第3話 隠蔽

 その日の夕方、午後6時13分。




 高橋は、郊外の洒落た喫茶店にいた。目の前には、高橋よりも小柄な五十歳過ぎの男がいた。高橋は、鞄から取り出したA4の用紙、約二十数枚を、その男に見せ始めた。いや読んでもらおうとしていた。




「うーん、高橋先生。この題名がいいですね、『けだるい殺人者』とは、なかなか面白そうな題名ですね」




「いや、題名なんか、どうでもいいがです。それより、問題は、その中身ですよ」と高橋は、相手の男に大声で言った。




 男は、冒頭の部分をさっと読んで、次のような感想を述べた。


「うーん、出だしから主人公は妻を殺してしまうのか。ちゅうことは、後は、いかにうまく死体を隠蔽するかの話だけですから、これは、よほど熟慮しないと、なかなか訳にはいかんでしょ。今回は、いやに難しいテーマを選んだがですね」




「そこながです。この小説は、今日、一気呵成に書いたもので、勿論、これからもっともっと細かい点、つまりディテールを考えていくつもりながですが、橘さんの言われるとおり、死体遺棄というか、死体隠蔽のトリックが、いまいちうまく思い付かんがです。


 ただ、その点が、この小説のウリ(売り)ともなる訳ですから、何か、もっといいトリックというか、アイデアちゃ、ないもんですかねえ?」




「いつもは冷静な、高橋先生にしては、今日は異様に気合いが入っていますね。それにしても、先生。先生のいつもの口癖は、まあ停年までに一発大きな賞を取る、だった筈でしょ、それがどうしてそう焦られるがです?」




「ああ、そのとおり。私は教師、橘さんは税理士。お互いに、キチンとした職業ですから、今日明日、直ぐに飯が食えなくなる心配はないでしょう。でもそうとばかり言ってはおられんようになったがです」




「何か、急に、小説を書くべき理由ができたとでも?」


「そんなことはないんですが、まあ、虫の知らせっていいますかねえ…。


 何か、最近、体調が異常に悪いんです。橘さんもご存じのように、私の両親は、共にガンで、若くして死んでいるでしょう。そうすると、自分も、何か、そんなに長く生きられないがではないか?そんな恐怖感が、猛烈に襲ってくるようになったんです。


 で、今までは、停年までに傑作を書いてやろうと悠長に構えていたがですが、最近、急に気が変わってきたんです。自分が生きているうちに、少しでも早く、一日でも早く、勝負しようと、まあ、そんなところですちゃ」




「そうですか、確かに高橋先生は、私と違い、小説G誌の新人賞で、『ガラスの瞳』が佳作にまで入賞されていますから、先生さえ、その気になられればいくらでも新人賞は取れるでしょうねえ。


 ただ、今回のテーマでは、よほど万人があっと驚くような死体隠蔽のトリックを考え出すか、あるいは、文面をよほど面白いものにしないと、なかなか厳しいとは思いますがねえ」




「そこなんですよ。前の佳作になった小説『ガラスの瞳』も、推理のトリック自体が評価されたんではないんですよ。まあ、犯人の少年が段々と心理的に追い込まれていって、やむなく殺人事件を起こしてしまう心理的描写が評価されたから佳作にまでなったんで、私自身は、犯罪トリックの構築は大変に苦手なんですよ」




「話は十分に分かりました。では、じっくりとここで読ませて下さい、詳しい論評は、その後でもいいがでしょう?」


「ええ、橘さんは、私よりずっと前から、推理小説の同人誌では有名な『乱歩』の同人ですし、犯罪トリックの研究にかけては、多分、私より、相当に時間も労力もかけておられるでしょう。ここは、ぜひ、橘さんのアイデアを借用させて頂きたいんです」




 約一時間後、橘という男は、とても不思議そうな表情をして、その小説の論評を始めたのである。




「これは凄い。この小説、これはある意味、もの凄い犯罪小説ですちゃね。


 特に、主人公のサラリーマンが、自分の下半身の貧弱さを妻になじられて、心理的に追い詰められカッとなって、両手で首を絞めて殺害する場面の描写など、もう、言葉にできない程、真に迫っています。この前半部分だけの描写だけで、十分に、大きな賞を狙えるでしょう。


 ただ…」




「ただ?」と、問い返す、高橋の顔は、これまた表現のしようのないほど鬼気迫るものであった。




「その後の、犯人の死体の処理の仕方が、いまいち弱いですちゃね。だって、殺した妻の死体を車に積んで、山奥の林道の脇に捨ててくるなどというのは、子供でも考えることでしょう。これじゃ、折角の前半部分の出だしが死んでしまいますよ」




「いやあ、橘さんも、やはりそう思われますか?


 私も、前半部分は、あの離婚した嫁さんを、実際に頭に浮かべて書いていたもんですから、離婚時のゴタゴタを思い出して、カッとなって本当に一気呵成に書けたのですが、さて、妻を殺してしまった後、いやいやこれはあくまで小説の中での話ですから本気にしてもらってはなんですが、犯人は茫然自失、一体どうしていいかわからなくなってしまったんですよ。




 この話の展開からして、そのような流れになるのは仕方がないがですが、では、殺してしまった妻の死体をどのように処理すればいいのか?




 本当の推理小説なら、ここからが腕の見せ所なのでしょうけど。そうは言うものの、現実問題としては、衝動殺人の場合は、むしろこの小説の主人公である一サラリーマンのように、途方に暮れて、死体を車に積んで山の中に捨てることぐらいしか、思い浮かばないというのも、また真実なのじゃないのか?と、自分で書いていて、そう思ったんです」




「しかし、これだと、純文学ならいざ知らず、推理小説やミステリー小説にはなりませんちゃね」


「そこなんです。橘さんなら、そこらへんもところ、どう考えますか?」


「うーん、それは難問ですちゃね、できれば一週間ほど、考えさせてもらえませんか?」




「い、い、一週間も!と、とてもそんなに待てません!」と、高橋は、今度は、喫茶店の周囲の客全員が振り返ってこちらを見るほどの、大声を上げたのである。




 その顔は、やはり、鬼気迫るもので、この時、橘という男は、ある漠然とした不信感を高橋に対して抱いた筈なのだ。しかし、橘は、それほどビックリした様子も見せず、




「やったら、そうですね、こんなのはどうでしょう?」と、まるで、禅問答に近いような話をし始めたのである。




「高橋先生、先生は、高木彬光氏の『白昼の死角』を読まれたことはありますか?」




「ええ、確か学生時代に読んだ記憶があります。戦後間もない頃、東京帝国大学法学部在学中の学生が、確か高利貸しをして云々という話やったと記憶していますが」




「そうです、その小説の中で、主人公の鶴岡七郎は、自分たちが高利貸しをして集めた金が、いわゆる「取り込み詐欺」に当たるとして告発されそうになった時に、出資者に返金するための金を作るべく、敢えて本物の詐欺を働くことによってその「取り込み詐欺」の告発から逃れようとしたがです。つまり「詐欺から逃れるための詐欺」を働いて、その場をしのいだがです。 


 そこで、私だったら、その話をヒントに、その小説の後半部分は、「殺人罪から逃れるための殺人」を、その小説に持ち込むでしょうね」




「な、な、何ですって、私に、「殺人罪から逃れるための殺人」をしろとでも」と、高橋はそこまで言って、急に、


「いや、いや、いや、あくまで小説の題材としての話として、私に「殺人罪から逃れるための殺人」を、その小説の中で書けと言われるんですね?」と、しどろもどろに返答したのである。


 


「そうです、さすがは、有名国立大学卒の先生だけあって理解が早いですね。私なんか単なる二流私立大学卒ですから…」と、少し、ひねくれてみせた橘に、高橋は、慌てて首を横に振って、


「いや、いや、いや、私は、単にガリ勉で国立大学に合格しただけのことで、社会全般の洞察力や、知能の高さでは、橘さんには到底勝てませんよ」と、これも、いかにもお世辞丸出しの返答をしてきたのである。




「で、その方法とは?」と、喉から手が出るような、物欲しげな表情で、高橋は、橘に死体隠蔽のトリックを聞いたのである。


 そこで、橘は、誰もが考えもつかなったような、奇想天外な死体隠蔽法を、語り始めたのだ。




「高橋先生、ことわざに「木を隠すなら林の中に」だったか、「森の中に」だったか、そんな言葉を聞いたことないですか?」


「ええ、何か、そんな言葉を聞いたような気がします。ちょっと違いますが、「砂浜の中で一粒のダイヤを探すようなもの」との言葉の裏返しのような言葉のように感じますが」


「ほう、ほう。さすがに理解が早い」




「しかし、それと、今ほどの『白昼の死角』の話と、どう関係するがです?」




「まあまあ、そう、焦らんと、聞いてください。いいですか?私は、推理小説やミステリー小説の研究にかけては、人に負けない自信があります。


 …でも、皮肉なもんで、私の書いた小説は、一度も、賞を取ったことはない。逆に、高橋先生は、同じ同人誌『乱歩』の会員で、私より、ずっと後に入会されたにもかかわらず、私より先に、新人賞の佳作まで取られた。つまり、私よりもっともっと文才があるがです。


 ですから、先生に、私の考えたこのトリックを、その小説に持ち込んでもらえれば、きっと、今度は、本当に新人賞でも、何ででも取れるでしょうよ」




「で、そのトリックちゃ、どんながです?橘さんは、長年、考えられたトリックを私に教えてくださるんで?」




「いや、そのトリック自体は、高橋先生の書かれた『けだるい殺人者』を読んで、今、思いついたところながです。確かに、計画殺人でもない限り、殺してしまった死体を隠蔽する工作というのは、大変に難しいものです。


 と、言って、実際に人を殺してしまった犯人が、今から急に、ドラム缶や、死体を詰めるセメント袋を大量に買いに行って、それで死体をドラム缶詰めにして、海に捨てるというのも、足が着きやすいですちゃね。




 何しろ、犯人は、遅かれ早かれ、警察へ行って、妻が行方不明になった、帰宅しないということで、捜索願いを出すわけでしょう。


 となれば、そんな時、最も、疑われるのは、第一通報者である夫のサラリーマンでしょう。そんなことは、社会一般の常識です。その夫が大量のセメント袋を買っていたとしたら、警察はどう考えるでしょうか?




 いいですか、そこで、先程のことわざらしき言葉の「木を隠すなら林の中に」を活用するがです。つまり、死体を、もっと沢山の死体の中に、紛れこませたらどうです?その死体は、果たして発見されるでしょうか?」




「うーん、なるほど、死体を死体に中に隠すとは、こりゃまた、大胆な発想ですね。しかし、死体の置いてあるところと言えば、大病院の死体安置室か、大学病院の医学部の死体安置室か、どちらにしても、一サラリーマンでは出入りもできなけば、何の関係もない場所ですね。一体、どうやって、その殺した死体を持ち込めばいいがです?」




「そこで、さっき言った「殺人罪から逃れるための殺人」の話が出てくるんです」


 


「じゃ、犯人のサラリーマンは、自分の妻の死体を敢えて隠蔽するために、全く関係ない第三者を殺害して、その死体と、自分の殺した妻の死体を、入れ替えるんですか?でも、それやったら、結局、また一人、別の死体が出てくることになる。




 うーん、それやったら、確かに自分の妻の死体は隠せるかもしれないが、別の第三者の死体の隠蔽工作で、やはり同じ悩みに突き当たることになりはしませんか?


 ただ、自分の妻殺しの、当座の疑惑からは逃れられるでしょうが。分からん話ですね。それとも、もっと別の方法があるんかな?でも、それは一体どんな…」




 高橋良介は、焦り出していた。両手はぶるぶる震え、額からは汗がにじんでいた。こんな禅問答を繰り返しているうちにも、自分が殺した小西真希の死体は、確実に腐敗が進んでいるからだ。




 高橋は、小西真希が、自宅にまで乗ってきた自転車の処理自体は、そんなに心配していなかった。かって、自分の中学校の生徒達と一緒に、「不法投棄パトロール隊」を結成して、市内一円を回った時に、不法投棄のメッカとなっている場所を発見していたからである。




 小西の自転車は、自分の指紋がつかないようにしてそこに捨てるつもりでいたからだ。


 だが、小西の死体を同じようにそこに捨てる訳にはいかないのだ。


 不法投棄の自転車ぐらいなら、多分、市役所か山の持ち主かが発見して、そのまま、粗大ゴミとして処分される筈だ。




 しかし、これが、死体、あるいは白骨死体であったら、必ず、大問題になるであろう。本当に、衝動殺人後の死体の隠蔽方法など、そんなに簡単には思いつく訳がないのだ。数ある推理小説は、この重大な点を見逃しているのだ。




 つまり、計画殺人でもない限り、殺してしまった死体の処理を完璧に行い、自分に疑いが掛からない方法など、ほとんど存在しないのである。




 しかし、橘は、にやりと笑って、


「高橋先生、結構、いいところまで考えられましたね。私の思いついた死体隠蔽のトリックも、先生が今ほど言われた方法に、近いと言えば近いがです。でもちょっとだけ違います。いいですか…」




 ここで、橘という男は、高橋が、狂喜するような、秘策を明かしたのである。しかし、それは、新たな殺人を起こさなければならない方法でもあった。


 


 高橋は、しかし、自分の身の保全のためにも、その隠蔽方法をとらざるを得なかったのである。


 

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