十分程経った後、ホールのテーブルで煌月は朝食を食べ始めた。糸を引くグラタンを口に運び、出汁の香りが食欲を刺激する麺を啜る。瞬く間に胃袋へと吸い込まれていった。

 宝条は体が冷えたのか、ホットココアと即席のコーンポタージュスープに口を付けながら煌月を少し離れた席から覗いている。

 デザートの桃缶を空にした後も、冷凍の焼きおにぎりを齧る。少なくとも四人分は平らげただろう。

 食べた気がしない。満腹感はあるがそれに付随するであろう満足感がない。

 それはまるで車にガソリンを入れるが如くの機械的な燃料補給のようであった。

 補給が終わった後片づけを済ませた煌月は、微糖の缶コーヒーをちびちび飲みながら背もたれに寄りかかるように座っている。

 ホール内には採光用の小窓一つ無い。心許ない灯りだけでは、今が朝なのか夜なのか分からない。薄暗いホール内に浮かぶように弱く光る天井のシャンデリアを、煌月は暫く無言で見上げていた。

 煌月と宝条、付かず離れずの距離で座る二人に会話は無い。どちらも話しかけようとはしない。申し合わせた訳でもない静寂な時間が流れる。

 静まり返ったホールを切り裂くような悲鳴が突然響いた。

 煌月は瞬間的に反応し立ち上がる。

「上の廊下からか!」

 階段まで駆ける。日本人離れした長い足はあっという間に階段を昇っていく。急なことで動揺している宝条は完全に置いてけぼりだ。

 廊下の先には全身を震わせている背中があった。

「どうしましたか?」

 煌月の呼びかけに反応して振り向いた。真っ青な顔で震えている氷川だった。

「あ……あそこに……」

 細く白い彼女の指が指した先は薄暗い廊下の一番奥の壁。そこにあったものは――。

「羽田さん?」

 煌月がゆっくりと近づきしゃがんで様子を窺う。壁に背中を預けて力なく座り込む彼の眼には、生者なら誰もが持っているであろう命の光が消えていた。もう物言わぬ死体となってしまったのだ。

「死んでいる。羽田さんから命を奪ったのはこれか……」

 素早く脈を確認した後、煌月が彼の胴体に視線を移す。右胸に一本、左半身の下腹部に一本、計二本の細めの白い棒が刺さっていた。どちらも刺さっている側の逆側の端に、羽のようなものがある。

「矢か。弓かクロスボウで撃たれたのか」

 予感的中って事か。いつだって確信のある前兆は、悲劇も喜劇も止めてはくれない。不運も幸運も無遠慮に押し付けてくる。

 煌月は懐からスマホを取り出し、素早く現場の写真を撮影し始める。同時に氷川に指示を飛ばす。

「氷川さん、すぐに他の人達を起こして下さい。これは殺人事件です、ただ事じゃない」

 氷川はショックが大きかったのか、両手で口を押えていてすぐには反応しなかった。声にならない声を漏らしている。

「氷川さん、大丈夫ですか? 動けますか?」

「え……ええ……」

 煌月は振り返って氷川を見遣る。反応が鈍い彼女の背後に、宝条が近づいてくるのが見えた。

「宝条さん、羽田さんが何者かに殺されました。殺人事件です。すぐに他の人達を起こして集めてくれませんか?」

 立ち上がりわざと必要以上に大きな声を出した。部屋にいる他の参加者が聞けば出てくるかもしれないと考えたからだ。

「えっ!? 殺人事件? わ……わかりました」

 死体を直接見ていないからか、それとも素直な性格なのか宝条の反応は早い。すぐに仲間の部屋のドアを叩き始める。直後、竹山が十一番の部屋から出てきた。

「ん? なんか騒いでいるようですけど何かあったんですか?」

 まだ状況が分かっていない竹山は暢気に聞いた。

「竹山さん、殺人事件が起きたので他の人達を起こしてくれませんか?」

「はぁ? 殺人事件? 寝ぼけているのかドッキリでもやっているんですか?」

「私もドッキリならよかったのにと思っています。でも現実だ、嘘だと思うならあそこを見てください」

 羽田の死体を指差す。竹山は最初は半信半疑だったようだが、死体を見た途端顔から血の気が一気に失せた。

「大変だ! 僕、皆を起こしてきます!」

 状況を把握した竹山が慌てて走り出す。煌月は更に数枚スマホで現場を撮影した後、死体を蹴り飛ばさないように注意しながら十六番の部屋に移動。ドアをガンガンと叩き始める。

「木村さん起きていますか! 起きていたら出てきてください!」

 室内から反応は返ってこなかった。そこで一つ思い至る。

「他の参加者の部屋割りを把握していない。七番はルナアリスちゃんだったな」

 すぐに七番の部屋の前へ。再びドアを叩く。少し待つとルナアリスは眠そうに目を擦りながら部屋からドアを開けた。

「あっ、煌月さんグッモーニング」

 ネイティブな発音での挨拶。幼い愛らしさを振り撒くように笑った。

「おはようございますルナアリスちゃん」

 ルナアリスはパジャマ姿だった。

「ちょっとそうもいかない事態が起きました。殺人事件です」

「ええっ!? ミステリーの定番のクローズドサークルみたいだなぁって思ったけど、ホントに殺人事件? 嘘だぁ」

「残念ですが事実で現実です。確認しますか?」

 煌月はドアから離れて、羽田の死体が寄りかかる突き当りの壁を指差した。ルナアリスは部屋から出てその方向に頭を向けた。七番の部屋は死体から近い位置の部屋なので、少し近づけば死体の様子が分かる。

 ゆっくりと死体へ近づいていくルナアリス。羽田の死体を直視しても悲鳴を上げる事はなかった。胸元で十字を切り両手を握って、死者への祈りを捧げた。イギリス育ちらしい仕草だ。

「子供は見ない方がいいよ……」

 ノーメイクで髪がちょっと跳ねている村橋を連れてきた氷川が、消沈した声で気遣った。

「ありがと氷川さん。でも私は大丈夫」

 ルナアリスは平気そうな顔だが、死体を直視した村橋は口を半開きにして固まっている。

「死因は突き刺さった矢で間違いなさそうだね」

 ルナアリスは中腰になって死体を凝視している。

「不用意に触らないようにお願いします、ルナアリスちゃん」

「うん、わかってる。勝手に死体を動かしたりしないよ。証拠や手掛かりが消えたら困るもんね。ちょっと着替えてくる」

 ルナアリスは至って冷静に振舞っていた。足早に部屋に戻っていった。

「ならいいです」

「いや、いいですじゃなくてあんまり子供に見せない方が……」

 大宮を引き連れてきた竹山が控えめなトーンで意見を言うが、煌月は表情を変えない。

「お気遣いは良いと思うのですが、子供だからこうだという考えは個人的には好きじゃありませんね」

「トラウマにでもなったらどうするんですか」

「自己責任ですよそれは」

 さも当然のことのように煌月は言う。あまりにも堂々としているので、竹山は閉口してしまった。大宮は昨晩の酒が残っているのか、だるそうな顔で様子を窺っている。状況を把握するのにまだ時間が掛かっているようだ。

 七番の部屋から飛び出すように出てきたルナアリスは、昨日と同じ黒が基調のクラシカルロリータを纏っている。違いは自然に肩と胸元に流した黒髪だ。

 ルナアリスが合流した直後に、曽根森が目を擦りながら部屋から出てきた。

「ちょっとどうしたの凛菜?」

「殺人事件が起きたって……」

「はぁ? 夢でも見てたの?」

 曽根森は大きな欠伸を一つ。宝条が廊下の奥で死体となった羽田を見せると、一瞬で血の気が失せた。

 その後、機嫌が悪そうに頭を掻く鷲尾が廊下に出てきた。羽田を見ると不機嫌な顔が凍り付いた。佐倉がその後ろで固まっている。

 ここは閉鎖された場所だ。犯人は他の参加者達の中にいる。

 煌月は廊下に集まった参加者をさり気なく観察する。羽田の死体を確認した参加者達の反応は似たり寄ったりだ。

 この場で浮いているのは、無表情で冷静に他の参加者を観察している煌月。それと全く動じる様子がなく、死体に近づいて眺めているルナアリス。

「これだけ騒いだのに私を入れて十人しか部屋から出てきません。羽田さんを抜いて後五人、何故出てこないのでしょうね」

 この場に居ないのは瀬尾田康生、北野誠也、甲斐涼介、木村美緒、村上茜の五人。

 存在を確認するように互いを見遣る参加者達。

「茜ちゃん、休日でも六時には起きるのに今日はこの時間になっても起きてこないよ」

「そうね、もう起きてる筈なのに」

 宝条と曽根森は不安そうな表情で互いを見ている。

「誠也と涼介も出てこないな」

「アンタ等の仲間、下に居るんじゃねぇのか」

 鷲尾が腕を組んでいる佐倉に意見を言うと、

「いえ、下のホールには誰も居ない筈です。私が先程まで居ましたが、宝条さんしか見なかったので」

 すぐに煌月の訂正が入った。佐倉は青ざめた表情を曇らせる。

 大宮は煌月の様子を窺うように見ている。酒の残りが吹き飛んだのか、だるそうな顔から戻ってきていた。

「私は早くから起きて下のフロアにいた。この場に居ない五人とは誰とも会わなかった」 煌月は不穏な空気を感じ取っていた。故に即断する。

「残りの五人の部屋のドアを蹴破りましょう」

「おいおいマジかよ!?」

 大宮が思わず声を上げたが煌月は反応せずに目の前のドアに近づいた。

「何もなければそれでよし。私が悪者になればいいんです。村上さんの部屋はここでしたよね」

 煌月に迷いはなかった。ドアノブを回して鍵が掛かっている事を確認した後、思いっきりドアに蹴りを入れた。ちょっと待ってと制止する曽根森に耳を貸さない。廊下どころがホールまで響いたであろう大きな音に、宝条と氷川とルナアリスが体を竦めた。

 一回目はドアが悲鳴を上げた。二回目でドアの鍵の部分が破損し、室内への道が開いた。躊躇無し、容赦無し。煌月は何事もなかったかのように、さも当然のように村上の部屋へと入っていく。

 曽根森と宝条は煌月の暴挙ともいえそうな行動に怯んだのか、廊下から室内を覗いている。他の参加者もドアの前に集まる。

 部屋の内部は物音一つせず静まり返っていた。

「村上さん、すみません起きていますか?」

 部屋の奥へと足を動かしながら声を出す。返事は……返ってこなかった。その理由を煌月はすぐに見つけた。

 ベッドだ。体を乗せて横たわっている村上茜はピクリとも動かない。

「胸元に矢が刺さっている。顔色からしてもう……」

 生気を失った虚ろな目は虚空を見ているかのように半開き。殆ど乱れが無い掛け布団に肩辺りから下が覆われているが、その胸辺りに掛布団を貫いて刺さった矢が一本。

 一目で命が失われている事が分かるものの、煌月は掛け布団から僅かに外へはみ出していた右手首に触れて脈を取る。血の流れは完全に止まっている。人間なら誰しもが持つ温かさが完全に失われているのが、指先を通して分かる。

 冷たい指先を僅かに折り曲げた後、。布団を捲って寝間着を着た上半身を少しだけ、慎重でかつ躊躇なく動かす。

「死亡を確認。死斑の出方と指先の死後硬直から少なくとも七時間といったところか。失禁の跡などから、死後に死体を動かした形跡は無し」

 煌月はポケットから手帳と万年筆を取り出し素早く書き込む。その後スマホで写真撮影を行う。その途中、恐る恐る入ってきた曽根森と宝条は村上の死を知ることとなった。二人は悲鳴を上げた。

「そんな!? 嘘でしょ!?」

 二人が村上の亡骸に触れようとしたが、煌月が亡骸を守るように立ちはだかった。

「死体に触ったりしないでください。現場を出来る限り保存する必要があります。確認がすんだら取り敢えずこの部屋から出てください」

 煌月は冷静さを失わずに指示を出す。

「これは殺人事件です。警察が来るまで現場をなるべく保存しておきたいのです。さあ早く出てください」

 煌月に促されて二人は部屋の外へ。廊下では不穏な発言が部屋から聞こえた事で、他の参加者達がざわつき始めた。一通り撮影を終えた煌月は、部屋の外に出て村上茜が矢で殺害された事実を話した。参加者を敢えて死体と会わせることで、ただ事ではない事態が発生していることを再度認識させる。

「もしかして部屋から出てこない他の四人も何かあったんじゃ……」

 竹山はぼかしたが、要は他の四人も殺されているんじゃないかということだ。

「そうですね、手分けしてドアを蹴破りましょう」

 煌月は先陣を切って隣の十五番の部屋のドアを強引に開け始めた。甲斐涼介の部屋だ。ここも鍵が掛かっているかを確認した後で蹴破りにかかる。

 大宮と鷲尾と竹山は十番の部屋に行った。瀬尾田康生が使っている部屋だ。佐倉は北野の部屋へと向かった。

 それから間もなく甲斐と瀬尾田が村上と同様にベッドの上で矢が刺さった状態で死んでいた事が判明。さらに佐倉が蹴破った部屋では、その部屋を使っていた北野が室内の真ん中辺りで殺されていた事が判明。木村の十六番の部屋では、木村がテーブルの近くで殺されていた。この二人も矢が刺さって死んでいた。

 煌月は各死体に素早く慎重に触れて死亡推定時刻の割り出しを行った。そしてその結果を手帳に書き込んでいく。更に各部屋に入った際に気になった事、気が付いた事も合わせて書き込んでいく。

 甲斐さんと村上さんは左側から矢を撃ち込まれているが、瀬尾田さんは右側から矢を撃ち込まれている。木村さんと北野さんは恐らく正面から。

 木村さんの部屋のテーブルに、硬貨が並んだり積まれたりしている。木村さんの死体を見た時、何か違和感を覚えた。

 昨晩北野さんの部屋には誰かが来ていたのか? テーブルの上の空き缶の数が六本というのは一人分にしては多い。しかも一本はビールの缶。高校生の彼がハメを外して飲んだ可能性はあるが。

 被害者五人の部屋の間取りと内装は自分の部屋と同じと見て間違いない。客室全てが同じか。

 凶器は矢を使われたことから弓かクロスボウだと思われる。羽田には二本、他の五人には一本づつ刺さっている。

 全ての死体に死後動かした形跡は見受けられない。

 一通り書き終わったところでルナアリスが煌月に声を掛けた。

「何か分かった? 煌月さん」

「まだなんとも。皆さん、取り敢えず下のホールに移動しませんか? 朝食もまだの方がいますし一旦落ち着いて今後の話をしましょう」

 反対意見は出ない。死体から離れたい心理が働いているのか、全員の動きは早い。

 ――この城で何が起きたのか。その問いが事実を問うているのなら、その答えは『六人殺されている』だ。動機と方法を問うているのなら、その答えは『犯人以外は誰も分からない』だ。

 何しろ殺された六人の内、五人が施錠されたドアの内側で殺されていたのだから。

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