第三幕

 西園寺邸の玄関は広い三和土だった。靴を脱いで木張りの廊下に足を下ろすと、ミシッと音が鳴る。

「ちゃんと電話があるんですね」

 玄関のすぐそばには台の上に乗せられた電話機が置かれていた。

「ええ。電話回線は届いていますからね。閑奈様の部屋に置かれたパソコンでインターネットに接続する事も可能です」

 なるほど。一応外部と連絡は取れるわけだ。電話線を切断される事がなければの話だが。

 キャシーさんに案内され、廊下を直進する。廊下の右側には部屋があるが、襖や障子といったものはなく、丸いドアノブのついた木製の扉ばかりだった。

「ふと気になったのですが、この廊下は拙僧や七崎殿が足を踏み出すたびに軋む音を立てています。しかし、どうしてアリス殿やキャシー殿はほとんど足音を立てずに歩けているのですか?」

 海円さんの言葉に、今更ながらに二人の人形が足音を立てずに歩いている事に気がつく。確か元は医療目的に開発されたわけなので、患者の迷惑にならないように音を立てずに歩くようプログラミングされているのだろうか。

「それはデスネ。ワタシたち機巧人形は、体重が10キロしかないからデス。ワタシは色々な機能を内蔵していマスケド、それでも体重は20キロデスネ」

「マジか⁉︎」

 私はアリスの両脇を掴んでひょいっと持ち上げてみる。

「うおっ、軽すぎて気持ち悪!」

 それなりの重量である事は確かなのだが、人間と比べて軽い。軽すぎる。

「レディの身体に急に触るのも失礼なら、その言葉も失礼デス。早く下ろしてクダサイ」

 ジタバタと暴れるアリスを下ろす。人間、見た目以上に軽すぎると引いてしまうらしい。

「私たち機巧人形の体重が軽いのは、転倒時の危険性を考えての事です」

 我々を先導しながらキャシーさんが答える。

「安全のために絶対に体重を軽くして欲しい。それは龍彦様がどうしても譲らなかった要望だったと聞いています。それを受けて高野博士は苦心しながら、チタン合金や炭素繊維等の最新の素材を使い、骨格を組み替え、電気効率をあげてバッテリーを小さくし、体重を10キロまで減らしたそうです」

「なるほど、納得です」

 やがて廊下が左手に折れる直前の扉の前でキャシーさんは立ち止まり、ノックする。

「閑奈様、キャシーです。お客様をお連れしました」

 そう告げると、部屋の中から「入って」という声が聞こえた。

「失礼します」

 キャシーさんが扉を開けたので、私たちは部屋の中に踏み入る。

 部屋の中は屋敷の外観と異なり洋風だった。ファンシーなベッドやテーブルが置かれ、ベッドには一人の少女が腰掛けていた。

 キャシーさんが少女の傍に立つ。

「西園寺家当主、西園寺閑奈様です」

 弁一の話では閑奈は十二歳との事だった。年相応の幼い顔立ちをしたセミロングの少女は、フランス人形を抱きしめ、上目遣いでこちらを伺っていた。

 ただでさえ、この手の幼い子供の相手が苦手な私であるが、父親を亡くしたばかりの子供の扱いというのは本当にどうすればいいかわからない。何度殺人事件に遭遇しても、肉親を亡くした人にかける言葉は見つからないのだ。

 どうしたものかと立ちすくんでいると、海円氏が音も気配も無く前にでた。

「閑奈殿ですね。拙僧は蓮光寺の雲水、海円と申します。この度はお父上の法要を行うために参上仕りました。どうぞよしなに」

 そう言って一礼をする。

 短い、簡潔な挨拶だった。

 しかし、それだけで閑奈は伺うような表情をやめて我々を眺めた。海円さんの穏やかな物腰と喋り方が功を生したのだろう。会って数時間だが、このお坊さんの人当たりの良さにはほとほと関心する。

 この機会を逃すまいと、私は続けて自己紹介する。

「えっと、俺は七崎霜二。ミュージシャン志望のフリーターで、高野弁一の代わりに来たんだ。弁一は知ってるか?」

 私の問いかけに、閑奈は頷き、口を開く。

「うん。高野博士はキャシーとロックを作ってくれた人だよね……あっ!」

 少女はまずい事を言ってしまったとばかりに口に手を当てる。

「大丈夫デスヨ、カンナちゃん。ここにいる人はみんな、機巧人形の事を知っていマス」

 アリスが閑奈の前で屈んでサングラスを外すと、彼女は「わあっ!」と声を上げた。

 続いて皮の手袋を脱いで、マニピュレーターの手を見せつける。

「お姉ちゃんもキャシー達と同じなの?」

「ハイ。ワタシはたんて――」

 私は慌ててアリスの口を塞ぐ。私が探偵としてここに来た事は秘密なのだ。

 アリスもそれに気づいたのか、私を見て頷いた。

「ゴホン。私はタカノ博士からソウジさんのお目付け役を任された、機巧人形のアリス。みんなの前ではソウジさんの姪という設定にしてクダサイ」

「アリスさん?」

「硬い呼び方デスネ。気軽にアリスお姉ちゃんと呼んでくれてもいいデスヨ」

「アリスお姉ちゃん……」

 閑奈はそう呟き、嬉しそうに頬を綻ばせる。

 キャシーさんの所作は理想的なメイドだが、あまりにメイドとして完璧なので、閑奈としてとっつき辛いのかもしれない。

 その点、アリスが見た目が十代中ほどなので、閑奈からすれば姉として親しみを覚えやすいのだろう。

「それではお客様がた。お部屋にご案内します」

 なのでキャシーさんがそう言うと、閑奈が悲しそうに眉を歪める。

「アリスお姉ちゃん、行っちゃうの?」

「ワタシもおしご……叔父の見張りという役目があるんデス」

 幼子に言い聞かせるような言い方をするアリスの方も、自分に懐いている閑奈から離れる事が寂しそうであった。

「アリス、俺の方は大丈夫だ。閑奈ちゃんと遊んであげてやってくれ」

 私が肩に手を置くと、アリスが「いいんデスカ?」と問いかけてくる。

「ああ……護衛対象の信頼を勝ち取った方が、仕事がやりやすい。頼んだぞ、助手」

 アリスにだけ聞こえるように耳元で囁くと、彼女は表情を引き締めて頷いた。探偵助手としての役割に責任感を抱いたのだろう。

「それではお二人を案内します。アリス様、M3104のデータはお持ちですか?」

「ハイ。ダイジョウブデス」

「ではアリス様の部屋は「彼岸花の間」になりますので、ご承知お願いします」

 聞き慣れない単語に私は首を傾げる。

「M3104? なんだそれ」

「あとで説明しマス」

 私の問いにおざなりに答えると、アリスは閑奈に向き合った。

「アリスお姉ちゃん、このお人形はエミリアって名前でね」

 胸に抱いた人形をアリスに自慢する閑奈を残し、私と海円さんとキャシーさんは部屋を後にした。

 10キロの体で音も立てずスタスタと歩くキャシーさんの後に続き、廊下を歩く。角を折れると、廊下の左側に吐き出し窓があらわれ、そこからは雪に包まれた中庭が一望できた。

「ほう。綺麗な庭園ですね」

 海円さんが関心したように呟く。

「確かに。よく手入れされていますね」

 立派な木は綺麗に剪定され、その木の根元には池が静かに揺蕩っている。そしてその二つを主役としてひっそりと灯篭や築き山が配置されている。あまりこの手のことに教養のない私ですら、雅だと感じてしまうほどであった。

「できれば春や秋にこの綺麗な景色を眺めたかったな」

「七崎殿。雪月花という言葉があるように、雪も立派な風物詩ですよ。侘しくても寂しくても、そこに年月の経過を感じ取り美しさを見出す事ができれば、諸行無常、歳を重ねる事への畏れを捨て心を満たす事ができます。それを感じ取れるからこそ、人は生きるに値するのではないでしょうか」

「生きるに値する、か」

 さすがお坊さん。良い事を言う。

「まあこの庭を管理しているのはバーリィ殿なる人形でしょうから、人生もへったくれもありませんがな」

「台無しですな」

 なんだこのお坊さん。

「海円様の仰った通り、この庭は、庭師機巧人形のバーリィの作品です」

 キャシーさんが立ち止まって振り返り、我々の話に入ってくる。

「庭を剪定するバーリィにしろ料理を作るロックにしろ、自分で素晴らしいと思うものを作っているわけではありません。様々なデータを閲覧し、人間が美しいと思うであろう光景を、人間が美味しいと感じるであろう味を作っているだけに過ぎません。きっと、そこに心なるものはないのでしょう」

 どこか投げやりな口調なキャシーさんを見て、海円さんは顎に手を当てる。

「ふむ。中国語の部屋のようなものですか」

「そうですね。それに近いです」

「中国語の部屋?」

 突如飛び出した耳慣れない言葉を私は聞き返す。

「ええ。とある思考実験です」

 海円さんが語るには以下の通りである。


 とある部屋に一人の人間がいるとする。彼は日本語はわかるが、中国語はわからない。

 その部屋に手紙が投函された。手紙は中国語で書かれており、当然彼は内容はわからない。

 しかし部屋の中にはたくさんの本が置いてあり、それらの本には日本語で、中国語でこう書かれた文章が来たら、こういう中国語の文章を書いて返信しろと記載されている。

 かくして彼は、送られてきた手紙の内容も送る手紙の内容もわからないまま、本の内容通りに手紙を書いて返信した。

 外で手紙を受け取った人間はこう思うだろう。

 この部屋の中には中国語が理解できる人間がいる。

 実際は中にいる人間は中国語が理解できなまま、本に載っていた通りに返信しただけなのに。


「なるほど。側から見たらバーリィさんとロックさんの二人は景観の美しさや料理の美味しさをわかっているように見えるが、実際はデータ通りに行動しているに過ぎない、と」

 弁一の研究所を出るときにモモさんの反応がやたら人間っぽいと思ったが、あくまで人間らしく見える反応を行っているだけだったという事か。

「ええ。あるいはその「景観の美しさや料理の美味しさをわかっている」という言葉を、「心を持っている」と言い換えてもいいですね。私たちに、心はありません」

 キャシーさんは自嘲する。

 人形は心があるように見えるが。実際はプログラム通りに行動しているだけで、心は無い。

 平素、この館にいるのは閑奈と、三体の機巧人形たち。

 この館で行われいるのは一見は一人の少女と使用人の生活だが、心を持つ者は閑奈のみ。普通の生活に見せかけた、ただの人形劇なのだろう。

 そんな事がこの山奥の邸宅て行われていると思うと、どこかうら淋しく、そして、どこか歪で不気味に思えてくる。

「しかしキャシー殿。「哲学的ゾンビ」という話もございます」

 また知らない単語が登場した。

 海円さんが言うには、もしかしたら自分の周りの人間たちは、人間のように振る舞っているだけで、実は意識を持っていないという話らしい。

「つまり人間も人形も、意識を――心を持っている事を証明する事ができないという点では同じです。人間に心が無い可能性も、人形に心が無い可能性も等価ならば、人間に心がある可能性と同じくらい、人形に心がある可能性もあるのですよ」

 海円さんのその言葉は、キャシーさんの胸に沁みたようだ。

「海円様……ありがとうございます」

 心なしか震える声で礼を言うと、踵を返して再び歩き出した。

「それにしても海円さん。随分と思考実験に詳しいですね」

「若い頃、哲学的パラドックスから悟りを開けぬかと試みて図書館に通っていた事があるのです。まあ当然悟りを開けませんでしたが。とはいえ、先ほどの哲学的ゾンビなどは色即是空。世界に実体は無く空っぽであるという仏教の考えに少し似ておられます。仏教も哲学も、本質を疑う事が大事という事では似ているのでしょう。とはいえ、疑っている自分の意識だけは存在します。これを仏教では唯識と呼びます」

「疑う事が大事、ですか」

 探偵である私も同じである。

 各部屋の前でキャシーさんがそれぞれ何の部屋なのか説明するのを聞いてるうちに、廊下の終点にたどり着いた。

「到着しました。お二人の部屋はこちらになります。右が七崎様の「桜の間」、左が海円様の「藤の間」となります。部屋の鍵は部屋の中の机の上に用意してあります。一本しかございませんので、くれぐれもなくさないようにお願いします」

「キャシー殿。拙僧は明日の法事の打ち合わせをせねばならぬのですか、どなたと行えばばよいのでしょうか」

「打ち合わせの相手は私が引き受けますが、長旅でお疲れでしょうから、後ほどお伺いします。それと、夕食は七時からになりますので、その時間には広間にいらしてください。それではごゆっくり」

「あ、ちょっと待ってください」

 ぺこりと一礼をして、立ち去ろうとするキャシーさんを私は呼び止める。

 これから探偵としての仕事が始まるのだ。そのためにどうしても確認しておかなければならない事がある。

「この部屋は喫煙可能ですか?」


       ◯

 

 私は煙草の煙を吐き出しながら、部屋の内装を眺める。

 畳敷きの床に長方形の机と座椅子。押入れの中には布団。床の間には水墨画が描かれた掛け軸と、閑奈が抱いていたフランス人形と同じくらいのサイズの日本人形。50センチほどのその体には、部屋の名前と同じ桜の模様が描かれた和服を着ている。そして外の雪景色を見ることができる掃き出し窓。トイレと風呂もあり、まるで旅館の一室のようだった。

 雪景色の向こうには塀が見える。弁一の言っていた防犯装置の事も知っておきたいので、後でキャシーさんから話を聞いておかねばならない。

 私は煙草の火を灰皿に押し付けて消す。

 まずはこの館に滞在している人たち――法事の参加者である西園寺家の親族たちが誰なのかを知る必要がある。キャシーさんに聞けば手っ取り早いだろうが、できれば本人達と直接話しておきたい。

 閑奈に対する危険度を測っておくためにも。

 談話室ならば誰かいる可能性が高いので、まずはそこへ向かう事にした。

 西園寺邸は中庭を包むように「コ」の字型をしている。下の棒の左端が玄関口となっており、入ると左手に壁、右手に部屋が並んでいる。各部屋は玄関から順に倉庫、トイレ、風呂、閑奈の部屋、龍彦さんの部屋となっており、そこから廊下は左に折れ、書斎、談話室、厨房、広間となり、客室が三つ並んで再び廊下は左に折れ、客室が五つ並ぶ。そのうち一番奥が海円さんの部屋、その手前が私の部屋になっている。

 廊下を渡り談話室の扉を開けようとした時、その隣、書斎の扉が開いて一人の女性が現れた。

「えっと……こんにちは」

「こんにちは」

 初めて見る来訪者に対し、戸惑ったように声をかけてくる。

 歳は二十代前後だろう。肩より長い髪を後ろで束ね、暖かそうなベージュ色のセーターと薄い青色のジーンズに身を包んでいる。

 談話室は後回しにし、まずはこの女性から話を聞く事にする。

「俺の名前は七崎霜二。ミュージシャン志望の冴えないおっさんだ。西園寺龍彦さんのお世話になった人の代理で、姪と一緒に法事に来たんだ。よろしく」

「ミュージシャン志望……?」

 眉を顰めて私をジロジロと見つめてくる。私は下手くそなエアギターの動作をしてミュージシャンアピールをしてみたが、彼女の眉の皺はさらに深まった。これなら小説家志望という事にしておけばよかった。

 ふと、彼女が手に持っていた本に気がついた。

「お、「Yの悲劇」か。エラリー・クイーンの名作じゃないか。その本を選ぶとはいいセンスだ」

 私がそう言うと、彼女は怪訝な表情を解いて急に目を輝かせだ。

「知ってるんですか⁉︎」

「ああ。ミステリ小説は大好きだからな」

 小学生の頃、探偵を目指そうと思った時から探偵業の参考にならないかと思って読み始めたのだ。実際のところあまり参考にはならなかったが、ミステリ自体は面白いので愛読している。

「わ、私もミステリ小説は大好きなんです!」

 急に態度を百八十度変えた少女に、今度は私の方が戸惑ってしまう。

「でも、周りになかなか同じような人がいなくて……同好の士に会えて嬉しいです!」

 そう言ってはしゃぐ彼女の態度に私は納得する。確かに私の周りにもミステリ小説好きはあまりおらず、よく寂しい思いをしていた。ちなみに弁一はSF小説派である。

 女性はシャキッと背筋を伸ばす。

「申し遅れました。私は西園寺美月みづきと申します。大学二年生です」

 そう言って頭を下げる。さすがは西園寺家の一人。礼儀正しい。

「美月ちゃんだな。よろしく。ところでちょっと聞きたい事があるんだが、話いいかな」

「聞きたい事? 好きな学生アリスシリーズは「双頭の悪魔」です」

「俺もあの作品は好きだよ。江神部長不在の中であれこれ推理するのがいいよな」

 私は明後日の方向にテンションを爆上げしている美月を促して書斎に入る。書斎も閑奈の部屋と同じく洋風であり、ずらりと並んだ本棚には様々な本が並んでいる。部屋の真ん中にはガラスの机を挟んで高級そうなソファが配置され、奥の壁には高級そうな書物机と椅子が置いてある。そして机の上には、私の部屋に置いてあったものと同じような日本人形。

 私はガラスの机を挟んでソファに座り、美月と向かい合った。

「実は友人の代理として来たんだけど、この家の事はよくわからないんだ。この家には誰がいるのか教えてもらえないか?」

「いいですよ。まずは西園寺家当主の西園寺閑奈ちゃん。メイドのキャシーさんと料理人のロックさん、庭師のバーリィさん。それと私、西園寺美月と、私の母の西園寺卯月うづき。あとはお母さんの兄の西園寺寅吉とらよし叔父さんと、西園寺亥久雄いくお叔父さん、それと寅吉叔父さんの息子の西園寺和真かずま君です」

 本当ならばメモを取りたいところだが、不審に思われては支障をきたすので、頑張って記憶する。

「なるほど。卯月さん、寅吉さん、亥久雄さんと、龍彦さんの関係は?」

「お母さんと叔父さん達は、龍彦叔父さんの妹と弟になります」

 つまりは閑奈から見れば、叔父叔母と従姉妹が来ているわけである。仮に閑奈が亡くなったところで彼ら彼女らは遺産相続はできないので、遺産目的で閑奈に害することは無いだろう。

「美月ちゃんから見て、閑奈ちゃんと西園寺家の人たちとの関係はどうなんだろう?」

「お、何だか探偵の聞き込みみたいですね」

「いやオレはただのミュージシャンデスヨ」

 思わず口調がアリスみたいになってしまった。

「んー。自分で言うのもなんですけど、うちはそれなりに歴史のある家系なので、それなりに厳粛です。だから親族で集まってもお酒を飲んで和気藹々という事にはなりませんね。その上で、閑奈ちゃんはこの屋敷に篭って学校に行っていないので、あまりいい顔はしていません」

「なるほど……」

 それは純粋に姪っ子の心配をしてなのか、一族としての体面を心配してなのか、当主の座のやっかみなのか、私には計りかねるところだった。

 できれば美月からは龍彦さんの弟妹達の職業や、彼ら彼女が当主の座についてどう思っているか聞いておきたかったが、そこまで聞くと警戒される可能性がある。

「ありがとう。参考になった」

 私は席を立ち書斎を出ようとした。

 が、腕を後ろから引っ張られる。

「ところで七崎さんは学生アリスシリーズで、どれが一番好きですか?」

 顔を輝かせる美月の話につきあい、小一時間ほどの時間を浪費したのであった。

 

       ◯

       

 美月とのミステリ談義を終えて部屋を出ると、中庭ではニット帽を被った老人が雪かきをしていた。

 まさか客人である寅吉さんか亥久雄さんが雪かきをするとも思えない。彼が庭師機巧人形、バーリィさんなのだろう。

 自分の感性ではなく、知識で庭を作り、あたかも人間のように振る舞うことのできる人形。

 彼は中国語を理解しているのか、中国語を理解せず指示通りに動いているだけなのか。私には知る由もない。

 だが、それは人間相手でも同じなのだ。

 探偵でも、周囲の人間の心の中は推理できない。

「彼は機巧人形デスネ」

 いつの間にか隣に立っていたアリスが中庭の老人を見て呟く。足音も無いし気配も無いから、全くきづかなかった。

 私は隣に立つアリスを見る。

「どうしてわか……なんだその格好」

「カンナちゃんが着せてくれたんデス。似合うでショウ?」

 アリスは彼岸花の模様が描かれた黒い着物を着ていた。金髪の少女が着物を、しかも正体がバレないようサングラスと革の手袋もしたままなので、恐ろしいくらい似合っていない。

 着物の袖を掴んでウキウキと見せびらかしているアリスを見ていると、心の在りどころについて考えていた事が馬鹿馬鹿しくなってきた。

「ところで、どうして彼が機巧人形だとわかるんだ?」

「タカノ博士の書いたプログラムでワタシ達は動いているわけデス。なので、その動作も一定のプログラム通り。動きのタイミングや間、周期は全部の機巧人形が同じなので、観察すればわかりマス」

「心の在りどころの思考を放棄した直後に人間離れした事をしないでくれ」

 人間には動きのタイミングや周期を目測する事なんてできない。

 突然バーリィさんが雪かきの手を止め、しばし立ちすくんだ後、雪かきの途中にも関わらず道具をしまい始めた。

「何だ、今の動きは。タイマーでも内蔵しているのか?」

「多分他の機巧人形から無線で通信が入って呼び出されたんだと思いマス。機巧人形は登録した者同士で無線を飛ばしてやり取りができマス」

 人間で例えるならテレパシーである。ますます人間離れしてきた。

「ところで、閑奈ちゃんの方はいいのか?」

「ハイ。キャシーさんがやってきて、カンナちゃんの勉強の時間だからと言われたので部屋を出たんデス」

 なるほど。学校には行っていないが、しっかりと授業は受けているらしい。

「それじゃあ聞き込みの続きをしよう。とりあえず西園寺一族の職業と、できれば閑奈ちゃんの事をどう思っているのか聞いておきたい」

「サイオンジ一族の情報なら全員分の年齢、職業のデータがワタシの中に入ってマスヨ」

 私はずっこけそうになった。

 美月とただミステリ談義をして時間を無為にしただけである。

 

       ◯

       

 長男・西園寺龍彦 四十七歳 西園寺家前当主。故人。

 次男・西園寺寅吉 四十五歳 西園寺医院院長。

 三男・西園寺亥久雄 四十二歳 西園寺医院事務長。

 長女・西園寺卯月 三十八歳 西園寺医院顧問弁護士

「そしてタツヒコさんの娘であるカンナちゃん。トラヨシさんの息子であるカズマ君が十七歳の高校生で、ウヅキさんの娘のミヅキちゃんが十九歳の大学生。これで全員デス」

「なるほど」

 アリスの部屋にやってきた私は、座布団に座って彼女から話を聞いていた。ちなみにこの部屋は私の部屋と同じ間取り、家具だが、床の間に置かれた日本人形の着物の柄が彼岸花になっている点だけ異なっている。

 私はアリスが言った情報をメモするべく手帳を取り出す。

「ちょっと待ってクダサイ」

 アリスは私を制止し、自分のトランクをゴソゴソと漁って白いコードを取り出して私に差し出す。

「何だこれ?」

「ワタシのうなじにある接続端子に、コードのプラグを差してしてクダサイ。そしてもう片方はソウジさんのスマホと繋げてクダサイ」

 そう言ってアリスは後ろを向いて髪をかきあげる。彼女の言う通り、そこには端子を差し込む部分があった。人の肌に機械部分が穴を開けているのは、何ともグロテスクである。

 言われた通りコードを使ってアリスと自分のスマホを繋ぐと、スマホが勝手に起動してアプリをインストールしだした。

 インストールはすぐに終わった。呪いの人形のようなセンスの悪い人形の絵のアイコンの下に表示された名前は「Alice Puppet」。

「おい、俺のスマホにウイルスみたいなアプリが入ったぞ」

 アリスのうなじとスマホからコードを外して彼女に渡す。

「ウイルスとは失礼デスネ。それはワタシの中の情報を表示する事ができる、それはそれは便利なアプリデス」

 それが本当ならば確かに便利だろう。試しにアプリを起動してみる。だが画面は真っ白なままだった。

「何も表示されないんだが?」

「レディの頭の中を自由に覗けるわけありマセン。そのアプリはワタシが送信したデータを見る事ができるんデス」

 アリスが左手の人差し指を一振りすると、真っ白な画面に文章ファイルが表示された。タップしてみると、先ほどアリスが述べた西園寺家の情報が表示される。

「ついでにこれも送っておきマス」

 再び人差し指を一振り。画像ファイルが送られてくる。ファイル名は「M3104」。先ほどアリスとキャシーさんの会話に登場した単語である。

 開いてみると、それはこの家の間取り図だった。

「横にスワイプすれば精巧な3Dモデルも表示できマス。家の間取りを測量した正確な図面をインプットしてキャシーさん達はこの家で働いていマス」

「なるほどな」

 機巧人形が将来は病院で働く事を考えれば、図面をインプットしそれを参照して動く事ができなければいけないのだろう。

「客室だけじゃなくて、書斎や台所にも花の名前がついているんだな」

「ハイ。そして各部屋には日本人形が置かれて、その部屋の名前と同じ花の模様が入った和服を着ているんデス。オシャレでショウ」

「オシャレかなあ……」

 その話が確かならば、物置にまで日本人形がいるらしい。

「閑奈ちゃんの部屋に名前がついていないのはどうしてなんだ?」

「カンナちゃんの部屋にはエミリアがいマス」

 一瞬何を言われたかわからなかったが、なんて事ない。閑奈が抱いているフランス人形の名前である。

「昔はカンナちゃんの部屋は「睡蓮の間」、大広間が「木蓮の間」だったのデスガ、一年半前にタツヒコさんがカンナちゃんにエミリアを贈ったので、睡蓮の人形を大広間に映して、大広間を「蓮の間」に改名したそうデス」

「なるほどなあ」

 これ以上ないくらいどうでもいい話にこれ以上ないくらいの生返事を返しながら、私は3Dモデルでこの家の構造を把握する。

 部屋は閑奈の部屋と書斎と談話室だけが洋風で、他の部屋は全て和風。扉は全部屋が丸いドアノブ。鍵は内側からも外側からも鍵を差して回す方式。そして洋風の部屋には腰から上の高さに窓。和風の部屋には掃き出し窓。わざわざ屋敷をくまなく探索するまでもなく、私はこの屋敷の構造を把握する事ができたのだ。

「このM3104は凄いな」

「ワタシが凄いと言ってくれてもいいんデスヨ?」

「今後の活躍に期待してる。ところで今は何時だ?」

「十八時二十四分五十二秒デス。電波が届かないので前後三秒の誤差が発生している可能性がありマス」

 気がつけばもう夕方である。できれば夕食までに全員と会っておきたかった。

「まあ、あと一人くらいは話が聞けそうだな。談話室に行ってみるか」

 私はアリスを引き連れて部屋を出ると、談話室へと向かった。

 談話室は大きなテーブルをソファがコの字に囲った洋風の部屋だった。壁には絵がかけられており、部屋の隅のチェストの上には例によって例の如く日本人形。応接室のような役割も持っていると思われる。

 ソファには利発そうな高校生くらいの少年と、眼鏡をかけワイシャツにネクタイを締めた、痩せ型の神経質そうな中年の男が向かい合わせに座っていた。

「どうも初めまして。高野弁一の代理で法事に参加する七崎霜二です。こいつは姪のアリスです」

「ハジメマシテ」

 我々が挨拶をすると、部屋にいた二人は面食らったように硬直した。具体的に言えばサングラスをかけて和服を着た金髪の少女の奇妙な出立ちに面食らっていた。

「あ、アリスのサングラスは気にしないでください。ちょっと病を患っているだけなので」

「んん。なるほど、病気だったわけかい。失礼な反応をして申し訳ない。僕の名前は西園寺亥久雄。西園寺医院で事務長をしている」

 眼鏡の男性は咳払いをして立ち上がると、素直に謝罪をする。随分と紳士的な男である。

「僕も一応は医者の端くれだ。さっきの反応のお詫びに君の眼を診てあげよう」

「わわっ」

 訂正。初対面の相手のサングラスを無理やり外そうとする人間は全然紳士的ではない。

 私が制止しようとするよりも早く、亥久雄さんはアリスのサングラスを外してしまった。

「――!」

 金色の幾何学模様が刻まれた青い瞳が顕になり、亥久雄さんと少年が息を呑む気配が伝わる。思わず私は頭を抱えそうになった。

「そうか……厨二病は僕でも治せそうにないな」

「えっと……かっこいいカラーコンタクトですね」

 気まずそうに顔を逸らす亥久雄さんと愛想笑いをする少年。何やら勝手に納得してくれたらしい。

「ワタシは異世界エヴァーニアスの王都エスクリアにて、国王バリグトロム八世と、女王エリセルラの間に生まれた王妃デス。よろしくお願いシマス」

 それを聞いて亥久雄さんは処置のしようが無いとでも言いたげに肩を竦めた。道中のあの話がここで役に立つとは、探偵でも推理できないだろう。

「申し遅れました。僕は西園寺和真です。七崎さん、アリスさん。よろしくお願いします」

 少年が自己紹介をする。丁寧な物腰とハキハキとした口調。将来有望な少年である。

 亥久雄さんがソファに座り直したので、私とアリスも並んでソファに座る。

「高野弁一というと、確かうちの医院の医療機器の開発をしてくれている人だったね。その友人という事は、七崎君も同じような仕事を開発しているのかい?」

「いえ、あいつとは小学生の頃からの付き合いなだけで、俺自身はミュージシャン志望のフリーターです」

 私を見る亥久雄さんの目つきが露骨に変わった。見るからにこちらを見下している。病院の事務長というお堅い仕事についている身からすれば、いい歳こいて夢を追いかけてフリーターをしている男は嫌悪の対象なのかもしれない。

「ミュージシャン志望を目指しているなんて素敵ですね」

 一方、和真の方はキラキラとした眼差しで私を見つめていた。

「少年。夢を失った瞬間、男は魂が死んじまうんだ。夢を抱く事を、夢を抱いていたあの頃を忘れるなよ」

 私が煙草を咥えてキザなセリフを吐くと、亥久雄さんと和真の視線に込められた感情がそれぞれのベクトルへとより一層深まった。

「和真君は将来の夢はあるのか?」

「はい。僕はお父さんのような医者になって、跡を継いで西園寺医院の院長になりたいです」

 立派である。

 立派すぎて眩しくなってきた。

「まあ、院長になったところで経営権は当主のものなんだけどな」

 亥久雄さんがぼそりと呟いたその言葉を私は聞き逃さなかった。

「当主というのは、閑奈ちゃんの事ですか?」

「そうさ。今は龍彦兄さんの知り合いが代理人をしているけれど、いずれ彼女が成人したら彼女が病院の経営者になる」

 吐き捨ているように亥久雄さんが言う。

 当主の座など名目だけだと思っていたが、経営権も持っているとなると話は変わってくる。喉から手が出るほど欲しがる人間も現れるかもしれない――例え、殺してでも。

「それじゃあ、僕は将来閑奈ちゃんと一緒に、西園寺医院を盛り立てて行くことになるんですね」

 和真の呟きに込められた想いがただの現状認識なのか、それとも当主になれない嘆きなのか、少年の心中を伺うことはできない。

「ふと思ったのデスケド、どうしてタツヒコさんは経営の代理人に弟達じゃなくて知り合いを選んだんデスカ?」

 アリスの直球な疑問に、亥久雄さんの表情が凍りついた。しかしすぐに愛想笑いを浮かべる。

「僕も寅吉兄さんも卯月もそれぞれの仕事が忙しいからね。その傍らで病院経営はできないだろうという気遣いなんじゃないかな」

 そう答える亥久雄さんの声色は平静を装っているが、頬の端がひくついているのを私は見逃さない。

 実際どうなのかはわからないが、恐らく龍彦氏は当主の座を狙おうとする弟達の邪な気持ちを危惧していたのだろう。だから閑奈の代理を任せなかった。

 この一族、一筋縄ではいかないのかもしれない。

「そういえばアリスさんは中学生なんですか?」

「……大学生デス」

 

       ◯

       

 夕食は広間で行われた。広い畳敷の部屋の中央にテーブルが縦長に並び、和食を中心にしたメニューが並んでいる。部屋の窓際の両端には睡蓮模様と木蓮模様の和服を着た人形が飾ってある。

 料理はキャシーさんと、割烹着を着た青年――料理人機巧人形であるロックさんによって運ばれてきた。

 見栄えのいい料理の味は、まあ、普通であった。AIが制作した料理なのでびっくりするくらい美味いか、びっくりするくらいマズイかを想像していたが、とにかく普通であった。この味気なさこそが逆に機械らしいとも言えななくもない。

 料理の華やかさとは裏腹に、場の空気は重苦しいものだった。美月が先ほど和気藹々としてはいないと言っていたが、厳粛を通り越して静粛とも言えるほど皆、黙々と料理を口にしている。

 まあ原因の第一番は閑奈だろう。最初私と出会った時のような人見知り然とした反応で顔を俯け、ひたすら箸を動かしている。ずっと龍彦さんや人形たちと一緒に暮らしていたのだから、人見知りするのも仕方あるまい。まあ彼女が暗い理由の一つはこの場にアリスもいると思っていたにも関わらず、アリスは食事ができない彼女は皆の前で挨拶を済ませると(ちなみにサングラスはしなかった。厨二病で通すらしい)、体調不良と称してすぐに部屋に引っ込んだからなのだが。

 屋敷の主人にして当主である彼女の表情が暗いのでは、来客の我々の口も重たくなるというものである。

 この場にいる人間は私を含めて全部で八人。当主の閑奈。先ほど会った亥久雄さん、美月、和真。肉だろうが魚だろうが普通に食べている海円さん。

 和真の隣に座っているのは、髪を後ろに撫で付けた男、西園寺寅吉。年相応の皺が顔に刻まれているが、恰幅のいい体で背筋を伸ばした威厳ある佇まいには院長の風格が漂っている。

 美月の隣に座っているのは、綺麗な黒髪を結った妙齢の女性。白い肌には艶があり、とても40手前には見えない。そして弁護士らしく知性に溢れた切れ長の瞳をしている。羞恥心を捨ててはっきり言ってしまえば、私の好みのタイプであった。何より胸が大きい。

 重い空気に耐えかねたのか。

「閑奈ちゃん」

 美月が口を開いた。

 閑奈はびくりと肩を振るわせておずおずと顔を上げる。

「閑奈ちゃんは冬休みの宿題ってやってるのかな? もし良かったら私が手伝ってあげようか?」

 年上の従姉妹らしい、面倒見のいい優しい物言いである。

「ありがとう……でも宿題は無いの。小学校には行かずに、オンライン授業を受けたりキャシーが勉強を教えたりしてくれてるから」

 従姉妹の言葉に人見知りの少女は心を開いたのか、意外とハキハキと受け答えして微笑む。アリスにもすぐに懐いたし、人見知りと人懐っこさの差が激しい子なのかもしれない。

「そうなんだ。お家にいても授業を受けれるって凄いね」

「だが学校に行かなくて大丈夫なのか? 西園寺家の当主にはそれに相応しい肩書き、学歴が求められるものだ」

 しかしそんな閑奈の心も、寅吉さんの言葉によって再び閉ざしてしまったらしく、顔を俯けてしまった。

「そうねえ。私も兄さん達も旧帝大の医学部や法学部を出ているし、美月も慶應大学生だから、閑奈さんもいい大学にいって貰わないと」

 それに追随した卯月さんによってさらに顔を俯ける。正直閑奈が気の毒になったが、子供のいない私には教育方針に関して口の挟みようがない。

「お父さん、そんな言い方だと閑奈ちゃんが……」

「和真。これはお前にも言える事だ。お前も私の跡取りという自覚を持ってもらわないと困る。敢えて何も言わなかったが、本来ならば参考書の一つでもここに持ってきて勉学に励んで欲しいと思っていたのだぞ」

「……ごめんなさい」

 助け舟を出した和真も、消沈する。まさか令和のこの時代に、ここまでステレオタイプに学歴に拘る一族がいるとは思ってもいなかった。場の空気は重くなるばかりである。

「まあ拙僧は中卒ですけれどね。しかも小学校中学校と寺で過ごしていたので、ほとんど学校にも行ってませんでした。学歴が人の価値を決めるのならば拙僧は全くの無価値でしょう」

「あ、いえ。お坊さんが無価値というわけではなく、西園寺家の人間としてですね……」

 海円さんの堂々とした佇まいと凛とした声には、さすがの寅吉さんも狼狽える。

「しかし閑奈殿。ここに篭っているだけでは学べない事もあります。独学孤陋。一人で学んでいると、どうしても考え方が狭まってしまいます。拙僧も見識を広めるために、様々な寺を巡りました。自分の人生の道を広げるためにも、学校で学徒と共に様々な人から教えを受ける事は大事ですよ」

 優しく諭すような海円さんの言葉に、閑奈は微笑を浮かべて頷いた。

 

       ◯

       

「地獄のような夕食だった」

「お疲れ様デス」

 私は自分の部屋で座布団を二つ折りにして枕にし、横たわっていた。

 あの後、海円さんのおかげでマシになったものの、重い空気に気まずさを湛えた空気の中で食事は進んだ。ほぼほぼ部外者である私は何も口にする事が憚られ、ひたすら食事を口に運んだ。

「それで、ソウジさんから見てサイオンジ家の人たちはどうデスカ?」

 和室にそぐわないフリフリの白いクッションの上に座ったアリスが尋ねてくる。私は座布団から身を起こして煙草を咥える。

「なんというか、古い選民意識に囚われていそうな人たちだったよ。正直、実利がなくても当主の座に固執していたといてもおかしくない」

 彼らにとって当主という座は、病院の経営権以上の価値を持っていそうである。

「そうなると、カンナちゃんの身が心配デスネ」

「そうだな。今晩は俺とお前の交代で閑奈ちゃんの部屋を見張るか」

 アリスは首を横に振る。

「その必要はありマセン。ワタシは人形なので疲労しないし、睡眠も要りマセン。ワタシ一人で見張るのでソウジさんは休んでいてクダサイ」

「……初めてお前を探偵助手にして良かったと思ったよ」

 褒めると、アリスは卯月さんより大きく見劣りする貧相な胸を反らして得意げな顔をした。

 探偵の仕事は浮気調査が少なくない。その場合はひたすら張り込みをする事になる。集中を切らさず、トイレや食事を我慢し、場合によってはアルバイトを雇って交代で張り込みをする必要もある。その苦労は筆舌にし難い。それをアリスが全て行ってくれるのだ。これほどありがたい事はない。

「さて、どこで見張ってもらうかな」

 私はスマホを取り出し、アリスのアプリを開いてマップを表示する。

「閑奈ちゃんの部屋はコの字型の屋敷の右下になる。左下に玄関があるから、ここに身を隠して見張ってもらうしかないんだが……俺の部屋が左上にあるから、いざという時に呼びにきてもらおうにも時間がかかりすぎるのが難点だな。アリス、このアプリでお前と通話できたりしないか?」

『もちろんできマス』

 返答はスマホから聞こえた。これを利用すれば、いざという時にアリスの呼び出しを受ける事ができる。

「それと、別にワタシ自身が玄関に張り込む必要はありマセン」

「それはどういう……」

 アリスは自分の右目に指を突っ込むと、そのまま眼球引っこ抜いた。

 引っ張り出された眼球には、コードが視神経のように繋がっている。眼球の根元でコードを外すと、手のひらに乗せて見せつけるようにして私に差し出す。

「ワタシの目は取り外して監視カメラのように設置する事ができるんデス。これを使えばこの部屋にいたまま、玄関から監視する事ができマス」

「ああ……凄い、な」

 引いた。

 グロい。

 眼球を引っ張り出す姿がグロければ、眼球を嬉々として差し出す姿もグロいし、ぽっかりと空いた眼窩も、そこからぶらりと垂れたコードもグロい。

「アリス、ちょっと……いや、かなり不気味だから、その垂れ下がったコードとかをなんとかしてくれ」

「わかりマシタ」

 コードを眼窩に押し込んで右目を閉じる事で、多少はマシになった。

「ちなみにワタシの視界もそのアプリで確認する事ができマス」

 アリスが指を振ると、カメラ画面のようなものが二分割で表示された。

 片方はアリス自身の視線なのだろう。少し見上げる形で私の顔が映っている。もう片方はさらに下から私を見上げている。アリスの手のひらに載っている眼球の視線だろう。

「見た目がアレな事を除けば本当に凄いなあ……」

 アリスから眼球を受け取り、それを仕掛けるべく私は部屋を出た。

 窓から中庭の見ると、随分と雪が強くなっている。もはやバーニィさん作の中庭を見ることもできない。

 広間の前に通りがかると、扉が開け放たれたままだった。

 中を覗くと、ニット帽を被った老人、バーニィさんが食器を片付ける最中だった。

 彼はこちらに気づくと、ニカッと笑う。

「あんた、確か高野博士の友人の七崎さんだったか」

「ええ。庭師のバーニィさんですよね。中庭は見事な出来栄えでした」

「おうよ。俺の会心の作品だ。自分で言うのもなんだが、大した出来だろう?」

 自慢げに語るバーリィさんには昨日のキャシーさんのような、AIの葛藤は全くなさそうなので、機巧人形の間でもその辺りの意識に違いがあるのかもしれない。

「庭師と聞きましたけど、普段からこうして食器の後片付けをしているんですか?」

「いんや、今日くらいなもんだ。いつもは、食器は閑奈嬢ちゃんの分しかないからな」

「そうか……機巧人形は、食事をしないですからね」

「ああ。閑奈嬢ちゃんはいつも一人で飯を食ってるよ。それがいい事なのか悪い事なのか、俺にはわかんねぇけどな」

 どこか遠い目をして老人はぼやく。まるで孫娘の心配をする祖父のようである。

 私は片付けの続きを始めたバーリィさんを残して、その場を後にした。

 風呂場の前を通りかかった時、扉が開いて中から卯月さんが現れた。咄嗟にアリスの眼球を手の中に握って隠す。

「あら、七崎さん」

「こ、今晩は卯月さん」

 微笑む卯月さんに、私はしどろもどろになってしまう。

 風呂上がりの蒸気した頬、水分を含み肌に張り付いた髪、ラフな衣服を持ち上げる豊満な胸……全てが妖艶で美しい。私が目にするのはアリスのちんちくりんボディなので、より一層卯月さんが美しく見える。

 たじろぐ私の様子に気がついていないのか、彼女は小首を傾げながら私の顔をじっと見つめる。

「あなた、どこかで私と会ったことがないかしら?」

「え? そんな事はないと思いますが……」

 探偵という仕事柄、出会った人間の顔と名前はそれなりに覚えている。特に卯月さんのような美人の場合は強く印象に残るだろう。

 そこではたと気がついた。それこそ仕事柄、弁護士と会う機会は少なくない。どこかで卯月さんとすれ違っていてもおかしくない。私の正体がバレてしまう危険性がある。

「そういえば卯月さん達ってみんな旧帝大出身なんですね。凄いです」

「西園寺家の人間たるもの、当然よ。娘にも家庭教師をつけさせて徹底的に勉強させたんだから」

 あからさまな話の逸らし方だったが、卯月さんは食いついた。

「美月ちゃんですか。利発な子ですね。さっき書斎でミステリ小説の話をしていたんですが、要領を得た喋り方をして話がわかりやすいし、感受性も高く、話していて楽しかったです」

「……それって、二人きりで?」

 警戒するような目つきで美月さんがこちらを伺う。よくよく考えたら年頃の娘が私のようなおっさんと二人きりになるのは、母親としては歓迎できないだろう。

「それで、卯月さんから見て閑奈ちゃんは西園寺家に相応しいですか?」

 またもやあからさまな話の逸らし方だったが、卯月さんは人差し指を頬に当てて考え込む。

「そうねえ……両親を亡くしてしまったのだから塞ぎ込むのも仕方ないけれど、西園寺家の当主としての自覚をしっかり持ってほしいわね。なにせ将来はあの子が経営者になるんだから、西園寺医院全体の命綱があの子の手に握られていると言っても過言ではないわ。だからこそ、それに相応しい教養を身につけてもらわないと困るのよ」

 大袈裟な言い方ではない。とは私も思う。上に立つ者とは、そういうものなのだ。ただ上で偉そうにしているわけではない。下の者の、組織の命運を握っている。

 そう考えると選民意識の塊のような発言も、上に立つ者としての義務なのかもしれない。

「それでもやはり勉強だの学歴だのを押し付けるのは……」

「まあ、貴方からすれば学歴に拘る事はおかしく見えるかもしれないわね。現に学歴がなくても立派な人は大勢いるわ。けれどね。そういう人を崇拝するのは、決まってしょうもない人間なのよ。学歴が無くても成功する事ができるという希望で、自分を慰めているだけ。そんな人間は必要無いわ。しっかり努力を積み重ねて、他人の努力を認められる人間。そういう人間こそ私達は必要としているの。だからこそ、上に立つ人間には羨望を集める事ができるだけの経歴が必要なのよ」

 どうにもこの頑なな考えを変えることは難しいらしい。閑奈を不憫に思ったのは確かだが、彼女の教育方針に私が口を出す権利はないので、諦めることにした。

「フリーターのおっさんには耳が痛いですね。けれど閑奈ちゃんがこれからどんな学歴を修めようと、彼女が当主である事に代わりはないでしょう?」

「そうね……本人が相応しくないなら当主の座を誰かに譲る事になればいいんだけどね」

「それは……どういう意味ですか?」

「さあね。忘れてちょうだい。それじゃあ、おやすみなさい」

 そう言って卯月さんは立ち去った。

 譲ればいい。じゃなくて、譲る事になればいい。

 その微妙な言い回しが引っ掛かりながらも、私は玄関に置かれた置物の影にアリスの眼球を設置すると、自分の部屋に戻った。

「ウヅキさんが現れた途端に右目の映像が真っ暗になりマシタケド、何かいかがわしい事でもしていたんデスカ?」

 アリスが軽蔑しきった目で――右目が無いので左目だけで――私を出迎えた。

「小娘にはまだ早い話さ」

 私がそう言って流すと、あからさまに不貞腐れた顔をした。

 座布団を枕にして、私は目を閉じる。

「誰かが閑奈ちゃんの部屋に入ろうとしたり少しでも異常があったら、すぐに起こしてくれ」

「了解しマシタ」

 探偵の仕事をしていると睡眠の時間が取れない事が多い。そのため、時間があればすぐ仮眠できるよう睡眠導入の訓練はしている。ただし、いざという時にすぐ動けるように眠りは浅いが。

 目を閉じ、眠りに入る直前。

 

「眠るというのは、夢を見るというのはどういう感覚なのでショウ」

 

 そんなぼやきが聞こえた気がした。

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