第18話 魔法

 メルタ方面の森を抜け、パノプティス前にまで戻ってきた。

 数日メルタにいたからか、より高く見える壁を見上げる。

 緑に囲まれた中、夕暮れの下に鎮座するドーム状の町は異物のようにしか見えない。


「どうする? 寄っていく?」


 そんなセキヤの問いかけで脱力する。

 パノプティスを出たばかりの時のことを覚えていないのだろうか、この人は。


「分かりきっているのにわざわざ吸いに行くつもりですか」

「はは、冗談冗談。俺だって中毒者になりたいわけじゃないよ」


 頭を掻いたセキヤは近くの岩に腰を下ろす。


「それじゃ、この辺で野営しよっか。向こうの森に入るのは明日からにしよう」

「分かった。水を用意する」

「では、私はテントを張っておきます」


 リュックを下ろしたヴィルトは、鍋を取り出すと魔法で水を注いでいく。

 セキヤは木の枝を置くと、手をかざして火を付ける。森を抜ける時に拾い集めた物だ。


「それにしてもラッキーだったね。俺達三人とも魔法使えるんだよ?」

「改めて考えると中々の確率ですね……」


 テントを張り終え、セキヤの隣に座る。

 鍋の中ではくつくつと肉が煮込まれていた。

 野菜を切っていたヴィルトが顔を上げる。


「魔法を使えるのは珍しい……十人に一人?」

「うーん、それはこの程度の魔法を使える人の割合かな」


 セキヤは指先に極めて小さな火を灯した。

 少しでも風が吹けば消えてしまいそうな火だ。


「ヴィルトくらい水を出したり、俺みたいに火魔法の応用で水温を変えたりっていうのができるのは……大体百人に一人かな」

「二人とも、使おうと思えば攻撃魔法も扱えるレベルには魔力を持っているでしょう。一万人に一人……とまではいかないでしょうが、千人に一人くらいの珍しさなのでは?」

「そういうゼロもね」


 指先の火を消したセキヤが笑いかける。

 確かに私も使おうと思えば闇魔法を使える。ただ……何かと面倒なのだ。


「私の闇魔法は何かと制限が多いんです。使わないなら無いも同然ですよ」

「そういえばゼロが魔法使ってるところ見たことないね」

「使える場面が限られる割に強くもないなら、直接狙いに行った方が確実じゃないですか」


 普段から使える魔法としては、せいぜい明るい場所でも眠れるように視界を暗くすることくらいだ。もっとも、それを使わなくとも眠れるため本当に使い道がないのだが。


 もし、これが他人相手に遠距離で使えるのなら使い道もあるのだろうが……残念ながら、適用できるのは触れている相手までだ。あまりにも応用が効かない。


「ゼロって、影がハッキリしてる時じゃないと使えないんだっけ?」

「そうですね。相手の影を踏んでいる間は動きを止められますけど……正直狙いに行く方がリスクが高いです。影を踏み続けていないといけませんから、私自身もあまり動けなくなりますし」

「そっか……使い所に困るね」

「だから無いも同然なんですよ。魔法使いなんて夢のまた夢ですね」


 ため息をつく。せめて私もセキヤやヴィルトのような分かりやすい魔法を使えればよかったのに。

 幼い頃はそれこそ絵本の中の魔法使いに憧れた頃もあった。手に入れた魔法は、使い所が限られるパッとしない闇魔法だったが。


「魔法使いって、すごい?」

「強力な魔法をポンポン使えるくらいじゃないと魔法使いとは呼ばれないからね。そうだなあ……ヴィルトで言えば、パッと巨大な滝を生み出すくらいにならないと」

「滝……」


 想像したらしいヴィルトは、ブンブンと首を振った。

 まあ、実際にやろうとすればまず間違いなく魔力が枯渇して倒れることになるだろう。

 ヴィルトは考えないことにしたらしい。料理に集中するようだ。


「昔は魔法使いが多くいたらしいんだけどね。一度世界が滅びかけた時から激減しちゃったんだよ」

「ああ、私も読んだことがあります。本当に多くのものが失われたそうですね。呪いといい、魔法といい……」


 昔に読んだ本の内容を思い出す。

 あの本は中々に面白かった。滅びた文明の中には、架空の産物かと思うような技術も含まれていた。


「知っていますか? 今のパノプティスよりも発展していた国もあったそうですよ」

「国?」

「今は南東のクレイストだけが唯一の国を名乗っているけど、昔はいくつもの国が存在していて土地の奪い合いをしてたんだよ。今残ってる町はその名残みたいなものなんだよね」


 セキヤの説明に首を傾げる。

 私が読んでいた本では、クレイスト以外が一つの国としてまとまっていたと書かれていたはずだ。


「詳しいですね。それは私も初耳ですが……」

「あー、ほら、俺ってアシック……あそこの司書に貸しがあるって言ったじゃん? ちょっとだけ見せてもらったんだよ。ちょっとだけ!」


 なるほど。

 まあ、思えばクレイスト以外の町が本当に一つの国としてまとまっていたのなら、とてもクレイストだけが残存できていたとは思えない。

 私が読んだ本は何かしら間違っている情報だったのだろう。

 ……そもそも、禁書になっていないそういった本は大体が想像で書かれたものだ。時折、妙に納得できる内容の物が紛れてはいるが。


「スープ、できた」

「おっ、具沢山だね」

「二人が狩ってきてくれたから」


 出来上がったスープには野菜と肉がごろごろと入っている。

 器になみなみと盛られたスープを受け取る。


「やはり肉ですよ、肉。一番腹が満たされます」

「ゼロの目、意外と便利になったよね」

「ええ。暗いところでもよく見えます」


 今日の昼。茂りに茂った森の奥で、大きな鳥を狩った時のことを思い出す。

 暗い中、木々の影に隠れていた鳥を、セキヤから銃を借りて狙い撃った。あの時セキヤには見えていなかったらしいが、私の目にはハッキリと映っていた。


「蛇というより……猫?」

「猫とも違う気はしますが……この際どちらでもいいでしょう。こうなったら使えるものは全て使いますよ」


 幸い、あれから呪いの変化はない。

 普段の視力にも影響はなかった。ただ暗がりの中でも視界が良好になるというプラスの効果だけをもたらしている。

 とはいえ、元より暗い中でも活動できる方だ。そこまでの便利さは感じていないが、無いよりはマシだろう。


「食べたら早めに寝ようか。明日は早朝から歩いて、早めに森を抜けよう」

「そうですね。どれくらい続くかも分かりませんし」

「体を拭く水も用意してある。俺は先に片付けるから、二人が使って」

「そうさせてもらいます」


 さて、今日は私が見張りだ。

 この辺りはそう危険もないだろうが、やるに越したことはない。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ふと、目を覚ます。

 テントの外からごそごそと聞こえる音。これのせいで目を覚ましたらしい。

 今日の見張りはゼロだったはずだ。

 隣で眠るヴィルトを起こさないようにテントを出た。


「ゼロ? どうかした?」


 焚き火の向こうに立つゼロは上着を脱いでいた。黒いインナーが火に照らされている。

 嫌な臭いが風に乗って通り抜けた。

 ああ、きっとそういうことだ。すぐに思い至った可能性に、眉を顰める。


「またお前か?」

「あーあ、なんでそうすぐ起きるかなあ。もっとぐっすり寝ててもいいのに」


 振り返った『悪魔』が抱える服は赤く汚れていた。

 動かぬ証拠だ。しかし、隠そうともしないとは。


「んー、ちょっと恥ずかしいなぁ。こんなに汚すつもりはなかったんだよ? 思いの外、勢い良く吹き出しちゃってさぁ」

「そんなことは聞いてない」

「そう怖い顔しないでよ。ちょっと中に入って、一人狩っただけなんだって。それにほら、臨時収入」


 『悪魔』は笑って岩を指差す。その上には沢山の魔石が転がっていた。

 かき集めれば、片手にギリギリ収まるくらいの量だろうか。確かに中々の収入だ。

 だが、そんなことはどうでもいい。


「いい加減その子から離れてくれないかな」

「どうして?」


 『悪魔』は目を丸くして、首を傾げた。

 あの子の体で、顔で、好き勝手なことをしないでほしい。

 こんな簡単なことも分からないのだろうか。

 いや、分からないから『悪魔』なのか。


「……その子に惹かれるのは分かるよ。お前みたいな悪魔は、ゼロに惹かれるのも無理はない。本能的に『そう』なんだろうって分かってる」


 一概に天使や悪魔と呼ばれる種族は人間や亜人の魂を食す。

 きっとこの『悪魔』はゼロの魂に惹かれて取り憑いているのだろう。

 気に入ったからか、体ごと持っていこうとはしないようだが……それだって、いつ気が変わるか分からない。


「でも、ゼロはお前のような……」

「あれっ? 悪魔って、そのままの意味だったんだ?」

「……なに?」


 ますます目を丸くした『悪魔』は、ため息をつくと首を振る。仕方ない奴だとでも言うかのように。


「言っておくけど、僕は悪魔なんかじゃないよ。誤解させちゃったみたいだけど」


 ……悪魔じゃない?

 だというなら、これは何だと言うのだろうか。

 悪霊? まさか、幽霊だなんてものは想像の産物だ。


「悪魔じゃないっていうなら、お前は何者なの?」

「うーん……」


 彼は唇に指を当てると、にんまりと笑みを深めた。


「ヒミツ。言う義理もないよね?」


 彼は俺に近づくと、血に濡れた服を押し付けた。


「とにかく僕のやりたいことは終わったし、丁度セキヤも起きてきたし? それ、洗っておいてあげたら? ゼロに僕のこと、教えたくないんでしょ」

「ちょっと、まだ話は終わってないんだけど」

「それじゃあね」


 ひらひらと手を振る彼の手を掴む。


「着替えて暫くしたらゼロに代わるからさ、それまでに終わらせておいた方がいいと思うんだけど。どう?」

「何勝手なことを……」

「知られたくないんでしょ? 僕がしてること」


 彼は俺の手を離させ、ぷらぷらと手を振った。


「だったら、見張り中に少しウトウトしてたってことにしておいた方がいいんじゃない? 僕はそう思うけどなぁ」


 ……彼の言うことは一理ある。

 あまりゼロに彼のことを意識させたくない。

 ゼロがどれだけこの存在について知っているのかは分からないが、近づいていいものではないことは確かだ。


「それじゃ、よろしくね」


 俺が黙っているのをいいことに、彼はテントの中へと入っていった。

 彼は俺とヴィルトには危害を加えない。それは今までの行動から見て知っている。

 ……それがまた、理解できない。彼は一体何を目的としているんだ?


 ゼロの服を握りしめる。

 まあ、とにかく。これは洗うしかないだろう。

 洗って、乾かして、何もなかったことにするしかない。


 丁度そう遠くない所に川が流れている。

 彼がゼロに交代するまでに終わらせないといけない。

 正直、彼の言う通りに動くことに不服ではあるが、仕方がない。


(何なの、一体)


 考えれば考えるほど理解できない。

 川から戻ると、彼は岩に腰掛けていた。


「うん、いい選択だと思うよ」


 俺が手に持った服を見て、にこにこと笑顔を見せる。

 何も読めない顔だ。一体何を考えているのか。

 結局俺はそれ以上口を挟めないまま、テントに戻った。


 翌朝。俺達を起こしたゼロは何事もなかったかのように振る舞っていた。

 少しの違和感はあるだろうが……気づいていないのだろう。

 それなら、良かったと思う。ゼロには気づかれないまま、あの存在をどうにかしなければならない。

 何にしても、あの存在はゼロにとって有害でしかないのだから。次は……次こそは、あの凶行を止めなければ。


 西に広がる森を見つめる。

 あの森を抜けた先に水の神官がいる。

 ゼロのためにも、早く魔力を集めなければ。

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