第七章 後詰め

 各自行動を開始した。ここで煌月が動く。運に恵まれただろう。目的の相手と二人きりで話せるタイミングがあった。

 その相手は曽根森瀬里佳だ。煌月は一点だけ彼女にあることを尋ねた。彼女は少し考えた後に明確な回答を出した。

「ええ昨日の事だもの。間違いないわ。私は鍵を連番で取る時、箱に残っていた鍵を全部取り出したわ」

「わかりました。ありがとうございます。このことは絶対に口外しないでください。犯人に情報はなるべく渡したくありませんので」

「別に構わないけどそれが事件に関係あるの?」

「少なくとも犯人にとってはイレギュラーが重なったのです。そして犯人は恐らく見逃しているか、可能性に気が付いても手が打てずにいる筈です。私が何も分かっていないような態度で動けば、楽観視して放置する可能性もあります」

 煌月はここでも無表情で冷静な態度だが、今回はそれが曽根森を勇気付けただろう。彼女は表情を緩めて触れられる距離まで煌月に近づき、声を小さくして問う。

「もしかして犯人が分かった?」

 煌月は口を閉ざしたままゆっくりと首を縦に振った。

「しかし半分は賭けに近い。少しでも勝率を減らさない為に犯人に悟られたくありません」

 曽根森は頭の回る子なのだろう。彼女は察したのか小さく満足そうに笑った。

「犯人は誰なんて聞かないでおくわね。……頼んだわよ白髪探偵さん」

 甘えるような声と小さな微笑み。返事を聞かずに曽根森は足早に離れていった。

 それから然程時間が経たずに全員が荷物を持ってホールの大テーブルに集合した。夕食の時間に丁度良い時刻であったので、夕食にしようという流れになった。

 無論こんな状況なので食欲が無さそうな者もいる。氷川と宝条がそれだ。逆に食べることで不安を誤魔化そうとする、ある種の防衛本能が働いているような者もいる。大宮と鷲尾と竹山、それと佐倉がそれだろう。

「煌月さんは食べないの?」

 左手を口元に当てて、立ったまま考え事をしていた煌月にルナアリスが声を掛けた。彼女の小さな手が支えているトレーには、カップラーメンと温め済みの冷凍の唐揚げが乗っている。栄養バランスを完全に無視した夕食だ。

「そうですね。何か適当に胃に入れることにし――」

 不意に煌月の言葉を自身の思考が遮った。

 視線がルナアリスの頭の先から足元まで流れる。その後、思考がある事を弾き出した。その答えを精査する為に頭脳の回転数は上がっていき、記憶の中を調べていく。

 ――あの時、ルナアリスちゃんが――。

 ――何も、収穫が無かった持ち物検査――。

 煌月は視線をホール内に走らせた。他の参加者は各々動いているが大半は席に座って食べ物を口に運んでいる。

 自身の記憶と照合して結果を弾きだす。

「私の食事は後でいいです。ゆっくり食べていて下さい」

 言い終わるよりも早く煌月は大股で動き出す。行き先は厨房だ。飛び込むように入って、飛びつく様にゴミ箱の中に手を入れる。中には冷凍食品の空き袋やカップ麺の空き容器等のゴミが放り込まれていたが構わずに中身を掻き回す。

 ここには無いか。一応缶とペットボトルのゴミ箱の中も探してみるか。

 並んで置かれてる隣のゴミ箱を覗き込む。全員分別はちゃんとしているようだ。

 目的の物は無かった。それを確認した後、煌月は厨房から飛び出した。他の参加者が集まっているテーブルを一瞥した後、今度は女性用の浴室へ。その様子を追う視線を振り切るように、煌月は動き続けた。

 浴室から二分と掛からずに飛び出し男性用の浴室へ。ここも二分と掛からずに飛び出す。その次は女子トイレと男子トイレ。どちらも一分ちょっとの時間で飛び出した。

 暴れ馬の如く走り回る煌月は、客室がある上層階へと突撃していった。行き先は難攻不落の密室、木村美緒が殺された十六番の客室。

 先程ルナアリスちゃんとこの部屋を調べた時、彼女は躓きかけた。丁度この部屋から出る所で。

 ルナアリスが躓いた理由かは分からないが、そこからある考えが浮かぶ。

 ドア自体に仕掛けが無いならその周辺に開閉に関わる仕掛けがあるのではないか。それは先程の調査で調べていなかった部分、床面にあるのではないか。

 ドアを開けて俯せになる。スマホのライトで照らしながら顔を限界まで近づけているのは廊下と部屋の境界線の部分。沓摺りにゴムを付けて隙間を無くしている所だ。

「まさか床下から閉まったドアを潜り抜けたなんてことは無い筈だが」

 ドア付近の床面の絨毯に切れ目が一切見当たらない以上その可能性は無い。

 他に何かないかと指を這わせながら目を皿にして調べる。羽田の死体のそばで――ブランケットで覆われているが――大蛇が這うように俯せで動く煌月は、傍からみれば奇妙に見えるだろう。

「おや? これは……溝か……? いや待て……これは普通じゃないぞ」

 沓摺りの側面に触れると指先からは僅かではあるが、確かに溝の感触が伝わってくる。

妙だな。沓摺りは見方を変えれば段差だ。元々、躓かないように設ける時はなるべく低くなるようにするもの。昨今はバリアフリーの観点から、設けないようにすることが増えたと聞く。

 ――なのにこの沓摺りは明らかに高く作りすぎている。側面を指でなぞれるくらいに。

 少し考えた後、立ち上がって別の部屋の沓摺りを確認しに行った。何部屋か見て回った所判明した事が一つ。他の部屋のドアの沓摺りは、ゴムが付いている事を除けば一般的な物と変わらなかった。つまり十六番の部屋の沓摺りだけ普通じゃない。段差のように高さがある。

 他と違うというのが怪しい。これが難攻不落の密室の穴か?

 十六番の部屋の前に戻り呟きながらしゃがみ込む。

 溝があるのは分かった。だがこの溝、指先の感覚だと糸を通せる程の隙間だとは考えられない。鍵を開閉する為の仕掛けか。……いや、位置からしてもドアの鍵から遠すぎる。ドア自体なら兎も角、こんな場所では鍵を動かせる仕掛けは難しい。

 側面を右手の指で往復させながらなぞる。この溝は床面に対して水平に、両端の壁を繋げるように一本通っている。

 煌月は口元に左手を当てて思考を加速させる。頭の中では過去の事件の経験から蓄積してきたトリックの情報を呼び出す。過去に同じか似たようなトリックはなかったか。更にそこから現場で得た情報を組み合わせて、いくつも仮想トリックを生み出し検討する。推理する時に煌月がよく使う手法だ。

 これが未知のトリックの解明に繋がってきた。永遠と続きそうな思考の先に解答があることを信じて、煌月の頭脳は最大稼働を続ける。

「下には無い? ならば上か?」

 立ち上がりドアの上部、天井に接している壁の部分は調べる。指先で触れていると横一線の小さな溝があることを発見した。

 指先で触れれば感触で分かる。薄暗さもあって目視ではほぼ確認出来ない。長身の煌月でなければ、間違いなく誰も気が付かない。

 スマホのライトで照らしてみると、糸を室内に通せる隙間ではないことが分かる。

 他の部屋はどうなんだ?

 隣の十五番の部屋の前で調べてみると、天井に接している壁に溝は無かった。他の部屋を順番に見て回ったが、溝があったのは十六番の部屋だけだった。

「やっぱりこのドアだけ他の部屋のドアと違うな。ドアの設置位置が他の部屋のドアより数センチくらい天井に寄っている」

 この事実を検討しドアの開閉と結び付ける。

「上下に平行の溝。待てよ――」

 煌月の視線がドアの周囲を駆ける。隣の部屋との間の壁。直線と曲線を組み合わせた不規則な模様は廊下の壁全体にあるので、一見するとここだけ不自然というようなことはない。

 頭の中で作られたこの場所の立体模型。角度を変えながら思いついた可能性を検討する。「まるで殺人をする為に建てられたような城。普通では有り得ない仕掛け。……理屈の上では可能ではあると思うが」

 左手を口元に当てて頭の中の模型を凝視する。その中でドアが何度も開閉される。

「実際に試してみたいが――」

 現実の階段がある方へと向く。丁度階段を昇ってくる人が見えた。

 細く小さな足が軽めの足取りで絨毯の床を蹴る。下ろした黒髪を流しながら小さな翡翠の瞳が煌月を映す。ルナアリスは客室の廊下に立つ煌月に駆け寄っていく。

「何か調べてた?」

 期待と興味が入り混じる翡翠の瞳が煌月を見上げる。煌月は少し間を置いて、

「ちょっと思いついたことがあったんですが、どうやら見当違いですね」

 表情を変えずに小さな体を見下ろす。ルナアリスの横を大股で通り抜ける。

「流石にお腹が減りました。私も夕食にします」

 時刻は七時。外は沈みゆく夕日が照らす時刻を通り過ぎて、夜空の主役達が輝き始める時刻に入ったことだろう。ただ閉鎖されたホール内からは、煌めく月も輝く星も見ることは叶わない。

「ヤケ食いするしかありませんねぇ」

 煌月はカップ焼きそばを三つ並べて、適当な順番で口に突っ込む。横にはチョコレート菓子が順番待ち。いずれは胃袋の中に消えるだろう。

「最終的には犯人も分からずトリックも分からず、ですか?」

「ですねぇ」

 急にやる気のなくなったような態度に竹山は怪訝な顔だ。無表情が続いていた煌月の顔が完全に崩れている。佐倉と鷲尾と氷川も不信感が表情から溢れ出している。

「なんだ? ついに白旗を揚げるのか?」と大宮。

「そうですねぇ。そうだ、昨日羽田さんと飲み会をやった時、どんな話をしましたか?」

 大宮は考える素振りをして、

「昨日は……あの時は変わった入居者の話をしたな」

「具体的には?」

 食事を続けながら先を促す。

「ドラックストアで売ってる市販薬のコレクターの話さ。使う用と棚に飾る用で二つづつ持ってるらしい。新しいのが出るとすぐ買いに行くんだと。飾ってある薬は殆どが使った事の無いヤツだが成分とかにやたらと詳しいとか」

「その入居者、薬剤師とか薬学部出身とかでは?」

 ふと思いついて聞いてみると、

「いや、そういう医学系とは無縁の建築士だって言ってた」

「その話は覚えている。他人の家には興味があるが、自分の家には興味が無い。だから自分の家を建てないでマンションで生活しているとかなんとか」

 鷲尾から追加の情報がきた。

「確かに変わっていますね。他には何か話していましたか?」

「羽田さんが話したのはそのことだけだぞ。殆ど氷川さんと村橋さんの仕事の話だったから、羽田さんはずっと聞き役だった。内容も愚痴みたいなものと有名人の裏話とかだったな」

 煌月は氷川と村橋を見た。二人とも頷いたので恐らく事実だろう。

 食べ終わった後、コーヒーを流し込んでから座り直した。

「皆さんの私物、もう部屋には残っていないのでしょう? もう必要ないでしょうからちょっと鍵を貸して貰えませんかね?」

 先程までとはまるで別人になってしまったかのような口調の煌月に、不信感が籠る視線が一斉に突き刺さる。そこで空気を変えたいと思ったのか曽根森が、

「別に良いわよ。はいこれ」と自分の部屋の鍵を掲げながら煌月の隣へ。

「ご協力ありがとうございます。このビニール袋にお願いします」

 先程よりもずっと人間らしい表情でビニール袋を差し出す。曽根森の指先からすとんと鍵が中へと落ちた。

「私のもあげる」とルナアリスも小さな手で大きな鍵を差し出した。

 これをきっかけに次々と煌月の下へ鍵が集まる。一応、まだ探偵としての信頼は残っていたようだ。鍵を一本づつ分けてビニール袋に入れていく。

 合計十六本、全ての鍵が煌月の元に集まった。

 チョコレート菓子をバリバリと食べ尽くした後で立ち上がった。

「それではもう一度行ってきますね」

 鍵が入ったビニール袋をポケットに入れる。普通の服よりも大きい分、ポケットも大きい。空になった容器を片付けてから客室へと巨体を動かす。

「捜査なら私も手伝うよ」

 ルナアリスの申し出に一瞬だけ止まってから、

「いえ、大丈夫です。ここで休んでいて下さい」

 再び歩き出す。ルナアリスは聞き分けの良い子供のように、煌月の後姿を眺めていた。

 煌月は客室の廊下の中央、十一番と三番の部屋の前で止まった。階段の方を振り返って誰も居ないことを確認。その後、十六番の部屋の前へと移動。

 揃った鍵の中から犯人と特定した人物の部屋の鍵を取り出す。指紋を付けないように気を付けて鍵穴に差し込もうとする。鍵は鍵穴に入らず当然だが開け閉めは出来ない。

 それだけ確かめると煌月は自分の部屋に戻りベッドに腰掛けた。静かで少し暗い室内で頭の中を整理する。組み上げてきた推理を今一度纏めていく。

 確実な部分は九割といったところか。残りの一割は賭けだ。犯人にとってはイレギュラーがいくつかあっただろうが、まだ逃げ切りの可能性はある。とはいえこちらもそれなりに勝算はある賭けだ。

 この後に自分がやるべきことは決まっている。天に任せるしかないが、出来る限りの事はする。

「ただ羽田さんのダイイングメッセージがなぁ。これだけだ。これだけが浮いている。木村さんの方は分かったがこれが分からない。羽田さんが昨晩話していた内容の中に、繋がっている何かがあると思ったんだが」

 巨体をベッドに投げ出す。一瞬軋む音がした。

「名前の頭文字じゃないのは間違いない。昨日初めて会ったメンバーだ。以前から付き合いのある人物だけに伝わるメッセージだとは……考えられない。この短い中で犯人を示す何かを、羽田さんは見つけたんだ」

 アルファベットの『K』は何の事だ?

 昨日初めて会った羽田の様子をバスに乗った時から思い返す。彼の服装や言動からヒントになりそうな要素を抜き出して検討を重ねる。

 答えが分からぬまま時間が過ぎていく。思考の闇の中を進むような感覚が纏わりついて離れない。

「あ、ここにいた」

 翡翠の瞳に覗き込まれて、煌月は現実に戻ってきた。上半身を持ち上げて腕時計を見れば、三十分も針が進んでいた。

「寝ちゃったのかと思ったよ」

「いえ、寝てはいませんよ。羽田さんのダイイングメッセージについて考えていました。羽田さんの言動から答えを探していたんですが、まだわからなくて」

 ルナアリスは人差し指で唇を軽く叩き始めた。

「考え方を変えてみたらどうかなぁ。例えば『K』で思いつく物は何かを考えて、それが他の人や羽田さんと結びつくかどうか。どうかな? 私は全然思いつかなかったけど、煌月さんならもしかすると」

「考え方を変える……」

 煌月は左手を口元に当てた。頭の中を一旦クリアにしてから、ルナアリスの考え方に切り替える。

 まずは英単語の頭文字。次は『ケイ』と呼ばれる人や物。ニックネームや通称等々思いつく限りのことを思い浮かべる。その端からダイイングメッセージに繋がるかどうかを判断し、繋がらない物を捨てていく。

 ルナアリスは無言になった煌月の隣に、流れるように腰掛けた。大人しく両足をバタ足のように交互に動かしながら、正解を待つかのように煌月を見遣る。

 煌月の思考の闇の中。一つだけ、光る言葉を見つけて拾い上げる。

「ルナアリスちゃんはイギリス育ちでしたね?」

「うんそうだよ」

「ならば別の人に聞いた方がいいか」

 煌月はバネで飛ばされたように立ち上がると、大股で足早に部屋から出ていく。ルナアリスもベッドから飛び降りて、その後ろを追いかける。

 階段の上から目的の人物を探す。丁度トイレに入っていくところが見えた。階段から降りたところで「まだ調査するのか?」と竹山から声が掛けられた。彼はバックギャモンを鷲尾とプレイしているようだ。

「いや、もう切り上げる事にしました。頭の使い過ぎで流石に疲れましたしね。これ以上は警察の科学捜査の力が必要でしょう」

 テーブルに座る彼等は、緊張した空気と弛緩した空気が混ざった不自然な雰囲気の中にいた。

 煌月はトイレに入り目的の人物に声を掛けた。丁度手を洗っている所だった。

「佐倉さん、ちょっと聞きたいことがあります。クイズに強い佐倉さんならわかるかと思ったので」

 佐倉は顔面蒼白で、まるで別人のようであった。

「……なんですか」

 生気がまるで感じられない佐倉を前に、煌月は呼吸を整えてから問う。

「『ドクターK』という言葉を知っていますか? 最初に聞いた時はドラマのタイトルかと思ったんですが、別の意味だそうです。それがうろ覚えでして」

「ああ……それは……聞いた事がある」

 佐倉は考える素振りを見せたがすぐに思い出した。それを聞いた煌月はポケットから羽田の手帳を取り出して、指紋を付けないように捲った。

「これだ、ダイイングメッセージの答えは」

 疑問が一つ解消された。

「犯人が分かったんですか」

「ええ。この人物です。ですがこのことは黙っていてください。犯人に気付かれないようにしたい。勝負はまだ続いています」

 手帳のページを指差す煌月。それを見た佐倉は僅かに生気が戻った顔で、

「分りました。でも、必ず裁きを受けさせて下さい」

「勿論です」

 佐倉とは反対に煌月は自身のある表情で言い放った。

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