ホールに戻った十人は、それぞれ水分補給やトイレで用を足すなど各自動いた。煌月は無言でテーブルの下に潜り込んで、テーブルの裏側をスマホのライトで照らして調べ始めた。調査は十分弱で終わった。

 その後は炭酸飲料で喉を潤すが、視線は他の参加者達へと向いている。

 暫く誰も口を開かなかった。煌月も口を閉ざし、左手を口元に当てて再び思考を加速させていく。

 犯人を特定し、トリックを暴いて裁判にかけて有罪にする為にはまだ足りない。最低でも逃げ道を完全に塞がなければならない。

 最大の問題は十六番の部屋の密室。窓から屋外に逃げた、秘密の抜け道、どちらも有り得ない。

頭の中で組み立てた推理は、ピースを繋げていったものの穴がある。それはまだ完成していないジグソーパズルのようなもの。それでも煌月は思考を辞めない、止めない。全ての真実を明らかにするまでは逃げ出さない。

 沈黙が静寂を呼び寄せ、不安感が空気に伝わったように雰囲気が暗く、重くなっていく。

 十人全員、席に座っている。他人の様子を窺う者、疲れたように目を伏せる者、煌月と同じく事件の事を考えているであろう者。共通しているのは口を閉じて一言も声を発しないということだ。そんな重苦しい空気に耐えられなくなったのか、暫くして曽根森が口を開いた。

「ねぇこうしていてもしょうがないからさ。また脱出口を探しに行かない?」

「それは……そうかもしれないがなぁ。俺達相当頑張って探したんだぜ。それなのに脱出口どころが、それらしい仕掛けっぽいものすら見つからなかったんだ。これ以上、何処を探せっていうんだよ」

 大宮が鈍い反応を返した。

「それは……そうだけど……」

 曽根森は困ったように言い淀んだ。そこに助け舟を出すかのように村橋。

「ねぇ、煌月さんが脱出口探しをしたらすぐに見つかりそうじゃない?」

 その発言に操られるように、煌月に視線が集中する。

「脱出口ですか? そういうことは無いかと。皆さんが必死になって調べて見つからないのなら、もうあそこしか可能性はありませんよ」

 煌月は右手の人差し指を真上に向けた。

「脱出口があるとすれば天井かと。脚立や梯子はありませんし、壁をよじ登るなんて論外です。あそこは物理的に調べられない場所ですから」

 全員が天井を見上げた。

「確かに、あそこを調べるのは無理ですね」と竹山。

「じゃあどうやってここから出るんだよ!」

 鷲尾は気が立っているようだ。

 異常な状況は、時に普段では予想できない事態を引き起こす。いかなる状況でも常に冷静さを保て。元は防災訓練の時に言われた言葉だが、こういう時にこそ実践するべきだな。

 自分自身に言い聞かせて、思考を纏めていく。

「今から話す事はあくまで私の予想です」

 煌月はゆっくりと、そしてハッキリと全員に伝わるように話す。そして他の参加者の様子を窺い、興味を引いた事を確認してから続ける。

「今日の夕方か明日の朝にはここから出られると思います。遅くても明後日には出られるかと」

「えっ? それはどうしてですか?」

 青ざめている佐倉が全員の疑問を代弁した。煌月は少し間を置いて様子を窺ってから、

「先程から犯人について考え直していました」

 煌月に視線が集まる。当の煌月は無表情で話を続ける。

「無差別殺人犯の印象がありますが、現場を密室にしている点から計画的に犯行を行っています。全容は解明できていませんが、手の込んだトリックを使っている点から、犯人は保身を考えている筈です。自分以外を皆殺しにしたら、自動的に生き残った自分が犯人になるので流石にそこまではしないでしょう。

 もし最後に自分が死ぬつもりなら、昨晩はもっと被害者が出ているでしょうし、わざわざこんな凝ったことをせずに最初から閉じ込めて火でも放てばいい。密閉性を活かせば、毒ガスや一酸化炭素という手もあるでしょう。食料や飲み物に毒を仕込むのも確実性が高い手ですね。

 そういった事をしないで凝ったトリックを使っているということは、犯人は生き残って無罪を主張するつもりなのは確実です」

 ここで煌月は一度言葉を切って他の参加者達の様子を窺う。誰もが煌月の話の続きを求めるように沈黙している。

「必ず犯人はここから出る方法を用意しています。一人だけ脱出しても、後で疑われるのは確実ですから生存者全員で出られるようにしてあると私は踏んでいます。凶器は全て処分してしまったようですので、これ以上の犯行がある可能性は低い。各自対策をするので犯行が難しくなりますしね。そうなると犯人はこの場所に留まる理由が無くなります。

 すぐに脱出しないという点が気になりますが、恐らく警察の到着を遅らせて時間を稼ぐつもりではないかと思います。時間が経てば経つ程正確な情報が現場から得られなくなりますからね」

 煌月は再び言葉を切った。そこにルナアリスが「捜査の妨害だね」と入った。

「その妨害も何日もかけられないでしょう。なぜならゲームの日程を過ぎた上にスマホも通じないとなると、外にいる人間が不振に思い捜索を始めるからです。例えば氷川さんのマネージャーさんやルナアリスちゃんのご両親。学生の曽根森と宝条さんと佐倉さんは、今日中に戻らなければ学校の関係者がすぐに不審に思い動き出すでしょうね。

 だから犯人は、この閉じ込められている状況を長く維持することはない。恐らくは明日の朝が脱出日の本命ではないかと思います。仕掛けを操作する装置が無かったというのなら、恐らく特定の日時になると脱出口が開く時限式の仕掛けではないかと」

 淀み無く説明する煌月。そこに竹山が、

「成る程。それで脱出口が開くとしたら天井という訳ですか。すぐに見つけられて今すぐ出ようという事になれば、捜査妨害にならないと」

「そういうことです。各々不安はあるでしょうが、十分な食料とライフラインはあります。あと一晩だけ頑張ってみませんか? この中の誰が犯人なのかは分かりませんが相手は一人です。念の為にしっかりと対策すれば犯人は動けませんし、妙な動きをしても他の人が全員でかかれば押さえこめますよ」

 煌月の提案に他の参加者達の反応はすぐに返ってこないが、各々考えているようだ。煌月は黙って彼等の様子を窺う。

 私はまだ精神的な余裕がありそうだが他の人達はそうじゃない。閉鎖環境と殺人事件によるストレスで相当な負担がかかり続けている。何人かはそれが表面に出始めている。

 煌月は怯えたように小さく震える宝条に視線を向ける。その隣の曽根森も少しづつ余裕が無くなっていくのが、表情の変化からわかる。竹山と鷲尾は貧乏ゆすりが始まり、氷川と村橋と佐倉は明らかに不機嫌そうな表情に変化している。

 意外に表情が陰らないのはルナアリス。大宮も比較的精神状態が安定しているのか、言動は落ちついている。

 被害者が他の人と殆ど関わりの無い人だったことと、脱出口探しという気を紛らわす行動があったことで、殺人犯の恐怖を誤魔化せていた。しかし希望の見えない現状が続けば限界が来てしまう者が出る。

 煌月はここでもう一手を投じる。

「最悪の場合の話をします。こういう異常な状況下では、不信感とストレスが原因で暴れまわる者、誰彼構わずに相手を攻撃し始める者も出るかもしれません。そうなったら、思わぬ被害が出るでしょう。当然、犯人も巻き込まれる」

 一旦言葉を切って煌月は時計回りで、全員に視線を走らせる。

「時間を掛け過ぎると無用なトラブルに遭う危険性が増していく。犯人がどこまでリスクの予想をしているかは分かりません。私は、犯人はなるべく早く脱出口を開けた方がいいのではないかと思いますね。

 それと犯人でない人は辛いでしょうが、やけを起こさないようにお願い致します。暴れまわっても辛い自分が楽になることはありませんからね」

 犯人に対する提案、というかある種の脅し。同時に犯人ではない者を気にかけて、少しでも落ち着かせようとする。

 ――だが気遣いの方は全く伝わっていないようで一人も表情に明るさが出てこない。

 煌月は基本、真剣に考え事をしている時には感情が表に出にくい。特に事件の捜査の際はそれが顕著。思考にリソースをフルに突っ込んでいると、無表情なばかりか話し方も感情が乗らずに淡々となってしまう。今も自身の考察を述べている時の様子はまるで人形のようであった。

 相手を気遣っている、励まそうとしているつもりでも機械的に聞こえてしまう。気持ちが全く相手に伝わらず寧ろ逆効果になってしまう。

 気持ちのやり取りが上手くいかない。共感性に欠ける人間に思われてしまう。冷血で人間らしくないと言われたこともあった。コミュニケーションに支障が出てしまう、煌月の大きな弱点だ。

 場の空気は重苦しいまま。煌月の後に続く声は無く、静寂がホール内に満ちる。その中で煌月は他の参加者を観察していた。

 犯人に向けた言葉と犯人ではない者に向けた言葉。それに対する反応を見ていた。しかし先程犯人と特定した人物からは不審な反応が見られない。

 大宮が煙草を吸う為に少し離れた席に移った以外に何の動きもないまま、時計の針だけが進んでいく。

 進展も無く重苦しい空気に耐えられなくなったのか、煙草を四本灰にした大宮が口を開いた。

「なぁこのままこうしてても仕方ないんじゃないか?」

 その声に力強さは無い。ただ苛立ちや焦りは含まれていない。

「ですね。それでは皆さん準備しましょうか。今晩を乗り切る為の準備を」

「犯人から身を守る、ですよね」

 ドラマの中で堂々とした演技をしていた女優とは思えない程に、消沈した氷川が続けた。

「ええそうです。ここにいる全員で準備しましょう。犯人も混ざっている訳ですが、ここで妙な動きは無いでしょう」

 煌月がゆっくりと席から体を持ち上げた。

「具体的にはどうするのかしら?」と村橋が伏せていた顔を上げた。

「客室のドアを閉鎖するとか?」

 曽根森は腕を組んで煌月を見遣る。

「いえ、それよりも良い方法があります」

 煌月が少し間を置いたがそこにルナアリスが割り込む。

「それは当然、古今東西のクローズドサークル物ミステリーの常套手段! 皆一緒に朝まで起きている、だよっ」

 幼くて明るい声がホール内に響いた。ルナアリスは自慢げな笑顔を作っている。

「要は全員で徹夜してお互い監視しようって事か?」

「そうだよ」と鷲尾に対してちょっと自慢げに返すルナアリス。

「ベストかどうかは分かりませんが、ベターであるのは間違いないかと。個人個人で部屋に立て籠るよりかは良いと思いますよ。集まるのはこのホールにしましょう。広いし見通しが良いので何かあればすぐに分かります。互いに助け合える状況になりますよ」

 他の参加者達を無表情のまま順番に見遣る煌月。

「確かにこのホールはトイレも近いし飲み物も食べ物もすぐに取りに行ける。全員で集まるならここ以外は無いな……」

 竹山が肯定的な意見を出した。

「アタシは賛成。一人でいると怖いし寂しいし」

「拙もそれでいいと思いますよ」

 村橋と佐倉は賛成のようだ。

「俺は構わないぜ」という大宮に「同じく」と鷲尾が続いた。

「皆さんがいいなら私もそれで良いです」

 憔悴した顔で氷川も賛成した。

「曽根森さんと宝条さんも良いよね?」

 ルナアリスが二人に問う。

「まぁ私達だけ離れるのも、それはそれであんまり良くないし。凛菜ちゃんも良いよね?」

 宝条は震えながら首を縦に振った。

「僕も賛成です。それで細かい取り決めとかはどうしますか?」

 竹山が話を進める。煌月は変わらずの無表情で、

「各々の私物を部屋から持ってきましょう。あと徹夜しようとすると、どうしても眠気に勝てない時があるかと思います。そんな時用にブランケットと枕を持ってくるのもいいですね。床の上で交代になってしまいますが、少し仮眠を取れるかと」

 煌月は右手で周囲を指差しながら、

「このテーブルはホールの中央にある上、ホール内はちょっと暗い事を除けば見通しは良いです。視線の通る隅の方で他の人と距離を取る様にすれば、誰かが不審な動きをしてもすぐに分かります。安全性は十分確保できるかと」

「成る程な。でもそれなら無理に全員で起きようとせずに、時間と順番を決めて仮眠を取る方針で行った方がいいんじゃないか?」

 鷲尾の指摘に煌月は大きく頷いた。

「確かにそれも一つの手ですね。要は犯行を阻止して一晩越せればいいのですから」

「それでは適当な時間から仮眠ローテをするって事にしますか?」

 竹山が全員に向けて確認を入れた。誰からも異論は無かった。時計の針はもうすぐ午後六時の位置へ差し掛かる所であった。

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