第46話 しゅっと消えてぱっと消えた

「え」


 そうこぼしたのは誰だったか。

 私かもしれないしリーシャだったかもしれない。


 ラペルだったかもしれないし、バルトだったかもしれない。

 なにはともあれ、正面玄関から無計画に凸った勇者サマと聖女サマは、私達の目の前で突然消え失せた。


 何を言っているのか分からないと思う、けど私にだって分からない。

 開け放たれた玄関から見える屋敷の中は至って普通、何もない。


 蠢くナニカの姿も見えないし、中に踏み込んだ勇者と聖女の姿もない。

 忽然と消えてしまったのだ。

 瞬きの瞬間にしゅっと消えた。


 おかしい。ありえない。

 あれだけいた蠢くナニカがこの僅かな時間で消失したと言うのか?

 私という獲物が外に出た事により、元の次元に戻って行ったのか?


「あ、あの……ラペル、さん?」


「み、見ましたかフィリアさん」


「はい。見えません」


「非常にまずい事になっているかもしれません。各自【勇猛なる旗印】を! 中に突入します!」


 心を強くさせるブレイブハートが一番下の術。

 この勇猛なる旗印は最上位かつ複数人が対象の術だ。


 一人がかければその周囲にいる十名までの心のありようを堅牢なものにする。

 それを各自で唱えるとどうなるか。


 相互作用により、互いが互いを支えるより強固な心のありようを保つ事ができる。

 出来るのだが、それを使うような事態というのは今まで聞いた事がない。


 一体なぜ? と心の中で疑問符を浮かべながら術を発動させた。

 心の芯から燃えるような勇気と、何が来ても恐るる事はないと、誰かの声が胸の内に静かに響く。


「行きます」


 非常に真剣な面持ちで玄関前に立つラペル達聖職者達が、すっと一歩を踏み出した。

 バルトは大剣を斜めに構え、リーシャは杖を胸にぎゅっと抱いている。

 私達もラペルのすぐ後ろを歩き。


 かつん、と玄関の石床を靴底が叩き、次の一歩でぶにょり、という奇妙な感覚があった。

 その一歩で背筋にぞわりという悪寒が走り抜けた。

 

「なん……だこりゃあ……?」


 バルトが呆けたように言う。

 私達も私達の前にいるラペル達も無事に存在している。


 だが、消えた。

 あのプロヴィオ屋敷の玄関から、私達は消えたはずだ。


 何しろ目の前に広がっているのは豪華絢爛な金持ち屋敷の中などではなく。

 極彩色に彩られたドコカの景色が広がっていた。


「く……やはりっ……!」


 しかし呆気にとられているのは私達だけのようで。

 前にいるラペル達は真剣な面持ちで顔を見合わせ、地面を何度も踏みしめている。

 そんな中、リーシャがきゅっと私のローブをつまんで率直な感想を述べた。


「なんか、子供の塗り絵みたいだね。水性塗料で塗ったような油性塗料で塗ったような……」


 私達の眼前に広がっているのはその、何と言えば良いのだろうか。

 歪な形の--直線や曲線で作られた建築物が、生物の臓物のような沼のような地面に乱立しており、建築物の壁にはぐねぐねと絡まりあった配管が蛇のように蠢き、形容出来ない妙な音を立てている。


 倉庫のような工場のような屋敷のような民家のような、いかようにも見える建築物が乱立し、集合しているような、そんな場所。

 そしてそのどれもが極彩色で彩られ、絵具が滲んだようなボケた所や、何回も塗り重ねたような濃淡のある箇所が散見される。


 それはまるでリーシャの言った通り、小さな子供が思いつくまま思いつく色でぐちゃぐちゃに塗りたくったような異様な光景。

 見ていると心の外壁ががりがりと削られていくような、生理的嫌悪感がこみ上げてくる。


「ここ、どこですか……?」


 純粋な疑問だ。

 屋敷に踏み込んだと思ったらこんなよく分からない、神経をやすりで削ってくるような異様な場所に出たのだ。


 意味がわからないではないか。

 例えるなら厚切りステーキだと思ってナイフを入れたら、中からムカデやゴキブリやアリや蛆虫が大量に出てきたような感じ。


 素直に気持ち悪いと思いませんか、私なら発狂します。

 間違いない。


「ここは恐らく……いえ、確実に【邪興の領域】でしょう」


「じゃこうのりょういき?」

 

 ラペルの口から出てきたのは、聞いたことのない単語だった。

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