第六幕
スマホをみて時間を確認する。
朝五時。特に異常は起きておらず、アリスからも連絡は無い。このまま朝を迎えれば無事に帰ることができる。
そんな心が弛緩した時に限って、事件は起きる。
「亥久雄さん、聞こえますか? 亥久雄さん」
扉をノックして呼びかける声が廊下の角の向こうから聞こえる。
私はすぐさま立ち上がり、廊下を駆ける。
角を曲がると、ロックさんが亥久雄さんの部屋の前に立ち扉を叩いていた。
「ロックさん、一体どうしたんですか?」
「七崎さん……。屋内の温度が下がったので調べて見たら、どうやら亥久雄さんの部屋から冷気が入り込んでいるんです」
「温度が下がった……? 全く感じませんでしたけど」
「人間では感知は難しいかもしれませんが、我々機巧人形ならば気温を測ることができるんです。尤も、廊下に出なければ気づけない程度でしたが」
スマホが着信を告げる。
『ソウジさん、何が起きているんですか?』
「アリス、緊急事態だ。絶対に閑奈のそばを離れるな」
私はスマホをしまってドアノブを掴む。ノブは回るが扉は動かない。
「緊急事態です。ぶち破りましょう」
「はい」
私はロックさんと共に扉に体当たりし、扉をこじ開ける。
扉を開けると一気に冷気が襲ってきた。開け放たれた窓から雪がちらほらと部屋の中に舞い込んでいる。
そして部屋の中央では、亥久雄さんが倒れていた。見開かれた目の瞳孔は開いており、確実に死んでいる。
「亥久雄さん……」
呆然として呟く。
あれだけ警戒していたにも関わらず、第二の事件を防げなかった自らの不甲斐なさに壁を殴りたくなる。
「ちょっと、何の騒ぎ?」
振り返ると、騒動を聞きつけたのか、卯月さんがやってきた。そして部屋の中を見るなり目を見開く。
「亥久雄兄さん……嘘、でしょう……」
「卯月さん、気を確かに」
ロックさんが声をかけるも、卯月さんはよろめいてふらりと崩れ落ちそうになる。 だが、床に転がった物に気づいて動きを止める。
「これは……」
「触るな!」
私が鋭く叫ぶと、卯月さんは茶色い小瓶に伸ばしかけた手を止める。
「叫んですみません。現場保存は捜査の鉄則です。あまり不用意に手を触れないでください」
「でも、これは……」
卯月さんが震える手で指差すと、ロックさんが眉を顰めた。
「これは二時間前に亥久雄さんが手に持っていた小瓶ですね」
「ロックさん、亥久雄さんに会ったんですか?」
「ええ、厨房で。喉が渇いたと言って閑奈お嬢さんのグラスに手を伸ばしていました。私が声をかけると、この小瓶を隠すようにしてから別のグラスに水を注いで飲んだあと、厨房を出て行きました」
「なんて事……」
卯月さんが肩を抱いて震える。
色々と気になる事はある。だが、まずはみんなの安全の確認と、現場の捜査だ。
「ロックさん、卯月さん。閑奈ちゃんの部屋に行ってアリスを呼んできてください。その後は他のみんなを起こして広間に集まってください。決して一人で行動をしないように」
「わかりました」
未だショックを受けている卯月さんを支えながらロックさんが部屋を出、しばらくしてアリスがやってきた。
「事件が起きたんデスネ」
「ああ」
あの時、亥久雄さんの部屋の前を見張っていれば、事件は事前に防げたのだろうか。あるいは、私にもっと推理力があり犯人を突き止める事ができていれば……。起きてしまった事件に後悔しても詮の無いことだとはわかっていても、連続殺人事件に出くわすたびにこの手の後悔を抱いてしまう。
だが感傷に浸っている暇はない。アリスが入り口を見張っている間に部屋の中に誰も潜んでいない事を確認した。
「アリス。部屋の撮影と指紋、死因、死亡推定時刻の捜査を頼む」
「ワカリマシタ」
アリスが部屋の中を調べている間、私は遺体を調べる。首元には寅吉さんの時と同じ、毒針が刺されたような跡がある。ワイシャツの襟を避けるように刺してあるため、首元というよりはほぼ頭といいてもいい位置だが。
そして死体の傍には、亥久雄さんの眼鏡とネクタイが転がっていた。
眼鏡はいい。倒れた時の衝撃で外れたのだろう。だが、ネクタイは不可解だった。ネクタイが何かの衝撃で外れる事は考えづらい。
外したのは亥久雄さん自身か、犯人か。前者ならばネクタイを外したとして床に放る理由がわからないし、後者ならばネクタイを外す理由自体がわからない。
続いて亥久雄さんの手元に視線を映す。事件捜査の時に私がはめているような白い手袋をしている。寅吉さんと同じく、いかにもこれから犯罪を起こそうという姿にしか見えない。
いや、現に起こそうとしていたのだろう。ロックさんに見咎められたから中断しただけで。
私は先ほど卯月さんが触ろうとした茶色い瓶を見る。ラベルに書かれている文字は「Aconitine」。トリカブトの毒だ。亥久雄さんが閑奈のグラスにこれを塗って毒殺しようとした可能性はほぼ確実だろう。昨日、昼食の際に急に上機嫌になったのは毒殺の目処がついたからなのかもしれない。
軽く検視して死亡推定時刻を割り出す。死後五時間から一時間。いつ窓が開けられたのかわからないため、正確に割り出す事は難しい。
ポケットを探ると、部屋の鍵が見つかった。扉に行き、確かにこの部屋の鍵である事を確認する。
「ソウジさん。指紋はイクオさんのものしかありませんデシタ。続いて検視に入りマス」
「頼む」
亥久雄さんの体を触り、死亡推定時刻を下す。
「体温、角膜の濁り具合、紫斑、死後硬直の進行具合……窓がいつ開けらて気温が下がったかわからないので幅が広くなりマスガ、午前二時から四時半までデス」
「二時間前に亥久雄さんが台所にいた姿をロックさんが目撃している。三時から四時半が死亡推定時刻だな」
「台所で? 何をしていたんデショウカ」
「それはあれを見れば一目瞭然だろうさ」
私は瓶に顎をしゃくる。
「アコニチン……ナルホド」
アリスも全てを察したらしい。
「首の上に毒が刺された跡がある。毒の成分も調べてくれ」
「ワカリマシタ」
傷口に触れ、ペロリと指を舐める。相変わらずゾッとしない光景である。
「寅吉さんを殺害した毒と同じデス」
「という事は、十中八九同一犯だろうな」
ヤドクガエルの毒を持った人間が二人もいるとは到底思えない。
「デスガ、前回と違って密室ではありマセンネ」
「ああ」
私とアリスは開け放たれた掃き出し窓に近づく。が、そこで違和感を抱く。
「これ、塀か?」
外の白い風景は雪景色だと思ったが、近づいてすぐにわかった。窓のすぐ外に塀が迫っているのだ。
「どうしてこんなに窓と塀が近いんだ?」
「どうしてデショウ。危うく外に出ようとしてぶつかるところデシタ」
「おいおい、ご自慢のM3104で館の地形は把握しているんじゃなかったのか?」
「あれはあくまで館内の見取り図デス。正確な測量をまだ行なっていないので、庭の地図はインプットされていないんデス」
そういえばスマホで見取り図を閲覧していた時も、庭の図面は存在しなかった。
「アリス。窓から外に出て屋敷と塀の間を通れないか試せるか?」
「試すまでもなく無理デス」
胸が平たく小柄なアリスで無理ならば、他の人達にも無理だろう。いや、さらに小柄な閑奈には可能なのかもしれないが、彼女が一晩中部屋にいたことは廊下を見張りがてら、アリスを通して私がスマホで確認していたので、閑奈にはアリバイがある。
「窓は開いていても侵入できないという事は、つまりは結局密室という事デスネ」
「まあ、そういう事だな」
「ところで、侵入経路でも脱出経路でもないのならば、どうして窓が開いているのでショウカ」
「お前の中には推理小説を含めた事件のデータが詰まってるんだろ。その中に前例はないのか?」
「そもそもの話、塀が家にここまで迫っている欠陥構築の家のデータがありマセン」
もっともである。
「可能性としては犯人が窓から脱出しようとして壁が眼前にある事に気がついて断念したか、侵入ルートを隠すためにあたかも窓から脱出したかのように見せかけようとして窓を開いたかだな。後は犯人がまだ部屋の中にいるがすでに脱出したと見せかけているパターンもあるが、部屋の中を隈なく探したが誰もいなかったからそれはない」
「ナルホド。色いろと考えられるんデスネ」
部屋の中は調べ終わった。ネクタイや開いた窓など、前回に比べると手掛かりはあるが、矢張り密室の謎も犯人の正体もわからない。
「とりあえずみんなに状況を説明するか」
私とアリスは亥久雄さんの部屋を出て、広間に戻る。
広間には雪掻きに出ているであろうキャシーさんとバーリィさんを除くみんなが集まっていた。卯月さんは顔面蒼白になっており、美月が隣で心配そうに母親の様子を伺っている。
「もう聞いたかもしれませんが、亥久雄さんが亡くなりました。寅吉さんと同じ毒で殺害されたので、同一犯の可能性が高いです」
場はしんと静まり返っている。もはや何か話す気力も――いや、昨日までそれなりに意見を述べでいた亥久雄さんがいないのだ。彼はそれなりに場の空気を保つ役をしていたのだと思うと、不在が身に染みる。そして不在の実感は、死という取り返しのつかない喪失感となる。
「それで、犯人はわかりそうですか?」
憔悴しきった顔で和真が訪ねる。昨日は父の仇に憎悪を滾らせていたが、今や相手は父の仇ではなく、連続殺人鬼なのだ。憎しみよりも畏れの方が勝っている。
「すまない、まだ分からない。だけど、前回と違って今回は幾つか不審な痕跡が残っていた」
「不審な痕跡?」
「ああ」
私は外されたネクタイと、出入りできないにも関わらず開いた窓について説明する。亥久雄さんが閑奈を殺そうとした疑いがある事は伏せた。閑奈に、十二歳の少女に、自らが命を狙われているなんて事は伝えたくない。
「それで閑奈ちゃん。どうして塀が家のすぐそばにあるような設計になってるんだ?」
俯いていた閑奈が顔を上げる。幼い少女の身近で二件もの殺人事件が起きたのだ。ショックを受けない方がおかしい。しかし閑奈は健気に私の質問に答えてくれる。
「それは……別に大した理由じゃないよ。この前に言った通り、このお家はもともと旅館だった家を買い取ったんだけど、塀は後から防犯のために建てたの。でも亥久雄叔父さんの部屋のすぐ外には小ちゃな祠があって、それを避けるように塀を建てたから、あそこまで壁が接近したの」
「祠か……」
よもや雀蜂を祀っているものではないだろうな。
「拙僧の寺に頼めば、移転に協力したのですが」
「最初はそういう話もあったんだけど、その祠はこの山の悪いものが降りてこないように見張っている神様の居場所だから、どうしてもあの位置から動かせないんだって」
「カミサマならお寺では移転できマセンネ」
「神すなわち神道ではありませんよアリス殿。仏教はインド神話の神々も取り入れています。有名どころではサザンアイズに登場するパールヴァティーやシヴァですな」
「サザンアイズ……?」
「パールヴァティーなら知ってるよ。メガテンⅡにいたから」
「古いなあ……」
真っ先にソシャゲが思い浮かびそうなものだが、よくよく考えたら西園寺亭にはスマホが無いのでプレイできないのだろう。そう考えるとレトロゲームをプレイしている少女に憐れみを覚える。
だが、この雑談で多少場の空気が和らいだ。海円さんには本当に毎回助けられている。
「ロックさん。雪かきの進行具合はどうですか?」
「自分が場を離れてしまったので予定より遅くなりましたが、夕方には車が出せるようになるはずです」
「ありがとうございます。皆さん、聞いての通りです。今日の夕方には麓に連絡を取れるようになり、そうなれば警察もやって来ます。それまで単独行動を控えて、身の安全を優先しましょう」
「でも……警察に任せるって探偵としての敗北じゃないですか?」
美月のセリフに私は首を横に振る。探偵が警察に事件を委ねるのは、確かに探偵小説において探偵の敗北なのだろう。
だが、私は現実の探偵。創作の探偵のような謎解き屋ではない。事件を解決する事が仕事である。犯人を暴いてくれるのならば、警察に頼ることに微塵も躊躇いはない。
「勝ち負けで言えば、警戒していたにも関わらず第一の殺人を防げなかった時点で、俺の負けだ。だけど、勝ち負けの問題じゃない。これ以上被害者を出さない事が最優先だ。とはいえ警察が来るまでに第三の事件が起きないよう、犯人探しは諦めない。事件の捜査は継続する」
「でも……どうやって?」
「まだ調べていないところがあるから、そこを調べる。行くぞ、アリス」
私はアリスを連れて広間を出る。
「まだ調べていない場所なんてありマシタカ?」
「ああ龍彦さんの部屋に行くぞ」
「そこは昨日調べませんデシタカ……まさか」
おそらく、アリスの予想は当たっている。
「そのまさかだ。パソコンの中を調べる」
◯
龍彦さんの部屋で椅子に座り、パソコンに向き合う。
氏が亡くなってから一年間経つも、机にも椅子にも埃は積もっていない。キャシーさんがこまめに掃除しているのだろう。
パソコンを起動すると、パスワード入力画面が現れる。
警察ならばパスワードがあろうが中のデータが消去されていようが調べる事が容易だろうが、私は一介の探偵である。パスワードの壁は固く、高い。
「なあアリス。パソコンと接続してハッキングできたりしないか?」
「ワタシは探偵助手デス。犯罪行為の機能はありマセン」
探偵は犯罪ギリギリの行為も行わなければいけないのだが、AIは融通が効かない。
「デスガ」
アリスはキーボードに手を伸ばすと、球体関節の指でカタカタと入力する。
エンターキーを押すと、パスワードが解除された。
「おいおい、一体どうやったんだ?」
「ワタシの中には人がパスワードとして選びがちな文字列の統計データが入っていマス。それに従ってタツヒコさんとカンナちゃんの誕生日を組み合わせた文字列を入力しマシタ。一回目で正解を引き当てたのは、偶然デス」
「よくやったアリス!」
デスクトップの背景は、白髪の混じった理知的な顔をした男性と、フランス人形を抱いた閑奈の写真だった。恐らくこの男性が龍彦さんなのだろう。この屋敷の中庭で、二人揃って輝かんばかりの笑顔をしている、
そして、デスクトップのアイコンはごく僅かなものだった。
「研究論文や機巧人形のデータがあると思ってたが、そうでもないな」
「それはバーリィさんを生み出した研究所の方にあるんじゃないデスカ?」
「その可能性が高いだろうな」
画像フォルダを開く。時系列順に並べられたフォルダ内にある写真は閑奈の写真ばかりだった。今より幼い閑奈がカメラに向かって微笑んでいる。
やがて、機巧人形の写真も増えてきた。最初はキャシーさんだけだったが、ロックさんが現れ、バーリィさんが現れ。だんだん賑やかになっている。キャシーさんに勉強を教わっている閑奈、ロックさんと一緒にお菓子作りをする閑奈、バーリィさんに肩車をしてもらってはしゃぐ閑奈……まるで普通の家庭のようだが、彼女彼らの体は球体関節であるので、どこか作り物めいたような空虚さを感じる。
閑奈と一緒ではない、機巧人形だけの写真や動画もあった。恐らくは機巧人形の試用データを動画の記録して残してあるのだろう。器用に包丁捌きをするロックさん、クマネズミを捕まえて焼却炉に放り込むキャシーさん、松の木の手入れをするバーリィさん……そこまで見た時、私は衝撃を受けて思わず立ち上がる。
「どうしたんデスカ?」
「おい、アリス。機巧人形は生物に危害を加えられないんだよな」
私は震える声で尋ねる。
「ハイ。そうデスヨ」
「じゃあ……どうしてキャシーさんはネズミを駆除できてるんだ⁉︎」
「ああ、それはデスネ。生物に危害は加えられないと言いましたが、実は一部例外があるんデス」
「なんでもっと早く言わなかったんだぁっ!」
あまりの爆弾発言に思わずアリスのほっぺを両側から引っ張る。
「言う必要がなかったからデス。その例外があったところで、機巧人形が今回の事件の犯人ではありえない事に変わりはありマセン」
ほっぺを引っ張られているにも関わらずアリスの発声は変わらない。喉のスピーカーか何かで発声しているからだろう。
「そもそも一昨日、キャシーさんが自己紹介の時にしっかりと害獣駆除が仕事だと言っていマシタ。それなら生物を傷つけられないとワタシが言った時に、おかしいと思うべきデスヨ」
「ぐ……」
アリスの正論に何も言い返せない。完全に私の手落ちである。
「そうだな。すまなかった」
私はほっぺから手を離して謝罪する。
「いえ、必要ないと勝手に判断して言わなかったワタシも悪かったデス」
「それで、その例外っていうのは?」
アリスは私の前に手のひらを差し出す。
「ワタシ達は害獣駆除も仕事デス。自宅介護の際や海外に病院を設けた際にネズミがいると不衛生デスカラ。なので手の平のサイズ、15センチ以下の生物、さらにロボット工学三原則の第一条ではありマセンガ、明らかに人間に危害を加える生物、身長の2倍、3メートル以上の生物に危害を加える事が許されていマス」
「3メートルって……ゾウやクジラくらいしかいないじゃないか」
「人間の身長のギネス記録は2.72メートル。ここまで設定しないと決して人間に危害を加えないと言う謳い文句が台無しになるんデス」
「それでももう少し何とかならなかったのか。ここは北海道なんだし、何とか熊くらいは……」
そこまで言いかけた時、屋敷に悲鳴が響き渡った。
さらに隣の部屋から暴れる音がする。隣の部屋は、閑奈の部屋だ。
私とアリスは顔を見合わせ、同時に扉に向けて駆け出した。
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