第48話 異形の影

 歩みを進めるたびに、ぬちゃぬちゃという粘着音が靴底から体に伝わってくる。

 乱立する建物は形容し難い形を保ったままのような、僅かに変わっているような、そんな曖昧な光景がただただ広がっている。


 まるで巨大な都市を飲み込んだ超大型の生物の体内にいるような、猛烈な違和感と焦燥感が体を苛んでくる。

 おそらく勇猛なる旗印の効力がなければすぐにでも発狂してしまいそうな、おどろおどろしく粘っこく、そしてどこか現実では無いと思わせる夢遊病のような感じ。


 先に飛び込んだカイトと……ええと、そう、リリアナ。

 この二人を忘れないよう、ラペル達はぶつぶつと二人の名を呟き続けている。


 今はその二人を探し出すべく、建物群の中を静かに進んでいる。

 いないからと言って大声は決して上げることはない。


 大声を出せばナニカが突然現れるかもしれないからだ。

 何分、何十分経ったろうか。


 もしかしたら数時間は経っているのかも。

 もはや時間の感覚すら薄れてきている中、私とバルトとリーシャは手を取り合い、互いに声をかけながら進んでいる。


 建物にはこれまた歪な窓が嵌め込まれているのだけど、時たまその窓から視線を感じる事もある。

 だけど決してそっちを見ないようにひたすらに進んで行った。


「あれは……!」


 建物のあいだ、所謂路地と呼ばれるべき場所に入ったラペルがぽつりと漏らした。

 ラペルの先、視線の先には立ち尽くす二人の人影があった。


 だがラペル達聖職者は決して駆け寄るなどという愚かな行為はしない。

 一歩、また一歩と、近付いて行くが二人は立ち尽くしたままピクリとも動かない。


 服の特徴、腰に帯びた聖剣、握りしめる錫杖にたなびく法衣。

 通常の空間であれば駆け寄っていっただろう。


 声を上げてこちらの存在を伝えただろう。

 けどここは何が起こるか分からない邪悪な場所。


 屋敷でバルトの真似をして私を釣ろうとしたように、あの二人も紛いものの存在かもしれないのだ。

 

 --オォ……ン。


「何!?」


 心臓の鼓動が外に漏れているのではと思うほどの強烈な動悸を感じている最中、突然遠くから何かの音が聞こえた。


 それは誰かの泣き声のようであり、サイレンや警報の類のようでもあり、鐘の音のようでもあった。

 

 --オオーーン。


「これは……鐘の音ですね」


 ラペルがキョロキョロと辺りを見回し、二回目の音が聞こえた際にそう言った。

 これが鐘の音だとするならば、なんて悲しそうで切なそうな音なのだろう。


 心の奥から寂しさや孤独感が、その他の感情をぐいぐいと押し除けて先頭に立とうとしている。

 寂しさや孤独感なんて処女宮の時以外感じた事なんてなかったのに、無意識に、強制的に、従属的にその感情が湧き上がり、押し寄せる。


 そしてその途端、今まで全く匂わなかった異臭が鼻をつき始めた。

 陸に打ち上げられて干からびた腐った魚のような、卵の腐ったような匂いが辺りに充満し始めたのだ。


 突然腐った魚市場に来てしまったかのような気分にさせる異臭は、どこからともなく、全方位から漂ってくるようだった。

 私達が狼狽えていると、カイトとリリアナらしき影はいつの間にか消えていた。

 代わりに--。


「敵襲です! みなさん戦闘準備を!」


 ラペルの絞り出すような声が響き、その場にいた全員は反射的に背中合わせの円陣を組んだ。


「おいおい……サハギン、じゃあ無いみたいだぜ」


「この異臭、あいつらが発生源ね」


 バルトとリーシャが一点を見て呟く。

 二人の視線の先には複数の影が、ぬちゃ、ねちょ、という音を立てながら蠢いていた。

 そしてゆっくりとこちらに向かって来ているのだった。

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聖女の力を隠して塩対応していたら追放されたので冒険者になったものの、聖女の力は自重を知らないようです 登龍乃月@雑用テイマー書籍化決定! @notuki

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