらっ」
響野と菅原が同時に身を乗り出す。左右からぎゅうぎゅうに挟まれている僕も、黙って目を見開いていた。これは。
「最後行こう、最後」
「はい」
五枚目──ラスト。ダンス部副部長の秋泉沙織の『絵』。
「これは」
田中、秋泉の描いた絵を指差しながら菅原が言った。
「悪魔というより、──狐に近いと菅原は思うのですが」
「俺も同感」
そう。
五名のいじめ加害児童が描いた『絵』の方向性は真っ二つに分かれていた。
秋泉沙織、田中美樹両名が描いた、白い毛皮の狐の絵。
そして、残る男子生徒三名が描いた、ヤギの頭、額に五芒星が光る生き物の絵──。
どちらかが悪魔により近いかといえば、圧倒的に後者だろう。しかし。
「『悪魔、ヤギ』とか『悪魔、バフォメット』なんかで検索すれば出てくる絵の模写だと思うね、これは」
右手中指の第二関節でヤギ風悪魔の絵をコツコツと叩きながら響野が断言する。
「特に美術部の遠藤侑帆が描いたこれは完全に、エリファス・レヴィが描いたバフォメットの模写だ。『悪魔、ヤギ』で検索して、そっからwikiにでも辿り着いたんじゃないかね」
僕の考えていることはすべて響野が言ってくれた。「バフォメットというものを菅原は存じ上げませんが──」と前置きをした僕の秘書は、
「模写、という点については同意です。この絵を参考にして描いたのが、残りの二枚だということも」
「描き上げた絵の写真を撮ってメッセージアプリかなんかで共有したんだろうな」
遠藤の描いたエリファス・レヴィのバフォメットの模写の模写──それが西林、小林両名の描いた『絵』だった。真面目に描く気なんてまるでない。ヤギっぽいツノと額の五芒星、それに背景をおどろおどろしく黒い色で塗って誤魔化そうという気持ちだけが強く伝わってくる。
「それに較べて、こっちはどういうことなんだ?」
響野が身を乗り出し、秋泉、田中、女子生徒二名が描いた悪魔の『絵』を睨め付ける。
白い毛皮の狐。
ふたりの筆致は、まるで似ていない。決してうまい絵ではないが、男子生徒たちのように連絡を取り合いながら描いたわけではないのだろう。
狐。
(──市岡。狐憑きの、市岡家)
従兄弟、錆殻國彦の声が耳の奥で反響している。
死んだ従妹。國彦の妹。光臣の娘を呪い返しで殺した、かもしれない一族の名。
市岡。
彼らは獣憑きで、狐を使役しているという。
浅瀬船中学校に潜んでいるのは、悪魔ではなく、狐なのか?
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