第29話 懺悔

 目を覚まし、寝袋から出て体を伸ばす。

 窓から外を見ると、朝と呼ぶには太陽が高く昇っていた。どうやら三人揃って寝過ぎたようだ。


「セキヤ、ヴィルト、起きてください」

「んん……もう朝?」


 あくびをしながら起き上がったセキヤは、おーいと声をかけながらヴィルトを揺さぶった。

 それでも中々起きないヴィルトの頬を彼が両手で包む。

 途端にヴィルトは飛び上がるように目を覚ました。

 頬を押さえ目をぱちくりさせているヴィルトに、セキヤは笑いながら手を振る。


「冷たかったでしょ?」


 どうやら火魔法の応用で手の温度を下げていたらしい。

 ヴィルトはこくりと頷く。


「驚いた……」

「最初は揺さぶってたんだよ? でも中々起きてくれないからさ」

「それは……すまない」

「はは、謝らなくていいって」


 セキヤはヴィルトの肩に手を置く。


「もう昼ですよ」

「えっ、俺も寝過ごしちゃってた?」

「三人揃って、ですね」


 そっか、と呟いたセキヤは額に手を当てる。


「それじゃ、ご飯食べたらオルドの所行こっか?」

「そうしましょうか」


 食事を終えた私達は、荷物を持って家を出た。

 何やら騒がしい。漁に出ている筈の男達まで、何かを探すように散らばって歩き回っている。


「どこに行ったんだ……」

「夜に出歩くなと言っていたのに、またあの子は」


 断片的に聞こえてくる話から察するに、誰かが行方不明になっているらしい。

 セキヤに軽く背を叩かれる。


「ほら、オルドの所に行こう」

「……そうですね」


 セキヤには聞こえていなかったのだろうか?

 彼にしては珍しく首を突っ込まない。

 ヴィルトも村人達に気を取られていたが、セキヤに腕を引かれていった。


 オルドの家に辿り着く。

 ノックして暫くすると、いつにも増して髪がボサボサなオルドが出てきた。


「す、すみません。寝てました……肖像画なら、完成しています」

「起こしちゃってごめんね。ちょっと早いかなとも思ったんだけど、来ちゃった」

「いえ……大丈夫です。絵、持ってきますね」


 オルドは一度中に引っ込むと、薄い木箱を持ってきた。


「一応、持ち運びやすいようにと箱に入れています。これで大丈夫そうですか?」


 木箱を開け、布を捲ると精巧な肖像画が現れた。

 ライラの鮮やかな髪や、光を反射する鱗が細かに描き込まれている。

 これならレイザも気にいるのではないだろうか。


「大丈夫だと思います」

「すごい……」


 肖像画を見つめたヴィルトがぽつりと言葉をこぼす。

 オルドはほっと息をついて、木箱を元に戻した。


「通常の絵画よりは丈夫だと思います。でも、できるだけ丁重に扱っていただけると……その、すみません」

「謝る必要はないよ。ありがとうね」


 こくりと頷いたオルドは、少し引き攣った笑顔を浮かべた。

 まだ緊張しているのだろう。


「そういえば村で行方不明の人が出たらしいんだよね」

「えっ、行方不明ですか!?」


 びくりと跳ねたオルドにヴィルトが頷く。

 やはりセキヤにもあの話は聞こえていたのか。


「さ、探しに行かないと……! その、僕、行ってきますね!」


 オルドは木箱をセキヤに渡すと、ヨレヨレの格好のまま急いで家を飛び出した。


「……一応、これで目的の品は集まったわけですが。どうしますか?」

「行方不明者のことは気になるけど、俺達は俺達で急がなくちゃいけないし……」


 ヴィルトがゆっくりと首を振る。


「でも、今日はもう昼過ぎ。明日の朝に出るのも、いいと思う」

「それもそうだけど……」


 セキヤとヴィルト、どちらの言い分にも頷ける。

 ただ、一つ気になる。


「どうしたんですか、セキヤ。らしくないですよ」

「えっ、そうかな? うーん、寝過ぎたからかも?」


 はは、と小さく笑ったセキヤは首に手を当てて、オルドが走って行った先を見る。

 やはり何か妙だ。ただ、彼があまり言いたがらないなら……これ以上聞くのも悪いか。


「でも……そうだね。少し、話を聞いてみようか。神官様なら何か知ってるんじゃないかなって思うんだけど、どう?」

「そうですね。ここの管理者でもあるでしょうし……」

「行こう」


 三人であの祭壇へと向かう。

 祭壇には人が集まっている。ライラが呼んだのだろうか?

 静まり返った村人達の前で祭壇に上がったライラは悲しそうな顔をしていた。


「皆さん、集まっていただきありがとうございます。今日は悲しいお知らせがあります」


 ざわつく村人達を、ライラは手を挙げて静める。

 深呼吸した彼女は静かに口を開いた。


「アーシャさんが亡くなりました……昨晩、誤って海に落ちてしまったようで。私が見つけた時には、もう……」

「あのバカ娘……! あれほど夜の海には出るなと言っておったのに……!!」


 壮年の男が涙をこらえている。その肩に、涙を流す妙齢の女が手を置いていた。アーシャとやらの両親なのだろうか。

 ヴィルトは目を閉じ、祈っている。セキヤは口を引き結び、ライラを見つめていた。


 やがて村人達は去っていく。各々、今日やるべきことをしに戻ったのだろう。

 最後まで残っていた両親も帰って行った。

 今残っているのは私達とオルド、そしてライラだけだ。


「貴方達も来ていたのね」


ライラは口元を緩めた。無理に笑っているように見える。


「今回のこと……貴方達を疑う声も上がっていたわ。誤解は解いておいたから、安心してね」

「そうだったんですか。ありがとうございます」


 彼女の言う通り、私達は疑われてもおかしくない。

 もうすぐ村を出る身とはいえ、できれば美しく立ち去りたいものだ。

 彼女の対応は正直ありがたい。


「オルドから絵画は貰いました。明日にはここを出る予定です」

「そうなのね。レイザによろしくと伝えておいてくれるかしら」

「ええ、勿論です」


 ライラは頬杖をつき、祭壇の皿に触れる。


「あまりおもてなしできなくて、ごめんなさいね。捧げ物があれば、それを分けてあげられたのだけど」

「お気になさらず。家も借りることができましたから」

「ああ、夫が元いた家ね。話は聞いているわ」

「そうだったんですか?」


 ライラは胸にあるペンダントにそっと触れた。


「番になってから、夫は最も祭壇に近い家に移り住んだの。亡くなる前まではね」


 静かな中、彼女は顔を上げるとオルドに笑いかけた。


「そうだ、いいことを思いついたわ。オルド君、貴方引っ越してこない?」

「えっ、引っ越し……ですか? あの家に?」


 戸惑うオルドに、ライラは胸に両手を当てて頷く。


「ええ。私、寂しく思っていたの。貴方も夫の良き友人だったでしょう? 寂しさを埋めあうのも良いと思ったのだけど……」

「で、ですが僕は……その……」


 両手を合わせたライラはオルドの言葉を待たずに続ける。


「そうだわ。夫の絵はまだあるかしら? もしあれば、全て頂きたいの。ペンダントの絵は無くなってしまったから……私、夫の姿を忘れたくないわ。ダメかしら?」


 ライラは眉を下げる。

 ビクッと肩を跳ねさせたオルドは、ぶんぶんと首を振った。


「い、いえ。その、全て差し上げます……!」

「本当っ? ありがとう、オルド君。これからは……共に支えあっていきましょうね」

「……はい」


 オルドは目を逸らし、引き攣った笑顔を浮かべた。

 ライラはそれを気に留めず、ぱちんと両手を叩く。


「それじゃあ、準備をしないとでしょう? 私は一度戻るわね」

「そう、ですね。引っ越しの準備を……」

「そうだわ、もし大変だったら皆に手伝ってもらってね。私の方からも言っておくわ」


 オルドは慌てた様子で両手を振る。


「いえっ、それは……結構です。僕一人で、充分なので」

「あら、そうなの?」

「……はい」


 ライラは頬に手を当て、首を傾げる。

 オルドが頷いたのを見て、小さく笑った。


「それならこれ以上は言わないでおくわね。またね、オルド君」


 ライラはパシャンと小さな飛沫を上げて海に戻っていった。

 胸に手を当てたオルドは、深くため息をつく。


「はは……これが罪の報い、ですか」


 呟いた彼は、ゆるく首を振ると私達を振り返った。

 完全に立ち去るタイミングを逃してしまったらしい。


「……すみません。貴方達は明日、ここを去るのですよね?」

「そうですが……」


 オルドは揺らぐ瞳で私達を見つめる。


「どうか僕の懺悔を、聞いてくれませんか」



 私達はオルドの家へと連れていかれた。

 祭壇で話をするのは、どうも気が引けるらしい。

 絵の具の臭いがする部屋には、無数の絵がかけられている。そのどれもが同じ男の絵だ。


「……ここに描かれている男性が、神官様の伴侶となった人です。僕の友人であり、憧れであり……それ以上を望んでいる相手でもありました」


 オルドは乾いた笑いをこぼし、首を振る。


「不思議ですね。今まで誰にも言えなかったのに……こんなにもあっさり言えてしまいました」


 皆黙っている。私も何も言えなかった。

 急に何の話をするのかと思えば……と、思わなくもなかったが。わざわざ傷ついているらしい相手の傷口を抉るようなことを言う趣味はない。

 そもそも私達は明日までの時間を持て余している。急かせる必要もなかった。

 一枚の絵に近づいた彼は、その縁に手をそわせる。


「僕、神官様が羨ましかったんです。彼の心を簡単に射止めてしまった神官様が。だから……あの日、海岸でペンダントを見つけた僕は血迷って、持ち帰ろうとしたんです」


 振り返った彼は自嘲するような表情を浮かべていた。


「少し歩いたところで、あの巨大なイカに襲われたんです。結局、そのせいで中身の絵も駄目になってしまった」


 それで自分のせいだと彼は言っていたのか。

 持ち去らなければ、こうはならなかったと。そう思って。


「きっと僕の強欲が祟ったのでしょう。だから僕は、神官様に償う必要があるんです。神官様が望むのなら、全てを捧げて償わなければ……」


 目を泳がせた彼は、バッと頭を下げた。


「……これが僕の罪です。すみません、こんな話を聞かせてしまって」


 たしかに、退屈な話ではあった。

 ただ、こちらは依頼の品を急遽用意してもらっている身だ。これくらい、報酬の内と考えればなんということもなかった。


「いえ。それで……貴方の気が済んだのなら、構いませんよ」


 セキヤとヴィルトも頷く。頭を上げたオルドは眉を下げると、ほんの少し口角を上げた。


「ありがとうございます。なんだか……ほんの少しだけ、気が軽くなったような気がします」


 オルドは目を下げて深く呼吸すると、少しばかり晴れた表情で私達を見た。


「引き止めてしまってすみません。僕はもう大丈夫です」

「引っ越しの準備、一人で大丈夫?」

「はい。これらの絵は……全て、神官様に渡すだけです。まとめる荷物も、そう多くありませんから」


 セキヤは置かれている絵をぐるりと見渡した後、オルドへと視線を戻す。


「… …絵は、描き続けるの?」

「神官様が望むなら、でしょうか。少なくとも……自分から描くことは、もうないと思います」


 段々と視線が下がっていったオルドは、ハッとして顔を上げる。


「ほ、ほら。ずっと未練を抱いていても仕方がないでしょう? ははは……」


 無理に笑いを絞り出した彼は、緩く首を振った。


「では、さようなら。貴方達の旅路に幸がありますように」


 最後に見せた彼の笑顔は、まるで全てを諦めたかのようだった。



 ――翌朝。

 私達はダム・エミールを出発した。

 じっとりと背に張り付くような空気ともお別れだ。

 ヴィルトの故郷のこと。兄のこと。色々とあったが、まずはメルタに戻る必要がある。

 道はここに来るまでと同じだ。

 メルタまでの二週間。念のため、気を引き締めて向かおう。


 森に入る前に一度村を振り返り、目に魔力を集める。

 村の魔力量は通常レベルに戻っていた。

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