5 「邪魔かと思いました」

 同時に振り上げてきた鞭のような腕を肘で受ける。左足で支えた身体から力を逃がして衝撃を和らげ次の一手に備えようとしたが、視界に女の姿はなかった。わずかな時間で後ろを取られたのかと思ったが次の瞬間にはありえない方向から足が飛び出てくる。


「うわっ」

 思わず声をあげさらに後退すると、女は上体をほぼ寝かせるような体制まで低くし、足を振り上げていた。蹴りも交わされるとさすがに女も顔色を変えたように見えた。実際に変わったわけではないが、アプローチ方法を変えてくる可能性があると伊野田は思った。小橋が近くにいる手前、こちらはむやみやたらに攻撃し難い。なんとか不意を付ければいいのだが。


 見かけどおり女は身軽だった。体をわずかに左右に振るような変わった構えを見せつつ、伊野田が一歩踏み込んで威嚇すると、カウンターをかけ素早く身体を回転させた勢いで足を振ってくる。もともと一定の距離を取っていたため簡単に避けられたが、長い髪も高速で空を薙いでいく。


 女は正面に戻ると、すかさず髪を片手で撫でてまとめた。邪魔ではないのだろうか。無表情でこちらを睨んでいるが、聞いてもいないのに口を開いた。

「邪魔かと思いました?」

「何が?」いろいろな意味で邪魔だな、とは言わずに伊野田は返事をした。

「髪は女の命と聞いてましたので」

「きれいな髪だと思うよ」

「本当ですか?」


 すると女はあっさり戦闘態勢を解いた。どこか嬉しそうな表情で、髪を手で滑らせた後、指に巻いてうっとりと眺めている。その年頃の女性が見せるごく普通の反応を眺め、文字通りきれいなだと思った。伊野田は皮肉げな笑みをこぼした。


(造形……、か)

 その女性の表情筋がつくりだす”嬉しい”感情が、予めプログラムされた反応であると、伊野田は感覚的に察した。

 確証はない。ただ、自身の培ってきた経験から自動抽出されて脳内に浮かんだ物事は、たいてい正解であることが多い。

 であれば、なおさらこの女性と攻防を続けるわけにはいかない。一刻も早くこの場を立ち去らなければ。

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