煌月は耳を傾けながら流れていく外の景色を眺めていた。五分足らずで民家すらないような山の中へとバスは進んでいく。車道は舗装されているのでさほど揺れたりはしないが、すれ違う車両は一台も無い。緑色のスクリーンのように生い茂る森の木々が、まるでバスが一ミリも進んでいないのではないかと錯覚させる。

 トークも上手い女優氷川冷華の一番の爆弾発言は、

「今欲しいものは何?」からの「恋人ですね。気になっている男性はいます」だ。

 体調不良で休んでいる男の事を気に掛ける者は誰もいない。そんな不憫な彼は実は起きていたのか、目的地に到着するとすぐにむくりと体を起こした。黒いフレームの眼鏡をケースから取り出して、ゆっくりとブリッジを鼻に乗せる。

 次々とバスを降りる参加者達。煌月が最後だ。背中を真っ直ぐにして腰を軽く回す。

 リアル脱出ゲームの会場は人里離れた山奥の僻地にあった。

「大富豪というのは本当らしい」

 目の前には西洋風の城が鎮座している。周囲を青々と茂った森林の真ん中、不自然な佇まいだ。

 高さが五メートル程の石の城壁に囲まれている。城門は鈍色にびいろの鉄格子、対の塔に挟まれる形でその上部には櫓がある。鉄格子の向こうに見える城の本体は、レンガ調なのか赤茶色が壁面に広がっている。

 この城のイメージに一番合うのはルナアリスか。この城に住むお姫様といっても違和感は無いな。

 ルナアリスは細い足で飛び跳ねている。その度にスカートが揺れる。

 西洋人に近い顔立ちに加え、纏っているのはクラシカルロリータと呼ばれる中世ヨーロッパのイメージが強い少女服。奇抜なデザインではなく、リボンなどの装飾や柄が殆ど無い黒を基調とした服だ。首元から白いインナーの襟が、黒で統一された中で目立ちすぎない程度のバランスで顔を出している。靴は黒のパンプスでソックスは白。ピンク色の小さいリュックを背負った人形のような可愛らしい姿は、絵本の世界の住人が現実世界で踊っているかのようだ。

 騒いでいるのはルナアリスだけではなかった。

「なになに~もしかして海外から移築してきたヤツ?」と目を輝かせる美緒。

「そんな訳ねぇだろ」と笑いながら上着の内ポケットから煙草を取り出す大宮。

「想像の斜め上をいくなぁ」と城門に歩いていく羽田。

 若い男は大き目のリュックを背負い直して黙って見上げているが、懐からスマホを取り出して城をカメラに収めようとする。氷川は氷のように固まっている。

「初めて見た時は自分も驚きましたよ」

 エンジンを止めて降りてきた案内人が煌月の隣に立った。

「まさか会場が城とは思いませんでした。参加者は我々だけですか?」

「いえ、十六名と窺っております。予定通りなら、別の者が他の参加者を先にお連れしている筈です」

「そうですか。それで、この立派な城門はどうすれば開くのでしょうか?」

「それは私が開けます。少々お待ち下さい」

 案内人は足早に城門の右端の塔へと進む。塔といっても中に入れるようなものではないようだ。一見何もないような壁面に人差し指を当てると、一部が蓋のようになっているのか表面が上に持ち上がった。縦四十センチ、横が二十センチ程の窪みで城門の開閉ボタンがそこにあるようだ。

 上下に並んだ二つのボタン、上部には鍵穴と弱々しく緑に光っているランプ。案内人は開と書かれた上のボタンを押した。軋むような音を響かせて鉄格子が垂直に持ち上がっていく。

 人が十分に通れるだけの高さに達するや否や、木村とルナアリスが我先にと城門を潜った。彼女達の手にもスマホが握られている。追いかけるように羽田も潜る。それに続くように案内人以外の四人が門を潜った。門の真下を通る際に、煌月は歩みを遅くして天を仰いだ。門の下には特に何もなかった。

「案内人さんは来ないんですか?」

 振り返った煌月の問いに案内人は、

「私はここまで連れてくるまでが依頼ですので入りません」と案内人は答えた。

 そうですか、と煌月は城壁に守られた城の本体へと再び長い足を進める。煌月が最後で鉄格子が降りる音が背中を押した。

 門から続く石畳。中庭には整えられた芝生が広がっているが、その中に地面に溝を掘って人工的な水路が作られている。石材が使われており、大昔のローマで作られた水路によく似ている。

 深さはそれほどでもなく底が見えるほど水は透明だ。傾斜をつけているのかポンプか何かを使っているのか、水は一定方向に緩やかに流れ続けている。

 アーチ状の石橋が、門と城の中間に掛けられていた。水路は石橋の真下を通っている。

「大昔と違って門の開閉は電動か」

 大宮は火の付いた煙草を咥えながら、少し遅れてきた煌月の背後で閉じる城門を眺めている。

「特に歴史がある城ではない現代の建物だからでしょう」

 煌月は気にする素振りは無く城の入り口へと歩いていく。高さが三メートル程の両開きの扉だ。その前に全員が立ち止まった。

「入らへんのかい?」

「どうやら謎を解かないと入れないようです」

 氷川が入り口を指差した。氷川の目線より少し低い位置に液晶パネルとテンキーが取り付けられていた。

 パネルの横に『まずは小手調べ。四桁の番号を二つ入力して開錠せよ』と書かれたプラスチックのプレートが張り付けてある。

「早速きたな。腕試しかウォーミングアップってわけやな」

 羽田はやる気があるようだが、対称的に大宮は顔には面倒くさいと言わんばかりの感情が映っていた。左手に持った手提げ鞄を足元に下ろして、携帯灰皿に吸殻を押し込む。

 パネルには、『一つ目の番号はビート』と表示されている。

「なんのことだか俺にはさっぱりだな」

 大宮は携帯灰皿を懐にしまいながら感想を漏らす。

「ビートってなんだろ? 音楽のリズムのあれかなぁ」

 腕を組んで考え込む美緒。なにやらぶつぶつと呟いているルナアリス。

 不意に「1031」と二人の声が重なった。煌月と若い男だ。

「おや、同じ答えを出したようですね?」

「そのようですね。試しに僕が入力してみます」

 若い男がテンキーを人差し指で押す。液晶パネルには押された数字が表示されていく。入力が終わった直後、『正解! 一つ目をアンロック』と表示された。

「どちらか解説をお願いできますか?」

 氷川が二人を交互に見遣る。応じたのは若い男の方だ。

「ビートはヒユ科の植物の事で、『テンサイ』と呼ばれる品種があるんです。日本だと主に北海道で栽培されてて砂糖が作れる作物です。それの語呂合わせですよ」

 氷川は成る程と納得がいったように頷いた。

「速攻かいな。それで、次の番号はなんや? 今度はワイが正解するでぇ」

 液晶パネルには次の問題が表示された。


 斉継光茂-神水長如文-治霜=○○○○

 

「暗号のような数式ですね」

 煌月は左手を口元に当てた。若い男は上着の内ポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、何やら書き始めた。

「お兄さん、何か分かった?」

 木村が聞くと若い男は木村を見ることなく、

「半分は分かった。これと同じ考え方の謎を作ったことがある」

 木村の問いに若い男が即答する。視線が集中する中、メモ帳を全員に見せる。


 ?-106927-?11=○○○○


「なんのこっちゃ?」

 大宮が全員の考えを代弁した。否、一人だけは違った。

「月の古い呼び方ですね」と煌月。

「そうです。神は神無月かんなづきで10、水は水無月みなづきで6、長は長月ながつきで9、如月きさらぎの2と文月ふみづきの7。繋げればこの数字の並びになります。これで中央の数字が判明、右は霜月しもつきで下二桁が11で確定でしょう」

「何かの数字に変換できる漢字ということだね。それで引き算すれば四桁の数字になる」

 メモ帳を見上げながらルナアリスは自分の唇を右手で叩く様に触れる。

「漢字の画数とかはどう?」

「漢字の画数……やってみます」

木村の意見を聞いて、若い男は再び書き始めたがすぐに手を止めた。

「駄目ですね、解が四桁になりません」

「違ったか~」

 木村は残念そうにショートヘアーを掻いた。

「何かの理由で数字に変えられる漢字の並びですか」

「ヒントは無いのかなぁ」

「見当がつかないね」

 女性陣はお手上げのようだ。

「ちょっといいですか? 先程から気になっていたのですが、貴方の名前を教えてください」

 先程までダウンしていた若い男は眼鏡のブリッジを上げた。

「僕の名前は竹山翔たけやましょうだが」

「竹山さんですね。私は」

「さっきバスの中で聞いたから自己紹介は不要です」

 竹山は煌月を見もせずに遮った。羽田はすかさず名前を手帳に書き込む。

 暫く全員静かになった。虫の声だけが聞こえる。

「なぁこれ、徳川とちゃうか?」

「徳川? 江戸幕府を作ったあの徳川?」

 腕を組んだ木村が羽田の方を見る。。

「そや。うろ覚えやけど十代目か十一代目が『イエナリ』って名前やろ。家にこの漢字だった筈や」

 羽田は前に出て液晶パネルの『斉』の下に、字が隠れないように触れた。

「光は三代目の『イエミツ』で、何代目だったか忘れたけど『イエツグ』って奴がこの継ぐって漢字やろ」

「確かにそうだ! 成る程そういうことか!」

 メモ帳に書き殴るようにペンを走らせる竹山は二分足らずで答えを出した。

「家斉は十一、家継が七、家光が三、家茂いえもちが十四、家治いえはるで十。……よし出たぞ」

 竹山はメモを見せた。先程のメモの下に完全版の数式が並んでいる。


 117314-106927-1011=9376


「じゃあウチが入力してみるね」

 木村がテンキーを四回叩いた。画面には『正解! 二つ目をアンロック』と表示されガチャリと鍵が外れる音が鳴った。木村がドアノブを握れば軽く回り、引けば滑らかに開いた。

「羽田さんお手柄~」

「ワイも懸賞付きのクイズで小遣い稼ぎしてたクチやさかい。ちっとは貢献せんとな」

 ルナアリスの賛辞に当の本人はドヤ顔で親指を立てた。

「行きましょう」と竹山が先頭で城内に足を踏み入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る