間話 ある上空の話

 風に揺れる髪を指先に絡めて脚を組みながら、壁に囲まれた町を見下ろす。

 唯一現存する国を自称するこの町は、ここ数年で随分と様変わりしたようだ。

 たったの数年。数百年でも数千年でもなく、数年。それっぽっちの時間でここまで変わり果てるとは。

 足を組み替え、隣でぐすぐすと泣いているクレスティアを見る。

 羽ばたかせずに浮けるなら、彼女の翼は何のためにあるのだろうか。もっとも、そのボロボロの片翼では羽ばたいたところで大したことにはならないだろうが。


「それで、いつまでそう落ち込んでいるんだ?」

「だって悲しいんだもの。ラーナスは悲しくないの?」

「悲しくないな。そもそも、あの機械人形を唆したのはお前だろう、クレスティア?」


 千年程前に彼女が祝福を与えた機械人形。その様子を暫く観察していた。

 しかし、その人形の活動はあまりに単調であくびが出そうな程。到底、彼の目に適うような物語は紡げないと判断した。少なくとも現状ではそうだ。

 だからこそ視点を変えてみようと、この町の上空にやってきた。だというのに、彼女はずっと泣きべそをかいている。


「唆すだなんて。クレスティアはそんなことしないよ、ラーナス。クレスティアは愛を説いただけだもの」


 彼女はぷくりと頬を膨らませた。私の言い分が納得いかないのか、バタバタとボロボロの片翼を羽ばたかせている。


「愛に目覚めた機械の人形……きっと、とても幸せになれると思ったのに」


 そう言って彼女は肩を落とした。翼の動きも弱々しくなっている。

 祝福……それは彼女の言葉そのものだ。

 彼女は一度祝福を授けたら、その後を見守るようなことはしない。彼女はただ祝福を授けた相手が幸せになると信じて視線を外す。

 そして、その大半は不幸な結末を迎えるのだ。


「それは残念だったな、クレスティア」

「うう、次はもっと一生懸命祝福しなくちゃ」


 彼女は自身の祝福が不幸の種だと気付いていない。

 いや、気付こうとしていない……と言った方がいいだろうか。


「数百年前に祝福した奴がいただろう。あれはどうだったんだ?」

「え? あの子はね、えっとね」


 クレスティアは人差し指を唇に当て、思い出そうとしている。

 腕を組み、彼女が思い出すまで待つ。

 彼女の記憶力が急激に落ちたのはいつからだったか。

 まあ、その理由は大体想像ついているのだが……そう、始まりは彼女がセイムに楯突いた日だった。

 あれ程まで嫌悪し憎んでいた……父親の仇とも呼べる相手に、今や懐いている。私には到底理解できないことだ。

 天使にも、人間のように己を守るための防衛機構が備わっているのだろうか?

 ふと気になったが、それらはもう終わった話だ。今となってはどうでもいい。

 ようやく思い出したらしいクレスティアは、パッと顔を明るくした。


「あの子はね、ちゃんと水龍の女の子を救えてたよ。あれからまた会えたのかな? 仲良くなっているといいな」


 数百年前。

 怪我をした水龍の幼体を救うため、必死に様子を見ていた青年がいた。

 その姿に胸打たれた彼女は、祝福を授けた。

 クレスティアの思惑通り、青年と水龍の幼体は種族の壁を越えた愛を育んだ。

 それから今に至るまで……正確には数十年前か。それまでは、その水龍が青年が住む村を守護していたが……果たして、クレスティアは気づいていたのだろうか? 水龍と人間の圧倒的な寿命の差に。

 気づいていようが気づいていまいが、どちらにせよ結末は変わらない。

 かの水龍は神官となり暫くは真面目に責務を果たしていたが……今や無関係の男を、愛する青年の生まれ変わりだと信じ、手中に収めることだけを考えるようになった。

 かつて愛した青年の村を守護することさえも放棄して。

 その結果、青年の村は今や廃村と化している。


(いやはや、まったく笑える話じゃないか。所詮は魚の類ということか)


 この話を彼女に教えてやるべきだろうか?

 もし教えれば、彼女はその赤い瞳を潤ませ悲しむのだろう。

 ぺろりと唇を舐める。もう暫くは素直に喜ばせてやっていてもいいだろうか。


「そういえば、セイムはどうしたの?」

「忘れたのか? 彼奴は今、物語の種を育てているところだ」

「ああ、そうだった。クレスティア、うっかり忘れちゃってたね」


 へらりと笑った彼女は、踊るようにくるりと回った。

 あの日、セイムの腹に震える両手で短剣を突き刺した少女と同一人物とは思えない。

 ああ、本当に理解ができないな。人間のようで、だが明らかに何かが違う……面白い天使だ。

 否、彼女の場合は堕天使と呼ぶのだったか? まあ、人間からの呼称などどうだっていい。


「セイムに会いに行くか?」

「行く! ちゃんと連れて行ってね、ラーナス」


 にこにこと笑う彼女の手をとる。

 今の彼女を見て、この世界の創造に一枚噛んだ存在だと分かる者はいないだろう。


「逸れるんじゃないぞ」

「クレスティア、ちゃんと手を繋いでいるから大丈夫」


 彼女の手を握ったまま空間を渡る。

 目下には柵で囲われた集落が見えた。

 さてはて、彼は今楽しんでいるのだろうか?

 確認しに行くとしよう。

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