間話 ある男の話

 よく晴れた昼間。

 市場の片隅で、野菜売りのおばさんから真っ赤なリンゴを受け取った。できれば野菜の方がよかったが……まあ、甘ったるい菓子よりはマシか。

 紙袋にリンゴを入れ、いつもの笑顔を作る。


「ありがとう、おねえさん!」

「ふふ、この子ったら。もう少しオマケしちゃおうかしらね」


 頬に手を当てて笑うおばさんから、もう一つリンゴをオマケされた。あともう一個あれば丁度いい数になるんだけどな。

 だが、あまり欲張るものでもないだろう。なにせ俺は聞き分けのいい、カワイイ子供としてここにいる。

 それよりも……そうだな、ここに来て気になった噂を聞いたから、それについてでも尋ねるとしよう。


「そうだ、おねえさん。お医者さんを知らない? お母さんがね、風邪をひいちゃったんだ」

「お医者様? お医者様ねえ……」


 おばさんは何かを思い出そうとしているのか、空を見て黙り込んだ。

 ハズレか? いや、まだ判断するには早い。


「そうだ、旦那が旅のお医者様に診てもらったらしいのよ。あら、お医者様じゃなくて薬師様だったかしら?」


 旅の医者、或いは薬師。

 こいつはアタリだろう。十中八九アイツだ。

 もっとも、アイツの他に旅をしている薬師がいるというなら話は別だが。


「診てもらえると思うわよ。腕もいいらしいわ」

「そうなんだ! 場所ってわかる?」


 おばさんは丁寧に道を教えてくれた。薬師の見た目についても。

 アタリもアタリ、大アタリだ。金髪の旅の薬師といえば、間違いなくアイツだろう。

 教えてもらった通りに道を進めば、少しボロい家が見えた。

 アイツ、こんな所を借りてたのか。

 寂れた扉を四回ノックすると、久々に見る顔が出てきた。


「……ここで君に会うとは思わなかったな。さあ、入って」


 俺を見下ろしたルクスは少し驚いた様子だ。

 それもそうだろう。俺達はいつも同じ場所でしか顔を合わせたことがない。俺が今旅をしていることだって知らなかっただろうからな。

 案内されるままに椅子に座り、紙袋を置いて頬杖をつく。


「ったく、ミスキーにいねぇからどこをほっつき歩いてるのかと思ったぜ。まさかこんなトコロにいるとはな」


 余裕をもって在庫を確保しようと思ったのに、訪ねたらドアに『旅に出ています』の貼り紙ときた。何の冗談かと思ったものだ。

 ルクスはコーヒーを淹れながら口を開いた。


「勿論、そう遠くない内に戻るつもりだ。あそこには俺の手が必要な迷い子がいるからな」

「なら、新しい迷い子を探しにここまで来たって?」


 テーブルにコーヒーが置かれる。何も入っていない、ブラックコーヒーだ。

 流石、長い取引を続けているだけある。俺の好みをよく分かってるようだ。


「俺がメルタに来たのは材料を探すためだ。勿論、来たからには迷い子も探すとも」


 コーヒーを啜る。強い苦味と酸味が口の中に広がっていく。

 そう、この味だ。これがいいんだよな。だってのに、表で飲む時はドボドボと砂糖を入れなきゃいけなくなる。まだ果汁そのままのジュースを飲んだ方がマシなくらいだ。

 それにしても、材料か。


「材料ねぇ。まだ完成してないワケ? 例のクスリ」

「まだ改善の余地がある。データも足りていない」

「ふーん」


 例のクスリについて考える。

 アレはかなりの値段で売れる筈だ。盛りさえすれば抵抗されることも叫ばれることもなく静かに殺すことができるクスリなんて、喉から手が出るほど欲しがる奴もいるだろう。


「俺に卸すってのはどうだ? データならまとめてやるよ」

「駄目だ」


 いい考えだとも思ったが、ルクスはすぐに首を振った。

 まあ、予想の範囲内ではある。コイツはそういう奴だ。


「俺が同意をとり、俺の目で確認する必要がある。いくら君といえど任せるわけにはいかない」

「はいはい。ったく、変なところで真面目だよなぁ。人を殺すクスリだぜ、それ」


 ルクスは再び首を振る。

 本質は変わらないだろうに、コイツは頑なに認めようとしない。


「この薬は救いの手であるべきだ。いたずらに命を奪う手段となってはいけない。だからこそだ」

「あーあ、いい金のタネになると思ったんだがなぁ」

「望みの物は用意しているだろう? それで満足してくれないか」


 ルクスは小さな瓶を持ってくる。

 その中には俺が求めているブツが詰まっているのだろう。


「しかし、なぁ」


 頬杖をついたまま置かれた瓶を指先で叩く。


「タダでくれるのはいいけどよ、もっと依存性高いヤツが欲しいんだよなぁ。これじゃリピーターがつかねぇ」

「駄目だ。それは俺の信条に反する」


 信条。信条ね。

 なんとも矛盾を感じる。

 梱包を始めたルクスの背中に声を投げかけた。


「オマエさ、よく分かんねぇよな。昔ならまだ分かるが、なんだって今もタダなんだよ。一応買えるだけの金はあんだけど?」

「代金を貰うとなれば君は顧客となるだろう? 顧客となれば、その要望に応える必要も出てくる。勿論、今のまま代金だけもらう選択肢もあるが……」


 梱包する手を止めたルクスが俺を見た。


「そうなれば君はそう遠くない内に別のルートで手に入れようとするだろう? 今の君は取り扱う物の依存性と価格を天秤にかけて、ここにいるに過ぎない」

「……それで?」

「かつて目をかけていたからといって今後も取引を続ける理由にはしないだろう、君は」

「なるほどねぇ。よく分かってんじゃん」


 ルクスは梱包を再開した。

 慣れた手付きで瓶を箱に詰めていく。


「でもよ、やっぱ分かんねぇな。依存性さえなけりゃいいのか? それとも命を奪わなきゃそれでいいってか? 俺からすりゃ中途半端だと思うがね」

「現実から目を背けたい。けれども、永遠の眠りにつきたいほどではない……そんな者達が生きるための手段として存在する分にはいいと思っているんだ」


 梱包を終えたルクスは箱を持ってくる。


「ただ、現実に目を向けたいと思ったときに足を引っ張るものであってはいけない。それが俺の考え」


 机に箱を置いたルクスは、ふっと笑った。


「これで理解してもらえたか?」

「ま、一応は。それじゃ俺は失礼させてもらうとするかね」

「待ってくれ」


 椅子から降りた時、声をかけられる。


「なんだ? 今更金を払えってのはナシだぜ」

「君も旅をしているんだろう? クレイストのヴェノーチェカ家について知らないか?」

「……なんでまた、そんなことを?」

「かの家が滅びたと聞いた。それが本当かどうかを知りたい」


 ルクスはいつになく真剣な眼差しで俺を見つめている。

 ヴェノーチェカ家。その顛末。知らないわけがない。

 色々と言われそうだが……まあいいか。


「ま、オマエには世話になってるしな。それくらいならいいぜ」


 手を差し出す。

 その意味を理解したらしいルクスは、苦笑して銀貨を取り出した。


「まったく……たくましくなったな、君は」

「どーも」


 ポシェットに銀貨をしまい込み、腕を組む。


「その話は本当だと思っていい。関わりの深いヤツから聞いたことがあるからな」

「それは長い銀髪の男か?」

「いいや、別人」


 答えるとルクスは少し考える素振りを見せる。

 そろそろ俺も戻らないと文句を言われそうだ。


「もういいか?」

「ああ。協力に感謝するよ」

「いいぜ、別に。貰うモノは貰ったしな」


 ぐっと体を伸ばし、紙袋と箱を抱える。

 ……まるでプレゼントかのようにリボンが巻いてあるのは、コイツなりの親切心か? まあ、カモフラージュにはなるかもしれねえけど。


「じゃあな、センセ。次も期待してるぜ」


 外に出て、堂々と道を歩く。

 このラッピングのおかげと言うべきか、微笑ましい目を向けるばかりで誰も中身を邪推しない。

 暫く歩いていると、路地の角から声をかけられた。


「用は済んだか?」


 銀髪の男が壁にもたれかかって俺を見ている。

 辺りをパッと見渡し、路地の奥に駆け込んだ。


「ソラン、オマエここにいたのかよ」

「あんまり堂々と会ってたら目立つだろ? 何せ……」


 ソランは腕を組んだまま体を震わせる。


「何せ、母親思いの子供と俺みたいなオトナの組み合わせだからな。ただでさえサバカもいるんだ、相当目立つことになる……くくっ」

「オイ、笑うんじゃねぇ。俺がいるから得してるんだぜ、オマエ」


 紙袋を押し付けると、ソランは笑いながら首を振った。

 ああ、腹が立つ。


「いーや、俺でもイケるね。ちょっとばかし口説くだけだ」

「コイツ……」


 たしかに顔はいい。銀髪も、左右の二房だけ水色に染まった髪も、赤い目も、目を引く綺麗さではあるのだろう。

 ただ、その性格が受け付けない。

 俺の方が歳上だってのに、俺の生存戦略でもある演技をする度に毎回小馬鹿にしてくるんだ。

 チッと舌打ちをした時、路地の奥から大きな人影が現れる。


「主、ただいま戻りました」


 この上なく腹立たしいが、ソランの言うことは間違っているわけでもない。

 たしかに、ソランだけならまだしもコイツがいると目立つだろう。

 褐色の肌、肩から先がない左腕、その巨体。この辺りでは見かけない、異国情緒あふれる服装。

 見た目は子供の俺と、筋肉質でデカいコイツが並んでいるとどうしたって人目を引く。

 サバカは胸に手を当てると、ソランに軽く頭を下げた。


「噂をまとめた限りでは、御令弟とその御友人は二日前に町を出たそうです。行き先は漁村だそうで」

「そうか、ご苦労さん。俺達も向かうとするか」


 ソランはペンダントのロケットを開けると、そこに写っているのだろう弟の絵にキスをした。

 こういうことを平然とするあたり、俺とは相入れない。

 サバカは黙ってオレンジ色の目を伏せている。


「そろそろ会えるといいな……俺の可愛い弟」


 はあ、まったく。

 コイツに付き合う俺の身にもなってほしいってもんだ。

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