二メートル転生
十川弥生
二メートル転生
腹が減った……
目に入ったのは自分の口から漏れる白い息だった。それは弱々しく呆気なく消失した。自分の魂のように見えた。
冬のある日の下校中に
時速十五キロ。
自転車の速度メーターがそう示す。
高校生とはこんなにも腹が減る生き物なのか。ただ椅子に座って人の話を聞いているだけなのに……
走は自分の飢えに苛立ちと情けなさを覚えた。
コンビニに寄ろう……
衝動的にそう思った。
家に帰ればいくらでも食べ物はあるのだが、金曜日なので一週間のご褒美などと適当な理由を自分の頭の中でつけた。そして自分で納得した。スーパーの方が安いとは思っていたが回り道になるので通学路の途中にあるコンビニに立ち寄ろうと決めた。一刻も早く飢えをどうにかしたいのだ。
俺は人のかたちをした獣ではないのか……何も考えず本能的に生きるだけの……
走は飢えに対してだけでなく、ただ授業を受けるだけの学校生活にも同じことが言えるのではないかと思った。
そんなことを考えていると目標のコンビニが見えてきた。
時速二十二キロ。
スマホに目をやると十七時を過ぎたところだった。走は雑に自転車を止め、足早に店内に入ろうと自動ドアが開いた瞬間の事だった。
目の前から鋭い包丁をもった黒い何かが猛スピードで走ってきたのだ。彼に躱す暇などなかった。彼の右腹部に冷たい金属がするりと入り込んできたのが分かった。
「あっ……」
彼は大声を挙げる暇も気力もなく相手の勢いに負けて仰向けに倒れ込んだ。
時速〇キロ……
あれが起きてどれぐらいの時間がたったのだろう……
と思える意識があることに気づいた。
目を開いてみると見慣れた景色が見たこともない画角から映し出されていた。
「なんだこれは……」
と不意に声を発したが自分の声は聞こえない。
体を動かそうとしてもピクリとも動かなかった。しかし、それが窮屈とは思わず、寧ろこの状態が普通であると言わんばかりに体に馴染んでいた。
しばらく考えるうちに自分の正体が誰なのか分かった。この場合誰というよりもなにという方が正しいだろう。
「防犯カメラだ!」
自分の正体を言い合てた嬉しさは現実離れした現実によって絶望へと変った。
しかも走が殺害されたコンビニのものだと分かった。
固定式の防犯カメラであり常に同じ景色を映し出していた。
そのカメラはコンビニを正面から見た左側に付いており、そのレンズは入口付近、建物の前側から駐車場、そして道路と広い範囲を映し出していた。
「俺は転生して防犯カメラになったのか……しかも自分が死んだであろう場所の斜め約二メートルの地点の。」
人から防犯カメラへと壮大な転生のはずがその距離故に半減していた。そもそも防犯カメラというのも意味不明である。
走は、壮大かつ地味、そのうえ意味不明な転生に笑いが込み上げてきた。
「まったくどうなってんだよ、もうおぉっ」
そう馬鹿馬鹿しく叫んだあと走は自分の仕事を思い出した。それはただただそのレンズからの風景を撮影し続けることである。それが防犯カメラの本能なのだ。
コンビニの向かい側にある公園の時計で時刻を正確に知ることができた。
七時十五分。高校生の部活の集団が下校するのが目に入った。皆が皆各々とても楽しそうだった。
走はふと中学の部活を思い出した。彼の中学の陸上部はそれほど強くもなく厳しくもなかった。しかし、部員と自主的に練習メニューを組みそれなりにきつい練習をこなした。一年前のあの頃がとても懐かしく感じた。
あの頃は陸上のことしか頭になかった……
今考えると何かを必死で打ち込むことは幸せなことなんだと思った。
八時三十四分、撮影していると顔見知りの人物が映し出されたのだ。同じクラスの山田優介やまだゆうすけである。あだ名は[やますけ]。彼はいつも休み時間、教室で一人おとなしく本を読んでいる。そういったキャラのやつである。下校中目にすることが多いので彼も部活には入っていないのだろう。あまり絡んだことはないがラノベやアニメに詳しく、その話になると饒舌になり距離感が掴みづらいことも一人でいる要因の一つであろう。また、彼はおおらかな体形をしており体育でその体系や運動音痴をいじられていることを度々目にすることがあった。で、そんな彼が何をしていたかというとランニングをしていたのである。かなり苦しそうだったがその一生懸命さに走はつい応援したくなった。
「やますけもあいつなりに頑張っているのか……」
走はどこか悔しさを覚えた。
走はいつもこの時間帯はスマホでゲームしている時間帯である。ただ何も考えずにスマホの画面をボチボチしている。
自分のことを情けなくだらしなく思った。
それから数時間ぼんやりと同じ景色を眺めていた。
近所のコンビニなのに様々な人が利用しているんだと思った。殆どが見知らぬ顔である。
すると見たことのある車がコンビニに入ってきた。辺りはずいぶんと暗かったが店内の灯りで車体がくっきりと現れ確信に変った。ナンバーと車種からして走の父親のものである。車から父だけが出てきた。父親はスーツを着ており、走は仕事の帰りだと思った。走は思わずレンズを疑った。助手席には知らない女性が乗っているのだ。歳は三十代で父親より一回り若かった。
「浮気、愛人……」
そのような単語が頭の中に次々と現れる。
「いやいや、仕事の後輩だろう」
と走は無理矢理言い放った。
そして父親が店内から出てきた。そして運転席に座るとその女性と楽しそうに話していた。息子に見られているとも知らずに。
走は何が何でも目を覆いたかった。しかし、今の走には目を覆う瞼も手もなかった。その大きなレンズがその光景をまじまじと映していた。そしてその車は駐車場を出て家とは逆の方向へと走っていった。
走は日本の男性は半分は浮気をしたことがあるという話しをどこかで聞いたことがあった。
「そんなものなのか」
女の人と付き合ったことすらない走にとっては理解しがたいものだった。
見慣れた風景のはずがどかか違う場所に感じられた。
「真実とは残酷だ」
とありきたりなセリフを初めて吐いた。
ここで走は最大の疑問にぶち当たった。
息子が死んだ日に父はそんなことをするのだろうかと。
父が浮気をしていたことは驚いたが流石にそんな非常識な人ではない。
そもそも息子が包丁で刺された、となったら職場からとんで来るだろう……
第一に警察の姿が一人として見当たらなし、コンビニで強盗殺人ともあればマスコミが大勢駆けつけるはずなのに……
現在の撮影時刻は分かるが日にちまでは分からなかった。だが、日の落ちる時間や人々の服装から秋というのは間違いなさそうだ。事件が起きて何日か経った後なのだろうか。いつまでこの状態が続くのだろうか。
「はあ……」
とため息をついた。
深夜になり車通りも少なくなり辺りは暗闇が支配していた。
暇という防犯カメラにあるまじき感情が湧いた。
高校に入ってからの約半年間の生活を振り返ってみた。走の高校での成績は中の中であった。テスト勉強も前日の一夜漬けで乗り切っていた。
母親に言われるがままに……
学校生活は友達は少ないが、毎日たわいもない話をして不満は何一つなかった。好きな人はいたが付き合う気力も勇気もなかった。そんなどこにでもある平均的な学校生活であった。
自分の人生に何の意味があったのだろうか、何を残したというのだろうか……
急に自分の人生までを否定したくなるほどネガティブな気持ちになった。
「はあ……」
走は再びため息をついた。
カメラに口は付いてないのに、ため息をついた感覚はあった。
「一台、二台、三台……」
人間が寝るとき羊を数えるようにその黒い箱は通り過ぎる車を数えた。
もちろん眠くなる様子など一ミリもなかった。
人も羊を数えるだけで眠くなるとは思えんが……
二十九台目の車が通り過ぎたときだった。
レンズが輝かしい灯りをとらえた。
御来光という言葉が相応しい灯りであった。
御来光とは高山から見た時の日の出を指すのが正しい使い方だろうが……
それから間もなくして走と同じ高校の野球部の何人かが朝練をしに登校しているのが目に入った。この道は多くの高校生が通学路として利用しているのだ。
「こんな朝早くから登校をしているのか」
走は素直に感心した。
「ちょっと待てよ」
走はその光景に違和感を覚えた。
それは、野球部の服装である。彼らは制服を着ていたのである。走が殺害にあった日は金曜日である。つまり日が明けた今日は土曜日ということになる。高校の規則として平日は朝練の場合でも制服着なければならないのだ。逆に言えば週末は制服を着る必要はないのである。
野球部の顧問は生活指導の担当をしており、服装にも厳しいのでわざわざ週末も彼らが制服を着ているだけなのだろう……
と決めつけた。
しかし、今日が週末ではないことが確信に変ったのである。制服を着た生徒が何人も登校しているのである。その人数の多さから文化部でないことは明白であった。授業参観でもあったのかと記憶をめぐらせたがそんなことは断固としてないと思った。走の性格上、週末に学校に登校しなければならないとなれば必ず記憶しておくはずだからだ。しかも他校の高校生も登校していることがさらに平日という事実をうらずけた。
そして八時二〇分のことだった。なんと佐藤走本人が自転車をこいでのこのこと登校しているのではないか。
「ありえねぇぇ!!」
走はもう一人の走に届くように叫んだ。
もちろんその声は届かなかった。
そもそも声なんて出てないのだから。
誰が俺の体を操っているのかと思ったが、今防犯カメラにいる自分の意識の存在のほうが疑わしく思えてきた。走は二つの考えに至った。
一つ目はこれは悪い夢ということだ。しかし、直感的にそれはないと思った。
二つ目は俺は死んでいないという可能性だ。しかも、俺が今映し出している映像はあの金曜日のものであるという考えだ。それだったら昨日父がコンビニに立ち寄る事実もと野球部の服装の辻褄が合う。
「それが真実だ!」
自分ながら名推理をしたと誇らしげになった。
その慢心から小さな箱はさらに思考巡らせた。
そして何故俺が防犯カメラに転生したかが分かった気がしたのだ。防犯カメラになるという経験が必要だったのだ。
防犯カメラでただ撮影するだけの人生は走にとって苦痛でしかなかった。そしてこうも思った。
世の中にこの防犯カメラ一台存在しなかったところで誰も困らないだろう……
世の中にこの佐藤走が一人存在しなかったところで誰も困らないだろう……
防犯カメラは至る所にあるから犯罪行為の抑止力になるのである。
カメラ一台で撮影できる範囲には限度がある……
人間も同じように一人ででききることには限界がある……
と、協力の大切さを、小学校の道徳以来に真剣に考えた。
「人生は協力とか友情とかなどの胡散臭いことが大事だったりするのか」
と、こんな事を言っている自分の存在が面白くなってきた。
考えるという行為をするカメラはこの世でこの田舎のコンビニの一台だけだ……
という謎のアイデンティティを感じた。
それから哲学者のように永遠と答えのない疑問を考えていた。
カメラに頭と呼ばれるものはないが考え過ぎで頭が痛くなってきた。ただのカメラが数時間考え事をするのは無理があったのでなないかという謎の自己愛が生まれた。
そして、公園の時計にレンズをやると十七時〇〇分と表示されていた。そうあれが起きて二十四時間がたとうとしていた。するとある車から包丁を持った男が出てきたのが分かった。それと同時に今日があの金曜日であることが確信に変わった。防犯カメラとは防犯という言葉がついているのに驚くほど役に立たないことを身をもって知ることができた。
走は犯人の気持ちを考えてみた。怒りの感情は特に湧かなかった。こんな言い方よくないのかもしれないけれど、犯罪者は人生を賭けて罪を犯すのだと思った。警察に捕まる可能性があるのだから。
自分は人生を賭けて何かしたことがあっただろうか……
中学の時の部活……
と強く思った。
するとまた見たことのある男が一人コンビニにやってきた。その男の目はもうすでに死んでいた。
防犯カメラは思わず彼に喝を入れたくなった。
そして自動ドアが開いた。
ブツt――
目を覚ますと自分の部屋にいた。
なぜか焦りなどの負の感情は芽生えなかった。
時計に目をやると死んだはずの次の日であった。
確信は持てなかったが昨日は何もなかったんだと思った。
階段をおりると母にこう言われた。
「よく見るとあなた大人になったわね」
「そう?身長伸びたのかな?」
「見た目というか内面がピシッって感じ」
母は俺の肩を触りながらいつものよくわからない発言をした。
でもなぜか懐かしく、久しぶりの出来事のように思えた。
「そんなことより俺部活に入部したい」
母は一瞬驚いた顔をしたが笑みを浮かべながらこう告げた
「今日休みだし部活道具買いにいく?」
俺は強くうなずいた。
「で、走あなた何部に入るの?」
「陸上しかないっしょ」
母はさらに安堵の表情を浮かべた。
それは陸上部は他の部活に比べて費用が安く済むからだろう。
そして朝ごはんを食べながらニュースを見た。すると例のコンビニ強盗のニュースをしていた。犯人は、防犯カメラの映像からすぐに捕まったのだと言う。なぜか誇らしげな気分になった。自分もいつか誰かから必要とさらる日がくるのだろう。という前向きな気持ちになった。
買ったその日に新しいシューズで走ってみることにした。
「最近は物騒な事件も多いから気を付けてな」
靴紐を結んでいるときに父が背後から言ってきた。
助手席に若い女性を乗せるほうが大事件だ……
と思いながら走は
「いってきます!」
と力強く言った。
そしてあのコンビニが見えてきた。
走は走るスピードを少し上げた。
あのカメラに見せつけるように。
二メートル転生 十川弥生 @Sogawa11618
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